さまざまなスケジュールを無難にこなしてきたのですが、先週金曜日の男の料理教室で大失態をしてしまいました。
「男の料理教室」にお世話になること2年、魚を捌いていた関係でしょうか包丁さばきも上達している実感がありました。当日サラダ用にキュウリを切っていると切り方を誉められます。「宇都さんみたいに薄く切らないと・・・」、そのとき・・・・右側がすこし気になり、包丁から目をそらした瞬間、グサリと指に包丁がのめりこんだことを強く感じました。調理をしている皆さんにわからないように、公民館の事務所へ急ぎます。水で傷口を洗うと思いのほか傷口が深いようです。血止めのガーゼを押さえ近所のかかりつけ医に飛び込みますが、傷口の縫合が必要で外科に行かないと・・・・急いで公民館へ戻り館長が車で送ってくれました。ちなみに包丁は昨日研いだばかりだそうです。
とてつもなくいたい麻酔を指の根元に打たれ、4針縫合しました。教室へ帰るとすでに調理を終え、ちょうど食事をいただく時間となっていました。皆さんは既に事情を察していて、私の照れ臭い笑いに安堵したのでしょうか、拍手で迎えてくれました。ご心配おかけしてしまいましたが皆さんの拍手の温かさに嬉しい気分となりました。
わが故郷や関東は、雨や曇り空が続き災害に日照不足の作物への影響で大変ですが、ここ福岡では大した雨もなくここ数日天気も続いています。先月の「きらら風呂の会」のとき高祖山(たかすやま)登山を計画していました。
今日のメンバーは谷口さんと一ノ瀬さんです。登山口につきました。高祖山(たかすやま)は、福岡市と糸島市の境に位置する標高416mの山で、頂上は古代の歴史書にも記された巨大な山城の怡土城跡だそうです。
ここの登山ルートは直登のルートみたいです。すぐに汗が噴き出してきます。風もなくジトジトと湿気の強い中、2014年にデング熱感染の報道で東京が大騒動となりましたが、その一番手としてのヤブカ(ヒトスジシマカ)が体にまとわりついてきます。
祀られている石碑がありますが、表面は碑文が長い歴史の中削られてまったく判明しません。本来であればここが一休みの休憩所となるところですが、まとわりついている蚊は立ち止る私をいまかいまかと狙っています。気を奮い起こし上へ進んでいきます。
下を見るとだいぶ登ってきたように思いますが、スマホを見るとまだ十数分しかたっていないようです。体で感じている時は数倍の経過を感じます。
少し開けて太陽が降り注いでいた広場がありました、ここで一休みです。わたしはリュックを下ろし登山靴まで脱いで水分を補給します。同伴のお二人は疲れた様子もなく、立ち話に興じています。ふと私の疲れが異常なのかなと思ってしまいます。異常なまでの汗の拭きだしと、あえぐ呼吸に少し心配になりますが、息が整ったので登攀を開始します。
10分もたたないうちに、異常な汗、息苦しさ、ふらつき、貧血で顔から血の気がなくなりました。これ以上動くと危険と思いへたり込みました。今年のタケノコ掘りの際にも軽い症状でしたが、同じ症状があり病院へ行くと糖尿病の投薬のより血糖値が下がったためであると判明しました。今度も同じと思いますが、慌ててボッケの飴玉を咥えます。
先行のお二人は登頂まじかだったようですが、心配して下山してきました。状況を報告して今回は登頂断念です。
登山口の車に着きました。おかげで少し楽になったようです。登山初めて約60分ほど高祖山をさまようだけで目的を達せず帰ってきました。今年の秋に再トライすることを約束しました。
せっかくのご縁と言うことで、高祖宮にお詣りさせていただきました。創建は不詳だそうですが、西暦1197年の伝承の記載もあり、800年以上も前からここに鎮座しています。ご祭神は山幸彦の名で知られている彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)です。このお方は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子で、母はわがふるさと阿多郷の姫であった木花開耶姫(このはなのさくやびめ)です。神話の世界を話し出すと長くなりますのでこの程度に止めおきますが、いつかブログで私見な部分もあるとは思いますが、お話ししたいと思っています。
「てはきっし やまのぼいも いっきだれっせぇ といをとって やっせんぼに なったもんじゃらい」
手は切るし 山登りも すぐに疲れてしまい 年を取って 体が弱く なったようです。