イリアーデの言霊

  ★心に浮かぶ想いのピースのひとかけら★

黒龍王(4) 侈才邏王妃・冴紗に生まれ変わるのはいつの日か

2007年11月09日 06時19分28秒 | 小説

 嘘を書いてはいけないわ。健気な美人なんて何処にいるの?何ごともやる気なし、流されるままに流され、自分が傷つかずに済む逃げ道を常に選び羅剛含めた周囲を犠牲にする自己保身優先の偽善者で多情多恨の淫売である冴紗『神官は王に愛される』の裏表紙のあらすじ&本文にも“神官なんかになりたくなかった”とありますし、なりたくもない神官に大神殿の者どもに強制されて神官にされたのであれば還俗(=復飾)は容易いはずです。だって、今も冴紗は神官ではないのですから。『神官は王を狂わせる』の「Ⅰ 夢の日々」《聖虹使》という猿芝居が世に災禍を齎すのに“お役目でございまする。――それでも、わたしなどを望んでくださる方々がいらっしゃるかぎり、誠心誠意つとめたいと存じます。…なすべきことをなしてこその、幸せでございますゆえ”本音は《聖虹使》などなりたくないし儀式を済ませなくても《聖虹使》の役目を押し付けられ役目を果たせと最長老と長老どもに無理強いされて嫌々やっているくせに。

 何の価値も意味もなく災厄しか齎さぬ《聖虹使》などさっさと辞めて、誰よりも冴紗を望み恋い焦がれる羅剛だけのために《侈才邏王妃》として誠心誠意つとめるべきです。神官になりたくなかったのなら、《聖虹使》を辞めたいのなら、羅剛の求婚を受け入れた時に“元々、わたくしは神官なりとうはございませんでした。これを機に《虹霓教聖虹使》の御役目を返上し、大神殿を去らせていただきとう存じます。詣でる方々を見捨てるようで心苦しゅうございますが、《侈才邏王妃》も《聖虹使》も責任は重く片手間にどちらもやるなどとは至難の業、いえ、不可能でございましょう!わたくしは誰よりも何よりも羅剛様が大切なのでございます。王宮の重臣方と謀り、羅剛様がわたくしを預ける際の神官という名目を利用して皆様方がわたくしと羅剛様を引き裂いたことは忘れますゆえ、皆様方もわたくしのことは忘れて下さいませ!!わたくしは、これからは羅剛様のことだけを想い、羅剛様のためだけに生きてまいります。”と宣言し、大神殿と決別し依存と甘えを信仰と称する人々を切り捨てるべきだったのです。

 『神官は王に愛される』の「Ⅰ 大神殿」“自分は間違いなく徒人(ただびと)である、と。幾度おなじことを申し上げて、お役目を辞そうとしたことか。……人々は冴紗の姿を目にしただけで畏敬の念をいだいてしまうらしい。聖なるお姿を拝見できただけでありがたい、と平伏して泣き崩れてしまう者も多かった。ゆえに、いやおうもなしに責務をはたさねばならぬ。民たちの心のなかでは、冴紗はすでに『聖虹使』であるのだから。人々は待ち望んでいる。冴紗がまこと、神の御子になる日を。王の許可さえおりれば、儀式はあすにでもとり行なわれる。冴紗は徒人の身でありながら、心にやましい想いをかかえながら、聖虹使にならねばならぬのだ。”冒頭から冴紗の腐った性根がありありと描かれていますね。フェロモンを撒き散らす自分が獣欲のターゲットにしかならない役立たずのくせに自分の夢を壊したと羅剛を責めた冴紗の心は醜い…木偶の分際で!

 『神官は王に愛される』の「Ⅲ それぞれの想い」“世に『虹の御子』の名は知れわたっている。大神殿には連日、侈才邏のみならず、近隣諸国から多数の善男善女が詣る。民の信心を裏切るわけにはいかぬ。”呆れたことに信仰という名目に隠した依存と甘えを真顔で信心だと思い込み、そんな輩は裏切れないが羅剛は裏切る卑劣さには呆れます。挙げ句には、最長老と5名の長老に洗脳され《聖虹使》にならねばならぬのだと思い込み“……わたしは、聖虹使にならねばなりませぬ。禁色を賜ったときから、…それは定められたこと、ほかならぬ王ご自身が、お決めになったことでございますゆえ
虹の禁色を賜わろうが民や神官どもが《聖虹使》と崇め奉ろうが、嫌だと言って還俗すれば辞められる《聖虹使》に定めたのは羅剛だと罵った冴紗聖なる御方などではなくて腐れ外道です!最長老と長老どもに洗脳された木偶は民を背負っていると自惚れているクズだ。

 侈才邏を含めた世界中の人間は居もしない天帝の恩寵が虹色を有する人間によって齎されるという捏造された伝説を真に受けて、たかが虹色の髪と瞳だけで“聖なるお姿”よ、たまたま弓を持っていただけで“聖弓を持ってご降臨成された”などと神聖視するなんて馬鹿と阿呆のオンパレードですね。誰よりも踏み躙ってはいけない羅剛の心をこれでもかこれでもかと踏み躙り、それを“冴紗は、侈才邏のため、羅剛様のためになれるのであらば、――なにもつらくはありませぬ。みごと、『聖虹使』のお役目、演じきってみせましょう”なんて目を開けたまま寝言を言う冴紗は腐れ外道の木偶です。『神官は王に愛される』の「Ⅶ 王宮」羅剛と結ばれることを望んで人々の信心に応えることなどどうでも良いくせに“人々を、民を裏切ってしまった。自分などを《聖虹使》にと望んでくださっていた方々すべてを、いままでのご苦労すべてを、無にしてしまった。”なんて呟いていたけれど自分だけは安全圏にいようとするのですから身勝手すぎる言い訳で本心でないことは確かです。何故なら、冴紗神官になりたくなかったし《聖虹使》にはもっとなりたくなかったのだから。

 その《聖虹使》の存在が…冴紗が演じる口先だけの猿芝居が依存と甘えを増幅させ自ら努力するという気を奪い、国を傾け侈才邏を滅ぼし民を殺し夫王たる《黒龍王》羅剛を殺し彼から冴紗を奪おうとする碣祉王のごとき狂信者をこれからも生み続ける世に禍を齎すパンドラの如き悪女である冴紗が元凶なのですよ!その災いの元凶が現われて《虹の御子》さまが我々を闘わせまいといらしてくださった、などと戦争を回避させたかのように冴紗を救世主扱いで描くなんて戦争を舐めている!馬鹿にしている!!と言わざるを得ません。今回の戦争を引き起こしたのは冴紗の猿芝居である《聖虹使》ですから、そのような諸悪の根源たる《聖虹使》は一日も早く廃業して《銀の月》たる《侈才邏王妃》に専念し、《侈才邏王后・冴紗》として生きるべきでしょう。