社会的状況との関連をテーマに、市井の民の悲喜こもごもをカリカチュアライズしたその作風は、『ギャグゲリラ』以降、赤塚の成人向けギャグ路線において、一つの定番となり、エキセントリックな怪作が数多く生み出されてゆく。
『ギャグゲリラ』終了後、一般週刊誌では、暫しのインターバルを挟み、『赤塚不二夫のどうしてくれる⁉』(「サンデー毎日」85年2月17日号~12月29日号)、『赤塚不二夫のギャグ屋』(「週刊現代」91年4月13日号~11月16日号)等が連作として発表される。
『どうしてくれる⁉』では、「豊田商事事件」や松田聖子、神田正輝による〝聖輝の結婚〟阪神タイガースの日本シリーズ優勝、「日本航空123便墜落事故」等を、『ギャグ屋』では、第十二回統一地方選挙最大の関心領域にあった「東京都知事選挙」や、「俳優・勝新太郎の麻薬及び向精神薬取締法違反における逮捕」、「ミハイル・ゴルバチョフ書記長の来日」と「ソ連共産党による一党独裁体制の終結」といった、1985年と1991年に起きた象徴的な出来事が、それぞれのタイトルの中で、モチーフとして取り沙汰された。
一方、文藝春秋社でも、掲載誌を月刊誌「オール讀物」に移し、『ギャグゲリラ』の延長線上に位置しつつも、赤塚漫画としては、新機軸の提示となって余りある大人向けナンセンスが、新たにスタートすることとなる。
その時々のベストセラー本から元ネタを選び、そこに、対人関係の際、浮き彫りになりやすい、人間の軽操性気質やスノッブ感覚、世相の不安定化に対する痛烈な皮肉を滲ませ、パロディー化を試みた『赤塚不二夫の文学散歩』(83年3月号~85年7月号)なるシリーズだ。
『文学散歩』の担当編集は、のちに「週刊文春」の編集長を歴任する鈴木洋嗣で、ネタとなる本は、鈴木が用意した数々の話題作であった。
第一回目は(83年3月号)、当時、NHKの花形アナウンサーだった鈴木健二による自己啓発本『気くばりのすすめ』。
気配りの達人を自認する中年男を主人公に迎えたエピソードで、彼は、家族の分まで、歯を磨き、快便をし、ご飯を噛み砕いては、雑炊のように食べやすくしてあげるなど、行き過ぎの配慮が実に鬱陶しい、偏奇の人物だった。
会社でも、上司の手を煩わせないよう、部下を叱りつける、取り合えずの気配りを見せるが、酒を飲んだとたん、それまで鬱屈した感情が爆発し、気配りとは無縁な、手に終えない酒乱に変貌するという、そつのない落ちで纏め上げられ、まずまずの佳作となった。
押し付けの気配りや親切といった不躾な厚意が、如何に、人にとって、重く窮屈なものであるかを簡潔明瞭に示しており、そうした行為そのものが、いずれ、他者の自由への侵略になり得る独善性をも孕んでしまうという真理の一端をテーゼに絡めた作劇の玄妙さは、決して軽視出来ない。
第二話(83年4月号)では、その猟奇性から世界中に震撼を与えたパリ人肉事件の真相を、当事者である元日本人留学生との往復書簡を通し、肉薄した「佐川君からの手紙」(唐十郎)、第三話(83年5月号)では、ある日突然、非行へと走った娘との葛藤と絆を体験記として綴った、俳優・穂積隆信による「積木くずし」といった具合にモチーフが選ばれ、『文学散歩』は、その後も順調に回を重ねてゆく。
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全二九話のうち、特に、衝撃を受けたエピソードは、エドワード・ファイゲンバウムの「第五世代コンピュータ」をネタにした第九話(84年11月号)である。
本編の主人公は、かつて『レッツラゴン』で活躍したゴンのおやじだ。
将棋狂のおやじは、将棋仲間の勧めにより、近代将棋をマスターすべく、パーソナルコンピューターを自宅に導入する。
だが、そのパソコンは自我に目覚め、女性としての想念を高度化させてゆき、いつしか、ゴンのおやじに恋心を抱くようになる。
そして、遂には、ディスプレイ上に、文字や絵柄を出すことで、求愛を求めるまでに至り、ゴンのおやじとの子供を生みたいと、迫ってくるのであった……。
本エピソードでは、人間とコンピューターにおける禁断の愛という、メタフィジカルなシチュエーションにギャグのフォーカスを絞りながらも、遺伝子の進化を模倣した人工知能が、自我を認識し、やがて、ホワイトカラーの頂点として、人類をも支配してゆきかねない恐怖を如実に予見しており、エキスパートシステムの実用化に更なる傾斜が強まる昨今、まさかと笑ってはいられない震慄がそこにあるのだ。
因みに、このシリーズのアイデアブレーンを務めていたのは、雑誌「ちゃお」の編集長で、この時、赤塚とは、仕事上のパートナーというよりも、飲み友達、遊び仲間だった武居俊樹である。
編集長というポストに就任し、更なる激務に追われるようになった武居にとって、打ち合わせと称し、フジオ・プロで寛ぐことは、最高の気分転換であったに違いない。他社のエディターが、自社の赤塚作品のアイデアブレーンを担当している光景に、「オール讀物」赤塚番の鈴木記者は、実に奇異な目で見ていたのかも知れないと、後に、武居は自著で述懐している。
古今東西の文学の名作をモチーフに、庶民の不行跡や不心得をパロディックな笑いへと昇華した東海林さだおの往年の人気作『新漫画文学全集』とは相違なる質を持ち、シュールに特化したドラマトゥルギーをベクトルに示した『文学散歩』だが、その笑いも同様、一種異様な偏執性を帯びつつも、背反的に事物の本質を内包したシニシズムに支えられていることが、通読する都度、実感させられる。
また、余談ではあるが、文学をドラマの下敷きとした本シリーズとの類縁を辿った作品として、古代中国の故事成語をテーマに掲げた『中国故事つけ漫画』なる描き下ろしのカルチャーコミックも、これに前後し、赤塚は手掛けている。
全十六話からなる『故事つけ漫画』について、そのストーリーテリングを例に挙げると、「背水の陣」をモチーフに据えたエピソードでは、嫉妬深い女房と離れたい若いサラリーマンが、その逃走資金を工面すべく、消費者金融から融資を受けまくるものの、最後に意表を突く閃きにより、その借金を全額踏み倒すというどんでん返しが綴られていたり、続く「四面楚歌」という挿話では、これまで過保護に育てられてきた青年が、自立心を養うべく、一般企業に就職するも、社長のコネで入社したため、周りの社員から腫れ物に触れるように接しられ、結局、いつまで経っても、自立出来ないという儘ならない現実が落ちとして付くといった具合だ。
そのほかのエピソードにおいても、この『文学散歩』や通常の『ギャグゲリラ』に準拠したストーリーテリングが際立ち、深刻化する「クレサラ問題」等、巧みな時事ネタの引用も含め、カリカチュアライズの完成度は、掛け値なしに高い。
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