神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

どれだけ慈悲深いのか

2019-08-31 03:55:26 | イスラム教
”ラハマ(慈悲)”を説明するには
お母さんと赤ちゃんの関係が最適。
子宮はラハマ(慈悲)である。
神様は御自分の御名前を
ラハマを由来にされている。

ということを前回は書いてみました。



ラハマとは、
見返りを求めず、ただ相手を"益する"ためだけに行う行為。


”行為”ですからね、実際に目に見えるものであります。
そう!神様からのご慈悲は目に見えるものなのです。
でも、それに気づかず毎日を過ごしてしまっている人ってとても
多いですよね。
もったいないことだと思います。
私も神様のご慈悲に敏感でありたいと思っています!!


さて、
神様の御名前の一つに
「アルラハマーン」
という御名前があります。

これはアッラーと並んで、最もよく知られていて
最もよく使われる御名前なんです。
まさしくTHE神様の御名前!
といった感じですね。

クルアーンの中で神様はこのように仰っています。
『アッラーに祈りなさい。またはアルラハマーンに祈りなさい。
 どちらの名前で祈っても、最も美しい御名前はアッラーに属する。』
(クルアーン17:110)

このアルラハマーンという御名前、
他にいっぱいある神様の御名前とは、
ちょっと異なるものらしいんです。
何が他の御名前と違うのか、と言いますと
”型”が違うのだそうです。
最後の音が”マーン”となっていますよね。
このように”アーン”で終わる形の御名前は、
この「アルラハマーン」だけだそうです。

んでは、その”アーン”が何を意味するのか、と言うと
その形容詞(又は名詞)の”強さ”を表すらしいんです。
つまり
「すんごくなになにである!!」
とか、
「もっのすごくなになにである!!」
というように、強さ、凄さを強調するのに使うのが
この”アーン”で終わる御名前なわけです。

では、
この「アルラハマーン」とは一体どういう意味であるのか。

答えは、ずばり
「ラハマがもっのすごい!」
「メッチャクチャ慈悲深い!」
「信じられないくらい慈悲深い!」
今風で言うと
「やばいくらい慈悲深い」ということです。
(私はこのヤバいの使い方が好きではないのですが、、)


さて、では
預言者さん(彼の上に平安あれ)が、神様がどれだけ
慈悲深いお方であるのかを教えてくれているので
いくつか紹介してみましょう。

その一:

ある日、
自分の子供が迷子になってしまい、その子を必死になって探しているお母さんがいました。
これ、、、
子供が迷子になってしまった経験がある人にはわかりますよね、この気持ち(汗)
私も何回か子供が迷子になってしまったことがあるのですが、、、(泣)
な〜んとも言えなくイヤーな気持ちになってしまいました。(もう死にそう)

しかし、そのお母さんはなんとか子供と再会することができたそうです。(良かった!)
預言者さん(平安あれ)と彼のお仲間の前で涙を流して喜こぶお母さん。
子供もお母さんにぴったりくっついて、きっと泣きじゃくっていたことでしょう。
そして、お母さんはその子におっぱいを飲ませたそうです。
その様子を見て預言者さん(平安あれ)は近くにいるお仲間達にこう聞きました。
「このお母さんはこの子を地獄に突き落とすと思うか?」
お仲間の皆さんは口を揃えて
「いいえ、いいえ、この人がそんなことをするわけがありません。」と
言いました。

その時、預言者さん(平安あれ)はこうおっしゃったそうです。
「アッラーはこのお母さんがこの子供を思う以上に
 あなた方のことを思ってくださっている。」

お母さんの子供に対する愛情よりも、神様は
大きな愛情と慈悲を私たちに持って下さっているのです。


その2:

神様は御自分のご慈悲を100個に分けられたそうです。
その内の一つを地球に送られました。
その一つの慈悲のおかげで、全ての人間と動物が(又は植物も?)
他のものに愛情や慈悲の心を持つことができるそうなんです。
その一個の慈悲だけで
地球の始まりから最後の日まで十分なんだそうです。
すごいですよね。
そして残りの99個の慈悲はどうするのかと言いますと、
それらを全て
「最後の審判の日」にお使いになるのだそうです。

最後の審判の日というのがどういうものであるのか、、、
については、またいつか書くことになりますが、
この日は地獄へ行くか、又は天国へ入れるかを決められる日ですから、
大変恐ろしい日になるそうです。

しかし、残り99個の慈悲を全てお使いになってくださるわけですからねえ。
なんとかなるんじゃないかなあと、思っています。

預言者さん(平安あれ)もこう仰っています。
「もし不信者が、どれだけアッラーが慈悲深いかを知っていたならば、
 (自分達も)天国へ入れることを期待するであろう。」


来週に続きます。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

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慈悲深いとは?

2019-08-30 00:04:46 | イスラム教
やらねばならないことに
熱意を持って取り組むべき。
人間として、まずやるべきことは
「神を崇拝すること」である。
ということを先週は書いてみました。



神様がどんなお方であるのか。
それを一番よく表してくれるのがこの言葉!
「ラハマ(慈悲)」です。
この言葉を語幹とし、色々な言葉に派生させながら
神様がいかに慈悲深いお方であるのか、
それをクルアーンは教えてくれています。
その数 ナント500箇所以上だそうです。
びっくりですよね。

ところで
「慈悲」と日本語で言った時
誰を、または何をイメージしますか。
正直、あまりぴーんとこない感じ、、ありませんか?
「慈悲」っていう言葉、あんまり使いませんよね〜。
(私だけかしら、ぴーんとこないのって!?)


では
私のように「慈悲」とか「慈悲深い」という言葉にどうも
ぴーんと反応できない人のために
「ラハマ(慈悲)」とは一体どんな意味であるのか
という事を考えてみたいと思います。

ラハマとは、
「相手に何の見返りも求めず
 ただ純粋に相手のためを思って与える事。」
また
「相手を心から思い、その人のために色々としてあげること。
 世話をすること。」

らしいです。

この定義を前提に考えると
ラハマとは、まさしく「お母さんと赤ちゃんの関係!」
のようではありませんか。


赤ちゃんって、見た目とっても可愛いんですけど
あれがなかなか厄介な存在でありまして、、、
産後弱っているお母さんを、
「そんなこと知らんがな」とばかり、
ものすごくこき使うんです。
夜中に何度も起こすのなんて、フツー、フツー。
(まあ、すぐに寝てくれれば、起きてくれちゃってもいいんですけど、、)
一度起きたら絶対に寝ない、という赤ちゃんだってたくさんいます。
まあ、起きてても泣かなければいいんです、静かにしていてくれれば。
でもずーっと泣きづつける赤ちゃんてのもいるんです。

我が家は、7人も赤ちゃんがいましたからね。
いろんなのがいました。
ずーっと泣いている、夜中絶対に寝ないというのが一番大変だったかな。
こっちは眠くて眠くてしょうがないんですけど、まあ、仕方ないですね。
抱っこしたり、おっぱいあげたり、オムツを替えたり、お風呂に入れてみたり、と
いろいろやるわけであります。
そして、
そんなことをしている間ずっと、
「どうしたのかなあ、どっか悪いのかなあ」とものすごく心配するわけですよ。

「これこそ慈悲の行為!!」

なーんてことを書くと
いかに私が慈悲深い人間かと思われそうですが、
実は、、、決してそうではなく(汗)
主人の弟の子を3ヶ月くらい預かったことがありまして、、、
いやー、あの頃にものすごく感じました。
自分の子供を世話している時と他人の子供を世話している時の心の温度差。
本当にびっくりするぐらい、違うんですよ。(ヤバかったー)

本当の慈悲の人であったら、自分の子供だろうと、他人の子供だろうと
心から慈しんで、その子のためにいろいろな世話をすることができるはずですからね。

神様は人間に対し、この「慈悲の心」で接してくれています。

面白いことに
「ラハマ」とはアラビア語で「子宮」を意味する言葉なんです。

確かに子宮というのは、胎児にとって安楽の場所。
お母さんがどれだけつわりで辛い思いをしていようと、自分に必要な栄養はしっかりととって
大きくなっていきます。
お腹が大きくなって、お母さんはもう腰は痛い、苦しい、夜は寝られないなど大変な思いをしていても
やはり、そんなのお構いなしにドンドン大きくなっていく。
子宮は、まさしく
相手のため、胎児のために存在している慈悲そのものなのです。

神様もこうおっしゃっています。

「私はアルラハマーン(神様の御名前の一つ)である。私はラハマ(子宮)を創り、自分の名前の元とした。
 故に、それ(家族の繋がり)を大切にする者は、私もその者を大切にしよう。
 そして、それを断ち切る者を私も断ち切るであろう。」

家族の繋がりを保持することの大切さを教えてくれていますが、
このことについては、またいつか。

来週は、
いかに神様が慈悲深いか
について、考えていきたいと思います。


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やるべきことに熱意を

2019-08-29 05:20:24 | イスラム教
人生は一度しかない。
だから
やるべき事をしながら生きていく。
ということを前回は書いてみました。



随分以前から、世の中の人々は

「自分のやりたいことをしよう。
 やりたくないことはやらないようにしよう。」

といった感じのことを言っています。

特に啓蒙書においては、そういったメッセージがとても多いし
もうはっきり言って”定番化した教え”のような感じさえします。

それでも、私はずーっと前から
「人生はやらなければいけない事をやるべき」
と思っていたんです。
ですから、自分の子供達にも
チラホラとそんなことを教えてはいたのですが、、、、
しかし、、

やはりあまりにも世間一般の考えと違うと
「大丈夫かな?」
なーんて正直思うことも、実はありました。

しかし、しかし、、、
私の気持ちを代弁してくれるような本にとうとう
巡りあえることができたので、
今日はそれを紹介したいと思います。

『成功おじさんの最優先ルール』
という本です。

これは1968年にアメリカで発売されて、200万部も売れた大ベストセラー。
50年近くも読み継がれているロングセラーだそうです。

50年以上前に発売されたものだから
昨今の啓蒙書をちょっと違うことが書いてあるのでしょうかねえ?

この本の著者であるチャーリージョーンズさんはこう仰っています。
「以下引用」

「成功おじさん」の第一ルールは、ふつうわたしたちが考えるような、せっせと働くというものではなく
(もちろん、働くことは必要になるが)自分の仕事に対し、気持ちをふいるい立たせるようにするというものだ。

こんな人がいる。

「ジョーンズ。きみや、どこかの重役がやっているような華やかな仕事なら、そりゃあ気持ちもふるい立つだろうけどね。
 ぼくがやっているようなろくでもない仕事についていたら、そんなふうに言ってられないと思うよ」

それでは、こっそりお教えしよう。

なんであれ、「仕事」というのは一種類しかない。

すなわち、こまごましていて、単調で、手間がかかり、やっかいで、退屈なもの。

これこそ、どんな職業についていようと、誰もが克服しなければならない課題なのだ。


たしかに、今自分がやっていない仕事にふるい立つのはたやすいだろう。

ところが、やらねばならないときや、みずから学び、成長し、計画を立て、最後までやり通さねばならないとき、仕事はそれほど楽しいものではなくなる。

しかし、「成功おじさん」の第一ルールは、ほかでもない自分の仕事に、気持ちをふるい立たせるようにすることだ。

いつかやろうと思っている仕事に対して、ではない。

たった今やっている「つまらない」仕事にふるい立て、と言っているのだ。

つまらない仕事に気持ちをふるい立たせ、喜びを見出せれば、その仕事はすばらしいものになる。


ある若者が、アイビーリーグの大学を二番の成績で卒業して、わたしのオフィスにやってきた。

「ジョーンズさん、あなたの噂を聞きました。あちこちの会社の面接を受けたんですが、どれもぴんと来ないんです。
 あなたなら、やりたいことを見つけるのに、力を貸してくださると思いまして」

わたしは思った。

かわいそうに!
ちょっとしたショック療法を施すとするか…。


「やりたいことを見つけるのに、力を貸してほしい?
 わたし自身のやりたいことさえ見つかっていないというのに、きみに力を貸せるはずないだろう?」

「ご自分のやっていることが、お好きじゃないんですか?」

私は声をあげた。

「大嫌いさ!好きなことをやってたら、満足に稼げやしないよ!」


わたしが何を好きか、ご存じだろうか?

リラックスするのが好きだ。

仕事に関するおしゃべりが好きだ。

休暇と、手数料と、昇給と、のんびりした昼食が好きだ。

それで何が得られるか?

頭痛と、落ち込みと、胸が張り裂けるような悲しみだ。


わたしが何を学んできたか、おわかりだろう。

やりたくないことにふるい立たなければ、「ほんとうに、ふるい立ちたいこと」を満足に得られないという教訓だ。


人生というのは、やりたいことをやるものではない。

現実の人生とは、やらねばならないことをやるもの。

やりたいことをやっている人たちは、最後になって、それがほんとうにやりたいことではなかったと気づく。


一方、やりたくはないが、やらねばならないことをやろうとする人たちは、最後になって、やりたくないと思っていたのが、実はやりたいことだったと気づく。

人生とは主に、やりたいことをやるものではなく、やらねばならないこと、やる必要のあることをやるものだ。

「以上」


と、、
こんなことを書いていらっしゃいます。
もう有難い!
そうそう、これこれ!

「やらねばならないことをやる。
 気持ちを奮い立てながら。」

スゴイことを書いていらっしゃるとは思いませんか。

特に”気持ちを奮い立てながら”っていう箇所がいいですよねえ。
これ、つまり
熱心に、
一生懸命に、やる。
ということではないでしょうか。


「やりたい事をやれ!」と言っている人たち。
彼らは、多分なーんだかんだと言っても
やらねばならない事をやっている、
のではないかと思います。

なぜなら、
私たちは、自分たちの人生において
いつだって何かしらの役割を担っているわけすから。

例えば、
(誰かの)親であるとか、、
夫であるとか、妻であるとか
親がまだ健在である人であったら、
(その親にとっての)子供であるとか
社会人であるとか
学生であるとか、
または一国のリーダーであるとか
まあ、一人で
いろいろな役割をこなしながら
毎日立派に生きているわけです。

そういった役割をこなすということは、やはり
「やらねばならない事を(なんだかんだと)やっている。」
わけであります。

しかし
「成功のおじさん」のチャーリーさんは
それに対し「気持ちを奮い立てさせて」
つまり熱意をもって
一生懸命に
やれと言っているわけです。

これは私も子供達によく言います!!
「一生懸命やれ!」と。
適当にタラタラやるなと
熱意を込めてやれと
(まあ、あの子達の耳には届かないのでありますが、、)
でも例え、今は届かなくても
いつかは届くと信じ、ずーっと言い続けていきたいですね。
「一生懸命、やるべきことをやれ!」と。
(嫌がられそうだなああ)
 
さて、
私たちは多くの役割をこなしながら
毎日の生活を送っているわけですが、
まずは
人間として、、、やるべきこと
、、やっているでしょうか?

それは
「神を崇拝することです。」

これを嫌だとか、好きだとかといった
感情ではなく
もう義務としてやっていく。
それも熱意をもって
気持ちを奮い立たせながら、、。

というのが、よろしいのではないでしょうか。

さて、来週からやっとこさ
「神様とはいったいどんなお方であるのか」について
考えていきたいと思います。

神様がどんなお方であるのかがわかれば、
奮い立つ気持ちも自然と大きくなることでしょう。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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自分にとって良いこと

2019-08-28 03:18:18 | イスラム教
神様は人間を
「神に崇拝させる為に創られた」
だから、
私たちは”そう”しながら生きて行くべき。
神を崇拝しながら生きることはそんなに難しくない。
まずは
神様とはどんなお方であるのかを知らねばならない。
ということを前回は書いてみました。


こんにちはファーティマ松本です。

今週は神様がどんなお方であるのかを
神様の御名前や特性を紹介しながら
紹介していきたい、、と思っておりましたが、
ちょっと変更して
先週のメルマガの補足をさせてもらおうかと思います。

先週、人間は神を崇拝するために創られた。
だから、
そうしながら(神を崇拝しながら)生きるべきである。
それはそーんなに難しいことではない。
実際、神を崇拝しながら生きていくほうが楽である、ということを
サラーっと書いてしまいました。

これ、サラーっと書くにはちょっともったいない(?)ポイントであったような
気がしてきまして、、、。

ということで、、
さっそく頑張って
補足いきましょう。



この世な中には、
神様を崇拝しながら生きていくことを良しとしない、
または納得いかないと思う人は多くいます。

それはもう仕方がないことだと思うんです。
だって、神様だの、崇拝だのって
日本人的には、どうもしっくりこない感覚かもしれませんからね。
分かります、分かります。

でも、たまに
神様を崇拝するよりも、悪魔を崇拝したほうがいいって
いう人がいたりするんですよね。
どっちも、見えないものに自分を捧げるという点では
変わらないのに、、。
どうして悪魔を崇拝して、自分自身を捧げてしまうのでしょう?

この悪魔崇拝についてはまたいつか書けるといいなと思っています。
(ちなみに私、個人的にこのトピックにかなり興味あり!)



「神様を崇拝しましょう!」なんて言ったら
多くの人は多分、こ〜んな風に思うかもしれません。
「神様を崇拝するだって?」
「勝手に創っておいて?」
「なんだそれ!」
「そんなの面白くないジャン!」
「自分の人生なんだから、好きにやらせてもらうよ」
と、
まあ、色々と反応はあると思います。

 『人生は一度きり、自分の行きたいように生きる。
  自分の好きなことをして生きる。』

これ、誰も反対の意見を唱える人はいないでしょう。
特に現代においては。

しかし、、ちょっと考えて見てください。
自分のやりたいこと、
自分の好きなことって
本当に、その人にとって『良い』ものなのでしょうか。
もちろん、犯罪の域に入るようなことは
それががどんなに好きなことであっても
悪いに決まっていますけど。

ここで言う”自分の好きな事”というのは、そういった悪いことでなく、
世間一般的に見て”悪くないこと”
まあまあ、”いいこと”について、です。

例えば、
容姿端麗、高学歴、高収入のお相手が目の前にいたとしたら、、、
喜んでその人と結婚していいのかどうか、、、。
「そういう人が好きなんだから、いいでしょ!」
と、まあ、、、そう言われれば反対もしづらいのですが、、、
それは、その人にとって本当に良いことでしょうか?

他にも
自分の好きな格好をして外出をする。
それがいいのか悪いのか、、。

希望の学校に入る事、
条件の良い会社に入る事、
理想の人と結婚すること、、
高級車に乗る事、
いろいろありますが、
それらは、本当にいいことなのでしょうか。
反対に、
入りたくなかった学校や会社に入る事、
あまり理想でなかった人と結婚すること、
こちらもいろいろありますが、
そのようなことが、全て悪いことなのでしょうか。

神様はこのように仰っています。

『あなたたちは自分にとって善いことを嫌うかもしれない。
 また、自分にとって悪いことを欲するかもしれない。
 (しかし)アッラーは知っている。
 (そして)あなた達は知らない。』
(クルアーン2;216)


私たちの近視的な目には
一見イヤなことに見えても、
実はそこに、いいこと、大きな祝福が隠れていたりします。

神様を崇拝して生きる人生を
めんどくさいとか、
難しそうとか
イヤだなあ、
とか思わないで、
「そこに」自分にとって、いいことがある。
大きな祝福があると思ってみてください。

神様は天国と地獄、そして私たち人間をお創りになったお方。
天国とはどんな世界であるのか
何が人間を天国へ行かせるか。

地獄とは一体どんな所であるのか、
何が人間を地獄へ追いやるのか。

そういった事を他の誰よりもよくご存知であられます。

一度しかない人生です。
自分の好きなことをやることばかりにとらわれず
自分のやるべきことに目を向けるべきかなあ、と思います。


今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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神を愛する心

2019-08-27 02:41:48 | イスラム教
神様はアルガフール(罪を赦されるお方)
そしてアルガッファール(度々赦されるお方)
である。
ということを前回は書いてみました。



神様はクルアーンの中で
人間を創った理由をはっきりとこう仰っています。

『我はジンと人間を、我を崇拝させる為以外(の目的)には創っていない。』
(クルアーン 51:56)


つまり
「崇拝させるためだけ」
それ以外のいかなる理由もない、というわけです。

例えば
誰かが、、、
「私がどこそこのレストランへ行ったのはね、有名なあの一品を食べるためなのよ。
 それだけの為に行ったのよお!」
なーんて言ったら、
相当食べたかったのね、この人ってはっきり分かりますよね。

神様が人間を創造した理由も
”崇拝させるためだけ”
それ以外の理由はない、
ということらしいのです。

じゃあ、
「なーんで神様の特性を知らしめるためだの何だのって言ったんだ!」
とお叱りを受けそうでありますが、、、
しかし
人間のような存在を創造することによって
「神様の特性が際立つ」というのは真実です。

そして
神様の特性を知る、ということは
私たちがこの世で正しく
『神を崇拝するため』
には必要不可欠なものなのです。

何しろ
私たちが好むと好まざるに関わらず、
人間は「神を崇拝するため」に
創られたわけなんですから、、、
、、そうしないわけにはいかないのです。

しかし
神を崇拝して生きる、というのは
決して難しいものではありません。
なぜなら
神様は私たちに辛いものを求めてはいませんし、
どちらかというと、易しいものを望んでいらっしゃいます。

『アッラーはあなた方に易きを求め、困難を求めない。』
(クルアーン 2:185)

イスラム教の教えを守りながら暮らしていくのは
決して難しくない!
どちらかというと、イスラム教の教え無しで生きていくほうが
難しいし、大変である!
と私自分自身の経験からそう思います。

私はフツーに日本で産まれて、日本で暮らしていましたから
イスラム教徒でない期間がそこそこあります。
また、
イスラム教徒になってからも、ちゃんと教えを理解するまでの何年間は
”なんちゃってイスラム教徒”みたいなものでしたから、
イスラム教は難しいなあ、なんて思っていた時期もありました。
(いろいろな制約がありますしね)

でも
今ははっきりと言えます。
「イスラム教の教えに則った人生は楽である」と。

ですから、「神様を崇拝しながら生きていく」ということを
難しいことと思わず
あまりめんどくさがらず、
メッチャ簡単なものだと思ってほしいと思います。

さて、
この世を正しく(崇拝しながら)進んでいくには、、
そうですねえ、
何か、、、
乗り物が必要だと考えてみてください。
その乗り物に乗っていれば、
無事にこの世を渡りきることができる、としましょう。

昔の学者さんはその乗り物を”鳥”に例えました。
鳥の頭の部分に当たるのが、神様への愛。
そして片方の翼は、神への望みを
もう片方の翼は、畏れを表しました。

どういうことか?と言いますと
人生をうまく渡りきるには、
まず大事なのが”神様を愛すること”らしいです。
そして
あっちに落っこちたり
こっちに落っこちたりしないように
バランすを取ることも大事。
そのバランスを取るのに
(神への)希望と畏れが必要ということなのですが、、、
これについてはまた後ほど。 

今回は、
この人生という道をグイグイと引っ張って行ってくれる
”神様への愛”
についてお話ししたいと思います。

神様を愛する心、、、。
これ あんまりぴーんときませんよねえ?
神様を愛するって、
ちょっと日本人的には難しいコンセプトではありませんか?

多分これは
「神様がどんなお方であるか」というのが分からない為に
”神様を愛する”ということがよく分からないのではないか
と思うんです。

例えば、
隣の課のマルマル部長って、とっても良い人だから愛しなさい!って言われても
「じゃあ、そうするわ」って言う人はいませんよね。
大抵の場合
「そのマルマル部長って、どんな人なの?」とか
「何がそんなに良いの?」とかって
いうことを知りたくはないですか。

その人がどんな人であるかを知らずに愛することなんて
まず無理です。
どんな人物なのか、どんなに尊敬できる人なのか、
どんなに愛情深いのか、、などなど
いろんなことが分かっていくと、自然にその人を
想う気持ちというのが生じてくると思います。

ですから
神様を想う、
愛するようになる、
そのためには、
まずは、その神様がどんなお方であるのかが知らなければなりません。

ということで
来週からは少しづつ
神様とは一体どんなお方であるのか、ということを
お話ししていきたいと思います。

神様の御名前や特性を紹介しながら
「神様を愛する心」を見出してていけたらな、と思います。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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