神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

神様に祈るとは?

2020-05-04 02:29:48 | イスラム教
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願いは必ず叶うんだ、ということを前回は
書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。

先週は「どんなお願いでも叶うんだ」ということを書きました。
しかし、よくよく考えてみたら、、、、
決して”今生きている間に”100%叶うわけではありませんから、
正しくは、こう書くべきだったかもしれません。
「神様はどんな願いにも応えて下さる。」

その証拠にクルアーンの中で、神様ご自身がこのようにおっしゃっています。
「我について僕(しもべ)達があなた(預言者ムハンマドさん:平安あれ)に問うとき
 (このように言いなさい)
 我は本当に、僕(しもべ)達の近くにいる。
 彼が我に祈るとき、その懇願の祈りに応えるだろう。」(クルアーン2:186)

私たち一人、一人の願いをお聞きになって、それから私たちにとってベストなものをお与え下さる。
神様は、私たちの願いにそう応えてくれているんですね。

なーんて、ことを書いたりすると
「けっ!そんなのキレイごとじゃないか!」
と思ってしまう人も多いかもしれません。

何しろ、世界の至る所では、拷問だの迫害だの殺害だのと、いろいろと悲惨なことが起きています。
子供が急にいなくなってしまったという親御さんたちも、悲しいことにたくさんいることでしょう。
そんな世の中で、
「願いが叶う?神様が聞いてくれる?イヤイヤ、そんなことないでしょう。」と
思ってしまうのは、もう当然のことです。
しかし、、
神様はやはり、なんでも見ていてくれています。
それプラス、、、
悪い事、不正なことは大嫌いです。

この世は、本当に不正ばかりで、不公平極まりませんが、
この世の不公平は、来世で必ず是正されます。
迫害を受けた人たちは、その悲しみ、辛さを来世でちゃんと何倍にもして返してもらえるんです。
神様はちゃんと見ています。
だから、どんなに絶望的に見える状況でも
神様への直接談判(ドゥアー)を諦めずに続けましょう!
現世で叶わなかったとしても、来世で(最後の審判の日に)必ずお願いをしておいて良かったと
思えるはずです。

とは、言いながらも
今現在、辛い思いをしている人たちが1日も早く、胸をなで下ろされる日が来ることを切に祈りたいと思います。


さて、
今週は、神様にお願いすること(ドゥアー)が、崇拝の本髄である、というお話です。
崇拝をするために人間は創造されたことを覚えていらっしゃいますか。
つまり、
私たちの人生の目的は、神様を崇拝すること。
そして、それ(崇拝)をしないことは、かなりマズイことです。
神様もこうおっしゃっています。

『我に祈りなさい。我はあなた方の祈りに答えるであろう。
 だが、我を崇拝するのに高慢なものたちは、必ず面目つぶれの中に地獄に陥るであろう。』
(クルアーン 40:60)

お願いをしない人(崇拝をしない人)を、神様はあまりお好きではないようです。
好きでないならまだしも、そのうちにお怒りになってしまいます。
なぜなら、人間がするべきである”崇拝=ドゥアー”しないから。
ドゥアーはやっぱり大事です。

では
神様にお願いをするとは、一体どういうことか?
なぜ本髄であるのかについて考えてみましょう。


神様にお願いをするには、まずは、
神様がいる、神様がちゃんと存在をしているんだ、と信じることができている。
(神を崇拝する基本的な第一歩)

続いて、
その神様は、なんでもできることを知っている、又は信じている。
(神の偉大性を確信:崇拝で大切な事)

その3
自分は、神様のお助けがなければ何もできないんだ、自分の神の前での低さを表明している。
(神の御前で謙虚:崇拝で必要な事)
プラス、
神様へお願いをするということは、他にも
神様は全てをコントロールされている。
神様が全てのものに必要なものをお与えになっている。
自分はちっぽけな存在であることを認めている、等々。

このように、ドゥアーの中には、
たくさんの崇拝のエッセンスが含まれています。

預言者ムンマドさん(彼の上に平安あれ)もこのようにおっしゃっています。
「最も優れている崇拝はドゥアーである。」

来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
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願いは必ず叶う

2020-05-03 07:07:18 | イスラム教
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神様はシャイである。
ドゥアーは崇拝の真髄である。
ということを前回書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。


さて、神様への直接談判(ドゥアー)についてです。

『我に祈りなさい。我はあなた方の祈りに答えるであろう。』
(クルアーン 40:60)
と、クルアーンにも書いてある通り、神様は私たちの願いを叶えて下さる存在です。

どーんなことでも構いません。
どんどんお願いをした方が”絶対に”いいのです。

なぜなら、
本当に『お願いが叶ってしまうから』
なのですが、
「いやいや、そーんなの嘘でしょう。」
って思われる方も多いと思います。
「いっぱいお願いしたけど、一度も叶ったことなんてないよ。」
という人もたくさんいるのではないでしょうか。
でも、
神様は上記のように、「祈りに応える」とおっしゃってくれているんですから、
何かしらの方法で、ちゃんと願いを叶えてくださっているはずなんです。

では「どうやって私たちの願いが叶えられるのか」
について今回は少し考えてみたいと思います。

まず最初に、第一のパターン!
これ、一番わかりやすいパターンです。
「すぐに願った通りになる!!」
これいいですよねえ。分かりやすいし。

この間、うちの末っ子が
「隣の子が意地悪だから席をかわりたい」と神様にお願いしたら
なんと!次の日にはその願いが叶っていました!(パチパチ)
これは、もう分かりやすいから有り難みもマックスかもしれませんよねえ。
娘も私も大喜びでした!

第2のパターン!
「願ったものが、暫くしてから叶う!」
これは、ちょっと辛抱が必要ですね。
でも神様は、私たちにとって”一番いいものを一番いい時に”与えて下さいます。
だから、願ったものが今、この時に叶わなかったとしたら、
それは、まだその時ではない、と思うといいかもですね。
今はちょっと耐えて、明るい未来を待ちましょう。

第3のパターン!
「願ったものは叶わないけども、代わりに悪運を取り除いてくれる!」
これは、かなり実感しにくいものですが、ちょっと考えるとすごい事です。
なぜなら、
私たちが願うものの全てが、私たちにとって良いとは限りません。
例えば、
芸人のなんとかさんと結婚したい!と切に願ったとして
それが本当に、その人にとって良いことかどうか?
お金が欲しい!と多くの人は切実に思いますけども、
大金を得ることが本当にその人にとって良いことかどうか?
神様は、いくら私たちが欲しようが、
私たちにとって悪いもの、又は私たちを地獄へと近づけるものをお与えにはなりません。
(優しい神様ですからね。)
ですから、そんなものを与える代わりに
私たちに身に起きたであろう悪い出来事を、それが起きる前に消し去ってくれるのです。
例えば、そこで転んで怪我をする運命であったけど、転ばずに普通に家に帰れたとか。
病気になる運命だったけど、元気でピンピンしているとか。
ただ、これって
最初の運命を知らない私たちにとっては、あまりよく分からないから実感しずらいし、
感謝もしにくいですよね。
「あー、私は本当はここで怪我をするはずだったけど、しないで済んだ。有難い!」って
思う人なんて絶対にいませんもん。

でも実際は、いろいろな所で助けられて生きているんですよね、私たちって。
だから、常に神様に感謝をしながら生きていかないといけないなって思っちゃいますよね。
私なんか、今思うと”オッソロシイ事”結構やっていたような気がするんです。
よく無事で、この歳までやってこられたと思う次第でございます。(汗)

家に無事に帰れたら、感謝!
家族が全員帰ってこられたら、感謝!
食べ物あって、寝る所あって、感謝感謝、本当に感謝です。

さあて、最後のパターンにいきましょう!
これもかなりパワフルです。
私たちがお願いをしても、
すぐにも後にも叶わなかったとしましょう。
代わりに悪運も消えなかったとしましょう。
そんな時
「お祈りしただけ損した。」
なーーんて思わないでください。
なぜなら、そんなお願いは最後の審判の日に
「善行」となって私たちの所へやってきてくれるからです。
それも、何倍にも大きくなってですよ!
その時、(死んでからになってしまいますが)
「あー、お願いしておいて良かった!」って思う事必至。
いやいや、その時はきっと
「もっとお願いしておけば良かったなあ。」って後悔してしまうかもしれません。
その時に後悔しないように、
生きている間にたくさん神様にお願いをしましょう。

神様にお願いすること(ドゥアー)は
なんと言ったって”崇拝の本髄”であるわけですから。

それでは、なぜ
ドゥアーが”崇拝の本髄”になるのか?
本当は今週に書きたかったのですが、
書ききれませんでしたので、来週に続きます。

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シャイな神様

2020-05-02 08:40:38 | イスラム教
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願いを叶える方法で一番いいのは、
神様に直接お願いをすること。
なぜなら、神様は必ず私たちの願いを叶えてくれるから。
ということを前回は書いてみました。


こんにちは ファーティマ松本です。

『我に祈りなさい。我はあなた方の祈りに答えるであろう。』
(クルアーン 40:60)

と、神様はこのようにクルアーンの中でおっしゃっています。

そして預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)はそんな神様についてこのように
おっしゃいました。
「本当に、あなた方の主はshyで太っ腹であられる。」

shy?
恥ずかしがり屋さんという意味ですよねー?
神様が恥ずかしがり屋さん、なんてちょっとびっくりではありませんか?
これ、どういう意味かと言うと
預言者さん(平安あれ)はこう続けています。
「私たちが手を上げて願うとき、(アッラーは)その手が空っぽのまま元に戻ることについて恥ずかしがる。」
ということらしいです。


そういえば、、、、、
昔、昔、私が小さかった頃
近所にいつもお菓子をくれるおばさんがいました。
会うと必ず「あっ、ちょっと待ってて」と何かしらのお菓子をくれたものです。(懐かしい!)
私が相当可愛かったのか、または相当腹をすかしているように見えたのか、
それは分かりませんが、、、(多分前者)
私はとにかくこのおばさんは”必ずお菓子をくれるんだ”と信じていました。

ある日のこと。
友達と一緒に遊んでいた私は、小腹がすいてきたのでその友達と一緒におばさんの
家に行くことにしました。
そして「なんかお菓子ちょうだい」と恥ずかしげもなく言ったのであります!!
おばさんはもちろん「ちょっと待っててね」といつものようにお菓子をたくさんくれました。
(迷惑なヤツ!)
この時おばさんは、わざわざ(!?)家まで来た私に、もしお菓子を与えなかったとしたら
「アーア、可哀想なことをしちゃった」ってきっと思うでしょうねえ。
(勝手に来た私がただ図々しいだけなんだけどさ)

神様もこのように、思われるのかもしれませんね。
私たちがたっくさんのお願いをしているのに、「それを叶えないなんて、恥ずかしい」と。
何しろ神様は、私たちのどんな願いも叶えることが出来るお方ですから。
出来るのにやらない、与えないのは優しい神様の意に沿わないことなのでしょう。

どれだけ神様が私たちの願いを叶えることができるか、、、ご存知でしょうか?
それは
「最初の人間から最後の人間まで、
 最初のジンから最後のジンまで
 全ての者が一同にそして同時に
 思い浮かぶ全ての願いを願ったとしても
 (神様は)そのもの達全員の願いをぜーんぶ一つ残らず叶えることが出来る。
 そしてそれを行うことにより、減るものなど少しもない。」
そうです。

”神様はなんでも出来る”
”神様は太っ腹(寛大)である。”
”願いを叶えてあげたい(慈悲深い)”
ということを頭において、
さて、
次に行きたいと思います。

神様に直接お願いをすることをドゥアーと言います。
このドゥアーというのは、単にお願い事をする、といったものではなく
非常に重要な意味がそこに含まれています。

預言者さん(平安あれ)はこうおっしゃいました。
「ドゥアーは崇拝の本質(または本髄)である。」

随分と前になりますが、
「どうして神様は人間を創ったのか、人間創造の目的とは何か」と
いったことを書きました。(壮大なスケールの記事だったなあ)

その時の答えは確か
「神様を崇拝するために、人間は創られた。」と書いたと思います。

その崇拝の本質(本髄)に当たるのが、このドゥアーというわけです。

では、
どうしてドゥアーってそんなにすごいんだ?
なんで本髄とまで言われるんだ?
ということについては
次回に続かせていただきます。


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ラマダーン!

2020-05-02 03:22:57 | イスラム教
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さーて、今年もやってきました、ラマダーン!

ラマダーンはイスラムの暦で9月に当たる月です。
日本の暦にも、昔は名前がついていましたよね。
睦月とか、弥生とか、水無月とか、、。

イスラム暦にも、ちゃーんと全ての月に名前がついているんですね。



こんにちは ファーティマ松本です。

さて、今回はなぜラマダン月にモスリムは断食をするのか、
について書いてみたいと思います。

まず最初に「ラマダーン月 イコール 断食月」と思われていますが、
実は「ラマダーン月 イコール クルアーンの月」
なんですねえ。

クルアーンの中で、神様はこのようにおっしゃっています。

『ラマダーンの月こそは、人類の導きと(正悪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。』
(クルアーン:2-185)

神様は預言者さん(平安あれ)に、クルアーンの最初の一章を
この”ラマダーン月”に送ったのです。

神様から人間へのメッセージが、
千年以上前の ”とあるラマダーン” にスタートしたわけです。
そのことに対して 私たちは
「やったー!うれしい!ありがたい!」といった気持ちと、そして
そのクルアーンが下ったことをお祝いする、
そーんな感覚でラマダーン月というのを認識した方がいいでしょう。

ですから、この一ヶ月はただ断食をするだけでなく、
クルアーンをたくさん読むことも とても大切です。
一ヶ月の間に、最低でも一冊 最初のページから最後のページまでを読むのがいいと言われています。




さて、断食についてです。

どうして、断食をするのか。
理由はきっとたっくさんあるのでしょうが、
今日はその中の2つだけを、お伝えしたいと思います。


クルアーンの中で、神様はこうおっしゃっています。

『信仰するものよ、あなた方以前の者に定められたように あなた方に斎戒が定められた。
 おそらくあなた方はタクワを得るであろう。』
(クルアーン:2-183)

タクワを得る?
なんのこっちゃ?と思いますよねえ。
このタクワという言葉、クルアーンの中でもしょっちゅう出てくるし、
プラス
天国に入る人の特徴が、この、、、、タクワの持ち主らしいですよ。
それプラス
神様ご自身が、タクワの持ち主を「すごくえらい!」とみなしてくれているらしいです。

『アッラーの御許で最も貴いものは、あなた方のうち最もタクワに優れている者である。』
(クルアーン:49-13)
  
では、いったいそのタクワとは、なんじゃらほい?というわけですが、


タクワとは、、、

「神様の怒りと自分自身の間にバリアを置く」

といったものだそうです。
ちょっと分かりづらいですよね。

つまり、、、

神様に怒られることを畏れ、神様が「これこれはやっちゃダメだよ」と言ったことはやらない、
ということです。


そしてタクワはまた、

「常に神様のことを考えている」

という意味でもあります。

常に頭の中に神様がいるわけですから、悪いことはもちろんしないし、
それだけでなく、良いことをしよう!とも思うわけです。


つまりタクワとは「神様からの懲罰を畏れるがため、悪いことをしないし、良いことをする」
といったものですねえ。

ではそのタクワが、断食とどう関係があるのかと言うと、、、


断食をすると、当たり前でありますが、、、、
お腹が空くわけですよ。
喉も渇きますしねえ。

そんな時、、
「あーー、食べちゃおうかなあ」とか「あーーお水飲んじゃおうかなあ」
なんて思うかもしれません。

でも、、、
「あーダメだ、ダメだ。誰も見ていないけど神様が見てるじゃん。」
と言って、頑張るというのは、、、
神様のことが頭に入っているからできる凄技(すごわざ)です。

これを毎日、毎日30日間もやってるんですよ。
30日間も
「腹減ったあ」「あーでも神様が、、」
「のど乾いたあ」「アーでも神様が、、」
とやっていれは、嫌だってタクワの人になっちゃいますよ。

だから、私たちをタクワの人にするために、この断食というものがあるんですね。
タクワの人であれば、天国へ入れる可能性はとても高くなります。
ラマダーン月に断食をすることによって、神様は天国への道を容易にしてくれているわけです。


確かに
神様はクルアーンの中で、このようにおっしゃっています。

『アッラーはあなた方に易きを求め、困難を求められない。』
(クルアーン2:185)

一ヶ月も続く断食は、ちょっと辛いですが、そのおかげで天国への道が楽になるのです。
神様は私たちに易きを求め、別に困難を求めているわけではありません。 


実際、、、
多くの人は断食イコール異常なる困難、と思っているかもしれません。
しかし、実はそーーんなにびっくりするほどのことではないんです。

それは多分に、神様が私たちのために ”何か” をしてくれているからかもしれません。
私たち人間には分からない ”何か” をしてくれているおかげで
普段だったらできないような一ヶ月もの断食が、結構簡単にできてしまうのかもしれませんよ。
ラマダーン月の不思議な力です。

本当に、
神様は私たちに「易きを求め困難を求められない」というわけです。



続いて、、
なぜラマダーン月に断食をするか、第2の理由!

それは、
人間には、3つの欲望があるようです。

第一に 体の欲望。
これは、食欲とか性欲などですね。
基本的な欲求でしょう。

第2に 知的欲望。
あれが知りたい!これが知りたい!といった欲求です。

第3が 精神的欲望。
スピリチュアルな欲求。
何か目に見えないものを信じたい、といった感じの欲望でしょうか。

普段、私たちは”体の欲望”には、
忠実すぎるほど忠実に、その欲求を満たしていると思います。

しかし、、
食欲、性欲といった基本的な欲求にばかり気持ちが入っていると、どうしても
他の欲求は二の次三の次になってしまいます、当たり前ですが、、、。

しかし、、
断食をして、第一の体の欲求を極力抑えることによって、
他の欲望に、気持ちが移っていきます。

イスラム教徒が断食をするのは、それが神様からの命令でやっているわけですから
第2の欲望を通り越して(!?)
第3の欲望、精神的な欲望に自然と気持ちが入っていきます。

精神的欲望、それはイスラム教徒にとっては、
神様との距離がもっともっと近くなりたい、と思う気持ち。
そして神様に今までの罪を許してもらって、
天国へ入れてもらいたい、といった気持ち。

ラマダーン月以外でも、常にこのような気持ちをもっていることは大切ですが、
実際はなかなか難しい。
しかし、このラマダーン月は断食をしているおかげで、強烈にこの気持ちを持つことができるわけです。
これも「タクワ」に通じる精神状態ですね。

これらがラマダーン月に断食をするメリットの、ほんの一部分です。

他にもメリットはたくさんあります。
自己鍛錬になる、とか。
貧しい人の気持ちが分かるようになる、とか。
体のデトックスになるとか、、、。
いっぱい、いっぱいあります。

でもやはりキーワードは、、、タクワでしょう。
ラマダーン月は、神様からのタクワというプレゼントを受け取る月なのです。

もちろん!
タクワを得られるようになるだけではありません。

なんと!
この月は、善行倍率が普段の月よりも多いらしいです。
善行倍率、覚えていますか。
何か良いことをしたら、右肩の天使がそれを記録して、神様がそれを倍増してくれるのでしたよね。
その倍率が、ラマダーン中はすっごい!らしいですよ。

そして、この月はまた「許しの月」でもあります。
神様は、私たちのたくさんの悪行を消し去ってくれます。

善行は増えるし、悪行は減るしで、、、
この月はまさしくゴールデンチャンスの一ヶ月です。

一年に一度しかないこのチャンスを、無にしないように、
たくさんの善行に励まないといけませんね。
私も頑張ります!!(キラッ!)






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信者の武器

2020-05-01 07:31:02 | イスラム教
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ズィクルは信者の砦(守り)である。
そして、信者には武器(攻撃)もある。
ということを前回は書いてみました。


「攻めと守り」という言葉。
ビジネスの世界とか、スポーツの世界で生きている人にとっては
結構身近に感じられる言葉かもしれませんが、私のように
家庭の中にいる主婦にとっては、あんまりぴーんとくる感じはしませんね。
というか、
ダンナさんとの日々の付き合いの中で、
「攻めと守り、使い分けています!」
なーんて言われても、
読書の皆様方にとっては、どうでもいいことでしょうし、、、。

さて、

守りである、ズィクルに関しては何週にも渡って書きましたので、
もうそろそろいいかなあ、といった感じでしょうか。
ですから、
今週からは、信者の武器エリア(攻撃)に突入してみたいと思います。

武器といっても、ちっとも危ないものではないので
老若男女安心してお使いいただけます。
というか、
これ、使わないと神様にあまり喜んでもらえないそうなんです。
逆に言うと、
使えば使うほど、神様に好かれるという素晴らしいものです。
ですので是非、毎日の生活に取り入れてみてください。

で、それは一体何かと申しますと、、

”お願い”(またはお祈り)をすること、、なんですね。

悪魔からの攻撃に身を守るのも大事ですが、もっと積極的に神様に
自分の願いをアピールする。
これが信者にとっての、武器であります。
アラビア語でドゥアーと呼ばれています。

このドゥアーというのが、ズィクル同様に、いゃ〜実に奥が深い!!
一体何週かかってしまうだろうと思ってしまいますが、
ゆっくり進んでいきたいと思います。


ドゥアーとは、簡単に言ってしまえが
天地創造の主、人間と他の諸々のものをお創りになった”なんでもできる神様”に
”お願い”することです。
これこれして欲しいとか
あれが欲しいとか、これがなくなって欲しいとか、、、
私たちの願いというのは、いろいろありますよねえ。

人間というのは、もともと欲深い生き物ですし、
ついつい近視的で、今欲しい、今なんとかして欲しいという思いが
強いのではないでしょうか。

そーんな限りない要求や欲求をどう叶えていけばいいのか?
巷では、ノートに書くだけで願いが叶う、とか
思うだけでいいとか、
いろいろありますが、
私は神様にお願いするっていうのが、一番いいのではないかと思うんです。
だって、
神様ってなーんでもできるお方ですし、
神様自身が、「なんだって叶えてあげるから、言いなさい」っておっしゃってくれているんですから。

『我に祈りなさい。我はあなた方の祈りに答えるであろう。』
(クルアーン 40:60)

そして、その神様は、なーんでもできるだけでなく、
とにかく寛大!
そして、とても慈悲深くいらっしゃるのだから、こーんなに嬉しいことはありません。


しかし、
世の中には、神様にお願いなんてしたことないっ!ていう人たくさんいると思うんです。
でもその人たちの人生をみてみると、結構たくさんの恩恵をもらっている感じがしませんか。
世界中の富と権力を手に入れている人たち、
または、貧しいながらも健康に恵まれて家族と幸せに暮らしている人たち
彼らは、特に神様にお願いなど(多分)しないのに、
それでもたくさんの恩恵を享受しているというのは、どうしてだと思いますか?
それは、
神様が、やっぱり本当にとても慈悲深く、寛大で、優しいお方だから。

なおかつ
イスラム教でいう神様(アッラー)は、決してイスラム教徒だけの神様ではなく、
宇宙を含めたこの世界に生きる全て物の神様だからでしょう。

お願い(お祈り)をしない人にさえ与えられるのですから、
”お願い(お祈り)をする人”に
特別な配慮をされることは、十分にあり得ることです。

ですから、神様にお願いをするときには、
「必ず叶えてくれるんだ」という気持ちでお願いをするのが大事です。

『我に祈りなさい。我はあなた方の祈りに答えるであろう。』
(クルアーン 40:60)

さあて、来週から
神様にお願いをするって、一体どんな意味があるのか、
またその方法、なんかを少しづつ書いていけたらと思います。


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