
気持ちよくてさわやかで過ごしやすいです
鹿児島を出てから40年たち41年目に入りました
お墓参りに バタバタと 帰郷するだけで

子供孫達も お婿さん実家やお友達も東京なので 私達は故郷に戻って住むもなくなりました
長女の誕生日3日前に母が入院
実家の新築

子育ては 聞く人もいなくて 何もわからず 不安な日々
全部 主人がしなくてはならず

初めての事ばかり

無事に誕生して 病院に事情を話し 「あと一週間入院を伸ばして欲しい」とお願いしたのですが
ベビーブームの時代で無理でした
そのまま宿舎へ
仕事 実家の建築 母の病院 私と子供の世話と走り回っている主人



私は 育児書に書いてあることと違って あまり泣かず 夜中も起きない長女に

本と違うと 昼も夜も長女の心配ばかりで おかしくなっていました
あまりにも 泣いてばかりいて 眠らない おかしい私を見るに見かねて
同じ宿舎の 上司の奥様が お手伝いして下さいました
自分の孫のように
今でも私達にとって 大切な お母さんです
保健所の方達にもお世話になったり
主人も おかしな 私に気がついて
私と子供を その頃 鹿児島で一番評判の良い小児科に連れて行ってくれて
「夜も起きないとは こんな親孝行な子供はいませんよ」とか
「お腹が空いたら泣きますよ」


と先生に言われ
ようやく 納得できて 私の気持ちも落ち着き 普通に戻れました
上司の奥様との別れは本当につらかったです

当日 泣きながら「あまりにも辛いから 見送りにいけない」

と
電話がありました

声を出しただけで つぶれてしまいそうな位 辛くて 声も出ない状態だったそうです
私も同じ気持ちでした

あまりにも辛いと話も出来ないという事を知りました
ただ 違うのは 私は 新しい生活の始まりの不安と期待とがあった所です・・・
出る人より置いて行かれる人の方が 心がつぶれる位つらいと思います
あれから 40年たちました
ご主人は亡くなられましたが

奥様は 身体をだましだましでも まだまだお元気でありがたいです
鹿児島を出てからも

あの時 あの人に助けられ あの時はあの人に・・等・・・・・

何と 助けられながら 生きてきた事か・・・と思っています
がけっぷちにいる時 いつも 誰かに助けられ 守られてきたような気がします

桜島に元気をもらい
開聞岳の姿のような感じになりたくてあこがれていた

私
鹿児島を出てからは 我が家の思い出は富士山になりましたが・・・

(富士山は あまりにも高貴で あこがれが 強いので 遠くから眺めるのが大好きです)
「ありがとう」と伝えられた方達は 出会いの中でのほんの少しの方達です

伝えられないけど 私の人生にかかわり 助けて下さった方がいっぱいいるのです
直接は伝えられなくても 「ありがとう」の気持ちを忘れないようにしなければ・・・
40年を節目に 感謝の気持ちを持って
気持ちを引き締めて 恥ずかしくないように生きていかなくては・・