イエス・キリストの福音をご紹介します。

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これらの最も小さい者

2022-01-14 04:38:54 | 日記
これらの最も小さい者
ボイド・K・パッカー
十二使徒定員会会長代理
 だれであっても普通の末日聖徒が示す信仰の力を過少評価しないようにしましょう。
 1838年に預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示の中に,めったに引用されない末日聖徒へのメッセージがあります。

わたしの僕しもべオリバー・グレインジャーを,わたしは覚えている。見よ,まことに,わたしは彼に言う。彼の名前は代々とこしえにいつまでも,神聖に覚えられるであろう,と主は言う。」(教義と聖約117:12)

オリバー・グレインジャーは,ごく普通の男性でした。しかし「極寒にさらされて視力を失い」(History of the Church,第4巻,408),ほとんど目が見えませんでした。大管長会は彼について「最も高潔で,徳が高く,要するに,神の人である」と記しています(History of the Church,第3巻,350)。

聖徒たちがオハイオ州カートランドから追放され,同じ光景がインディペンデンス,ファーウェスト,ノーブーで繰り返されたとき,オリバーはたとえわずかな金額ででも聖徒たちの財産を売却するために後に残りました。うまく事が運ぶ見込みはあまりなく,実際,芳しい成果は得られませんでした。

しかし,主はこう言われました。「彼はわたしの教会の大管長会の負債償却のために熱心に働きなさい,と主は言う。彼は倒れるとき,再び起き上がるであろう。彼の犠牲は彼が増し加えるものよりもわたしにとって神聖だからである,と主は言う。」(教義と聖約117:13)

オリバー・グレインジャーは,名前が神聖に覚えられるために,何をしたでしょうか。成果としては実にわずかです。それは彼の存在と同じように,あまり目立たないものでした。

わたしたちはオリバーに賛辞を送るとき,その多くを,恐らくそのほとんどを,彼の妻,リディア・ディブル・グレインジャーに向けることでしょう。

オリバーとリディアは,ミズーリ州ファーウェストの聖徒たちに合流するため,ようやくカートランドをたちました。しかし,カートランドを出て数マイル行った所で,暴徒によって追い返されてしまいます。彼らが聖徒たちに合流したのは,ずっと後のノーブーでのことでした。

オリバーは47歳で亡くなり,残されたリディアが子供たちの面倒を見ました。

主がオリバーに期待されたのは,完全になることでも,恐らく成功することでもなかったと思います。「彼は倒れるとき,再び起き上がるであろう。彼の犠牲は彼が増し加えるものよりもわたしにとって神聖だからである,と主は言う。」(教義と聖約117:13)

わたしたちは,いつも成功を期待できるとは限りませんが,全力を尽くすべきです。

主なるわたしは,すべての人をその行いに応じて,またその心の望みに応じて裁くからである。」(教義と聖約137:9)

主は教会員に次のように言われました。

「わたしが人の子らのだれかにわたしの名のためにある業を行うよう命じ,そしてそれら人の子らが勢力を尽くし,彼らの持っているすべてを尽くしてその業を成し遂げるように努め,かつ熱心であることをやめなければ,彼らの敵が彼らを襲って,彼らがその業を成し遂げるのを妨げるとき,見よ,わたしは当然のこととして,もう人の子らの手にその業を求めることはなく,彼らのささげ物を受け入れる。… …

……わたしは,業を行うように命じられながら敵の手によって,また暴虐によってそれを妨げられたすべての者に関して,あなたがたを慰めるために,これをあなたがたへの一つの例とする,と主なるあなたがたの神は言う。」(教義と聖約124:49,53。モーサヤ4:27も参照)

当時のカートランドにはわずかな人々しかいませんでしたが,今や世界中至る所に何百万もの普通の末日聖徒がいます。話す言語は様々ですが,彼らは,御霊みたまという共通の言語を通して,信仰と理解において一つに結ばれています。

これらの忠実な会員たちは,聖約を交わして守り,神殿に参入するふさわしさを保つように努めています。預言を信じ,ワードや支部の指導者を支持しています。

オリバーのように,彼らは大管長会と十二使徒定員会を支持し,主の次の言葉を受け入れています。「わたしの民が,わたしの声と,わたしの民を導くためにわたしが任命した〔これらの人〕の声に聞き従うならば,見よ,まことに,わたしは言うが,彼らはその場所から移されることはない。」(教義と聖約124:45)

教義と聖約の「はしがき」として与えられた啓示の中で,主はだれが御自身の業を行うか説明されました。わたしがその啓示を読みますから,注意深く聞いて,主がわたしたちに寄せておられる信頼について考えてみてください。

「主なるわたしは,地に住む者に下る災いを知っているので,わたしの僕ジョセフ・スミス・ジュニアを訪れ,彼に天から語り,戒めを与えた。

また,ほかの者たちにも戒めを与えて,彼らがこれらのことを世に宣言するようにした。これはすべて,預言者たちによって書き記されたことが成就するためである。

すなわち,世の弱い者たちが出て来て,力ある強い者たちを打ち破る。それは,人がその同胞はらからに忠告することや,肉の腕に頼ることのないようにするためであ〔る。〕」

次の節は,ふさわしい普通の男性や少年に授けられる神権についての定めです。

「すべての人が主なる神,すなわち世の救い主の名によって語るため,……わたしの完全な福音が弱い者や純朴な者によって世界の果てまで,また王や統治者の前に証宣のべられるためである。

見よ,わたしは神であり,わたしがこれを語った。これらの戒めはわたしから出ており,わたしの僕たちに,彼らの弱さのあるままに,彼らの言葉に倣ならって与えられた。それは,彼らが理解できるようにするためである。

また,彼らが誤りを犯したならば,それを知らされるため,知恵を求めたならば,教えを授けられるため,

罪を犯したならば,懲らしめを受けて,悔い改められるようにするため,

謙遜けんそんであれば,強くされ,高い所から祝福を受け,また折々知識を与えられるようにするためでる(教義と聖約117-20,23-28,強調付加)今や,新しい世代の青少年が現れています。わたしたちは彼らの中に,今まで目にしたことのない力を見ています。彼らの生活には,アルコールや麻薬,不道徳な行為はありません。彼らは福音の研究や社交活動,奉仕において固く結ばれているのです。

彼らは完全ではありません。まだ不完全ですが,最善を尽くし,これまでの世代よりも強い力を備えています。

主がオリバー・グレインジャーに告げられたように,「〔彼らは倒れる〕とき,再び起き上がるであろう。〔彼らの〕犠牲は〔彼ら〕が増し加えるものよりもわたしにとって神聖だからである……。」(教義と聖約117:13)

中には,伝道に出られない,結婚生活がうまくいかない,赤ちゃんに恵まれない,迷い出た子供を導けない,夢が実現できない,あるいは年齢制限でしたいことができないといったことで,絶えず思い悩んでいる人がいます。わたしたちが自分の行いや働きが十分でないと考えて思い悩むとき,主はお喜びにならないと思います。

中には,告白と悔い改めを通して取り除くことができるのに,罪という不必要な重荷を負っている人もいます。

主はオリバーに,「〔もし〕彼が倒れるなら」ではなく,「彼は倒れるとき,再び起き上がるであろう」と言われました(教義と聖約117:13,強調付加)。

数年前にフィリピンで大会が開かれ,わたしたちは早目に会場に到着しました。道路わきには,日曜日の服を着た両親と4人の小さな子供が座っていました。彼らは数時間バスに揺られてやって来て,その日初めての食事を取っていました。それぞれが冷たくなったトウモロコシをかじっていました。たぶん,食事代を削って,マニラまでのバス代を捻出ねんしゅつしたのでしょう。

わたしはその家族を見ながら,胸がいっぱいになりました。彼らこそ,教会そのものであり,教会の力であり,教会の未来です。多くの国々の家族と同じように,彼らは什分じゅうぶんの一を納め,指導者を支持し,最善を尽くして奉仕しています。

40年以上にわたり,わたしと妻は世界中を旅してきました。恐らく100の国々の教会員を知っています。そして彼らの純粋な信仰に力を感じてきました。彼らの個人的な証あかしと犠牲から力強い影響を受けてきたのです。

わたしは褒められるのが苦手です。褒め言葉をかけれられると戸惑ってしまいます。福音を推し進める偉大な業は,過去も,現在も,そして未来も,一般会員の肩に懸かっているからです。

妻もわたしも,自分たちの子供や両親が受ける以上の報いを期待してはいません。わたしたちは子供に,世の中において,また教会においてさえ,名声を博して著名な存在になることを人生の目標にするように求めていませんし,願ってもいません。それらは人の価値にほとんど何の影響も与えないからです。子供たちが福音に従って生活し,信仰の中で自分たちの子供を育てるなら,わたしたちの夢は実現するでしょう。

ヨハネのように,「〔わたしたちの〕子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に,大きい喜びはない」のです(3ヨハネ1:4)。

何年も前に,わたしはニューイングランド伝道部の部長として,カナダ,ニューブランズウィック州のフレデリックトンをたちました。気温は零下40度でした。飛行機が小さなターミナルを離れて動き出したとき,二人の若い長老が外に出て,手を振っているのが見えました。わたしは思いました。「むちゃな若者たちだ。なぜ暖かい室内に入らないんだろう?」

突然,わたしは力強い思いに包まれました。それは啓示でした。これらの若い普通の宣教師が,全能なる神の神権の務めを果たしているのです。カナダのその州全体の伝道活動を安心して彼らの手にゆだねようと思いながら,座席にもたれかかりました。それは,決して忘れることのない教訓となりました。

8週間前に,七十人のウィリアム・ワーカー長老とわたしは,沖縄の那覇で44人の宣教師と一緒にゾーン大会を開きました。日本福岡伝道部のミルズ部長は,大型台風が接近したために出席できなくなりました。若い巡回宣教師は,伝道部長がいたらその場に注いだであろう豊かな霊感と威厳をもって集会を進めました。わたしたちは翌朝,強風の中を出発し,宣教師たちを安心してその巡回宣教師にゆだねたのです。

最近,日本の大阪で,わたしは十二使徒のラッセル・バラード長老,ヘンリー・アイリング長老,七十人のデビッド・ソレンセン会長,それにほかの七十人の兄弟たちとともに,21人の伝道部長と26人の地域幹部七十人を迎えて大会を開きました。地域幹部七十人として,インドネシアのジャカルタからスバンドリヨ長老,中国の北京から賈チュー居仁ヤンチャ長老,フィリピンからレムス・G・ビラレ長老,韓国から高コ元龍ワンヨン長老,そのほか22人の長老が出席しました。アメリカ人は二人だけでした。それは様々な国と言語と民の結集でした。有給の人はいません。全員が御業に召され,自ら進んで喜んで奉仕しています。

また,わたしたちは岡崎,札幌,大阪でステークを再組織しました。新しい3人のステーク会長と数多くの指導者たちは皆,10代で教会に入りました。そしてほとんどの人が,戦争で父親を亡くしていました。

七十人の菊地良彦長老もその世代の一人です。

主が予見された様々な災いが,悔い改めることのない世界に,今,起こっています。それと同時に,多くの若い世代が次々に現れています。彼らは結婚し,主の宮で交わした聖約を守ります。子供をもうけますが,家族生活が社会によって制限されるのを許しません。

今日こんにち,わたしたちは次の預言を成就しています。「〔オリバー・グレインジャー〕の名前は代々とこしえにいつまでも,神聖に覚えられるであろう……。」(教義と聖約117:12)彼は世の中から見れば,偉大な人物ではありませんでした。しかし,主はこう言われました。「だれもわたしの僕オリバー・グレインジャーを軽んじることなく,……祝福がいつまでもとこしえに彼のうえにあるようにしなさい。」(教義と聖約117:15)

だれであっても普通の末日聖徒が示す信仰の力を過少評価しないようにしましょう。次の主の言葉を忘れないでください。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである。」(マタイ25:40)

主は次のように約束されました。「聖霊は常に〔彼ら〕の伴侶はんりょとなり,〔彼ら〕の笏しゃくは義と真理の不変の笏となるであろう。そして,〔彼ら〕の主権は永遠の主権となり,それは強いられることなく,とこしえにいつまでも,〔彼ら〕に流れ込むことであろう。」(教義と聖約121:46)

主の業の発展を止めることのできる力はないのです。ほんとうに何もないのです。

「流水はいつまで濁ったままでいられようか。いかなる力が天をとどめるであろうか。全能者が末日聖徒の頭こうべに天から知識を注ぐのを人が妨げようとするのは,人がそのか弱い腕を伸べて,定められた水路を流れるミズーリ川をとどめようとするようなもの,あるいは逆流させようとするようなものである。」(教義と聖約121:33)

これらのことを使徒として証します。イエス・キリストの御名によって,アーメン。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2004年10月号リアホナからご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

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主なるわたしは,すべての人をその行いに応じて,またその心の望みに応じて裁くからである。」(教義と聖約137:9)

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“For I, the Lord, will judge all men according to their works, according to the desire of their hearts” (D&C 137:9).

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因為我,主,將審判所有的人,按照他們的行為,按照他們心中的願望」(教約137:9)。

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Hanping Liteから、引用させていただきました。








真理5:主の約束は続く

2022-01-13 04:31:49 | 日記
旧約聖書の中にイエス・キリストを見いだす(5-5)
マリッサ・ウィディソン
教会機関誌



真理5:主の約束は続く
わたしたちは旧約聖書の忠実な人々との間に,自分が感じているよりも多くのつながりを持っているかもしれません。

昔の聖見者たちは,イエス・キリストのこの世の生涯を待ち望み,主の生涯について書き記しました。

例えば,イザヤは非常に力強い言葉で主について語り,その言葉はわたしたちが復活祭やクリスマスで度々分かち合う音楽の一部となりました(イザヤ7章;9章;40章;53章参照)。

それらの預言者と同じように,わたしたちもキリストの来臨を待ち望んでいますが,今度は主が戻って来て,自ら地上を統治されることを心待ちにしています。

わたしたちは主の再臨に世を備えるとき,最初に旧約聖書に記録された次のような真理や約束から力を得ることができます:
・わたしたちが属するイスラエルの家についての宣言が含まれている,祝福師の祝福。

主が数千年前にアブラハムと交わされた聖約は,聖約を交わした今日の教会員であるわたしたちにも,属する部族に関係なく当てはまります(創世13:14-17;アブラハム2:9-11参照)。
・安息日を聖く保つようにという戒め。主はこれを「わたしとあなたがたとの間の,代々にわたるしるしであって,わたしがあなたがたを聖別する主であることを,知らせるためのものである」と言われました(出エジプト31:13)。
・今日神殿での礼拝の一部となっている,聖なる洗い,油注ぎ,着衣が初めて与えられたのは,アロンとその子孫に対してでした(レビ8章参照)。
わたしたちを人類の歴史のこの時点に至らせるために,どれだけ多くの義にかなった男女が犠牲を払ったか考えてみてください。

わたしたちは彼らの神聖な努力の上に築き,救い主に導かれる世界という彼らのビジョンを共有しています。

ラッセル・M・ネルソン大管長が教えているように,「4,000年にわたる期待と備えの時を経て,福音が地上の国民に届けられるように定められた日が来たのです。

今は約束されたイスラエルの集合の時です。そしてわたしたちはそれに参加できるのです!
すばらしい研究の年



赤い衣のキリスト」ミネルバ・タイカート画,教会歴史博物館の厚意により掲載
わたしたちは人類の始まりの物語——聖約を交わしたクリスチャンとして,わたしたちの物語を手にしています。

イエス・キリストの贖罪のおかげで,わたしたちはこの壮大な旅がどのように終わるかを知っています。

サタンは滅ぼされ,義人が勝利を収めるのです。

しかし,わたしたちの個人の物語はどのように展開するでしょうか。

今年,わたしたちはイエス・キリストとともに歩むことを選ぶでしょうか。

ともにいてくださるよう主に請い求め,主の教えに熱心に耳を傾けるでしょうか。

主は愛にあふれた,個人にとっての救い主であられます。

その声をわたしたちは教義と聖約で聞き,その生涯は新約聖書に記録され,その教えはモルモン書で分かりやすく教えられています。

少し練習することで,わたしたちは主の務めが旧約聖書のページにも至る所に織り込まれているのを見つけられるようになります。

主は人類の過去,現在,未来の中心におられます。

主はその道の一歩一歩をわたしたちとともに歩んでこられました——そしてこれからも常に,ともに歩んでくださるでしょう。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年1月号リアホナからご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

段落も変更しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

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安息日を聖く保つようにという戒め。主はこれを「わたしとあなたがたとの間の,代々にわたるしるしであって,わたしがあなたがたを聖別する主であることを,知らせるためのものである」と言われました(出エジプト31:13)。

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The commandment to keep the Sabbath day holy, which the Lord said would be “a sign between me and you throughout your generations; that ye may know that I am the Lord that doth sanctify you” (Exodus 31:13).

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主說,守安息日為聖這項誡命是「你我之間世世代代的證據,使你們知道我——耶和華是叫你們成為聖的」(出埃及記31:13)

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主说,守安息日为圣这项诫命是「你我之间世世代代的证据,使你们知道我——耶和华是叫你们成为圣的」(出埃及记31:13)

(終わり)
(追加)





こちらより、引用させていただきました。

聖とsacred   同じ‘’せい‘’の音を持っていますね。


真理4:イエス・キリストはわたしたちの戦いを助けてくださる

2022-01-12 04:00:40 | 日記
旧約聖書の中にイエス・キリストを見いだす(5-4)
マリッサ・ウィディソン
教会機関誌



真理4:イエス・キリストはわたしたちの戦いを助けてくださる
時折,日々の生活は戦いであるように感じられます。

わたしたちは実際,旧約聖書で語られている戦争にも似た,善と悪の霊的な戦いのただ中にあります。

過去の兵士たちとともに,わたしたちは「大いなるエホバよ,導きたまえ」と叫びます。

以下の聖句で,安心を与えてくれる主の返答を聞くことができます:
わたしはあなたを見放すことも,見捨てることもしない。」(ヨシュア1:5
この大軍のために恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく,主の戦いだからである。」(歴代下20:15
わたしはあなたを強くし,……あなたをささえる。」(イザヤ41:10
わたしがあなたと共にいて,あなたを救う……。」(エレミヤ1:8

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本日もお読みいただいてありがとうございます。

このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年1月号リアホナからご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

段落も変更しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

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ヨシュア1:5

5 あなたがきながらえるあいだ、あなたにあたることのできるものは、ひとりもないであろう。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにおるであろう。わたしはあなたを見放みはなすことも、見捨みすてることもしない。
5 There shall not any man be able to stand before thee all the days of thy life: as I was with Moses, so I will be with thee: I will not fail thee, nor forsake thee.

歴代下20:15
15 ヤハジエルはった、「ユダの人々ひとびと、エルサレムの住民じゅうみん、およびヨシャパテおうよ、きなさい。しゅはあなたがたにこうおおせられる、『この大軍たいぐんのためにおそれてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたのたたかいではなく、しゅたたかいだからである。
15 And he said, Hearken ye, all Judah, and ye inhabitants of Jerusalem, and thou king Jehoshaphat, Thus saith the Lord unto you, Be not afraid nor dismayed by reason of this great multitude; for the battle is not yours, but God’s.

イザヤ41:10

10 おそれてはならない、わたしはあなたとともにいる。おどろいてはならない、わたしはあなたのかみである。わたしはあなたをつよくし、あなたをたすけ、わが勝利しょうりみぎをもって、あなたをささえる。
10 ¶ Fear thou not; for I am with thee: be not dismayed; for I am thy God: I will strengthen thee; yea, I will help thee; yea, I will uphold thee with the right hand of my righteousness.

エレミヤ1:8

8 かれらをおそれてはならない、わたしがあなたとともにいて、あなたをすくうからである」としゅおおせられる。
8 Be not afraid of their faces: for I am with thee to deliver thee, saith the Lord.
(本日は、ここまでです。)
(追加)
最近、右手がバネ指になっています。
こちらの、指くるくるメンテナンスをやってみました。
かなり痛みが、軽減されています。
続けて、様子を見たいと思います。
指くるくるメンテナンスを教えていただいた、こちらのサイトに感謝します。




憐れみと愛の神の恵み

2022-01-10 20:22:11 | 日記
憐れみと愛の神の恵み
ジェフリー・R・ホランド長老
十二使徒定員会
イエス・キリストは苦しまれ,死を受けられ,死からよみがえられました。それは,イエスが,永遠の命へとわたしたちを引き上げられるためです。
安全用のザイルやベルトなど,登山用具類は何も持たずに,14歳のジミーと19歳のジョンの兄弟(両者ともに仮名)は,わたしの生まれ故郷,ユタ州南部にあるスノー・キャニオン州立公園の切り立った渓谷の崖を登ろうとしていました。

長く苦しい岩登りの末に山頂までようやく数メートルという所に来たとき,突き出た岩が行く手を妨げているのに気づき,二人は途方に暮れました。

越えることも,引き返すこともできません。

八方塞がりです。

慎重に戦略を練り上げたジョンは,弟を安全にその岩の上に押し上げられるだけの足場を見つけました。

しかし,自分自身を引き上げるのはとても無理です。

手がかり,足がかりを見つけようと必死になればなるほど,筋肉はけいれんを起こしそうになります。

パニックに飲み込まれそうになり,死ぬかもしれないと思い始めました。 

もう長く持ちこたえることができないジョンの選択肢は一つだけでした。

まっすぐに跳び上がって,突き出た岩につかまることにしたのです。

うまくゆけば,屈強な腕の力によって,安全に自分の体を引き上げることができるかもしれません。


彼はこう語っています。

「跳ぶ前,弟に,わたしがつかまれるだけのしっかりした枝を探しに行くよう言いました。

しかし,岩だらけの山頂にそんなものがないことは分かっていました。

必死の思いでついた嘘でした。

それが,ジャンプに失敗し,落下して死ぬわたしの姿を見せないために,弟にしてやれるせめてものことでした。

弟の姿が見えなくなるのを待ち,最後の祈りをささげました。

わたしが家族を愛していることを家族に知ってほしいこと,そして,弟が無事に自力で家に帰れるよう祈りました。

そして,跳びました。

わたしにはまだ十分なアドレナリンが残っていました。

跳び上がると岩を越えて肘の辺りまで腕が伸びました。

しかし,岩の上に勢いよくついた手に触れたのは,砂だらけの平らな岩でした。

しっかりつかまり,握ることのできる溝も突起もないまま,そこでぶら下がっていたときの砂の感触を今でも覚えています。

砂だらけの表面から指が少しずつ滑り落ちていくのを感じました。自分の生涯もこれで終わりだと覚悟しました。

しかし,そのとき突然,夏の嵐の落雷のように,2本の腕が崖の縁から突き出たかと思うと,小さな手からは想像できないような力と決意をもって,わたしの手首をつかみました。

忠実な弟は,ありもしない木の枝を探しには行かなかったのです。

兄が何をしようと考えているか,正確に把握し,一歩たりとも動きませんでした。

弟はただ待ちました。

黙って,息を殺して待っていました。

わたしが愚かにも跳び上がろうとしていることを完全に分かっていたのです。

そして跳び上がったとき,わたしをつかんで支え,落ちるのを防いでくれたのです。

あの日,落ちれば必ず死に至る高い所で,なすすべもなくぶら下がっているわたしの命を,弟の力強い腕が救ってくれました。」


愛する兄弟姉妹の皆さん,今日は復活祭の日曜日です。

わたしたちは(毎週聖餐の祈りで約束するように)いつも覚えていなければなりませんが,その中でも今日は一年で最も神聖な日です。

わたしたちを堕落や弱点,悲しみや罪から救うために,死の深みに差し出された兄弟愛に満ちた手と,決意に満ちた腕を特別に覚えるための日だからです。

ジョンとジミーの家族の報告によるこの物語を背景にして,わたしは主イエス・キリストの贖罪と復活に対する心からの感謝を表します。

そして,わたしたちを「主イエスの愛」に導き,主の愛の意味を伝える,神の神聖な計画の中にある幾つかの出来事に感謝を表します。

ますますこの世的になる社会では,アダムとエバやエデンの園の話や,二人が「幸運な堕落」をして肉体を得た話をするのは異例なことであり,時代遅れと言われるでしょう。

しかし,真理は簡潔です。

実際にアダムとエバが存在したこと,そして二人が実際のエデンから堕落したことによってあらゆる結果が持ち込まれたことを理解しなければ,わたしたちはキリストの贖罪と復活を完全に理解することはできませんし,他に類を見ないキリストの誕生と死の目的を十分に理解することは不可能です。

言い換えれば,そのような理解がなければ,クリスマスや復活祭を真に祝うことはできないのです。

それよりも前にこの惑星で何が起きたのかわたしは詳細に知っているわけではありません。

しかし,わたしが確かに知っていることは,この二人が御父の神聖な御手の下で創造されたということ,二人はしばらくの間楽園のような環境で生活したということ,そこでは人の死はなく,将来家族をもうけることもなかったということ,二人は一連の選択によって神の戒めに背いたことで園を去ることになりますが,そのおかげで肉体の死を迎える前に子供をもうけることが許されたということです。

二人のこの状況をさらに悲しく,複雑にしたのは,彼らが背いたことで,神の御前から永遠に断ち切られるという,霊的な結果を招いたことでした。

それ以来,わたしたちはその堕落した世界に生まれたために,そして同じように神の律法に背いてしまったために,アダムとエバと同じ罰を宣告されたのでした。

何と痛ましいことでしょう。全人類は落ちるがままです。

老若男女を問わず全ての人は肉体的に永遠の死に向かって転がり,霊的に永遠の苦悩に向かって進んでいます。

それが人生の目的なのでしょうか。

それが人生の最終結果なのでしょうか。

わたしたちは皆,無慈悲な宇宙のどこかで,冷たい絶壁にぶら下がっているだけなのでしょうか。

一人一人がつま先をかける場所を探し求め,つかめるものを探しても,砂が指の下を流れていくだけで,救ってくれるものも,つかむものも,しがみつくものもないのでしょうか。

むなしく存在するだけが人生の目的なのでしょうか。

できるだけ高く跳び,定められた齢60年と十歳(よわい60ねんとととせ)をぶら下がり続け,そして,力尽きて落ち,永遠に落ち続けるだけなのでしょうか。

そうした問いの答えは,明らかに,そして永遠に「否」です。

古代や現代の預言者とともに,わたしは「すべての物事は,万事を御存じである御方の知恵によって行われてきた」ことを証します。

こうして,アダムとエバの決断を予想しておられたわたしたち全ての父である神は,最初の両親がエデンの園から足を踏み出した瞬間から,天の御使いたちを送られ,二人に対して宣言させました。

その宣言は時代を下ってわたしたちにも伝えられています。

それは,この一連の出来事全体が,わたしたちの永遠の幸福のために計画されたものであるという宣言です。

そして,一人の救い主,すなわち神御自身の御子であり,使徒パウロが呼んだもう一人の「アダム」が備えられ,その御方が,最初のアダムの背きを贖うために,時の中間に降臨されるということも,この神聖な計画の一部でした。

この贖罪は,肉体の死に完全な勝利をもたらすものであり,かつてこの世に生を受けた者,これからこの世に生を受ける者全てに,無条件の復活をもたらすものです。

また,慈悲深くも,悔い改めて神の戒めに従順であることを条件として,アダムからこの世の終わりに至るまで,あらゆる人の個人的な罪にも赦しがもたらされることになったのです。

主に聖任された証人の一人として,この復活祭の朝に宣言します。

ナザレのイエスはこの世の救い主であられました。

また,「最後のアダム」であり,わたしたちの信仰の導き手,完成者,そして永遠の命のアルパでありオメガであられました。

「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである」とパウロは宣言しました。

また,預言者であり族長であったリーハイも宣言しました。

「アダムが堕落したのは人が存在するためであり,……時が満ちると,人の子らを堕落から贖うためにメシヤが来られる。」

そうした宣言の中で最も端的な教えが,モルモン書の預言者ヤコブが2日にわたって語った,イエス・キリストの贖罪に関する説教の一部です。

「復活は,堕落のゆえに必ず人に及ばなければならない。」

そして今日,わたしたちは,死からの復活と罪の赦しについては言うに及ばず,これまで経験したあらゆる失敗,知る限りのあらゆる悲しみ,あらゆる失意,直面したあらゆる恐れに対する勝利の賜物を祝います。

その勝利は,2,000年ほど昔,エルサレムで,今日とほとんど同じようなある週末に起きた出来事のゆえに,わたしたちの誰もが手にすることができるのです。

罪も汚れもない聖なる御方である神の御子御自身がなさったことは,それまでに亡くなった人の誰もしなかったことであり,誰もなしえなかったことでした。

それはゲツセマネの園での霊的な苦悶で始まり,カルバリで十字架にかけられ,美しい日曜日の朝,主のために提供された墓の中で完成しました。

御自身の力で死からよみがえられた主の体は,二度と再び霊と離れることはありません。

自らの御意志で,体を包んでいた埋葬のための亜麻布を外され,顔にかけてあった埋葬用の布は,聖典によれば「はなれた別の場所に」丁寧に置かれました。

最初の復活祭の贖罪と復活をめぐる一連の出来事には,最も重要な瞬間があり,最も寛大な賜物があり,最も耐え難い痛みがあり,世界の歴史の中でも最も壮大に表された純粋な愛があります。

神の独り子であるイエス・キリストは苦しまれ,死を受けられ,死からよみがえられました。

それは,イエスが,夏の嵐の落雷のように,落ちていくわたしたちを力を込めてつかみ,支え,そしてわたしたちが主の戒めに対して従順であることを条件に,永遠の命へとわたしたちを引き上げられるためです。

復活祭の今日,キリストと御父に感謝します。

御父がイエスを差し出されたのは,イエスが,御足に傷を負っても,なお死を克服して勝利のうちに立たれるためです。

復活祭の今日,イエスと御父に感謝します。

御父がイエスを差し出されたのは,イエスが,手のひらを突き抜かれ,手首に傷を負っても,なお無限の恵みの御手をわたしたちに差し伸べられるためです。

復活祭の今日,イエスと御父に感謝します。

御父がイエスを差し出されたのは,汗のしみが残る園について,釘が打ちこまれた十字架について,そして栄光に満ちた無人の墓について,わたしたちが賛美の歌を歌えるようにするためです。
救いの計画
いかに尊し
憐れみと愛の
神の恵み
復活された主イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。

このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2015年4月の総大会から、ご紹介しました。

赤字青字は追加しています。段落も変更しています。

お読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。





真理3:エホバは個人にとっての神であられる

2022-01-10 03:01:18 | 日記
旧約聖書の中にイエス・キリストを見いだす(5-3)
マリッサ・ウィディソン
教会機関誌



真理3:エホバは個人にとっての神であられる
時々,旧約聖書の神は怒っておられ執念深い御方のように思えることがあるかもしれません。

わたしたちは,この書物を最初に書き記した人々が古代の文化に属しており,その文化の慣習や表現を今日のわたしたちが完全に理解するのは難しいかもしれないことを心にとどめておくべきです。

『わたしに従ってきなさい』のテキストや,グループでの話し合い,聖霊により注がれる光が,旧約聖書で読む事柄と,ほかの聖典からイエス・キリストについて分かる事柄とを調和させるための助けになります。

ここで,救い主について学んでいる人にはなじみ深いであろう,エホバの注目すべき特質を一つ挙げましょう。

それは,エホバが個人にとっての神であられるということです。

その介在は,壮大なものであれ小さなものであれ,エホバには御自分を信頼する者をいつでも救う用意がおありであることを示しています。

以下は,旧約聖書に記されている主の務めの例です:
アダムとエバが戒めに背いた後,主は二人に皮の衣を着せられました。

すなわち,二人を皮の衣で覆われました(創世3:21参照)。

ヘブライ語で「贖い」にあたる言葉は,「覆う」または「赦す」を意味します。
主は御自分とともに歩むようエノクを招き(モーセ6:34参照),シオンの民を高く上げられました(モーセ7:69参照)。
主は,ヨセフの家族やほかの無数の人たちを飢えから救うためにヨセフを備えられました(創世37-46章参照)。
主はイスラエルの子らを荒れ野で導かれました(出エジプト13:21-22参照)。
主はアロンとミリアムを訪れ,生ける預言者を信じる二人の信仰を強められました(民数12:5参照)。
主はルツを導き,彼女の子孫を通じて御自分の家系を保たれました(ルツ3:10-11;4:14-17参照)。
主は少年サムエルを名前で呼ばれました(サムエル上3:3-10参照)。
主はエステルが勇気を持って民を救えるよう力を与えられました(エステル2:17;8:4-11参照)。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年1月号リアホナからご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

段落も変更しています。

聖句も末尾に追加しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。


創世3:21

3:21主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。


モーセ6:34

34 よ、わたしのたまがあなたのうえにあるので、あなたのすべてのことを、わたしはただしいとする。山々やまやまはあなたのまえからり、かわはそのながれをえるであろう。あなたはわたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ、わたしとともにあゆみなさい。


モーセ7:69

69 エノクとそのすべてのたみかみとともにあゆみ、かれはシオンのなかんだ。それから、シオンはなくなった。かみしんふところにそれをむかれられたからである。そのことから、「シオンはえうせた」ということひろまった。


創世37-46章

長いので割愛します。

出エジプト13:21-22

13:21主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。 13:22昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。


民数12:5

12:5主は雲の柱のうちにあって下り、幕屋の入口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた。彼らふたりが進み出ると、

ルツ3:10-11;4:14-17

10 ボアズはった、「むすめよ、どうぞ、しゅがあなたを祝福しゅくふくされるように。あなたは貧富ひんぷにかかわらずわかひとしたがくことはせず、あなたが最後さいごしめしたこの親切しんせつは、さきにしめした親切しんせつにまさっています。
11 それで、むすめよ、あなたはおそれるにおよびません。あなたがもとめることはみな、あなたのためにいたしましょう。わたしのまち人々ひとびとみな、あなたがりっぱなおんなであることをっているからです。

ルツ4章
14 そのとき、おんなたちはナオミにった、「しゅはほむべきかな、しゅはあなたを見捨みすてずに、きょう、あなたにひとりの近親きんしんをおさづけになりました。どうぞ、そのがイスラエルのうちにたかげられますように。

15 かれはあなたのいのちをあらたにし、あなたの老年ろうねんやしなものとなるでしょう。あなたをあいするあなたのよめ、七にんのむすこにもまさる彼女かのじょかれんだのですから」。

16 そこでナオミはそのをとり、ふところにいて、やしなそだてた。


17 近所きんじょおんなたちは「ナオミにおとこうまれた」とって、かれをつけ、そのをオベデとんだ。かれはダビデのちちであるエッサイのちちとなった。

サムエル上3:3-10


3 かみのともしびはまだえず、サムエルがかみはこのあるしゅ神殿しんでんていたとき

4 しゅは「サムエルよ、サムエルよ」とばれた。かれは「はい、ここにおります」とって、


5 エリのところはしっていってった、「あなたがおおよびになりました。わたしは、ここにおります」。しかしエリはった、「わたしはばない。かえってなさい」。かれってた。

6 しゅはまたかさねて「サムエルよ、サムエルよ」とばれた。サムエルはきてエリのもとへってった、「あなたがおおよびになりました。わたしは、ここにおります」。エリはった、「よ、わたしはばない。もう一なさい」。

7 サムエルはまだしゅらず、しゅ言葉ことばがまだかれあらわされなかった。


8 しゅはまた三度目どめにサムエルをばれたので、サムエルはきてエリのもとへってった、「あなたがおおよびになりました。わたしは、ここにおります」。そのとき、エリはしゅがわらべをばれたのであることをさとった。


9 そしてエリはサムエルにった、「ってなさい。もしあなたをばれたら、『しもべはきます。しゅよ、おはなしください』といなさい」。サムエルはって自分じぶんところた。


10 しゅはきてち、まえのように、「サムエルよ、サムエルよ」とばれたので、サムエルはった、「しもべはきます。おはなしください」

エステル2:17;8:4-11
17 おうはすべての婦人ふじんにまさってエステルをあいしたので、彼女かのじょはすべての処女しょじょにまさっておうまえめぐみといつくしみとをた。おうはついに王妃おうひかんむり彼女かのじょあたまにいただかせ、ワシテにかわって王妃おうひとした。

8:4王はエステルにむかって金の笏を伸べたので、エステルは身を起して王の前に立ち、 8:5そして言った、「もし王がよしとされ、わたしが王の前に恵みを得、またこの事が王の前に正しいと見え、かつわたしが王の目にかなうならば、アガグびとハンメダタの子ハマンが王の諸州にいるユダヤ人を滅ぼそうとはかって書き送った書を取り消す旨を書かせてください。 8:6どうしてわたしは、わたしの民に臨もうとする災を、だまって見ていることができましょうか。どうしてわたしの同族の滅びるのを、だまって見ていることができましょうか」。 8:7アハシュエロス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った、「ハマンがユダヤ人を殺そうとしたので、わたしはハマンの家をエステルに与え、またハマンを木に掛けさせた。 8:8あなたがたは自分たちの思うままに王の名をもってユダヤ人についての書をつくり、王の指輪をもってそれに印を押すがよい。王の名をもって書き、王の指輪をもって印を押した書はだれも取り消すことができない」。
8:9その時王の書記官が召し集められた。それは三月すなわちシワンの月の二十三日であった。そしてインドからエチオピヤまでの百二十七州にいる総督、諸州の知事および大臣たちに、モルデカイがユダヤ人について命じたとおりに書き送った。すなわち各州にはその文字を用い、各民族にはその言語を用いて書き送り、ユダヤ人に送るものにはその文字と言語とを用いた。 8:10その書はアハシュエロス王の名をもって書かれ、王の指輪をもって印を押し、王の御用馬として、そのうまやに育った早馬に乗る急使によって送られた。 8:11その中で、王はすべての町にいるユダヤ人に、彼らが相集まって自分たちの生命を保護し、自分たちを襲おうとする諸国、諸州のすべての武装した民を、その妻子もろともに滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取ることを許した。