1520年11月28日、ポルトガルの航海者フェルディナンド・マゼランが、後に「マゼラン海峡」と命名される南米大陸南端の海峡を通過して太平洋へ出る航海に成功したことにちなんで記念日が制定された。
天候が良く波も風もさほどない穏やかな日が続いたため、この海を「Pacific Ocean」(平和な・穏やかな大洋=「太平洋」)と名付けた。当時、地球は丸いかどうかは、学説の一つの域を出ず、世界一周することは無謀と考えられていた。マゼラン自身はフィリピンで原住民に殺されたが、彼の船は初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明した。
11月28日の出来事「 文治の勅許 」
1185年:文治勅許は源頼朝に叛逆した源義経・源行家を追討するために、全国各地に地頭職の設置を認めたものである。
文治元年(1185)11月25日、北条時政が上洛した。
そして28日、時政は吉田経房と対面して諸国への守護・地頭の設置と権門勢家の荘園・公領を問わず反別五升の兵糧米を充てることを申し入れた。時政以下の郎従に五畿・山陰・山陽・南海・西海諸国を分かち賜い、荘園・公領を問わず兵糧米を徴収する権限が与えられることになり、その権限は田地の支配にも及ぶということだった。
こうして11月29日、朝廷より源頼朝に対し、義経・行家を追討するために諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可する文治勅許が発布された。
諸国では騒乱が多く、その度に東国武士を派遣して鎮定することは諸国の疲弊につながる。そこで、朝廷に対し諸国の国衙・荘園に守護地頭の設置の許可を願い出るのがよいと、頼朝の腹心である大江広元が献策し、上洛した北条時政が吉田経房を通じて、後白河法皇に守護地頭設置の許諾を求めたものである。
そして28日、時政は吉田経房と対面して諸国への守護・地頭の設置と権門勢家の荘園・公領を問わず反別五升の兵糧米を充てることを申し入れた。時政以下の郎従に五畿・山陰・山陽・南海・西海諸国を分かち賜い、荘園・公領を問わず兵糧米を徴収する権限が与えられることになり、その権限は田地の支配にも及ぶということだった。
こうして11月29日、朝廷より源頼朝に対し、義経・行家を追討するために諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可する文治勅許が発布された。
諸国では騒乱が多く、その度に東国武士を派遣して鎮定することは諸国の疲弊につながる。そこで、朝廷に対し諸国の国衙・荘園に守護地頭の設置の許可を願い出るのがよいと、頼朝の腹心である大江広元が献策し、上洛した北条時政が吉田経房を通じて、後白河法皇に守護地頭設置の許諾を求めたものである。
守護地頭の任免権は、幕府に託された地方の警察権の行使や、御家人に対する本領安堵、新恩給与を行う意味でも幕府権力の根幹をなすものであり、この申請を認めた文治の勅許は、鎌倉幕府成立の重要な画期として位置づけられた。
11月28日生まれ「 ダークサイドに落ちていく男? 」
1953年:松平健(俳優)
愛称はマツケン、ケン様、上様。
愛知県豊橋市出身。職場の先輩には、マツケンの中高時代の同級生がいたよ。ハハ
鎌倉幕府成立期、純朴で好学の青年だった北条義時は、頼朝死後の幕府内で繰り広げられた政争の荒波を乗り越えていくうちに次第に変貌を遂げ、政敵と見なした御家人を様々な計略をめぐらして容赦なく排除・殺害していく冷徹な権力者として、若き日とは全くの別人格となっていく。
徐々にダークサイドに落ちていき、鎌倉幕府の頂点に上り詰める。
草燃えるでは、北条義時を演じた松平は当初「最後に天下を取る男」とだけ聞かされていたと後年述べている。
その遥か後年、江戸幕府においては、トップでありながら、平民を装い小悪党どもをやっつける男に生まれ変わる。
11月28日の誕生花:「 蝦夷菊:変化、信ずる心 」
別名:エゾギク(蝦夷菊)、サツマギク(薩摩菊)、エドギク(江戸菊)
英名:チャイナアスター(China Aster)
変化は、一重と半八重、八重、ポンポン咲き、コメット咲きなどの
花形や花色が多様なことから。
信ずる心は、花弁を一枚ずつ摘みながら、好き、嫌い、好きと
信ずる心は、花弁を一枚ずつ摘みながら、好き、嫌い、好きと
胸の思いを託す恋占いをしたことから。
では f-o-q
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