神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

心のケア

2018-01-26 06:22:23 | イスラム教
「アッラー以外に神はなし」
と言うのは容易いけれど
それを正しく理解して、
それを信条に生きていくのは、なかなか難しい。
というところで先週は終わりました。



こんにちは ファーティマ松本です。

預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)はおっしゃいました。
「肉体の中には、一片の肉がある。
 それが健全であければ、肉体はすべて健全であり、
 それが腐れば、肉体も全て腐る。
 その一片の肉とは、心のことである。」

人間であれば、誰でも心を持っています。
その心が良ければ、すべて良く
その心が汚れていれば、すべてが悪い、
というわけですね。

確かに人は、自分の思うことによって行動を起こします。
良い心または良い意思を持った人は、きっと良い行いをすることでしょう。
反対に悪い心、悪い意思を持った人は、悪い行いをする かもしれません。
私たちの心が、私たちの行動を左右すると言っても過言ではありませんね。

私たちが心で思う事は、周りの人からは見えませんが
私たちのやること、言うことはすべて丸見えです。
行動を変えたければ、少しづつでも心を変えていかなければならないでしょう。

心に何を入れるか、によって私たちの行動、ひいては人生が変わっていきます。
お金を入れれば、お金を得るための行動をとりますし、
周りの人の気持ちや反応を心に入れれば、それが”第一”の行動をとるようになるでしょう。

そして神様を心に入れれば、神様の事が常に気になるようになると思います。
そうです!
常に神様の事が気になるようになったら、かなりしめたものなんです。

心の中に神様がしっかりと入ってしまえば、
「アッラー以外に神はなし」を信条に生きていくのは、難しくなくなります。

心に神様が入っている人は、常に神様の事を思います。
「神様に好かれるにはどうしたらいいだろう?」
「今この場面で、何をしたらいいだろう?何を言えばいいだろう?」
「こんな事をしちゃってもいいだろうか?」など。
すべての判断基準が
「これは神様が喜ばれる事かそうでないか」
になってきます。

このように神様を思う心とそうでない心の違いは、
生きているか死んでいるか、ぐらいの違いがあるそうです。

預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)はおっしゃいました。
「アッラーを思う心とそうでない心の違いは、生きているか死んでいるかである。」

神様を常に思っている心は生きていて、
神様を思っていない心は死んでいる。
たとえ体は実際に歩いたり、働いたり、食べたり、息を吸ったり吐いたりしているけれど
心は死んでいるも同然だ、ということです。

どんなものでも 死んでいるものというのは、呼吸をしていませんね。
死んでいる心、つまり"呼吸をしていない心"を持っているということは
かなり息苦しい感じがしませんか。




人間は大きく分けて3つの部分からなっているそうです。
肉体
頭脳

良い人生を送りたいのであれば、これら3つのすべてのニーズを(均等に)叶えてあげる事が大事です。

まずは肉体。
現代の日本では、誰もがしっかりと肉体の要求に応えていると思います。
どんな物を食べればいいのか。
睡眠はどのくらいとればいいのか。
運動はどんなものをどのくらいすればいいのか、
化粧品はどれがいいのか、
このサプリはいいのか、悪いのか。
あの健康食品は本当に効くのか。
巷には、いろいろな情報が飛び交っていますね。
みんな自分の体に関心があり
しっかりと労ってあげているのではないか、と思います。

続いて、頭脳のニーズ。
あれが知りたい、これが知りたい!
という思い 誰でもありますよね。
ハウツー本が多く出回っているということは、
それだけみんな、知りたい事がいっぱいで、それをちゃんと充しているのだと思います。

では、心のニーズはどうしているでしょうか。
上記二つの要求には、しっかりと(必要以上に)答えている私たちですが、
もう一つの”心”という大事な部分の要求には、ちゃんと答えていないのではないかと思います。

心も体と同じように、健康管理が必要です。
心にも、必要な栄養や酸素を与えてあげなくてはなりません。
でなければ、心なんて簡単に死んでしまいますからね。

心の酸素、そして栄養とは一体何なのでしょうか。

神様はクルアーンの中で、その答えを教えてくださっています。

『信仰する者(つまりアッラー以外に神様はいない事を認めた人)たちは、アッラーを思って心に平安を得る。
 アッラーを思うことにより、心に平安が得られないわけがないのである。』
 (クルアーン13:28)

神様を念ずること、
神様の事を思うこと、
神様の喜びを得ようとすること、
神様が命じた事を無条件で行うこと、
神様が禁じた事を直ちに止めること、
このような行いをすることが、心に平安をもたらしてくれるそうです。

その反対に、敢えて神様の事を念じない者の心には、
悪魔が住み着いてしまいます。

『慈悲深きお方の訓戒に目をつぶる者には(故意に念ずることを避ける者)には、
 我は悪魔を振り当てる。
 それは彼にとり 離れ難い友となるであろう。
 こうして(悪魔は)正しい道から彼らを遠ざける。
 しかも彼らは、自分は正しく導かれていると思い込んでいる。』

 (クルアーン43:36~37)

悪魔が離れ難い友達にならないように、
心をどのようにきれいにしていけばいいのか、、
どうきれいに保てばいいのか、、、

それは、、、来週に続きます!!

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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やっぱりアッラー以外に神はなし

2018-01-19 06:47:35 | 宗教

神様が私たちに命じられたことは、私たちにとって良いこと。
そして禁じられたことは、私たちにとって悪いことである。

というところで先週は終わりました。



こんにちは ファーティマ松本です。

この世の中で、「幸せになりたくない!」と思っている人はいないと思います。
お金持ちも、そうでない人も。
有名な人も、そうでない人も。
特別な宗教を持っている人も、そうでない人も。
男も女も、子供も老人も。
みんながみんな、「幸せになりたい!」と心の中で思って生きていると思います。
それは日本国内だけでなく、全世界共通のものですね。

なんで生きているんだ?
という質問に
「幸せになるため」と答える人も多いのではないでしょうか。

しかしその「幸せになる」という共通の目標を持ちながらも
人々は全く違った方法を試しながら生きています。

お金があれば幸せになれると思う人もいます。
有名になれば、、、
好きな人と結婚できれば、、、、、
子供ができれば、、、
好きな仕事が見つかれば、、、

私たちは幸せになるために”色々な条件”をつけて、それを目標にして頑張ります。
しかし、、、
実際世の中には
お金が使えないほどあるのに、、、
世界中の誰もが知っているほど有名であるのに、、、
好きな仕事をしているはずなのに、、
子供もいて、素敵な結婚相手もいるのに、、、
世界中の誰もが憧れるような生活を送っているはずなのに、、、
自ら命を絶ってしまう人がいます。
自殺にまでいかなくても、薬無しでは眠れないという人も多そうです。

つまり上記の条件は、
「幸せ」になるためになくてはならないもの、
ではなかったということです。

預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)は仰いました。

「もしこの世を第一とするのであれば(つまりお金や知名度、権力を得ようとしたり、周りの人の評判を気にしたりすると)
 アッラーはその人の目の前に”貧困”を置くであろう。」

貧困とは、”何かがものすごく足りない”ということです。
それは、お金かもしれませんが、それだけではありません。
愛情、、 かもしれません。
人生の目的、、 かもしれません。
満足感、、 かもしれません。
なにしろ 何かが、、、、ものすごーく足りていない状態です。
それが、現世(この世)を第一として生きている人の特徴です。

預言者ムハンマドさん(平安あれ)は、またこのようにもおっしゃっています。

「来世を重視する者(つまりアッラーのもとに帰ろうとする者)には、アッラーがその者の心に満足感を授けるであろう。
 そしてこの世と来世の両方をお与えになるであろう。」

神様もクルアーンの中で、私たちにこのような約束をしてくれています。

『誰でも善い行いをし(真の)信者ならば、女でも男でも、我は必ず幸せな生活を送らせるであろう。』
(クルアーン 16:97)

違う箇所でもこのようにおっしゃっています。

『善行をする者には現世で良いことがあり、来世の住まいはさらに善い。
 本当に主を恐れる者の住まいのなんと幸せであることよ。』
(クルアーン 16:30)


神様は、良い行いをする信者を来世においては、天国へ入れてくれます。
天国では、完璧に満足のいく生活がおくれます。
100%幸せになれることが保証されています。

そして神様のすごいところは、来世だけでなく、今生きているこの世においても
幸せな生活を送らせてくれる!こと。

幸せな生活、、
それは世間の人が「アーうらやましいなあ」と憧れるようなものではないかもしれません。
はたから見たら、別に”幸せそうに”は見えないかもしれません。
平均並み以下の生活かもしれません。
でも、、
来世を重視して、神様に会える日を楽しみにする人たちには
神様は”満足感”を与えてくれるのです。

”満足感” もうこれで十分だ!という感覚ですね。


最近は常に上にいくよう努力をすることが大事である、といった風潮が強いような気がします。
100万円稼げるようになったら、次は500万円稼げるようになろう。
一千万円稼げるようになったら、次は一億だ!というように。

常に向上しようとするのはとてもいいことですが、一体いつになったら
「これで十分だ」と思うことができるのでしょう?

昔、イスラム教徒の学者さんがこのようにおっしゃったそうです。
「もし我々の心がいかに平安に満ち溢れているかを、世の支配者が知ったならば
 どんな方法を持ってしても、それを取り上げようとするだろう。」

真の信者の心は、平安と満足感で満ち溢れています。
それは神様がその人たちに贈られた贈り物。
その贈り物のおかげで”幸せを感じ
「あーもうこれで十分だあ」と思える生活を送れるようになるのです。


さあ、神様は善い行いをする者には
来世と現世の両方をお与えになってくれるとおっしゃいました。
ならば、この際思いっきりその特典を利用して
現世では、良い人生を送らせてもらって、
来世(死んでから)は、天国という素晴らしいところへ入れてもらおうではありませんか!
これこそまさしくWinWin状態。
いいことしかありません。

その状態に持っていくにはまず、
心に真の主(アッラー)を受け入れ、その主が命ずることをし、禁じることをしない、という態度が大事ですね。

つまり、真の意味で「アッラー以外に神はなし」と覚悟を決めることです。
この言葉は言うのは易しいのですが、実際にそれを信条に生きていくのはそんなに簡単なことではありません。
何しろこの言葉「アッラー以外に神はなし」の意味するところは、、、、

「アッラー以外に、自分の心を捧げるものはありません。
 アッラー以外に、私が拝めるものはありません。
 アッラー以外の他の何ものにも、私の心を占領させません。
 アッラーが私の心の中で、何よりも一番大事です。」

といった、深い意味があるからなんですね。

来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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全てが私たちのために

2018-01-14 12:29:59 | 宗教

アッラーを主として心の中に受け入れると
他の間違った”主”から解放されて
自由になることができる、
というところで先週は終わりました。




こんにちは ファーティマ松本です。

イスラム教って聞くと、なんだかいろいろな決まりがあって
すっごいめんどくさそう!とか
あれダメ、これダメで スッゲエかっわいそう!
とかって、思っている人 多いと思います。

ところが、、、、
実は、
イスラム教というのは、私たちを自由にするためにあるものなんですねえ。
ちょっと意外な感じがするでしょうが、本当なんです。

私たちは今も昔も、いろいろなことに囚われて生きてきました。
それは自分が住む地域の慣習であったり、
風習であったり、
価値観であったり、
または、宗教であったり。



イスラム教が生まれる以前のアラビア半島は、とてもひどい状態だったみたいですよ。
完璧な”無知社会”。
何が良くて、何が悪いのか分からない人たちの集まり。
女の人たちに人権などなく、
女の子が産まれると、恥とされ 生きたまま土に埋められるような社会でした。
人々は自らの手で作った たくさんの偶像を拝めていました。
そして酒を飲んでは、歓楽にふけっていました。
部族間での争いが絶えない社会でした。

そこへ
神様から、イスラム教という教えが下ったわけです。
そのおかげで、女性には完璧な人権が与えられました。
遺産の相続が認められ、自分の財産を所有することができるようになり、
女性を大切に扱うことが”美徳”であると教えられました。
そして、神の御前においては、男も女も同一であると知らされました。

人々は偶像を崇拝することをやめ、
自分の部族のために命をかけなくなりました。
お酒を飲み、歓楽にふけることが禁止されました。

人々は自分達の生活を縛って、苦しめていたことから解放されたのです。
イスラム教のおかげで、自由になったのです。


これは、現代に住む私たちにも当てはまることだと思います。
私たちも知らぬ間に、いろいろなことに囚われて窮屈になっているのではないでしょうか。
「こうあるべき、あああるべき」といった社会の価値観や親からの期待感。
特に最近では、「成功」または「成幸」などと
お金持ちになることや、有名になることに重点が置かれているような気がします。
そのことによって、苦しんでいる人は多いのではないでしょうか?

世界中の全ての人は「幸せに」なることを望んでいるはずです。
にもかかわらず、そうなれないのは、心に間違った主を入れて
それを拝んでいるからです。
その主のために、何でもしようとするからです。

間違った主は多くの場合、私たちにとって良くないことを命じます。

人気が出るためならと、恥知らずなことを人前でさせたり、
お金を得るためならと、必要以上に働いて大切な家族との時間を持てなくさせたり
周囲の賞賛を得るためなら(インスタでいいねをもらうためなら)と、
無駄なお金や時間をつぎ込んだり、
自分の欲求を満たすためならと、動物と対して差のない生活を送らせたり。

しかし、
本当の主である神様が、私たちに命じることは私たちにとって”良いこと”しかありません。
そして私たちに禁じることは、私たちにとって”悪いこと”でしかないのです。

例えば
お酒を飲むな、と神様は私たちに禁止されました。
お酒には良いこともあるけれど、悪いことの方が大きいからです。

 『それらは大きな罪であるが、人間のために(多少の)利益のある。
  だがその罪は益よりも大である。』
  (クルアーン 2:219)

また、男女の婚外交渉を禁止されました。

今日彼氏彼女がいることは、全く”当たり前”のことにことになってしまいました。
”当たり前”というよりも、どちらかというと推奨されているくらいの感じです。
「お隣の何々ちゃんにはいるのに、なんであんたには彼氏の一人もいないの?」
「クラスで彼氏(または彼女)がいないのって、あんた位なんじゃないの?」
なーんて、親に言われたことがある人はいませんか?
私はありますよ!
随分と昔の頃のことですが、、、、。
私が若かった頃からそうだったのですから、今なんて、、
、、、きっともっとうるさいんでしょうねえ。

不倫も日本は多いですね。
なんだかどこかのサイトを使えば、簡単に相手が見つかるようになっているそうで、、、
びっくりしましたあ。


不倫をしている人に
「あなたは幸せですか?」と聞いたら
「はい、とても幸せです!」と答えると思いますか。
決してそんなことはないと思います。

本当に幸せになりたいのであったら、自分の伴侶そして子供、
つまり家族と仲良く暮らすことが一番だと思います。

イスラム教では、
何よりも”家族”を大事にすることが教えられています。
そうすることで、私たちが真に幸せになれることを
神様は知っているからなんですね。

神様は私たちに、幸せになってもらいたいのです。
人間として崇高な人生を歩んでもらいたいのです。
そのためにたくさんのことが推奨され、そして禁じられているわけです。
全ては、私たちのためにあるものばかりなんです。


大事なことは
私たちがその全てのことを守っても、または無視しても
神様にとっては、何の益にもならないし、また損失にもならない、ということ。
神様はそんなことから超越していらっしゃるのです。

全ては私たちのためにある決まり。
私たちが、この現世を幸せに生きて行くためのガイドラインとして
下されたものなのばかりです。

さあて、
来週からやっとこさ
この現世をどうやって歩いていけばいいのか、といった”本題”に入ろうかと思います。
今生きている”この世”をどう過ごせばいいのか、
この世をどう認識すればいいのか、
といったことを書いていきたいと思います。



今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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本当の主

2018-01-05 06:24:46 | 宗教

心の汚れを取るためには、まずは間違った主を追い払わなければならない。
そして、新しい主を心に入れる。
新しい主は、仮のもの、弱いものではなく、
頼りになって、永遠に続くものであるべき。

というところで先週は終わりました。




こんにちは ファーティマ松本です。

2018年になりました!
この一年が、読者のみなさまにとって実り多い一年でありますように。
神様からの祝福とお導き、そしてお許しがありますように、アーミーン。

さあて、今年こそは
心の中から”偽物の主”を追い出して
本当の”主”を心に入れましょう!
本当の主、それはアッラー(神様)のことですね。

神様とは、いつかいなくなったりするような”仮”の存在ではありません。
誰が死んでも、どこかの国が滅びても、地球上のすべての生物が絶滅しても、
神様だけは、ずーっと変わらずに生き続けています。

そしてなーんでも知っていて、なーんでもできるお方です。
できないことなんて何もないし、この地球上のすべてのことをよーーく知っていらっしゃいます。
どんな葉っぱも、神様の知らないところで落ちる葉っぱはありません。
誰が今日産まれ、誰が明日死ぬのか、
神様が知らないことは、何一つありません。

そして神様というのは、信じられないくらい優しいお方です。
想像もできないくらい深ーい愛情の持ち主です。
で、どのくらいの愛情があるのか、、、と言うと。

最後の預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)がこのようにおっしゃいました。

「アッラーは、私たちが自分自身を思う以上に、私たちのことを思っている。」
また
「アッラーはご自分の慈悲を100個に分け、
その内の一つ(つまり100分の1)を現世用にした。
その100分の1の慈悲のおかげで、地球上に住む”すべての”動物や人間が
他を思い愛情を持つことができる。
残りの99のご慈悲は、最後の審判の日用とされた。」

とにかく、神様が私たちを思う気持ちと愛情は、親が子供を思う愛情とも比べられ位ないのです!

また神様は寛大で、私たちが必要とするすべての物、そしてそれ以上の物を与えてくれます。
どんなに私たちが正しい道から離れてしまっても、すぐに懲罰を与えたりはしません。
相変わらず必要以上のものを与え続けてくれます。
酸素を吸い続け、水を飲み続け、食べ物を食べ続けるようにしてくれています。

悪いことをし続けていたとしても、
忍耐強く、正しい道へと導いてくれるお方です。

そして死んだ後には、ご自分が創った天国へ入れてくださるお方です。


そのような神様を”主”として、心の中に入れると
必ず心が安泰になります。
安心でいられます。
どんな状態にも、満足を得ることができるようになります。

なんといったって、最強かつ最も慈悲深いお方がいつも一緒にいてくれるのですから、
こんなに心強いことはありません。
怖いものなどあるわけがないのです。
困ったことがあったら、いつだって助けを求めることができます。
神様は、私たちが想像もしないような方法で助けてくれます。
週末だろうと、深夜だろうと、いつだって見守ってくれています。
いつだって助けの手を出してくれます。

神様以外にそんなことができる人がいるでしょうか、物があるでしょうか。

神様以外の全てのものや人は、必ずいつかなくなってしまいます。
どんなに大事にしていても、物は古くなったり、壊れたり、失くなったりします。
人の心も、心変わりをする時がやってきます。
大事な人とも、いつか必ずお別れの時がやってきます。
必ず、、です。

大事な物や人を失くした時、それらを”主”としていた人の心は、大変な苦痛でしょう。
だって、心が空っぽになってしまうのですから。

「最近なんだかむなしくて、、、」という言葉を聞いたことはありませんか?
「虚しい(空しい)」というのは、心が空っぽになってしまった、ということです。

常に変わる物、いつか失くなってしまうもの、、、、
それらを”主”として、心に入れてしまうと、いつの日がそれらを失い
心が空っぽになってしまうのです。

心に入れるべき本当の”主”は、アッラー(神様)のみ。
常に思うのは、本当の”主”、アッラーの事。

あるべき姿は、
アッラー(神様)が主で、私たち人間は、僕(しもべ)という状態。
この状態が人間にとって、最善かつ自然のかたちだと思います。

僕って聞くと、なーーんかいやな感じがしますか?
でも実際に、私たちの多くは、いろいろな ”物、事、そして人” に対して”僕”状態でいるわけです。
先週もそして先々週も、かなりうるさく言ってきました。
心で常に思っているものに心が支配され、そのもののためには”何でもやる”
何でもやるのは、奴隷、まさしく僕(しもべ)である証拠です。
間違った主に対しては、平気で僕になっているんです。
正しい主に対してこそ、僕になろうではありませんか。




イスラム教というのは、面白いことに
私たちの心を、そのような間違った主から解放してくれます。
間違った主、それは
周りの人の評価、お金、美、知名度、地位、仕事、子供、好きな人の気持ち
または、自分自身の欲求というのもありますね。
自分の欲求を満たすためには、何でもやる!といった生活を送っている人は
結構多いのではないでしょうか。

自分の欲求を主として、それを満たすためなら何でもやるというのは、
動物の生活と大した違いはありません。




でも、、、
神様を主として、心の中に受け入れると
それらの事にもう振り回されることがなくなるのです。
それらの事から、すっきりと自由になることができるのです。
神様の僕(しもべ)になると、他のことの僕でなくてよくなるのです。
完璧に解放されます。



来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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