1859年6月2日、前年に締結された日米修好通商条約により、それまでの下田・函館のほか、横浜・長崎の港が開港した。
また、横濱カレーミュージアムが、横浜港開港とともにカレーも日本に入ってきたとして、この日を横浜カレー記念日に制定。
6月2日の出来事:「 裏切りの日 」
1582年:本能寺の変。
1582年6月2日、本能寺の変で、織田信長が明智光秀に攻められ、本能寺で自害。
中国の毛利攻めに難儀している羽柴秀吉の応援を命じられた明智光秀は、進軍の途中で道を変更し、本能寺の織田信長を襲う。
中国の毛利攻めに難儀している羽柴秀吉の応援を命じられた明智光秀は、進軍の途中で道を変更し、本能寺の織田信長を襲う。
襲撃を知った信長は近侍の森蘭丸に誰の襲撃か尋ね、光秀と聴くと「是非もなし」と応えて自害したと、『信長公記』に伝えられている。
6月2日生まれの「 ストーンズの要 」
1941年:チャーリー・ワッツ(英:ミュージシャン/ドラムス)
ワッツこそがローリング・ストーンズの要
ロックバンドの一員として活動しているが大変ジャズ志向が強く、ソロワークについても全てジャズに関するものである。「今でも自分はジャズ・ドラマーだと思ってる。ジャズ・ドラマーがたまたま世界一のロックバンドに入ってるって事だよ」
ロックバンドの一員として活動しているが大変ジャズ志向が強く、ソロワークについても全てジャズに関するものである。「今でも自分はジャズ・ドラマーだと思ってる。ジャズ・ドラマーがたまたま世界一のロックバンドに入ってるって事だよ」
レコーディングの遅れに業を煮やしたキース・リチャーズが、24時間ぶっ通しのスタジオ篭りを決行した際には、他のメンバーが付き合いきれず次々と帰ってしまう中、24時間後に残っていたのはワッツのみであり、水ぶくれが潰れて手に血が出ても顔色ひとつ変えずにドラムを叩いていたという。このためキースから絶大な信頼を得ている他、こうした人柄から1990年代以降のツアーでは、メンバー紹介の際にメンバーたちから崇められる。
キースはチャーリーのドラムに全幅の信頼を寄せており、「チャーリーでなければローリング・ストーンズとは呼べない」など賞賛のコメントを数多く語った。
チャーリーもまた「キースの音さえ気にしていれば、バンド全員の音にまで気を配る必要はない。僕は彼のギターに従うまでさ」というほどの信頼感で結ばれていた。
では、スタンダード・ナンバーから
ミックはともかく、キースはお気に召していないらしいこのカバーアート
この『刺青の男』(いれずみのおとこ、Tattoo You)は、未完成のベーシックトラックにオーバーダブを施していくという手法で、収録された曲のほとんどは、過去の作品からのアウトテイクを元に制作したもの。 それが大ヒットだからね。肩の力を抜けってことか。
オーバーダブに参加したゲスト・ミュージシャンには、ザ・フーのピート・タウンゼントや、ジャズ・サックス奏者のソニー・ロリンズがいた。
オーバーダブに参加したゲスト・ミュージシャンには、ザ・フーのピート・タウンゼントや、ジャズ・サックス奏者のソニー・ロリンズがいた。
6月2日の誕生花:「 タイム:勇気、活気、活動的、行動力 」
古代ギリシアではタイムの香りが勇気や活力を湧き立たせると信じられていた。
中世にもタイムは持ち主に勇気をもたらすと信じられ、
女性は戦士にタイムの葉を添えた贈り物をした。花言葉の「勇気」はこれに因む。
また、古代エジプトでは、ミイラの防腐剤として利用されていた。
また、古代エジプトでは、ミイラの防腐剤として利用されていた。
では f-o-q
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます