SAYONARA 国立競技場 に因みまして、昔のことです。
アラフォー年程前、運よく国立に行くことができた f-o-q でした。
今の体型はブタさんなみですが、そのころはカモシカさんのようでした。
自分で言うのもなんなんですが
4m超の棒を使う競技だったので、電車で運ぶのは無理ってことで
顧問の先生の新車のルーフに積んでってもらうことになりました。
KE40スプリンターからX30いわゆるブタ目のチェイサーに
買い替えされて間もなくのことでした。
アメ車と見紛うようなデザインでしたね。
その頃ヨタ8好きだった f-o-q の趣味にはほど遠いものでしたが。
トラック組は全中通信陸上のリレーで日本新だしてましたが
この時のジュニアオリンピックには競技がなく、
残念ながら参加はフィールド組の3人のみでした。(でも多いか?)
先生運転で、計4人がS県から出発したのです。
長旅でしたがとても快適だったと記憶してるですよ。
ただお間抜けな f-o-q はヘルニアと肉離れで松葉づえ状態という
取敢えず参加するだけ。的なある意味力の抜けた、さらに
生まれて初めての東京で物見遊山的な、
かつ期待もされてない状況でした。
さて棒高跳びピットはバックスタンド側、風を考慮して南向きでした。
参加標準記録3m80ギリギリでの参加に加え、予選通過ラインは
参加標準記録より10cm上で、はっきり言ってお手上げ
未知の領域でした。
肉離れによる激痛に耐えかね、アイシングで局部麻酔を施して
ようやく走れるようなトホホでしたが、アイシングが
効き過ぎて接地感まるでなしの恐ろしい状態でした。
なんとか自己ベストタイをだしたものの、これでジ・エンドかと
あきらめました。が、予選当日は悪天候で、皆さんバーを
落としまくりこれでは決勝ができんというわけで通過ラインが
下がったため、徳俵にかかった状態で決勝に進みました。
迎えた決勝では、あろうことか自己新を記録。
思わず我を忘れて恥ずかしげもなくガッツポーズしてました。
スタンドで電光掲示板結果表示を待つこと数十分。
ギリ入賞となった、悪運強し。
その後の2か月は松葉づえ生活でした。
それが理由というわけではないですが、競技のない学校に進んだ
f-o-q でした。実質半年強の競技生活でここまで来れたのは
顧問の先生あればこそと今でも思っています。
因みに一緒に競技を始めた後輩は翌年全中優勝でした。すげ~よ。
今回はボケる前の備忘録ということで長々とスミマセン。
f-o-q
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