鬼井江の世界(gooブログ)

鬼井江・大学受験の思い出  2011年3月(前ブログより転載)

2011/3/10

「鬼井江の世界」  教え子たちへ
 3月10日で、ほとんどの国公立大学前期試験の結果が出たことであろう。京大・東大などの発表は本日であった。
 さて、結果はどうであったのだろう。
 希望の大学には誰しも受かりたいものである。私の場合、工業系の高等学校を卒業してからの大学受験だったので、それなりに苦労した。(約45年前のことであるが、苦労は人生の宝になることが多い。)
 浪人してから、「模擬試験」なるもの受け、自分の実力不足を認識させられた。高校時代は「電波」の勉強が中心で、「受験勉強」は少ししかできなかった。一浪して前期試験(当時は一期校・二期校制度の時代で、一期校試験が現在の前期試験のような感覚でした。厳密には違いますが。)で合格した時はうれしかった。二浪は経済的に絶対できなかったので。浪人中に実力が認識できた。一期校の昼間部で合格できそうな大学はなかった。それで、地元大学の二部(夜間部)を受験した。
 受験番号を今でも覚えている。8番だった。迷わずに志願書を提出したから、受験番号が覚えやすい一桁であった。
 夜間部の試験といえども、合格者番号が掲示されたのを見たときはものすごくうれしかった。「これで、大学生になれる!」という喜び。夜間部は合格しやすいのだが、苦労した私にとって、とにかく「合格したこと」がうれしかった。
 私立大学はどこも受験しなかった。授業料が高くて、「私立大学に行かせてほしい」とは、親に言えなかったから。その当時の我が家の経済状態は自分でもよくわかっていた。「国公立しか通えない…」と自分で決めていた。(当時の国公立大学の授業料は一ヶ月1000円だったから。私立は約10倍だった。)だから、夜間部でもとにかく合格できたことがうれしかった。
 一期校は夜間部を受験したが、二期校は昼間部を受験。精神的に楽になっていたらしく、二期校受験では実力以上の結果が出たらしい。合格したのだ。自分でも驚いた。
 夜の大学にしようか昼の大学にしようか・・・と選択に迷い、「とにかくしばらくの間 どちらにも籍を置こうかな?」と思い、大学に相談することにした。そしたら「どちらか一つにしなくてはいけない。二重に籍を置くことはできない。」と言われた。迷った結果、昼の大学を選択した。
 はるか昔の、大学受験の思い出であるが、いつまでも覚えている。
 受験番号を何歳になっても覚えている人間は少ないだろう。私は、その少ない人間の一人。ちなみに、昼間の大学に合格したというのに、その時の受験番号はまったく覚えていない。思い入れの度合いが記憶内容に影響している。
 人生、そういうものであろう。
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