エジソンの最初の大きな挫折

2022-05-29 21:26:00 | エピソード
エジソンは 一生のうちに3ヶ月しか学校に通っていなかった。
だからといって彼は決して教育のない人間ではなかったし、惨めな人生を歩んだ人間ではなかった。

エジソンの最初の大きな挫折は、教師にこの子は教育に値しないと言う両親宛の手紙を持たされて学校から家に返されたことである。
このために彼は独学で教養を身に付け真に偉大な発明家になれたのである。

まず思わなかったら、そうはならない

2022-05-18 07:29:00 | エピソード

昭和40年頃私は、松下幸之助さんのダム式経営についての講演を聞く機会がありました

ダムを作って常に一定の水量があるような余裕のある経営をやるべきだということを話されました

すると一人の人は、私もダム式経営に感銘を受ける。しかし今余裕がないのどうすればいいのかそれを教えて欲しいと質問をしました

松下さんは、「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけれども余裕がなけりゃいかんと思わないといけませんな」と答えられました

そうすると全然答えになっていないとみんなが失笑するのです

しかし私は強烈な印象を受けたのです 

つまり松下さんは「まず思わなかったらそうはならない」ということを言われたのです

理想に対してそうは思うが現実にには難しいという気持ちが心の中にあっては、物事の成就が 妨げられると言われたのです

京セラ会長 稲盛和夫


3人いれば虎が出せる。どんなにあり得ぬことでも大勢の人が言うと信用されてしまう

2022-04-25 05:37:00 | エピソード
「今一人の者が市場に虎がおりますといったら王はお信じになりますか」
魏王は言った。
「信じぬ」
「では、二人の者が市場に虎がいますと言ったら王はお信じになりますか」
「半信半疑であろう」
と魏王は答えた。
「それでは、三人の者が市場に虎がいますと言ったら王はお信じになりますか」
「わしは信じるであろう」
「そもそも、市場に虎などいないのはわかりきったことです。 しかし、三人の者が言えば虎がいることになってしまいます。 わたくしはこれから邯鄲へ参りますが、大梁(たいりょう)から邯鄲までの距離は、 王宮から市場までの距離よりはるかに遠く、また私のことを悪く言うものも三人にとどまりますまい。 王におかれては、なにとぞこの点をよくお考え下さいませ」
「わしは自分で判断するとしよう」
そこで、龐葱は出かけて行ったが、さっそく龐葱の讒言をする者が現れた。
後に太子が人質を解かれたが、龐葱は、結局王に目通りすることもかなわなかった。
どんなにあり得ぬことでも大勢の人が言うと信用されてしまう

一人が、町に虎が出たといっても信じられないが、 三人までがそう言うと、聞いた人は信じるようになるという嘘や噂も多くの人が言えば、本当のこととして信じられるようになってしまう

市虎三伝 市に虎あり(いちにとらあり)

成功する人とは、今日を最高の1日にするという心構えで、ベットに腰掛け朝を待ち構えている人である

2022-04-01 08:21:00 | エピソード

億万長者から教わった成功者の心構え

他の人の心構えを変えるのは難しくても 自分の心構えを変えることはできる

ジェブという少年の話

少年が子供の頃、毎朝5時半になると母親が部屋に入ってきて、「ジェブ、今日はすてきな一日になるわよ」と言って少年を起こすのだ。

しかし、朝っぱらからそんなことを言われても、少年はうれしくもなかった。来る日も来る日も、少年は朝一番に外に置いてある石炭を取ってきて、火をおこし、家を暖めなければならなかったが、それがいやでたまらなかったのだ。

ある朝、母親が入ってきて、「今日はすてきな一日になるわ」と言うと、彼はついに怒ってしまった。

「違うね、ママ。今日はひどい一日になるよ。もううんざりだ。家の中は寒いし、石炭を取りに行くなんていやなこった。最低の一日だよ!」

「そうなの。あなたがそんなふうに感じているとは思わなかったわ。だったらベッドに戻って、もう少し寝ていなさい」と、母親は答えた。

少年は、してやったりと思った。
「もっと前にこうすればよかった」

2時間ほどして少年が起きると、家は暖まっていて、朝食のいい匂いがしてきた。

彼はベッドから抜け出し、着替えると、キッチンのテーブルに座った。

「すごくお腹がすいたよ。たっぷり寝たし、朝ご飯はできているし、最高だよ」

「あのね、今日はあなたは食事抜きよ。今日はひどい一日になるって、自分で言ったでしょう。母親として責任をもって今日をひどい一日にしてあげるわ。

部屋に戻って、一日中そこにいなさい。部屋から出てきてはいけません。それに何も食べさせません。明日の朝、5時半に起こしにいくから」

ジェブはがっかりして部屋に戻り、ベッドにもぐり込んだ。
1時間ほど眠ったが、そうそういつまでも寝ていられるものでない。

一日中部屋の中でぐずぐずしていたが、お腹はどんどん空いてくる。
ようやく暗くなると、またベッドにもぐり込んで眠ることにした。

翌朝は、夜が明ける何時間も前に目を覚ますと、着替えをし母親が5時半に起こしに来た時には、ベッドに腰掛けて待ち構えていた。

母親が何も言わないうちに、少年は飛び上がって言った。

「ママ、今日はすてきな一日になりそうだよ!」

ジェブの物語は誰にでも当てはまる。
誰でも心構えを変えることができる。
他のことを変えるのは難しくても、誰でもより積極的な心構えでことに当たることはできるはずだ。

そして、一番たよりになる助けの手は、自分自身の手(心構え)であることがわかるだろう。

今日を最低の1日とするか、最高の1日とするかは心構え次第なのである

「夢を実現する戦略ノート」

成功する人とは、今日を最高の1日にするという心構えで、ベットに腰掛け 朝を待ち構えている人である


君たちはもっと高く飛べるはずだ

2022-03-15 07:26:00 | エピソード

人は目標を持つことで自分に内在するエネルギーをフルに発動させることができる。

ある高校の体育の時間に行った興味深い実験

みんな力いっぱいできるだけ高く飛び上がってみたまえ。

次に数日経って、今度は一人ひとりの生徒に前のテストで生徒が飛べた3割増しのところの高さにチョークで印をつけておいて、君たちはもっと高く飛べるはずだ 印のところを目標にして それより高く飛べるように努力してみたまえと指示してとび上がらせてみた。その結果50名の生徒のうち約半数はその印より高く飛ぶことができた。

これは生徒たちの半数は目標を与えられることによってさらに3割の力を体内から絞り出すことができたことを意味している。 

        
この実験で 松井教授は次の2点を指摘している。

一つは人は目標を持つことで自分に内在するエネルギーをフルに発動させることができる。

二つ目は人は目標を意識してそれを達成した時深い喜びを持つことができるということである


100万ドルの法則

2022-03-15 07:25:00 | エピソード

ガンソーラス氏に100万ドルをもたらした法則は今でも生きている

あなたも、もちろんこの法則を使うことができる
この不変の法則は、若い牧師を成功させたように、あなたをも成功に導くのである


「明確な目標」と「完全な行動計画」があれば、アイディアを富に変えることができるという、驚くべき真実を知っていたのである


ただ漠然と100万ドルほしいと思っているような夢のような願いを持つことは、世間では珍しいことでもなんでもない。彼の他にも大勢の人が持っている望みである。

あの記念すべき土曜日の決意だけが、他の人と違っていたのである。

彼は金が欲しいという漠然とした考えを捨て、「1週間以内に100万ドルを手に入れるのだ」という明確な決定をしたことが成功に結びついたのである


この実例の中の重要な点を見逃さないでいただきたい。
彼は自分の願望を達成するために、明確な決意を持ち、計画を立て、実行してから36時間以内にその目標を達成していることだ。

この話は、教育者であり、牧師であったフランクリ・W・ガンソーラス氏から直接聞いたものである。

ガンソーラス氏が大学に通っているとき、この国の教育制度に欠陥があることに気づいていた。
そして、もし自分が学長だったら、この欠陥の多くを解決できると考えていた。

彼は、自分のアイディアを実現するために、古い教育制度にしばられない新しい大学設立しようと決心していたのである。

その事業を達成するためには、100万ドルの資金が必要だった。だが、どうやってその資金を調達したらいいのか? この問題が、大志を抱く牧師の心を長い間悩ませ続けたのである。

しかし、いかに悩み続けたところで、事態は一向に進展しなかった。寝ても覚めてもそのことだけが気がかりであった。そしてこの悩みは執念となった。

ガンソーラス氏は、牧師であると同時に哲学者でもあった。成功したすべての人がそうであったように、彼は明確な目的のためには、どこからスタートしなければならないかを認識していた。彼はまた、その目的を実現しようとする燃えるような願望が、達成への大きな原動力になることも認識していた。

ガンソーラス氏はその真実に気がついてはいたものの、どうやって100万ドルを手に入れることができるかは、まったくわからなかった。もし彼が普通の人だったら、次のような言い訳をして諦めたことだろう。

「私のアイディアは非常にすばらしい。だが、必要な100万ドルが手に入らない以上、私にはどうすることもできないのだ」

こう言ったに違いない。だが、彼はそう言わなかった。そのことについては直接、彼の言葉で語ってもらうことにしよう。

ある日曜日の午後、私は自分の部屋で100万ドルをつくるのにどうしたらいいかを考えていました。

それはもう2年近くも考え続けていたものです。
私には考える以外に、できることは何もありませんでした。

やがて、行動に移す時期がきました。
私は100万ドルを1週間以内につくることを決意しました。

では、どうやって?
私はそのことについて心配しないことにしました。
重要なことは、一定期間内にその金をつくるのだという「決意」なのです。

私がこの決意をした瞬間から、いままでに経験したことのないような不思議な確信が心の中に生まれました。心の中で何者かが私にこう言っているのが聞こえてきたのです。


「どうしてお前は、長い間その決断をしなかったのか?」


それからというもの、ことは急速に進展しました。
私はある新聞社に電話をかけて、明日の朝、説教をしたいと申し入れました。
演題は「もし私が100万ドルを持っていたら何をするだろうか」というものでした。

そして私は、すぐ説教の準備にとりかかりました。
その準備は特に難しいものではありませんでした。2年間も私はそのことを考え続けていたものです。それですっかり準備を整え、早めにベットに入りました。私は、すでに100万ドルを手にしている自分を思い浮かべることができました。そして、自信をもって眠りについたのです。

翌朝早く目が覚め、バスルームでその原稿を読み返しました。
そして、ひざまずいて、今日の説教がお金を提供できる人の心を動かしてくれることを神に祈りました。

祈っている間も私の心は確信に満ち満ちていました。
興奮のあまり、私はせっかく書いた原稿を持たずにバスルームから飛び出し、説教場へ行きました。そして説教を始める直前まで、原稿を忘れたことに気がつきませんでした。気がついたときは、もう遅すぎました。戻ることはできません。しかし、原稿を忘れたことがいかに幸いだったことか!

私が話さなければならないことは、すべて潜在意識が覚えてくれていたのです。

説教の時間がきました。
私は立ち上がって瞑目し、心の底から私の理想を話しました。
私は、ただ目の前の聴衆に話しただけでなく、神に祈りました。
そして、私が100万ドルを手に入れて、何をしようとしているのかということを詳しく話しました。

若者たちがもっと実用的な知識を学びながら、同時に豊かな心を養うことのできる教育機関を作りたいという、私の長い間の計画について話しました。

私が、話し終わって座っていますと、後ろから3列目あたりに座っていた一人の紳士がゆっくりと演壇の方へ近づいてきました。私には、彼が何をしようとしているのかがわかりませんでした。彼は演壇に上がると、両手を拡げて私にこう言いました。

「牧師さま、私はあなたの説教が気に入りました。もし100万ドルあったら、あなたは今話されたことを実行なさるでしょう。あなたが明日の朝、私のオフィスにお越しくださるなら、私はその100万ドルを差し上げたいと思います。申し遅れました。私はフィリップ・ダンフォース・アーマーと申します」。

翌朝、ガンソーラス氏は実業家のアーマーのオフィスを訪ね、100万ドルを提供されたのである。アーマー実業大学は、その資金によって設立された大学である。現在その大学はイリノイ大学として知られている。

「 思考は現実化する」


エジソンは 一生のうちに3ヶ月しか学校に通っていなかった

2022-02-20 19:21:00 | エピソード

トーマス・エジソンは 一生のうちに3ヶ月しか学校に通っていなかった。だからといって彼は決して教育のない人間ではなかったし、惨めな人生を歩んだ人間ではなかった。


ヘンリー・フォードも小学校程度の学歴しかなかった。それでも偉大な成功を収めたのである。

エジソンの最初の大きな挫折は、教師にこの子は教育に値しないと言う両親宛の手紙を持たされて学校から家へ帰されたことである。

エジソン には大きなショックであったがこのために彼は独学で教養を身につけ真に偉大な発明家になれたのである。

またエジソンは片方の耳が不自由で、これを大きなハンディと思う人もいるだろうが、彼は第六感を使って心の耳で聞く能力を発達させこれを克服する。

エジソンは生涯に1000点以上もの発明品をアメリカの特許局に申請し、その大半が彼の存命中に製品化されアメリカの産業界に多大な貢献をした。

発電所をつくり、そこで起こした電気を家庭などに送るしくみを最初につくり出したのは、アメリカのエジソンです。1882年、エジソンはニューヨークにつくった火力発電所から、電気を送り始めました。自分が発明した電球をたくさんの人に使ってもらうためです。日本で初めて発電所がつくられ、家庭に送電されるようになったのは1887年(明治20年)のことです。

人類がコンセントや乾電池から電気を取り出して使えるようになってから、まだ140年ほどしか経っていないというのは、ちょっと意外ですね。このことは、電気をめぐる科学技術が、この短い年月の間に、いかにめざましく進歩したかということも示しています。


電気のことを最初に考えたのは、2500年ほど前のギリシャの哲学者タレス(前624ごろ-546ごろ)だといわれています。タレスは、「こはく(木のやにが固まって宝石のようになったもの)」をこすると羽毛やゴミなど軽いものを吸いつけることに気づいていました。これは、私たちが知っている静電気のはたらきですね。