4月10日が「ヨード卵の日」に認定/日本農産工業
日本農産工業(横浜市西区)は2010年3月10日、日本記念日協会から4月10日を「ヨード卵の日」とする認定を受けた。
同社のブランド卵「ヨード卵・光」が2011年に発売35周年を迎えることから、親しみを持ってもらおうと申請。「4」「10」でヨードと読める語感と、新年度が始まる時期に卵を食べてパワーを養ってもらおうという思いを込めたという。
日付は「ヨ(4)ード(10)卵」と読む語呂合わせと、新年度・新学期が始まるこの時期に「ヨード卵」を食べて栄養を摂り、元気で過ごしてもらいたいとの願いが込められている。
日付は「ヨ(4)ード(10)卵」と読む語呂合わせと、新年度・新学期が始まるこの時期に「ヨード卵」を食べて栄養を摂り、元気で過ごしてもらいたいとの願いが込められている。
海藻粉末や白身魚の魚粉などを配合した専用飼料を開発。
ニワトリの体内で必須ミネラルのヨードが自然な形で卵に移行する独自の卵を生み出した。
一般的な卵の平均値と比べてコクは3.5倍。生でも半熟でも美味しい自慢のたまご。
ニワトリの体内で必須ミネラルのヨードが自然な形で卵に移行する独自の卵を生み出した。
一般的な卵の平均値と比べてコクは3.5倍。生でも半熟でも美味しい自慢のたまご。
4月10日の出来事:「 恩讐の彼方に 」
1763年:耶馬渓に「青の洞門」が開通。禅海和尚が30年以上かけて手堀り。
1750年に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは1763年。
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。
1750年に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは1763年。
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。
1750年の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれる。
完成した当時は「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と呼ばれていたが、江戸時代末期から大正時代にかけて、「樋田のトンネル」や「青の洞門」と呼ばれるようになったとされる。
1919年発表の菊池寛『恩讐の彼方に』は、禅海和尚の逸話を元にして書かれたものである。
4月10日生まれの「 アメリカ蒸気船海軍の父 」
江戸時代に艦隊を率いて鎖港をしていた日本へ来航し、開港への交渉を要求した。
来航当時の文書には「ペルリ(漢字では彼理 / 伯理)」と表記されていた。
1846年に米墨戦争が勃発すると、後年日本に来航するミシシッピ号の艦長兼本国艦隊副司令として参加、メキシコ湾のベラクルスへの上陸作戦を指揮、後に本国艦隊の司令官に昇進。
蒸気船を主力とする海軍の強化策を進めると共に、士官教育にあたり、蒸気船海軍の父(Father of the Steam Navy)とたたえられ、海軍教育の先駆者とされる。
日本開国任務
アメリカでの極東事情が変化する中、1854年旗艦サスケハナ号など7隻の軍艦を率いて現在の横浜市の沖に迫り、早期の条約締結を求め、神奈川で日米和親条約を調印。
またその後、那覇に寄港して、琉球王国とも琉米修好条約を締結。
日本はペリーが帰国した後、15年に及ぶ動乱の幕末を迎えることとなる。
日本はペリーが帰国した後、15年に及ぶ動乱の幕末を迎えることとなる。
泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず
4月10日の誕生花:「 月桂樹:栄光、勝利 」
庭木やシンボルツリーとして人気の月桂樹。
ギリシャ神話の登場人物である太陽神・アポロン。
アポロンは知・技・体を兼ね揃えた素晴らしい人物であり、
そのアポロンの霊木とされていたのが月桂樹。
では f-o-q
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