1918年8月29日、大阪電気軌道(現在の近鉄)の子会社生駒鋼索鉄道が、奈良県生駒山の鳥居前~宝山寺間で国産技術による日本初のケーブルカー「生駒ケーブル」現在の近鉄生駒ケーブルを開業させた。
2台のケーブルカーは1本のワイヤーロープでつながっている。
一番の勾配は山上線で18度、そこを時速10.8キロで走る。
8月29日の出来事:「 これも専守防衛か 」
1853年:江戸幕府が大船の建造を解禁。
慶長14年9月の大船没収令
大船建造の禁令が制定されたのは、江戸幕府が創設されて間もない慶長14年(1609年)9月であり、将軍は第2代将軍・徳川秀忠(ただし、実質的に計画したのは初代将軍で当時は大御所の地位にあった徳川家康)である。
この禁令は秀忠側の触状に家康側が添状を付けて補完する形で2度発令されて西国大名に向けられたものであり、500石(こく)積み以上の軍船と商船を没収し、水軍力を制限した。
大船建造の禁令が制定されたのは、江戸幕府が創設されて間もない慶長14年(1609年)9月であり、将軍は第2代将軍・徳川秀忠(ただし、実質的に計画したのは初代将軍で当時は大御所の地位にあった徳川家康)である。
この禁令は秀忠側の触状に家康側が添状を付けて補完する形で2度発令されて西国大名に向けられたものであり、500石(こく)積み以上の軍船と商船を没収し、水軍力を制限した。
禁令の廃止
江戸時代後期になると、日本沿岸にアメリカ・イギリス・ロシアなど西欧諸国の軍船が現れて幕府や諸藩の脅威となる。しかし水軍は当時殆ど戦力として期待できず、対処する方法が無かった。
江戸時代後期になると、日本沿岸にアメリカ・イギリス・ロシアなど西欧諸国の軍船が現れて幕府や諸藩の脅威となる。しかし水軍は当時殆ど戦力として期待できず、対処する方法が無かった。
嘉永6年(1853年)6月にアメリカのマシュー・ペリーが来航(黒船来航)して一気に世情不安が高まると、阿部正弘も幕府水軍(海軍)の創設・強化の必要性を悟り、安政の改革の一環として禁令を撤廃した。これにより幕府をはじめ、薩摩藩や宇和島藩・佐賀藩・水戸藩などの雄藩では西洋式の海軍が創設されていくようになる。
8月29日生まれの「 元教師 」
1903年:若杉慧(小説家)
戦後の青春ロマン『エデンの海』の作者として知られている。紀行・随想も多い。
教職を退職してから、作家活動に専念するようになる。
1932年に『絵桑』を「今日の文学」に発表して作家としてデビュー。
1943年に発表した『淡墨』は第18回芥川賞の候補作にあがっている。
戦後出版された『エデンの海』(1946年)は、3度にわたり映画化。
後半生には、石仏の研究を行い、写真集や随筆を出版した。
広島県竹原市忠海(ただのうみ)には「エデンの海」という小さなPAがある。
忠海駅から竹原方面へ海沿いを車で走り、約3分。
ちょっとしたドライブ中の休憩スポット。
「エデンの海」とは、広島市出身の作家 若杉慧(わかすぎけい)執筆の小説で、
3度に渡り映画化された作品。
忠海を舞台に東京から赴任してきた青年教師と女学生の恋物語を描いている。
この小説から名前をとった、パーキングエリア「エデンの海」では、
目の前に広がる穏やかな瀬戸内海やそこに浮かぶ島々を臨むことができる。
忠海を舞台に東京から赴任してきた青年教師と女学生の恋物語を描いている。
この小説から名前をとった、パーキングエリア「エデンの海」では、
目の前に広がる穏やかな瀬戸内海やそこに浮かぶ島々を臨むことができる。
8月29日の誕生花:「 百日紅:雄辯、愛嬌 」
花名のサルスベリ(猿滑)は、樹皮がツルツルしていて、猿でも滑りそうなところに由来。
実際には滑ることなく、簡単に登ってしまう。
別名は、百日紅(ヒャクジツコウ)と呼ばれ、夏の盛りに長い間咲き続けることにちなむ。
ある王子が恋人に百日後の再会を約束して旅立った。しかし、王子が戻ると
別名は、百日紅(ヒャクジツコウ)と呼ばれ、夏の盛りに長い間咲き続けることにちなむ。
ある王子が恋人に百日後の再会を約束して旅立った。しかし、王子が戻ると
すでに恋人は亡くなっていた。そして、恋人が埋葬された場所からサルスベリが生えた。
これが百日紅(ヒャクジツコウ)の名前の由来。
これが百日紅(ヒャクジツコウ)の名前の由来。
「雄弁」は、枝をこすると葉や花が揺れ、盛んに話しているようにみえることから。
「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。」:
夏目漱石(日本の小説家、評論家、英文学者 / 1867~1916)
夏目漱石(日本の小説家、評論家、英文学者 / 1867~1916)
おまけ(小僧君、淑女殿初運転)
せっかくの帰省中だからと、小僧君と夜な夜なお出掛け、淑女殿と2号機で港まで
せっかくの帰省中だからと、小僧君と夜な夜なお出掛け、淑女殿と2号機で港まで
ここは、新幹線の積み込みを二人でよく見に来たところ
走る、曲がる、止まる、すべて2号機が圧勝。
でも50年前の車とは言えグランドツーリングとしての雰囲気は淑女殿もなかなかいい。
、幼い頃からずっと助手席だったので、淑女殿を気に入ったよう。
実際運転してみて、加速ワリィ、くそ重てい、曲んねぇ、ブレーキ効かねェ。
だけど、Zはこれでいいか。と。
では f-o-q
何年式でしょうか?
いや当方も20ソアラを勢いで数年前に購入して
維持管理に悩まされてるもんで参考までに
色々と教えていただければ有難しです。
数年前、同僚が新車で購入してから30年大事に乗っていた20を泣く泣く手放しました。パーツ入手難や修理できない部分が増えていたということで、辛そうでした。
お互い粘れるだけ粘ろうと健闘を誓い合っていたのですが・・・。
N社に比べるとT社のパーツ製廃は早いようですが、昨今の旧車ブームに相まって、再発売されるといいですね。文化として認められ、企業も応援してくれるといいなと思います。