1年くらい前に、東京駅のコンコースで見知らぬ韓国人女子2名に呼び止められ「成田空港行きの電車はどこから乗るのか」と尋ねられた。そのとき「(東京駅では)成田空港行きの電車は横須賀線のホームである地下5階から出ている」という情報を相手に伝えるのに大変苦労した。
彼女らは「成田空港行きのJR線は地下鉄ではないから、ホームが地下にあるはずがない」と反論してくるのだ。横須賀線(千葉県では総武線)は新橋から新日本橋の区間は地下にもぐっており、従ってホームが地下にあるという「事実」を説明しているのに、「JRは地上を走っている電車で地下鉄ではない」という基礎知識のために「例外がある」ということがなかなか納得(信用)できなかったらしく、とうとう飛行機の絵が描いてある横須賀線の案内近くまで行ってその絵を指し示してようやくこちらが「嘘」を教えているのではなく「事実」を伝達していることを理解してくれたのであった。
私の英語が下手なせいもあったのかもしれないが、そのとき、会話における彼女らの理解力やそもそも人の話を聞く姿勢に問題があるような印象も受けた。
「会話」における理解力とは、語彙力や知識を駆使する言語能力であるし、要するに「自分以外の他者の言語」を「自分の既知の知識」と「未知のものに対するイメージ力」を駆使しながら情報処理して相手の言葉を自分なりに理解していく能力である。しかし根底に必要なのは、そもそも他者の話を素直に聞くという姿勢ではなかろうか。
以前、このブログの中でも書いたのであるが、日本人の文章理解力は、OECD加盟24カ国の中で実施した調査 (Programme for the International Assessment of Adult Competences: PIAAC)で、24か国中の1位。
例えば、高度の文章力と語彙力を持ったレベル4及び5の割合は、日本が22.6%で1位(フィンランドが22.2%、カナダ18.7%、オランダ18.1%、スウェーデン16.1%)なのに対し、韓国人は8.1%に過ぎないらしい。
韓国人はレベル2以下は少ない方であるものの、高度な文章読解力を要求されるレベル4ないし5が少なく、ハングルのみの教育によって文盲はほぼいなくなったものの漢字を放棄することで、「読むことはできても理解できない」新型文盲が生じたともいわれている。
韓国よりも高度なドキュメントの理解が低い国は24カ国中、イタリア(3.4%)、スペイン(4.7%)、スロバキア(7.5%)、フランス(7.7%)の4か国のみだったそうだ。
因みに、レベル5の文書理解力は学者、ジャーナリスト、思想家などの職業に必要な能力と考えられるものの、韓国は0.2%に過ぎず、1000人に2人の割合で、韓国よりも低かったのはスペインとイタリアの2国のみ。
一方、レベル5は日本は1.2%で韓国の6倍。フィンランドが2.2%で、この部分では1位、オーストラリアとオランダがそれぞれ1.3%だったのだそうだ。
韓国語は日本人が西洋の文物から日本語に置き換えた制度用語(例:民主主義→민주주의(ミンジュジュイ )、大統領→대통령(テートンニョン) や多くの概念用語(例:約束→약속 (ヤクソク) 哲学→철학(チョルハク )学科→학과(ハククァ)などなど近代的言語の語彙を、漢字やカタカナ、ひらがなではなく元は日本語の朝鮮訛の語彙であるのに、ハングル文字のみで借用言語として使用しており、従って同音異義語などは前後の文脈からしか判断できないなどで難読があり、韓国の成人は2016年の調査で、「3人に1人が年間1冊も本を読まない」のだそうだ。
そもそもハングルは手書きなどに適さない文字で、日常的に使用される文字としてあまりにも問題が多いのではないだろうか。
例えば、「日本」を「にほん(日本 or 二本? )」と書く中学生以上の日本人ほぼいないわけで、他人が手書きで書いた文字であっても一目で理解できるのに対して、韓国では「大韓民国」をハングル文字で「대한민국」のように書くため、下の写真(引用元より拝借させて頂きました)のような、直線や丸の組み合わせの手書き文字では何が書いてあるのかさっぱりわからないことが多いらしく、要するに、ハングルは手書きで書くのに全く適していないらしい。
日常的に韓国では「他人が書いた手書きの文章は読めない」という現象が多々あるということらしく、「読めない」→「読んだふりをする」そもそも「読まない」→「言語的能力が発達しない」=「他者の言葉を理解出来ない」ということになってきているらしいのだ。
その顕著な例が7月12日の日韓両政府が経済産業省内で事務レベルの会合を開き「輸出管理に関する事務的説明会」を行った時の状況らしい。日本人同士なら15分ほどで済む内容が時間延長で5時間になった挙句、平行線だったのだそうだ。
韓国の事情を紹介してくれるとあるブログのからの記事を原文から抜粋させて頂くと、「韓国人の手書き文字はクセ字が強くて非常に読みにくい。元々ハングルはよく似た形の文字が多いため、手書きにされるとさらによく分からなくなる。」
「韓国人と手書きでやりとりする時、判読となるそうで(彼らが)綴りミスだらけなので、辞書を片手に勉強している初心者時代には解読に手間取ることとなる」
要するに「ハングルの手書き文字というものが、もう解読不能な書写レベルである」ということらしく、「韓国では書いて伝える機能を担う文字がフォント(活字)になっていないと他人の書いた文字は理解できない人がとても多い」
「他人の書いた手書きメモは読めないレベル、自分自身でも書いたメモが何を書いたのか(あとからは)理解できない」レベルなのだそうだ。
下の文字は全て韓国人の手書きの文字で、何が書いてあるのかを理解するのに、韓国人同士でも「判読」が必要となるらしい。
このブロガーによれば、「韓国人のすべてが例外なく悪筆」であり、「韓国人は手書きのものは信用しない、その理由は他人が書いた手書きのハングルは読めないから」なのだそうだ。
これが、韓国人が相互に会話レベルであっても、なかなかこちらの言うことをすんなり理解できない原因なのかもしれない。
韓国人は「自分が出来ないことを 認めない」という習性から、「読めない」とは認めず 知ったかぶりのまま訂正しないということが繰り返され、そこから、他者が言うことに耳を傾けない、正確な情報や事実を自分の知識として知ろうとしない、という民族特性、国民性が醸成され続けているのかもしれませんね。
韓国人は「自分が出来ないことを 認めない」という習性から、「読めない」とは認めず 知ったかぶりのまま訂正しないということが繰り返され、そこから、他者が言うことに耳を傾けない、正確な情報や事実を自分の知識として知ろうとしない、という民族特性、国民性が醸成され続けているのかもしれませんね。
再び先ほどのブログから抜粋すると、「これは手書き文字の解読だけではなく、相手のいる交渉であっても韓国人のほとんどは自分の持ってきた結論が認められないと発火する」のだそうで、「間違いを認めることは本人の全否定であると思い込んでいて、相手の主張を聞いてそれに反論するのではなく、相手の意見を聞く=自身の全否定と言う意味」になるのだとか。
要するに相手の意見は聞かなくてよい、といういうか、聞くべきではないということらしい。
本当にこのような人々と付き合うのは大変な状況だし、むしろいっそのこと、韓国は英語を母国語とする国になってしまえばよいのではと思うのですが。
引用:
朝鮮人の性格は?の問いに動物なみの猪突猛進と聞きました。
彼等の年代は漢字を理解出来ますが次世代は出来ないそうです。
感謝では無くカムサでは言葉としての意味が全く有りませんね。
ただ、日本もカタカナ外語を多用する今に危険を感じてます。
日本では戦後、GHQの「漢字が多いと覚えるのが困難で識字率が上がらず民主化が困難」として、日本語ではなくアルファベットやローマ字を学習すべきとして、漢字をなくす方向で当面の間用いる漢字として常用使用する漢字の範囲を定め昭和21年(1946年)11月5日に制定された「当用漢字」は僅か1850字だったそうです。
「漢字使用の制限」は「当用漢字(そのとき定めた1850字)以外の漢字は使ってはいけない」という厳しいものだったそうです。恐らく、GHQによる、新聞や出版物などの検閲のためだったのではないかと思いますが。
その後昭和23年に行われた「日本人の読み書き能力調査」という初めての全国調査で日本人の識字率の高さが証明され、「漢字廃止までの間使用することが認められた漢字以外は使えない」という制限が廃止されたという経緯のようです。
日本語を漢字を用いずに表記することは無茶苦茶ですし。
今日では平成22年に「常用漢字表」が2136字、人名用漢字863字となったということです。
日本企業などで社内言語を英語にしている会社もあるようですし、2020年から小学校の高学年(5,6年生)で「英語活動」として英語が必須科目になるそうです。
ご指摘のように「日本語には思索を深めるある種の力が有る」わけで、だからこそ、日本人は高度な文章を理解する能力が高いといえそうです。
子供には特に読書を奨励して日本語の能力をしっかりと身に着けさせ、言語脳を発達させることで知識の吸収能力と思考能力を高めることが重要ですね。
概念的思考力が身につく前の子供のうちから英語を偏重しすぎると、韓国ではありませんが、肝心の言語的理解能力が不十分になる可能性があるので、特に学校教育では「国語」に割り当てられる時間も英語に割く時間のしわよせで減らすべきではないと思っております。
こんばんは
暑い日が続きますね。
さて、韓国ドラマの「根の深い木 ―世宗大王の誓い―」によれば、15世紀の韓国の一般庶民は漢字を理解したり読み書きすることが困難であったため、世宗大王(1397~1450年)が、民に正しい音を教えるという考えのもとにシンプルな表音文字のハングル文字を作ったということです。
ですから韓国ドラマが自ら示すように韓国人はもともと大半の人が漢字の読み書きができないし正しい発声もままならなかったのですね。
本来の語句の意味を知らない言語環境では、韓国人の言語的理解力は押し下げられるかもしれません。
7月末のWTOの一般理事会で韓国は日本の輸出管理措置を批判する発言を行いましたが、多数国間の自由貿易について議論を行う場であるからなじまないということで議長が途中で韓国の発言を制止しました。輸出管理措置に関する言語的理解力の無さと人の意見を聞かず意に介さない韓国人の性分の結果だと思います。
「文化は言語であり、国民性も其処から出来上がって居る」ことは思考過程というものが言語を媒介していることからくるものですね。「明治以来日本語は多くの人々の努力に因って大変に豊かになった。」「科学活動に於ける高級概念も日本語で創り出す事ができる」はノーベル賞の科学分野の受賞者の数からも立証されていますね。
「英語を国内に持ち込むよりも日本語を大いに世界に広めるべき」は我々が考えるというよりも、他国がそれを望むならば学んで頂ければ、といったところでしょうか。
「国民の言語能力の向上を図るべき文部省が、それに逆行する事を遣って居る。」ようなところは確かにありますね。「グローバリズム」という誇大妄想のせいですね。所詮、全ての国が「グローバリズム」の恩恵を受けるわけではなく、弱肉強食が全地球規模になってきているだけなのでしょうけれど。つまり、「グローバリズム」は形を変えた覇権主義、帝国主義のようなものですね。
でも英語が国際的な公用語なのは、そのシンプルさも大きいですね。名詞が、男性名詞だの女性名詞だのと分かれていないあたりも。
「大いに読む習慣」をもち、「盛んに歌うこと~和歌、連歌、俳句、川柳」といった「日本語の豊かさ」に負う文化を謳歌していくこと、それが日本がこの先も独自に繁栄するための、実は要のようなものですね。
朝鮮半島では、15世紀半ばまで、自民族の言語である朝鮮語を表記する固有の文字を持たず知識層は漢字を使用。「大半の人が漢字の読み書きができないし正しい発声もままならなかった」理由として、「漢字(中国文字)こそ唯一の文字であり、民族固有の文字など有り得ない」とする考えが元々あったそうで、李氏朝鮮第4代王の世宗は、保種派の反対を受けながらも「これは文字ではく、中国文化に対する反逆ではない、『訓民正音』は漢字の素養がないものに発音を教える記号に過ぎない」と反対派を押し切って1446年に頒布。つまり、ングルは「発音記号」という位置づけだったようです。
しかし朝鮮半島の大半の人々にとっての教育機関がなく「訓民正音」はその後も文字は殆ど普及しなかった。
大韓帝国では1894年11月に勅令第1号公文式を公布し、公文書を国文「ハングル」で表すことを決め、1907年に国語研究所を設置して朝鮮語の正書法の整備を進め、1910年に日韓併合後はこの事業は朝鮮総督府に引き継がれ、1912年に朝鮮語の正書法として初の「普通学校用諺文綴字法」を1921年に「普通学校用諺文綴字法大要」を定め、1930年には、諺文綴字法を制定して普及に努めたようですね。
つまりハングル(訓民正音)を「漢字の素養のないものに発音を教える記号」として考案したのが李氏朝鮮の王世宗で、整備したのは大韓帝国時代と、日韓併合時代の朝鮮総督府だったということのようですね。