チャーリー・パーカー「ワン・ナイト・イン・バードランド」
これに似たものを2つ持っている(持っていた)。一つはカルロス・クライバーが指揮した「オテロ」のLP。残念ながらこれは手放してしまったので、持っていた、になる。もう一つはカルロス・クライバーが指揮した「ラ・ボエーム」のDVD。こちらは今でもてもとにある。
おいおい。カルロス・クライバーとチャーリー・パーカー、どこが似てるんだよ、ふざけんなよ、そりゃどっちもすごいけど、全然違うじゃないかよ、何言ってんだ、お前、豚のえさにするぞ、こら、とお怒りの方も数多くいらっしゃることでしょう。しかし、お願いです、ぼくを豚のえさにするのだけは止めて下さい。いや、話はそういうことではなく。
この3つに共通すること、それは音源がとても怪しいということ。「オテロ」は売りっぱなし、再プレスなし、逃げきっちゃうよ、こちとらみたいな販売だったし(おまけにステレオじゃなくてモノ)、「ラ・ボエーム」なんか、あきらかに客席からのホームヴィデオで撮影された映像。
このチャーリー・パーカーの「ワン・ナイト・イン・バードランド」もラジオ放送を個人が録音したのが音源だという。
なぜそんなものが発売されるのか。買う人がいるから。なぜそんなものを買う人がいるのか。それはこうした人たちの演奏は、手に入る限りどんな状態であろうと欲しいと思う人たちが多いからなのだ。
それだけ特別な人たちなのだ。クライバーがまた逃げちゃったという報道を目にするとき、どれだけぼくらは心を痛めたことか。もう絶対ベルリン・フィルは振れないだろうな、惜しいなあ、と極東の高校生たちはいらぬ心配までしていたのだ。
このCD、だから音質はよくない。しかし、このメンバーで、このコンディション。なんの文句があろうことか。
鈴木慶一「ヘイト船長とラヴ航海士」
知ってる、知ってる?
面舵ってさ、ほんとは「卯の舵」だったって。取り舵は酉舵。どっちも十二支で、卯は「東」、酉は「西」を表す。卯の舵一杯左舷停止右舷全速後進、宜候。
なんてね。
で、その「宜候」でこのCDは始まるのであった。
それにしてもこの厚い音のうねりはすごい。このうねりに身を任せつつ、ぼくは航海に出る。1度聴いたときより、2度目に聴いたときの方が楽しめた。そして2度聴いたときよりも3度目の方が楽しめた。
どことなく、プロコルハルムの「A Salty Dog」の匂いを漂わせつつ、ヘイト船長の船は海原を漂っていくのであった。ぼくはその船に乗ってる。浸ってる。変な話だけれど、歌詞がどうのこうのというのは、もっと聴いてからでもいいとさえ思える音の連なり。ちゃんと歌詞カード見ながら聴けば、また違った感興も湧いてくるんじゃないだろうか。でも今はこの音の中に埋もれていたい。
こちらで試聴できます。
ブラームス「ピアノ小品集」 エヴァ・ポブウォッカ
なんだかお酒好きそうな名前だが、ポーランド出身のピアニストである。
一昨年かな、アファナシェフの弾くブラームスの後期ピアノ作品にしみじみしてしまったのだけれど、この演奏もそう。グールドの弾いたブラームスは、へえ!と思ったのだけれど、その一方でアーティキュレーションの面白さに耳を奪われしみじみとはしなかった。
ポブウォッカにはおしつけがましい表情はなく、すごくブラームスを大事に弾いている。
若い頃ブラームスの良さがちょっとよくわからなかった。音楽史とフランス音楽好きで、メインストリームっぽい独墺音楽にはピンと来なかったのだ。年を経るにつれ、だんだんシューベルト、シューマン、ブラームスもいいなあ、などと思えてきたし、マーラーも好きな作曲家になった(ブルックナーの分厚い金管の響きは今でもちょっとアレだけど)。
こういうブラームスもいいなあ、と思えるのが年を重ねたおかげだとするなら、年をとることも悪くない。
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