On the Corner

めぐりあいつむぎつづれおる日々を生きていく中で感じたことを

白紙の2枚目に折り込んで

2006-11-11 23:46:33 | Diary


もう1ヶ月以上も前になるけれど、久しぶりに能楽堂へ行ってきました。
学生時代にお世話になった能の先生が主宰する会の、秋の発表会。

水道橋の駅から歩いて5分くらいのところに。
大通りにはドームや遊園地やホテルがどーんとありますが、
一本裏通りへ入るとすぐに閑静な住宅街で、そこに能楽堂があるのです。


久しぶりに予定のない土曜日だった今日、まとまった時間が出来たので
その時に撮った写真をやっとこさ焼き増しに行って、手紙を書きました。

6年ぶりの再会写真。
それと今から12年前の1994年10月の写真を添えて、白紙でくるんで。
タテ書きのお手紙なんて久しぶりに書いた。
書いていたら、自分の学生時代がすごく懐かしくなってきてしまった。
大学祭に行く機会もあったからかもしれない。

2枚の写真を見比べて、しみじみしつつ…
自分ではあまり変わっていないつもりでも、時は確実に流れているなぁ。

------

9月に先生の奥様から、番組表(プログラム)が、ばばーんと届き。
封筒いっぱいに筆ペンで、お世辞にもあまり上手とは言えない迫力ある文字で
宛名が書いてあるのをみて、なんだか懐かしさと笑いがこみあげてきて。
か、変わってないっ、この字!!

「○○○(娘さん)が舞囃子をやります。久しぶりに顔を見せてください」
というメッセージが添えられていたのでした。

娘さんのYちゃん、私がベビーシッター的役割をしていたのは
3歳から6歳くらいまでだったかな。
平成元年生まれだもんね~そうか、もう17歳…


私の大学時代を語るに、この能楽師ご一家は外せない…。


学生の、私たちサークルの練習をみてくれていたその先生には
通常の能楽界から考えたら破格の稽古料で見ていただいたのです。
初心者に根気よく、キレつつ教えて頂いて、本当にお世話になった一方で。で。

その感謝の気持ちとお弟子さん感覚当たり前というかで、先生のお宅の
能舞台のお掃除に行くのがサークルの慣わし。

びっくりします、地上3階地下1階のお宅の地下部分が能舞台だもの。

舞台の拭掃除は、だーっとまっすぐ一休さん方式は絶対禁止で、
固く絞った雑巾で、板目にそってぎゅっぎゅっと水拭きして、乾く前に空拭き。
能舞台の広さ、どれくらいなんだっけ。ざっと40畳くらいあった気がする。
ヒザついてその広さの板の間をピカピカに2回拭くのは結構な重労働。

そして、専業主婦の奥様がいらっしゃるにも関わらず…。
私の記憶にある「サークルメンバーがおうちを掃除する」理由としては
「子供が2人いるから」だった気がする。未だ解明というか納得できていない。
気づけばその大きなお家のリビングやら子供部屋やら全体掃除していました。
それが月2回。女子2人組で2時間くらい、手分けしてね~…
だって玄関だけで10畳くらいあるんだもの。
自分ちの掃除にそんなに時間かけないっつーの。

さらにエスカレートして、ベビーシッターまでしていたのですが、
幼稚園に入る前のお受験的情操教育塾だったのかなぁ、あれは。
週1回のそれに奥様が朝送っていって、私が午後迎えに行ってたなぁ。
長女Yちゃんのみならず、弟Hくんのときまで。

なんで私がここにいるんだろう…と思わずにいられないほど、
お受験組のお母様たち(フェラガモやグッチなどに身を包んでいる)に
混じって、そのキラキラさ加減に場違いに肩身の狭い思いをして。
「さっさと出てこーいぃ!」と思いつつお迎えで待っていた。

お母様たちとの挨拶は「ごきげんよう」だしね…。
ウチの大学も「ごきげんよう」と挨拶しているのではともっぱらの世評だけど
中・高等部とかからあがってきた子だけです。大学は庶民多し。

支度が出来た順に、ひとりずつ出てくるから、イライラ待っていても
のんびり屋の彼女と彼はいっつも最後だった…

四ツ谷から、ご自宅の駒込まで電車乗り換えて、送って。
好奇心旺盛な3、4歳は、あちこちに目がいってしまって、なかなか進まないのを
キーッと言いつつひっぱって歩いたり。
途中で寝られてしまった日には、泣きたくなるほど。
ぐたっとした眠る子供を抱きかかえて、雨の中傘さして歩いたこともあったっけ。

「若いお母さん、大変ね」という目でみられるのを「ワタシ母じゃありませんから!」と
誰にともなく憤慨して、心の中で主張してみたり…
そりゃそうよ、ハタチそこいらだもの。


「なんでそこまでやるの?」と後輩は思っていただろうな。
私がそういう道を作ってしまったことで、自分たちにもその仕事がくることを
恐れていただろうし、拒否することは難しいことを感じていただろうし。


自分が「わかりました」とやっていることとは言え、先輩にも同期にも愚痴をこぼし、
先生家族の言い分にカチンとしつつも滅私奉公的な活動をしていたけれど、
でも純粋に子供たちが生意気ながらもかわいかったから出来たのかも。
なついてくれていたし。


先生と奥様が「いつもありがとう」とあちこちに連れていってくれるのを
当時は「いや、感謝して頂けるなら誘わないでくれ…これ以上の拘束は勘弁」と
思っていたけれど、今となっては、美味しいもの、美しいものを、
とてもたくさん教えてくれていたことに感謝している。

ホテルのバーで、カクテルデビューしたのも(確か「ゾンビ」という名のカクテル)
街中にある美味しいイタリアンでペンネというパスタを初めて知ったのも、
お茶をする、といえば山の上ホテルのティーラウンジだったのも、
ETROのスカーフの柄の美しさを教えてくれたのも、そうだ。

当時はセレブなんて言葉は流行していなかったけれど、そんな暮らしを
ちょこっと垣間見ることが出来ていたんだな。
学生の自分には背伸び感の消えない、居心地の悪さを感じずにはいられないほど
キラキラしていたけれど大キライではなかった。

練習も好きなほうだったし、難しい曲にも挑戦したいから頑張ったし。
すごく良くしてもらったな、と今でも思うんだけど…

でもさすがに、泊りがけで留守にするから、泥棒に入られないように
泊まって留守番してくれ、と言われたときにはウチの母が激怒していたけど。
そりゃそうだ、泥棒に入られるほどの大きなお家に、なんで女の子がひとり
留守番しなきゃいけないのかって、当たり前の感覚として思う。

それ以上に、なんか神がかったお家だったからこわかったんだよなー。
家の中にもあちこちに盛り塩があったり、先生が唱える祝詞も意味不明だったし
安倍晴明のような☆もあちこちに貼ってあったり。
地上3階地下1階でシーンとしていると、ほんとに何か出てきそうで。
夜まで同期の女の子と一緒にいてもらって、バイトの終わった同期男子に
こっそり託して、ご家族にばれないかドキドキしながら、朝イチでまた
横浜から駒込まで駆けつけて。

はぁ、こうして書いてみると、次から次に理不尽なこと思い出してきた。



卒業後はさすがに、能の稽古を続けることもなく、ひたすら仕事、仕事で
年賀状のやりとり程度のご無沙汰っぷり。

最後に会ったのが、5、6年前で、Yちゃんがまだ小学校6年生くらいで
弟Hくんが3年生くらいだったのかな。
確かそれも秋の会で、Hくんが能の子方デビューするっていうので
観に行ったんだ。

その時にも随分大きくなっていて、Hくんなんて「あんた相撲取り?」という程で
抱っこして寝かしつけていたのが嘘のようなサイズになってて。


そこからまたずーっと忘れていたけれど、2つ上の先輩からたまたま
今年の秋の会の情報をメールもらっていて。
舞囃子するなんて、大きくなったもんだ~、もう私らのこと覚えてないかもね、と
わいわい感慨にふけってね。
その後で、奥様から番組が届いて、これは何か呼ばれるものがあるかも…と。

久しぶりに、能楽堂の厳かな雰囲気に触れたくて、連絡はせず
こっそりと行こう…と決めて、雨の中、能楽堂へ向かったのでした。


こっそり、のつもりだったのに、入り口付近に、すぐに奥様の姿発見。
あれ、横に立っているのは、ひとつ上の先輩?
あー、やっぱり現役の後輩たちが受付のお手伝いしているな~なんて
思いながら入っていく。

「来てくれたの!ありがとう!元気だった?変わらないわね!」と
奥様の歓迎を受けつつ、「この人だあれ?」状態の後輩たちに会釈し、
先輩に「やっぱり来ちゃった?」なんて、わかりあえる目配せして。

出演予定時間の30分前到着だったので、本人は着替え中&スタンバイで
楽屋にいるハズと思っていたものだから、奥様にむかって
「Yちゃんおめでとうございます。すっかり大きくなられたんでしょうね」なんて
言ってたら、

「Yだよ!」と、すっかりサークルの現役後輩だろうと思っていた子のひとりが
抱きついてきて。

へっ?!

まじまじと顔を見ても一瞬わからないほど、すっかり…


長い髪を結わくのが大好きだったちっちゃい子が、お化粧もして
ショートカットになって、はちきれそうに肌つるっつるで笑って立っていて。


うわー、びっくりした!!気づかなかったよ!!キレイになっちゃって!

思わずハグ。


時間が押していたそうで、まだまだ出番には1時間以上かかるらしい。
一旦失礼して、先輩とお茶する。
その先輩も今は人事関係の仕事をしているので、仕事(内定式が旬だった)の事や
近い代のみんなの近況などで盛り上がっているうちに、あっという間に1時間。

危うく見逃しそうなとこでした…何しに行ったんだ。


見所に入り、正面席へ。学生時代は脇正面に座っていたけれど、
やっぱり今日は特別だから遠慮なく。

何組かの仕舞の後、切戸からすっと出てきたYちゃん。
朱の袴に白い光沢の織のある着物がすごく映えて凛々しい。

朗々と謡いだした彼女に、10年前の自分を重ねて思い出す。
切戸にアタマぶつけたり、連吟で足がしびれて立ち上がれなかったり
仕舞の最中、くるっと振り向いたら目の前に目付柱があって驚いたり…
そんな失敗ばかりがグルグルと。

いやー、立派だ。
きっと彼女も普段は普通の17歳の女子高生なんだと思うけれど、
舞台上ではこんなにも落ち着きはらって、神妙で。
ちょっとぐっときてしまうほど、きりっとしていました。

あとで「間違えちゃった」と言っていたけれど、全然わからなかったし。
何より摺り足が先生そっくりでびっくりした。
ちょっとまだ腰が高い感じはするけれど、さすが。やっぱり血なのかしら。

伝統芸能って、師匠の技を真似することから始めるのだけれど
若い世代が着実に、受け継いでいっていることを実感。

まだ小さくって能楽堂の楽屋を走り回っていた印象しかない家元のお子さんも
おそらく20歳を過ぎた頃かな。Yちゃんの地謡についていたけれど、
おお!そんな声を出す人になったのね!と感動してしまった。

彼らがますます中核となって能楽の歴史を重ねていくのを、
つかず離れず、見守っていきたいな。

---

そんなことを、手紙にしたため、Yちゃんと奥様、先輩と私の4人で撮った
写真を送りました。
同封したのは、幼稚園にあがったYちゃんと一緒に私がケーキをほおばっているもの。
なんだか無邪気。




Comment    この記事についてブログを書く
« ぽんカレー in 最重要店舗&... | TOP | 出逢った頃のようにin AOYAMA--3 »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | Diary