リフティングやフリードリブルは大事か?
・そんなのサッカーじゃない
・敵がいないところでどれだけ触れても無意味
・判断の要素がない
・ただの曲芸でしょ
ハッキリ言います。
そうです、おおよそその通りです。
ただし、考え方と捉え方によって練習の目的を変えることで、これらの練習は非常に重要でサッカーを続けていく上で一生涯に渡り大きな意味を持つものになると確信しています。
リフティングやフリードリブルで私が一番大事にしていることは、ボールを◯◯◯◯◯時とボールを◯◯◯◯◯◯時の◯◯がどれだけ◯◯かということにすごくこだわって練習しています。
(サルヴァの練習やドリ塾などではおなじみの言葉ですが…)
これは約10年間リフティングとフリードリブルを研究してきた現時点での私の間違いのない根拠になっています。
自分、ボール、相手、味方、環境、時間など様々な要素が絡み合って、考え方によっては一つ一つの局面や状況に無限の答えが詰まっているサッカーという競技において、それらの要素のどこを伸ばしたいのか?逆にどこが足りなくなるのか?ということを練習では考える必要があると思っています。
だからリフティングやフリードリブルに批判的な人も数多くいらっしゃいますが、どの練習でもやっているメニューが最も大事なのではなくて、メニューに対する"捉え方や考え方"を指導者自身が明確に持ち、それを選手たちにしっかりと伝わっているかどうかの方がよっぽど大事なわけで。
指導者としてそういうところまで深く考えて見れずに、この練習は意味がないとか、あの選手は上手いとか、今のはもっとこうした方が良いプレーだったとか、すぐに見たまま誰もが感じている表面的なことで決めつけて指導者が発言していたとしても、私はその指導者に対してリスペクトや共感を覚えることはほとんどありません。
サッカー経験がなかったり、指導者として駆け出しの頃はとにかくなんでも吸収しようと、協会のマニュアルや海外のトレーニング方法を自チームに取り入れることで、ある程度の選手の成長を感じ取ることはあるかもしれません。
でもそれって結局その先の答えが決まった真似でしょ?
そう言われた時にその指導者が間髪入れずに持論を返せるのかは指導者としての力量が問われる上で必要不可欠になってきます。
誰ダレがやっていたから、海外がこうだから、あのチームがこうだから…
じゃあそのチームに行って教えてもらう方が選手にとってはベストなのでは?
色々なことを積極的に学び自チームに取り入れることは姿勢として悪いことではないと思います。
が…
一番大切なのは目の前の子ども。
自分にとって必要なことは全て目の前の子どもたちが教えてくれているということ。
そのサインを見抜けずに見逃してしまう。
もしくは見ようともせず気づいてもいない。
答えは内側ではなく外側にあると思ってしまう時点で前提から間違っているのでは?
(偉そうに書いていますが、私自身も指導者駆け出しの頃はまさにコレ!苦笑)
情報が溢れ、他者との比較から今の自分たちに無いものばかりを欲し、手に入ったと思えばまた足りないと思い探し続ける繰り返し…
それは悪いことでは無いかもしれないけど、それで目の前の子どもたちは振り回されてはいないかのか?
その子たちのためだと思い新しいことをどんどん取り入れることは良いことかもしれないが、教えているその言葉一つひとつに"自分の魂"は乗っかっているのか?
日本には言霊ということばがあるように、言葉には魂が宿っていると昔から考えられている。
(ちなみにこれ昔見てめちゃくちゃ面白いと思った記事↓↓)
http://ameblo.jp/horihori-2015/entry-12076798948.html
また、私の知り合いの福岡で大盛況している居酒屋も"九州一美味いビールを提供する"をモットーにしてこのような取り組みをしている。
(実際他店とは明らかに違って美味い!!)
{7939D4EF-035D-4230-AED1-A9DCE9777ECC}
少し話はサッカーから逸れたが、目の前の子どもに対して自分の頭で整理し考えたことを"自分の言葉で魂を乗せて伝える"という、技術とはまた違う"目には見えない心の想い"を指導のベースに置くことは私自身すごく大事にしている部分である。
結論から言うと、教えると言うことには"その子たちの人生を変えてしまう"ほどの責任があるということ。
その責任を自覚した上で選手たちと関わる時間や接し方、立ち振る舞いの一つひとつまでも気にした上で自分が指導者としてどのような"在り方"でいるのか。
だから簡単に他人を判断して決めつけるのは無責任でよくない。
人は結果に対してプロセスを結びつける。
だからもし世界一になったチームが
「ウチでは練習でリフティングとフリードリブルばかりをさせています」
とか言ったら、なるほどと思って真似する人も増えてくるでしょう。笑
人から賞賛されたり批判されたりすることをいちいち気にして自分たちのやることがブレまくるのならサッカー指導者という仕事に信念と誇りは持てない。
今年もブレずに積み重ねていくのみ。
・そんなのサッカーじゃない
・敵がいないところでどれだけ触れても無意味
・判断の要素がない
・ただの曲芸でしょ
ハッキリ言います。
そうです、おおよそその通りです。
ただし、考え方と捉え方によって練習の目的を変えることで、これらの練習は非常に重要でサッカーを続けていく上で一生涯に渡り大きな意味を持つものになると確信しています。
リフティングやフリードリブルで私が一番大事にしていることは、ボールを◯◯◯◯◯時とボールを◯◯◯◯◯◯時の◯◯がどれだけ◯◯かということにすごくこだわって練習しています。
(サルヴァの練習やドリ塾などではおなじみの言葉ですが…)
これは約10年間リフティングとフリードリブルを研究してきた現時点での私の間違いのない根拠になっています。
自分、ボール、相手、味方、環境、時間など様々な要素が絡み合って、考え方によっては一つ一つの局面や状況に無限の答えが詰まっているサッカーという競技において、それらの要素のどこを伸ばしたいのか?逆にどこが足りなくなるのか?ということを練習では考える必要があると思っています。
だからリフティングやフリードリブルに批判的な人も数多くいらっしゃいますが、どの練習でもやっているメニューが最も大事なのではなくて、メニューに対する"捉え方や考え方"を指導者自身が明確に持ち、それを選手たちにしっかりと伝わっているかどうかの方がよっぽど大事なわけで。
指導者としてそういうところまで深く考えて見れずに、この練習は意味がないとか、あの選手は上手いとか、今のはもっとこうした方が良いプレーだったとか、すぐに見たまま誰もが感じている表面的なことで決めつけて指導者が発言していたとしても、私はその指導者に対してリスペクトや共感を覚えることはほとんどありません。
サッカー経験がなかったり、指導者として駆け出しの頃はとにかくなんでも吸収しようと、協会のマニュアルや海外のトレーニング方法を自チームに取り入れることで、ある程度の選手の成長を感じ取ることはあるかもしれません。
でもそれって結局その先の答えが決まった真似でしょ?
そう言われた時にその指導者が間髪入れずに持論を返せるのかは指導者としての力量が問われる上で必要不可欠になってきます。
誰ダレがやっていたから、海外がこうだから、あのチームがこうだから…
じゃあそのチームに行って教えてもらう方が選手にとってはベストなのでは?
色々なことを積極的に学び自チームに取り入れることは姿勢として悪いことではないと思います。
が…
一番大切なのは目の前の子ども。
自分にとって必要なことは全て目の前の子どもたちが教えてくれているということ。
そのサインを見抜けずに見逃してしまう。
もしくは見ようともせず気づいてもいない。
答えは内側ではなく外側にあると思ってしまう時点で前提から間違っているのでは?
(偉そうに書いていますが、私自身も指導者駆け出しの頃はまさにコレ!苦笑)
情報が溢れ、他者との比較から今の自分たちに無いものばかりを欲し、手に入ったと思えばまた足りないと思い探し続ける繰り返し…
それは悪いことでは無いかもしれないけど、それで目の前の子どもたちは振り回されてはいないかのか?
その子たちのためだと思い新しいことをどんどん取り入れることは良いことかもしれないが、教えているその言葉一つひとつに"自分の魂"は乗っかっているのか?
日本には言霊ということばがあるように、言葉には魂が宿っていると昔から考えられている。
(ちなみにこれ昔見てめちゃくちゃ面白いと思った記事↓↓)
http://ameblo.jp/horihori-2015/entry-12076798948.html
また、私の知り合いの福岡で大盛況している居酒屋も"九州一美味いビールを提供する"をモットーにしてこのような取り組みをしている。
(実際他店とは明らかに違って美味い!!)
{7939D4EF-035D-4230-AED1-A9DCE9777ECC}
少し話はサッカーから逸れたが、目の前の子どもに対して自分の頭で整理し考えたことを"自分の言葉で魂を乗せて伝える"という、技術とはまた違う"目には見えない心の想い"を指導のベースに置くことは私自身すごく大事にしている部分である。
結論から言うと、教えると言うことには"その子たちの人生を変えてしまう"ほどの責任があるということ。
その責任を自覚した上で選手たちと関わる時間や接し方、立ち振る舞いの一つひとつまでも気にした上で自分が指導者としてどのような"在り方"でいるのか。
だから簡単に他人を判断して決めつけるのは無責任でよくない。
人は結果に対してプロセスを結びつける。
だからもし世界一になったチームが
「ウチでは練習でリフティングとフリードリブルばかりをさせています」
とか言ったら、なるほどと思って真似する人も増えてくるでしょう。笑
人から賞賛されたり批判されたりすることをいちいち気にして自分たちのやることがブレまくるのならサッカー指導者という仕事に信念と誇りは持てない。
今年もブレずに積み重ねていくのみ。