『ギャグゲリラ』は、同時代性を重視した時事漫画、世相漫画というジャンルに当たるため、『アドルフに告ぐ』のように、何度も復刻され、後世に語り継がれるということはなかったが、人気が定着するに従い、「週刊文春」の読者層を中堅サラリーマンを中心とした壮年層から、大学生をはじめとする若年層へと一気に広げたという意味では、赤塚だけではなく、「週刊文春」にとっても、深い意義を持った作品であることに、異論の余地はないだろう。
余談であるが、この『ギャグゲリラ』、赤塚を座長に迎え、一度だけ舞台化されたことがあるのを、読者諸賢はご存知だろうか?
1977年3月8日に、『赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ』と銘打ち、話の特集の協賛により、渋谷公会堂で上演されたバラエティーショーがそれだ。
新宿の酒場で知り合った演出家の藤田敏雄に「渋谷公会堂がキャンセルで急に穴が空いた。こんなチャンスは滅多にないから、何か催しをやらないか」と持ち掛けられたのが、ことの発端だったという。
宣伝期間が極めて短く、入場料もまた、一五〇〇円という高額だったにも拘わらず、一五〇〇人以上ものオーディエンスを動員したのだから驚きだ。
出演者は、赤塚座長以下、赤塚を贔屓にしていたという俳優の安藤昇、友人である女優の江波杏子、パントマイム芸人として名高いマルセ太郎、また親しい赤塚人脈からは、タモリ、唐十郎、野坂昭如、若松孝二、黒柳徹子、フォーク歌手のなぎら健壱が出演し、司会進行は元ドンキーカルテットの小野ヤスシが務めた。
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第一景は、大映の『女賭博師』シリーズで一世を風靡した〝昇り竜のお銀〟こと江波杏子の坪振りによるお馴染み賭場のシーンから始まり、イカサマ騒ぎの大乱闘が起きる中、着流しスタイルに身を纏った安藤昇と共に、赤塚扮する国定忠治が三度笠を傾け、颯爽と登場。殺陣師・尾形伸之介率いる尾形剣優会のメンバーを相手に、華麗な剣捌きで観客を魅了する安藤とは対象的なヨタヨタの立ち回りを演じ、場内を爆笑の渦へと巻き込んでゆく。
MCの小野ヤスシも「こりゃ、国定忠治というより杉作だね」と呆れ返る始末だ。
赤塚の出演パート以外では、情念の絵師・劇画家の上村一夫が、弾き語りで抜群の喉を披露したり、当時人気急上昇中のタモリが、四ヶ国親善麻雀等、得意のネタを演じた後、テレビでは放送出来なかったという、曰く付きの秘芸をお披露目したりと、会場の熱気は更にヒートアップを迎える。
その後も休憩を挟み、野坂昭如が、自身の怪曲『マリリンモンロー・ノー・リターン』を絶唱したほか、なぎら健壱の発売禁止歌メドレーや、マルセ太郎のパントマイムショー、唐十郎率いる状況劇場によるミュージカルといった白眉のプログラムが、続々と上演される。
特に、状況劇場の異形の役者達が、ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』に合わせ、熱く静かな激情を湛えて踊るシーンは、唐独特の夢幻的な演出も相俟り、ひたすら圧巻であったと、一部の演劇ファンの間では、未だ語り草になっている。
最後の赤塚出演パートでは、若松孝二演出によるステージポルノが実演され、日活ロマンポルノの看板女優であった中島葵が、赤塚の相手役を務め、なまめかしい艶技を披露。
カメラマン役の映画監督・高橋伴明と、助手役の長谷邦夫にパンツをむしり取られた赤塚は、ベット上で、葵嬢のヒップにむしゃぶり付いたり、乳首を舐め廻したりと、ポルノ男優顔負けの大熱演を見せ付けたそうな。
このステージ上で、赤塚は、この役に備え、スッポン、ニンニク、山芋、朝鮮人参、レバーの類いを専ら食して挑んだというが、これは赤塚一流のリップサービスの一環だろう(笑)。
そして、黒柳徹子をホステスに招いたトークショーの終了とともに、三時間以上に及ぶ豪壮かつデラックスなステージは、観客の興奮と歓喜の余韻を残し、拍手喝采の中、盛大なフィナーレへと雪崩れ込む。
この大盛況に味をしめた赤塚は、その後数々の破天荒なイベントを企画し、ステージ・ジャックを敢行するが、個人的には、赤塚が売れっ子漫画家として、最後の輝きを放っていた時代のオーラを、目の当たりに出来たであろうこの『ステージ・ギャグゲリラ』こそ、是非フィルムに記録として残して欲しかった舞台である。
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