多分、関内から横浜へあるいていたはず
以下は、昨年3/13のブログから
事務所の光景は、昨年阪神淡路地震に関する視察で見た、ビデオの
様なシーン。
正に、再現VTR、デスクの上の書類は散乱する、PCは倒れる。
何より、ビデオで印象深かった、凶器と化して、暴れまくる
ファックス・コピー機。
やっと、揺れが収まったと思ったところで第2弾。
これも治まって、いざ、非難。
オヤジの事務所は、14階建ての9階。
屋上の受水層が、倒れてメイン階段ならびに避難階段に滝のような水。
滝の中を9階から階段で。
1階に下りてきて、全員降りてきたところで、業務終了。
解散!
ホームレス中学生か?
この後の選択が・・・・・
JR組は、徒歩で横浜駅へ、約3キロかな?
根岸線沿いの行列に入る。
桜木町を過ぎて、横浜駅へ。
既に、駅の外には座り込む人、人、人。
とりあえず、改札へ当然動いていない。
しばらく、構内で待つ。
いくらかけても、つながらなかった携帯に
奇跡的に、家からの電話。
一人暮らしをしている次男以外は無事を確認。
自宅が全くといっていいほど被害が無いのも確認。
緊急時に弱いドコモ。役に立たない。
一番の苦境にいるのが自分だけであることを聞いて、
なんか、一安心。
その後、JR終日運休を決定。17時ぐらいだったか。
もっと早かったかも。
歩いて帰れる人は歩いて帰れの、インフォメーション。
ホテルで過ごすことに決めて、ホテル探し。
既に、遅し。知り合いのホテルマンに連絡を取るが、
当然のようにNG。
続いて、タクシー乗り場へ。
東口のタクシー乗り場は、0メートル地帯で閉鎖。
タクシーに乗るために、桜木町へ戻る。
時間は18時前だったような。
タクシー乗り場に長蛇の列。
4~5時間タクシー待ち、
一時間に一台も来ない。
キツカッタ、おまけに風まで吹いてくる。
良くなりかけた、腰にキツカッタ。
情報でパシフィコ横浜が避難所として
開放されていたのは、ツイッターでわかっていたが、
ひたすら待ち続けた、お年よりのご夫婦や幼児を抱えたお母さん。
娘との電話でタクシーに望みが無い情報をもらい、
パシフィコを目指すが、娘の情報では海の水位が上がり、
パシフィコの非難所は中止?
駅前の警察官に確認、その情報が間違っていたようだ。
パシフィコを目指す。22時ころか、
JR桜木町駅は、シャッター閉めて避難者を締め出していた。
パシフィコを目指すと、映画のワンシーンのようにパシフィコを
目指す人々。
パシフィコの避難所は、Dフロア。
既に、満杯。
アネックスホールへ誘導される。
ある意味ラッキーと思った。
打ちっぱなしの展示会場より、会議場の方が。
会議場の机つきの席を確保。
とにかく、暖かさがうれしかった。
奇遇なことで、隣り合わせたご婦人方。
一人は東京・一人は神奈川の方で、二人の中間で
横浜会っていたようで、
東京の方はなんと杉並、しかも成田東5丁目。
オヤジは、3丁目。
神奈川の方は、平塚にお住まい、平商の近くだそうで、
オヤジは、山下団地の住んでた。
なんたる、出会い。
しばらくすると、修学旅行か社会見学の中学生が。
一クラスくらいの人数で。
せっかくなのに、可愛そうに。
ホールに先生の引率で入ってきたときは、神妙?
緊張したかんじでおとなしくしていた。
そこは、中坊、しばらくすると踊りだす子達も。
お母さんと幼児、この幼児の子が異様な雰囲気になじまず、
泣き続け、寝たかと思うと、また泣き出す。
横浜市の職員も大変だったと思うね。
自宅に帰って、家族と一緒にいたいだろうに、
一時間ほどたって、相鉄が動き出したインフォメーション、
さらに、しばらくたって市営地下鉄の運転再開のインフォメーション、
市営地下鉄 → 湘南台 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
帰れる! ・・・・・・・・ 嫁が車で迎えに来てくれれば・・・・・
自宅に電話を、またまた奇跡的につながった、
今回は、節目節目で電話がつながって救われた。
周りの人たちは、帰る経路が見つかったことを喜んで
「良かったですね」と、声をかけてくれた。
市役所の運転再開のインフォメーションは助かった。
欲を言うと、運行状況、終電時間も教えてほしかった。
でも、結果終電を終えても運行していたようだったけど。
すし詰めの電車で、湘南台へ。
湘南台から、車で我が家へ。
その日に家に帰れたこと、布団で眠れたことに感謝。
パシフィコに残って一晩過ごした人々に申し訳ないと思い、
早朝には、JRが動くことを願って、
3時過ぎまで眠れなかった、
というより、興奮していたのかも知れないが、
しかし、相鉄、市営地下鉄、田園都市線は復旧したのに、
朝の7時には動き始めた、JRが何で早々に運休を決めたのか、
路線数が多いことは理解するが、方法が無かったのか、
パシフィコをはじめ避難所で過ごした人たちがどれだけ
不安を感じていたのか・・・・
緊急時に使えない、ドコモ。
元、国営企業への不満・疑問は大きく残った。
以下は、昨年3/13のブログから
事務所の光景は、昨年阪神淡路地震に関する視察で見た、ビデオの
様なシーン。
正に、再現VTR、デスクの上の書類は散乱する、PCは倒れる。
何より、ビデオで印象深かった、凶器と化して、暴れまくる
ファックス・コピー機。
やっと、揺れが収まったと思ったところで第2弾。
これも治まって、いざ、非難。
オヤジの事務所は、14階建ての9階。
屋上の受水層が、倒れてメイン階段ならびに避難階段に滝のような水。
滝の中を9階から階段で。
1階に下りてきて、全員降りてきたところで、業務終了。
解散!
ホームレス中学生か?
この後の選択が・・・・・
JR組は、徒歩で横浜駅へ、約3キロかな?
根岸線沿いの行列に入る。
桜木町を過ぎて、横浜駅へ。
既に、駅の外には座り込む人、人、人。
とりあえず、改札へ当然動いていない。
しばらく、構内で待つ。
いくらかけても、つながらなかった携帯に
奇跡的に、家からの電話。
一人暮らしをしている次男以外は無事を確認。
自宅が全くといっていいほど被害が無いのも確認。
緊急時に弱いドコモ。役に立たない。
一番の苦境にいるのが自分だけであることを聞いて、
なんか、一安心。
その後、JR終日運休を決定。17時ぐらいだったか。
もっと早かったかも。
歩いて帰れる人は歩いて帰れの、インフォメーション。
ホテルで過ごすことに決めて、ホテル探し。
既に、遅し。知り合いのホテルマンに連絡を取るが、
当然のようにNG。
続いて、タクシー乗り場へ。
東口のタクシー乗り場は、0メートル地帯で閉鎖。
タクシーに乗るために、桜木町へ戻る。
時間は18時前だったような。
タクシー乗り場に長蛇の列。
4~5時間タクシー待ち、
一時間に一台も来ない。
キツカッタ、おまけに風まで吹いてくる。
良くなりかけた、腰にキツカッタ。
情報でパシフィコ横浜が避難所として
開放されていたのは、ツイッターでわかっていたが、
ひたすら待ち続けた、お年よりのご夫婦や幼児を抱えたお母さん。
娘との電話でタクシーに望みが無い情報をもらい、
パシフィコを目指すが、娘の情報では海の水位が上がり、
パシフィコの非難所は中止?
駅前の警察官に確認、その情報が間違っていたようだ。
パシフィコを目指す。22時ころか、
JR桜木町駅は、シャッター閉めて避難者を締め出していた。
パシフィコを目指すと、映画のワンシーンのようにパシフィコを
目指す人々。
パシフィコの避難所は、Dフロア。
既に、満杯。
アネックスホールへ誘導される。
ある意味ラッキーと思った。
打ちっぱなしの展示会場より、会議場の方が。
会議場の机つきの席を確保。
とにかく、暖かさがうれしかった。
奇遇なことで、隣り合わせたご婦人方。
一人は東京・一人は神奈川の方で、二人の中間で
横浜会っていたようで、
東京の方はなんと杉並、しかも成田東5丁目。
オヤジは、3丁目。
神奈川の方は、平塚にお住まい、平商の近くだそうで、
オヤジは、山下団地の住んでた。
なんたる、出会い。
しばらくすると、修学旅行か社会見学の中学生が。
一クラスくらいの人数で。
せっかくなのに、可愛そうに。
ホールに先生の引率で入ってきたときは、神妙?
緊張したかんじでおとなしくしていた。
そこは、中坊、しばらくすると踊りだす子達も。
お母さんと幼児、この幼児の子が異様な雰囲気になじまず、
泣き続け、寝たかと思うと、また泣き出す。
横浜市の職員も大変だったと思うね。
自宅に帰って、家族と一緒にいたいだろうに、
一時間ほどたって、相鉄が動き出したインフォメーション、
さらに、しばらくたって市営地下鉄の運転再開のインフォメーション、
市営地下鉄 → 湘南台 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
帰れる! ・・・・・・・・ 嫁が車で迎えに来てくれれば・・・・・
自宅に電話を、またまた奇跡的につながった、
今回は、節目節目で電話がつながって救われた。
周りの人たちは、帰る経路が見つかったことを喜んで
「良かったですね」と、声をかけてくれた。
市役所の運転再開のインフォメーションは助かった。
欲を言うと、運行状況、終電時間も教えてほしかった。
でも、結果終電を終えても運行していたようだったけど。
すし詰めの電車で、湘南台へ。
湘南台から、車で我が家へ。
その日に家に帰れたこと、布団で眠れたことに感謝。
パシフィコに残って一晩過ごした人々に申し訳ないと思い、
早朝には、JRが動くことを願って、
3時過ぎまで眠れなかった、
というより、興奮していたのかも知れないが、
しかし、相鉄、市営地下鉄、田園都市線は復旧したのに、
朝の7時には動き始めた、JRが何で早々に運休を決めたのか、
路線数が多いことは理解するが、方法が無かったのか、
パシフィコをはじめ避難所で過ごした人たちがどれだけ
不安を感じていたのか・・・・
緊急時に使えない、ドコモ。
元、国営企業への不満・疑問は大きく残った。