神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

神様の世界史 預言者イブラヒーム

2024-09-13 11:25:22 | イスラム教
こんにちは、ファーティマ松本です。

前回まで二回に渡り、現代史におけるユダヤ人とイスラム教徒の関係を書いてみました。
今回は、100年前とか、そんな生易しい昔のお話ではありません。
紀元前?
まあ、まあ、紀元前、、であることはありますが、
もっともっとスゴイ歴史にまでさかのぼっちゃいます。
創世記のアダムとイブにまで行ってしまうくらいの昔の話になります。
しかしながら、
今回ご紹介するお方って
イスラム社会においては、そーんなに遠い昔の人って感じがしないんですよね。
一日5回行う毎日の礼拝でも、このお方のお名前を口にせずして終わることはできませんし、
自分の子供にこの方の名前を付ける人も未だにとても多いんです。
プラス、
あの方は、こんなことをおっしゃった、とか
あんなことをされた、などなど
もう、しょっちゅう名前が出てくるものですから、
なんか昨日まで生きていらしたので?と思ってしまうくらい身近な存在です。

はい、
今回ご紹介しますのは、預言者イブラヒーム“英名アブラハム“さん(平安あれ)です。
物凄くむか~しに産まれたお方でありますが、前述のようにイスラム社会では
とても尊敬され、見習うべき存在として人々の心の中に生き続けています。

さて、この預言者イブラヒームさんでありますが、
ユダヤ人とアラブ人を知るうえで、もうなくてはならない存在であります。
というのも、
イブラヒームさんには、二人の息子さんがいたのですが、
そのお二人がそれぞれ、アラブ人の始祖、ユダヤ人の始祖であるからです。

詳しく見ていきましょう。
と言っても
彼の人生を詳しく書いていくと一年位かかってしまうので、
今回は、そこは省いていきます。

しかし、外していけない点として、挙げておかないといけないことがあります。
それは、
このイブラーヒームさん(平安あれ)は、
神様からの試練というか、テストにすべて合格した人なんです。
ものすごい信仰心、忍耐力、従順さ、
神様に愛される要素をすべて兼ね備えた人で、
*神様のお友達*とまで呼ばれている人なんです。
びっくりする位、神様に愛された人だったのです。

さて、さて
そんなイブラヒームさん(平安あれ)ですが
随分と長い間、子供に恵まれませんでした。
奥さん(サーラ)と共に、忍耐強く子供が授かるように祈っていましたが、
サーラさん自身が、
「自分はもう歳を取ってしまったので子供は無理だから、私の女中と結婚してはどうか」
と提案するくらい、お互い歳をとってしまった様です。

ここでちょっとポイントです。
神様にものすごく愛されたイブラヒームさんのような人でも
子供ができなかった、つまり欲するものが中々手に入らなかった、わけですよね。
彼の周りを見れば、子供なんて欲しいって思う前に授かってしまう人だって
たくさんいたことでしょうに。
なんでもできる神様であったら、
大好きなイブラーヒームさんに、欲するものをすぐに与えることができるのに。

なぜでしょう?

色々考えられますが、まず第一に、、、

私達人間というのは、どうも近視的に物事を見てしまいがちで、
今、なんとかならないか、
今、あれがこうなって欲しいんだ
今、今、今って思いがちですよね。 
私なんて、いつもそれですから。

しかし、神様視点で見ると
それは *今* ではない、ということがたくさんあります。
実際、イブラヒームさんも後々、子供を得られるのですが、
私達の「今、今、今ほしい!」と思う気持ちと
神様から見て、一番良い時期というのには、ズレがある様です。
私達にとって、最善の時に最善の物を与えてくださるのが、
何でも知っていて寛大で、なおかつ慈悲深い神様だと思うんですよね。
 
だから、いつか私の願いは叶う!
最善の時が来たら、必ず願いは叶えられる!と信じ
イブラヒームさんのように祈り続けるべきだと思います。
また、優しい神様は、私達が願った物以上の物を与えられる可能性も大ですから、
お祈りの凄さを過小評価しないようにしていきましょう。

ですから、
パレスチナの人々に対する祈りをずーっと、ずーっと続けていきたいと思います。
彼らの毎日の生活が良くなるように。
彼らの人生、現世が良くなるように。
彼らの来世が完璧な物になるように、と。

続いて、
欲する物がすぐに手に入らない、という点についての他の考え方です。
この世は、自分の欲する物を手に入れるためにあるのではない。
もし、この人生がそのような物であったなら、
神様に愛されていたイブラヒームさんや、モハンメッドさん(平安あれ)には
ありとあらゆる素晴らしい物が与えられていたことでしょう。
でも、
彼らの人生は、困難に次ぐ困難、試練に次ぐ試練。
ホっと一息ついている暇もなかったであろうくらい、毎日が厳しい状況でありました。
それはやはり、この人生というのは
ゆっくり、のんびりストレスフリーで、欲しい物すべて手にいれるために創られてはいないから
だと思います。
そういった楽しい生活は、来世で天国に入った人たちに用意されています。

この人生というのは、神様を知り、その神様に近づくためにあるわけです。
ですから、日々のストレスや、困難というのは、神様に近づくためにあるのです。
大変だから神様に助けを求める、辛いから神様に話しかける、というように。
(私達を懲らしめるためにあるのではないのです。)

また、困難や試練というのは、人を強くします。
預言者ムハンマドさんは、こうおっしゃいました。
「強い信者は、弱い信者よりもアッラーに愛される。
 しかし両者ともに善がある。」
 
ここでいう強い信者というのは、身体的に強いだけでなく、
精神面や信仰心の強さも含まれています。
他にも、金銭面での強さとか、技術力の強さとか、他にも色々とあると思いますが、
とにかく、この世で生きて行くには、
いろいろな面で強さを発揮できたほうがいいではないですか。
そのほうが、多くの人の助けにもなれますしね。

かなりイブラヒームさんのお話から外れてしまいましたが、
ポイントは、
イブラヒームさんの二人の息子たちが、それぞれ
アラブの始祖、とユダヤの始祖である、ということ。
そして、イブラヒームさんは長いこと子供に恵まれなかった。
欲する物がすぐに手に入らなかった。
でも、それは神様に愛されていないからというわけではなく、
この人生というのは、そのようなシステムで創られていないから。
この世では、神様を知り、その神様に近づいて行くことが大事。
最後に、
願いは、いつか叶う可能性が大いにあるので、
諦めず、願い続けることが大事。

次回に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!


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生きる気力を失っていた樹里の前に現れたのは、
サウジアラビアからの研修生、アハメッド。
アハメッドと同じ職場で働くうちに、樹里は今までとは
全く違う考え方というのがあることを知る。
幸せとは、
成功とは、
お金とは、
そして、イスラム教とは?
人生というものを、今までと違った見方で見られるようになった樹里は、
一歩を踏み出せるようになるのでしょうか。

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妬みについてもう一言だけ

2023-05-06 11:03:41 | イスラム教
前回は、妬みの対処法の最終回を書いてみましたが、
今回はナント、その続編!
これこそが本当の最終回!というのを書いてみようと思います。

こんにちは、ファーティマ松本です。

今回は、アダムの息子達の話の続きを書いていくつもりだったのですが、
妬みについてもう一言だけ言わせてもらおう、いや、
これはどうしても言っておきたい、というものがありましたので
あともう一回だけ、お付き合いいただけると嬉しいです。


”妬みの感情”というのは、簡単に言ってしまえば
「良いなあ、うらやましいなあ。」という思いですよね。
例えば、
誰かがものすごく待遇の良い会社に入れたら
「良いなあ、私もあんな好待遇の会社に入りたい。」と思うでしょう。
または、誰かが超イケメンで金持ちと結婚したら
「あー、うらやましいなあ。」と思うのも、まあ、まあ、ごもっともでございます。

しかし、私達の預言者さん(平安あれ)はこんなことをおっしゃいました。

「自分よりも下の人達を見なさい。決して自分より上の人を見てはいけない。
 なぜなら(自分よりも上の人達を見ると)
 アッラーがあなたに与えられたたくさんの良きものを、過少に評価してしまうから。」

自分よりも下の人達というのは、
自分よりも恵まれていない人々という事で、別に階級を指しているわけではありません。
同様に、自分よりも上の人達というのは、
今の自分の境遇よりも、恵まれている人達の事を指します。

私達は、常に上を目指せ
目標を高く設定しろなどと、上に上にと這い上がっていくことを良しとした文化の中で生きていると
思います。
しかし、預言者さん(平安あれ)は、現世における事柄においては
上を見るよりも、下を見ることを勧められています。

例えば、もし自分の車が超オンボロで、いつ壊れてもおかしくないような時
(うちの旦那の現状)
新車に乗っている人を「いいなあ。」と思ってしまうかもしれません。
もしくは、自分の車と比べて、気分が滅入ってしまう人だっているでしょう。
しかし、
下の人を見てみると、、、、

車を持っていないから自転車に乗っている人もいます。
(日本に居た頃の私)

そのもっと下を見てみると、、、、
自転車がないから歩く人だっています。
(現在の私)
そのまた下を見ると、、、、、

歩くための足がない人だっているわけです。
または、
足があったとしても、何かの理由(政治的なもの、宗教的なもの等)で外に出られない人
だって世の中にはたくさんいます。

そう考えると、車が古いとか、いつ壊れるか分からない、なんてことは
大したことがない、どちらかと言うと
とても、とても感謝すべき環境に自分がいることが分かります。
「羨ましい!」なんて思っていることができなくなります。

このように、人の事を羨ましいと思ってしまうような時、
自分よりも恵まれていない人を見るというのが
今現在、自分の持っている物や環境に対し、感謝を捧げる助けになる、という事です。

私が個人的にお世話になっているのは、
藤原ていさんの著作「流れる星は生きている」という本です。
この本は、著者藤原ていさんが満州から引き揚げて来た時のお話なのですが、
本当におすすめです。
この本を読んだ後は、どれだけ自分の置かれている状況が辛く思える時があっても、
「いや、いや、あの経験をされた人達の苦労とは比べにもならない。」
と思い、自分のぬるま湯のような生活に感謝をすることが出来るようになります。

自分より下の人達と言うと、まるで見下しているかのようなニュアンスに取られてしまうかも
しれませんが、藤原ていさんを始めとするあの時代に生きた全ての人達に対する
尊敬の念というのは、絶大です。
頭が下がって、下がって、上げられないです、ホントに。

そして最後に
イスラム教の先人のお話をしましょう。
オマル イブン アブドゥルアジーズという方がいらっしゃったのですが、
その方がよくこのように神様にお願いをされていたそうです。
「全ての起きた事に対し、私が満足するようにしてください。
 そしてこれから起こる事に、祝福をお与えください。」

起きた事、そしてその結果として今ある物に対し、
満足ができますように、というお願いですね。
そう、
私達人間というのは、今持っているもの、そして過去の出来事にについて
”満足”を得るという事が、とてつもなく難しいようです。
ですから、神様の御力が必要なんです。
神様にお願いをして、初めて、過去の出来事、そしてその結果である現状に
満足を得られるようになるのです。

最後の審判の日において、
周りの人達が何を得ようが、何を失おうが、そのことについて
私達は問われることはありません。
私達個々人が、問われるのは、自分の事だけです。
で、あるのならば、
起きた事全てに感謝が出来るようでありたいと思いますし、
これから起きる事全てが、神様からの祝福に満ち溢れたものであることを願わずにはいられません。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

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生きる気力を失っていた樹里の前に現れたのは、
サウジアラビアからの研修生、アハメッド。
アハメッドと同じ職場で働くうちに、樹里は今までとは
全く違う考え方というのがあることを知る。
幸せとは、
成功とは、
お金とは、
そして、イスラム教とは?
人生というものを、今までと違った見方で見られるようになった樹里は、
一歩を踏み出せるようになるのでしょうか。



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神様の世界史51 人の罪を負う

2023-03-10 04:50:27 | イスラム教
私達は、与えられた状況の中で、
どんな行動を取ったか、何をして、何をしなかったのか、
それが重要である、と偉そうなことを言って前回は終わりました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

前回は、カビールがハビールを殺そうとしたお話でしたね。
ハビールは、カビールがお前を殺すぞと脅しても
自分は殺さないよと言ったわけですが、
本当に”かわいい、かわいい”弟ですよねえ。
お兄ちゃんももっと仲良くしたらよかったのになあと
思ってしまいます。
(まあ、今さら遅いのでありますが。)

では、クルアーンの描写をもう一度見てみましょう。

『(ムハンマドよ)アーダムの二児の物語の真実を民に語れ。

 (カビール)は言った。
 「私はお前をきっと殺してやる。」
  かれ(ハビール)は、答えていった。
 「アッラーは、ただ主を畏れる者だけを受け入れられる。
  たとえ、あなたが私を殺すために、その手を伸ばしても
  私はあなたを殺す為手を伸ばしはしない。
  私は万有の主アッラーだけを畏れる。』(5:27)

『「本当に私は、あなたが私の罪と、あなたの罪とを負って
 あなたが火獄の住人になることを望む。
 そして、これは不義を行う者の応酬である。」
 しかし、彼(カビール)の心は、その弟を殺すことを望ましい事とし、
 ついに彼は(人類最初の殺人者と)して、失敗者の一人となった。』
 (5:29-30)

ハビールの言った事の中には、たくさんの注意すべきことがあります。
まず、彼は
「私の罪と、あなたの罪とを負って、、、」と言いました。
あなたの罪というのは、よく分かります。
カビールは、弟を殺してしまうわけですから、罪、、、大有りですよね。
では、私(ハビール)の罪って、、????
って感じですよね。
何しろ、ハビールと言ったら、なんだか”いい子”のイメージがずっとしてましたから。
でも、ここに教えが隠れています。

”いい子”のハビールでさえも、罪が全くないという事はないのです。
人間ですからね。
間違いなんて、たくさんあって当たり前です。
もしかしたらハビールも、嘘をついてしまったことがあるかもしれません。
もしかしたら、悪い事を思ってしまった事があるかもしれません。
(まあ、現代と違って、大した誘惑なんてなさそうですが。)

人間というのは、完璧に出来ていないのです。
ですから、常に神様に誤りを認め、許しを請うことが大事なのです。
そして、それと同時に大事なのが、
周りの人も、みんなそんなもんだという事を知ることでしょう。
みんながみんな、完璧からほど遠い所にいる存在なわけです。

タモリさんが、
「人間性なんてものを信用しない。」とおっしゃったことがあるそうです。
それは、人間みんなそんなもの。
周りの人に完璧を求めてはいけないよ、という意味だと思います。

自分を許し、周りの人も大目に見てあげられるようになれるといいですよね。

次に、ハビールは、
”あなたの罪だけでなく、私の罪も一緒に負って地獄に落ちてね”と言いました。
これはどういう事だと思いますか。

私達は全員、死んだ後、墓場から招集され
一人一人裁判にかけられて地獄に行くのか、天国に行くのかを決められます。
その時、生前に被害を被った人達は、ナント!
加害者の前に列をなし並ぶそうです。
彼らは、自分が受けた行いに対する制裁を求めるのです。
いや、清算と言った方がいいかもしれません。

「あなた、私の事を生きている間、ぶってくれたわよね。
 今こそ、その制裁の時!
 あなたの善行を私の善行にするから、よこしなさい。」
と、請求することができるのだそうです。

地獄に行くか、天国へ行くかは(単純に言うと)各自が行った善行の重さと
悪行の重さで決められます。

ですから、その日ばかりは、
お金よりも、善行をみんな欲するわけです。
善行、善行、誰のでもいいから善行が欲しいと、人間はもう必死になります。
でも、もし、
生きている間に被害を与えていたやつ(加害者)が、
「俺、善行なんて持ってないぜ。
 悪い事ばっかりやってたからな。」と
開き直ってしまったら、どうしますか?
憎たらしいことこの上ない奴ですよねえ。
でも、ご安心ください。
その時は、
自分の悪行を、その人にあげる事が出来るのです。

これがハビールの言った
「私の罪と、あなたの罪を負って」という意味ではないかと思います。
(カビールは、善行が少なかったタイプなのでしょう、多分。)

ハビールの言葉から分かるのは、
死んでからは、お金や地位なんかより、自分の善行が何よりも助けになること。
そして、人に嫌な事をすると、死んでから、自分の善行をあげなければならなくなったり、
または、あげる善行がない場合は、相手の悪行をもらわなければならない、という事です。
まあ、どっちにしても、良い事なんてひとっつもないわけです。

今現在、誰かに嫌な事をされている人
(肉体的なものだけでなく、精神的なものも含め。)
いつか、必ずそれを清算することが出来る日がやってきます。
これは世界中で虐げられた生活を送っている人達にとっては、かなり朗報ではないでしょうか。
しかし、
だからと言って、死ぬまで我慢しろというわけではありません。

自分の手で、ナントか改善の道があるのなら、是非とも変える一歩を踏み出してもらいたいと思います。
そして、自分ではどうしようもできないというのであれば、
神様からのお助けを祈るべきです。
神様に”不可能”はありません。

個人的に今週は、たくさんの”奇跡”を経験してしまって
改めて神様ってなんでもできるんだ、そして
とても優しいんだ、と実感しました。
ですから、
絶望の中にいる人がいましたら、是非とも神様にお祈りをしてみてください。
神様に不可能なんてないと信じ、心の底からお願いすれば、
”必ず”道は開きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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神様の世界史49 犠牲を捧げるのは何のため?

2023-02-25 04:10:07 | イスラム教
アダムとイブ(ハワ)の子供達、カビールとハビールのお話の続きです。

カビールの結婚相手が、弟ハビールのお相手よりも可愛くなかったため、
むっとしてしまったというお話、覚えていらっしゃいますでしょうか。
お陰でカビールは、弟に対し
「ずるいじゃあないかあ!」と思ってしまったわけですよね。
そして、その”ずるい、ずるい”とった思いは妬みであって
それが、悪の諸元である、
という事を前回のメルマガで書いてみました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

今回のお話は、モヤモヤとしているカビールに対する”新たな試練”についてです。

ある日、お父さんであるアダムが二人に対し
「神様に犠牲を捧げなさい。」と命じました。

この事から、人は大昔から神様に犠牲を捧げていたことが分かります。
日本の昔話を読んでいても、たまに出てきませんか?
お話の世界だと、よく女の子が犠牲の対象になったりしていますが、
実際にそういったことって、起きていたかもしれませんねえ~。(こわーい)
 
イスラム教的に”犠牲 を捧げる”って、実はまだまだ続いているんです。
”犠牲祭”って聞いた事、あるのではないでしょうか。
預言者イブラヒーム(エブラハム)の慣習に基づいて行う年中行事です。
巡礼を行った後に、羊やら牛、またはラクダなどを屠殺とするのが決まりになっています。
巡礼に行かなかった人も(経済的に無理がない限り)屠殺をして、そのお肉を頂きます。

ただ、
私達が牛やら羊やらを屠殺して、犠牲を捧げると言っても、
決してそれによって神様が何か得をするわけではない、という事は注意しておかないといけません。
なぜなら、
神様こそが、私達にいろいろな食べ物を与えてくださっているわけで、
私達サイドが、神様に何かを与えるなんて、おこがましいにもほどがありますからね。

神様も、クルアーンの中でこうおっしゃっています。

『そしてそれら(動物が)横ざまに倒れ(動かなくなったら)あなた方はそれを食べ、
 また口に出して請わない者、物乞いする者達に食べさせなさい。
 このように、それらをあなた方(の用に)供させるのもあなた方に感謝の念を起こさせるためである。
 それらの肉も血も、決してアッラーに達するわけではない。
 彼に届くのは、あなた方の篤信(タクワー)である。』(22-36、37)
 
牛も羊も、全ては神様が、私達の為にお創りになったものです。
神様は、そういった食べ物は全く必要ないのです。
じゃあ、なんで犠牲なんてやらせるの?という話になりますが、
上記のクルアーンの句によれば、
”感謝の念を起こさせるため”とあります。

食べ物を食べられるというのは、本当に感謝しかないですよね。
自分の手を使って、自分の口に食べ物を運び、それを消化して
身体のエネルギーに変えられるなんて、本当に有難い事です。
感謝しかありません。
また
”感謝”が出来るというのは、またそれだけで有難い事であります。
感謝のない所に、心の平和はやってきませんから。

感謝については、このブログで何度も書いてきましたので、
今回は、大きく割愛します。


犠牲を捧げるというような、あまり楽しくないことをやらせる、
もう一つの理由を考えてみましょう。
まず、
神様が、私達に何かをしろと命じられる時は、
そこにたくさんの利点があるということを知っておくことは大切です。
そしてもう一つ、
その命じられたことをやるか、やらないか、というのを神様は見ていらっしゃるという事も
特筆すべきことです。

やれと言われたことに対し、やるのか、やらないのか。
そうして、やるなら、どうやるのか、
そういったことを見ていらっしゃるわけです。

さて、
カビールとハビールの犠牲問題です。

2人は、神様に犠牲を捧げるように言われたわけですから、
(犠牲を)”やる”ことにしました。

カビールは、農業担当
ハビールは、動物の飼育ですので、
ハビールは、自分が飼育している動物の中で、一番良いものを犠牲に捧げました。
カビールの方は、反対にあまりよろしくない状態の作物を捧げることにしました。

2人が各々の捧げものを置くと
空から火が落ちて来て、、羊がアッという間に消えてなくなりました。
これは、神様がその犠牲をお受けになられたというサインです。

みんなが見ている前で、
ハビールの犠牲は神様に受け入れられ、
カビールのものは、受け入れられなかったというのが
”バレバレ”になってしまいました。

カビールとしては、面白いわけがありません。
神様には、請けいられない。
そして、周りの人にはバレバレ。
その上、相手は、前々から憎たらしかったハビールです。

もうこうなったら、面白いわけがなしじゃあないですか。
カビールは何と、、、!

続きは、次回です。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

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神様の世界史44 地上に降りた二人への恩恵

2023-01-20 03:51:06 | イスラム教
前回は、禁断の果実を口にしてしまったアダムとハワ(イブ)が神様に謝ったこと。
そして、神様は二人をすぐにお許しなったことを書いてみました。

こんにちは、ファーティマ松本です。

アダムとイブは、己の犯した事の結果として、地上に落ちることになりました。
しかし、仲良く二人一緒に同じ場所に降り立ったわけではないようです。

学者さんの間で、アダムはインド辺りで、
イブは現在のサウジアラビアの西海岸にある、大都市ジェッダ辺りに降り立ったという人もいますが、
これはどれも定かな話ではありません。
何しろ私達の預言者さん(平安あれ)は、このことについては何も語っていないのですから。
しかし、もし二人が地上で別々の場所に降り立ち、再会するのに何年もかかったというのであれば、
地上での生活は最初からなかなか大変だったようですね。
天国での生活とは、やはり雲泥の差であります。

「なんで神様はそんなことをするの」
「なんでわざわざ大変な思いをするようにするの。」
と思われるかもしれませんが、ここにも大事な教訓が隠されているのです。

今、私達が生きているこの現世というのは、そのように創られている場所なのです。
つまり、
楽しいこともあるけど、辛いこともある。
うれしいこともあるけど、悲しいこともある。
好きな人もいるし、嫌いな人もいる。
やりたい事もあるし、やりたくない事もいっぱいある。

それに反し、アダムとイブがいた天国というのは、いかなるネガティブな事が存在しない場所でした。
楽しいことがあって、うれしいことがあって、やりたいこと、欲しい物全てが叶えられる場所。
完全完璧なる場所なのです。
例えば、
生きている間は子宝に恵まれなかった人は、天国では簡単に子供を得ることができるでしょうし、
掃除をいやいややっていた人は、もうやらなくていい。
排泄関係で悩んでいた人は、もうトイレにも行かなくていいのです。
現世においては、どんな美男美女でもトイレに行かずには生活できませんよね。
でも、天国では、トイレに行かなくてもいい体の構造になるとのこと。
これって、かなりうれしいですよね。

ちなみに、天国では全員が美男美女になれるそうですよ。
生きている間は、容姿問題にだれでも悩まされると思います。
お肌にハリがなくなったとか、お腹周りがひどい事になっているとか、、、。
しかし、そんな悩みはきれいさっぱりなくなります。
肥満だの、痩せすぎだのといった概念すらなくなります。
美味しい物をひたすら食べても、決して太らない体になる。
それが天国です。

しかし、地上の生活では、皆さんよくご存じのようにそうはいきませんよね。
食べて動かなければ、どうしたって太ってしまうし、それよりも病気になってしまいます。

ここでの生活は、どんなに頑張ってみても、できないことがたくさんあります。
どんなにお金持ちになったとしても、辛いこと、嫌な事はいっぱいあります。
病気になるかもしれないし、好きな人と死別しなければならない時だってあるでしょう。
そんな危機に対し、お金というのは全く万能ではありません。
お金を払ったら、代わりに病気になってくれる人なんてどこを探してもいませんし、死んだ人を返してくれる人もいません。

また、どんなにスゴイ権力を手に入れたとしても、いつの日にかは、その権力というものを手放さなければならない時が来ます。
または、常に暗殺の可能性に怯えなければならないかもしれません。
好きな人とずっと一緒にいたいと思っていたとしても、心変わりするかもしれないし、
どちらかが先に逝ってしまうこともあります。
可愛らしかった子供達だって、親元を離れて巣立っていく日が必ずやってきます。
ずーっと、可愛いままで、一緒にはいてくれないのです。
このように、この現世においては、
何もかも完璧に、自分の思い描いたように事は運んではくれません。

つまり、完璧に幸せになりたい。
欲する物を全て手に入れたい。
やりたいことを全部やりたい。
好きな人といつも一緒にいたい。
と、思っている人にとって、今いる地上というのは、どうもあるべき所ではない、間違った場所であるわけです。
完全完璧なる幸せを手に入れたかったら、どうしても天国へ行くしかないのです。

アダムとイブも、地上に降り立った後、ここは天国とはずいぶんと違うなあと、思ったのではないでしょうか。
しかし、

それと同時に、二人は神様からのたくさんの祝福、たくさんの贈り物にも気が付いたと思います。
なぜなら、地上に降りた二人に対し、神様はたくさんの良い物を与えてくださったからです。
肥えた土、たくさんの太陽光、雨(水)、色々な種類の食べ物、そして私たちの益になってくれる動物達。
神様は私たちにたくさんの物を与えてくださっているのです。
決して必要最低限の物だけではありません。
必要以上の、たくさんの物を与えてくれています。
神様は、いつだって寛大なのですから。

少し想像してみましょう。
もし、この世の中に食べ物が1種類しかなかったとしたら。
その1種類の食べ物で、生きていくのに必要な栄養が全て取れるとしたら、どうでしょう。
例えば、玉ねぎのような形をした物があるとしましょう。
それを食べればタンパク質もミネラルも全て取れる。
まさしくスーパーフード的な食べ物があったとしたら、どうでしょうか。
毎日、毎日、朝も昼も夜も夜食も、おやつも全てそれだけであったとしたら?
ちょっと、嫌ですよね。
そんなの、はっきり言って今の私達には到底耐えらることではありません。
色々な物を、やはり食べたいですもんね。

神様は私達にそのような食べ物を一種類だけ、実際に与えることができたのです。
しかし、知っての通り、そんなことはしなかった。
反対に、一生かかっても食べきれないほどの、色々な種類の食べ物をお与えになってくれました。
この世の中には、私達が見たことも聞いたこともないような果物、野菜、お魚、色々な食べ物があります。
これらはまさしく、神様から私達への贈り物です。

同様に、飲み物も水だけであったらどうでしょう。
コーヒーや、お茶、ジュースに牛乳、そのようなものがなかったとしたら。
寂しいですよね。
コーヒーもお茶も、ジュースも牛乳も全て神様が私たちのために与えてくれた贈り物です。
色々な種類の飲み物は、生活に潤いをもたらしてくれます。
たくさんの種類の果物や野菜、お肉が有るおかげで、毎日の生活が楽しくなったりするわけです。
本当に、有難い話ではありませんか。

学校では、子供達に
「食べ物を生産して、それを販売してくれる人々に対し、感謝をしましょう」と教えていると思います。
それは、とても素晴らしいことです。
お米を始めとした多くの作物は、作るのに、驚くほどの手間がかかるし、お金もかかります。
その上、ちゃんと収穫ができるかどうかは、収穫時期が来るまで分からないというのですから
大変だなんて、一言では言い尽くせないお仕事をしてくれています。
生産者さん達のおかげで、消費者である私達は美味しいお米や野菜、果物を毎日口にすることができるのです。
本当にいくら感謝をしても、足りないくらいです。

しかし、生産者さん達に感謝をする前に、まず神様に感謝をする必要があります。
なぜなら、お米や、野菜、果物、肉、乳製品等々を創ってくださったのは、神様なのですから。
私達はそんな神様に感謝をちゃんとしているでしょうか。

アダムとイブが天国から地上に落ちたと表現すると、
なんだかこの地上というのはあんまりよくない所のような気がしてしまうかもしれませんが、
実はこの地球という星一つを見てみても、神様の慈悲がそこかしこに見え隠れしています。
何しろ、
私達人間が地上で生活していくのに、必要なものは全てこの地球から来ているのですからね。
食べ物、洋服、家屋、石炭や石油などなど(太陽の光はちょっと例外ではありますが)ほぼ全ての必需品は、
この地球から出ているものばかりです。
家の中をぐるっと見回して目につくものの中に、どこか分からない惑星から取ってきたものが原材料の物なんてあるでしょうか。

この地球は、神様が人間に与えてくれた大きな大きな贈り物の一つであります。
大事に、大事に使わせてもらいましょう。

来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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