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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

歴史の真実①

2019-03-02 05:34:05 | 韓国・北朝鮮

宗主国である清の皇帝の使者を三跪九叩頭の礼で迎えるためにつくられた迎恩門。
漢城の西大門にある敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。
日清戦争後、清からの独立後の1896年に柱だけ残して撤去され、代わりに京城に
独立門が建てられた。

さて、近代史のおさらいです。東京出版の歴史教科書によれば、朝鮮半島南部一帯で蜂起した甲午農民戦争(別名東学党の乱1894年)に対し、朝鮮政府が清に出兵を求めたのをきっかけとして日清戦争(1894年8月~1895年)が起こり、清の敗北により結ばれた下関条約(1895年4月)で①朝鮮の独立、②遼東半島、台湾、膨湖諸島の日本への割譲、③賠償金2億両(当時日本円3億1000万円)の支払いが決まりました。
つまり韓国が宗主国である清の朝貢柵封国から独立国になれたのは、日本が清と戦って勝利したからです。アメリカのように自ら独立戦争で勝利し、宗主国(イギリス)から独立を果たしたのとは全く異なります。韓国にはそのような力も国としてのまとまりもなく、隣国の日本が清を倒して韓国に自主独立を促したことは紛れもない事実です。

しかしその後の韓国がどのような道を辿ったかといえば、ロシアが朝鮮に持っていた利権(高宗を通じ売り払われた鍾城・慶源の鉱山採掘権や関税権など)を手掛かりに南下政策をとりつつある中で、全くといっていいほど自治能力に乏しく、南下政策によって不凍港を手に入れたいロシアと、日本海にロシアを入れたくない日本との間で日露戦争(1904年~1905年)が起こり日本が勝利した結果、ポーツマス条約(1905年9月)によって①朝鮮半島における優越権②旅順、大連の租借権、長春以南の鉄道の利権をロシアが日本に譲り渡すことがアメリカの仲介により認められました。

国際社会で近代国家としてふるまえるだけの外交能力も乏しく、国際社会の一人前の国とはみなされずに1905年には外交権を日本に明け渡し、とうとう日本の「保護国」となります。ここから彼らのいう、「日本の朝鮮半島への侵略」が始まったといえるのかもしれません。韓国を自主独立国に育てるために、日本は京城(現ソウル)に朝鮮総督府(韓国総監府)を置き、初代総督(「総監」)に大日本帝国初代総理大臣の伊藤博文が就任しました。



コメント

私たちは、日清戦争や日露戦争に至る経緯などについて日常生活の中にあって、ほとんど忘れてしまっています。
現在の日朝・日韓の関係を考えるとき、あらためて歴史事実を認識する必要がありますね。
2018/8/4(土) 午前 8:38 泉城


> 石田泉城さん
コメントを頂きありがとうございます。確かに近代史としての日清・日露戦争を思い浮かべるとき、私達日本人は日本の近代化の証、列強に匹敵する国力を短時間で手に入れた輝かしい勝利であったとだけ思いがちです。
しかし未だに中国やロシアという「常任理事国」の2カ国は第二次世界大戦後の国連の敵国条項から日本を消さない(この2カ国の拒否で消されない)そこまで日本を仇敵とみなし今日も尾をひくものであったということでもありますね。
そればかりか、実はその後の日中戦争や太平洋戦争への突入にこの国々からの「工作」というものが大きく影響したことも判ってきたようですね。
2018/8/4(土) 午前 9:53 kamakuraboy


明治時代に日本が日清戦争と日露戦争を経験しそのどちらにも勝利したことは学校で習って知っていましたが、
日清戦争が東学党の乱で朝鮮政府が清に出兵を求めたのがきっかけで起こり、清の敗北により結ばれた下関条約で①朝鮮の独立、②遼東半島、台湾、膨湖諸島の日本への割譲、③賠償金2億両の支払いが決められたこと。
また、日露戦争が南下政策によって不凍港を手に入れたいロシアと日本海にロシアを入れたくない日本が端緒ということ、そしてポーツマス条約によって①朝鮮半島における優越権②旅順、大連の租借権、長春以南の鉄道の利権が譲り渡されたということは初めて分かりました。
ただ、それらの時代から100年以上も経っているのに、メディアで朝鮮(韓国、北朝鮮)や中国との確執が報じられているのには胸が痛みますね。
2018/11/1(木) 午前 9:27 [ weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼) ]


> weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼)さん
こんにちは。コメントをありがとうございます。そうですね。このタイトルの⑦にも書きましたが、日韓併合を願い出たのは、当時の韓国最大の政治団体である「一進会」の方から請願書がだされたのです。日清戦争後は日本の「保護国」になっていました。
当時の日本は併合に伴う費用負担から当初は併合に反対だったそうです。日清戦争の勝利で下関条約で、日本によって独立国になるまで中国の属国だったということですね。
李氏朝鮮時代500年間、清朝中国の属国で、身分制度に縛られ、庶民は教育すら受けられず文盲率高く彼らは自力で近代化をするには何の社会基盤もなく、それこそ欧米列強の植民地になるかロシアの一部になってしまう他になかったと思いますよ。
2018/11/1(木) 午後 0:59 kamakuraboy


2018年1月19日ヤフーブログに投稿した記事より

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