イエス・キリストの福音をご紹介します。

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創造

2022-01-18 04:56:39 | 日記
創造
十二使徒定員会
ラッセル・M・ネ ルソン

広大な惑星である地球は,さら に広大なもの,すなわち神の偉大な計画 の一部なのです。簡単にまとめると,地球は家族 が存在するために創 造されました。

真新しい カンフ ァレンスセ ンタ 一で開 かれ ているこの霊感 あふ れ る大 会 は,わ た した ちにとっていつ まで も忘 れ ることの で きないものとなるで しょう。 つい この 間 まで 深い穴 が 掘 られ て いた だけ の この場 所 に建 物 が 完 成 しま した 。 わ た したち は建築が 進 め られ る様 子 を興 味 と畏 敬 の 念をもって見守 って きました。

建 物 が 次 第 に完 成 して い く過 程 を見るにつ け,わ た しは深い 感動 を覚 えます。設計 構 想 か ら完 成 までの,大 きな建 物を建 設 す る計 画 は創 造 主 の 業 を思 い起
こさせ ます。 事実,地 球 とい う惑星 とそこに住 む生 き物 の創 造 は,あ らゆる創造 の力 の 基 とな って い るの です 。 人が何 か を創 造 で きるの は創 造 主 が お いでに なるか らこそ可 能 で す。 設計 や建 築
を手が ける人 々は この創 造 主 によって命と能 力 を与 えられ てい ます 。 建 物 の建築で使 用 され るあ らゆる資材 は,元 をただせ ば 地球 の 持 つ豊 か な資 源 か ら得 た
もの です。 主 は この ように宣 言 してお られ ます。「地 は満 ちてお り,十 分 にあ り余 ってい るか らであ る。 まこ とに,わ たしはすべ てのもの を備 えた。

創 造 の 持 つ荘 厳 さを人 の知 性 をもって理 解 しようとして もそれ は難 しいこ とです。 おい しい食べ 物 や楽 しい ことを考える方が はるか に簡単 です。 けれ どもここで,簡 単 には理解 で きない ことにつ い
て能 力 をい っぱい に働 か せ て 考 えて みたい と思 い ます 。 男 と女 の 創 造 は不 思議 で あ り,偉 大 なこ とで した。人 が死す べ き状 態 にあ って住 む場 所 として地球 が 創 造 され た次 第 も,同 様 に不 思議であ り,偉 大 なことで した。

創 造 の 全 計 画 は神 が お 立 て にな りました。 ある とき天 にお いて会 議 が 開 かれ,わ た した ちはそこに出 席 しました 。天 父 はそ こで 一つ の 計 画 を発 表 され ま
した。この計 画 は,幸 福 の 計画,救 いの計画、 贖いの 計 画, 回 復 の 計 画, 憐 れ みの計 画, 解 放の計 画, 永 遠 の福 音と も呼 ばれ ます。 この計画 の 目的は,永 遠 の 昇 栄 に 向か って 進 歩 す る機会 を神 の霊の子 らに与 えることです。

計画の構成要素

この計 画 には創 造 が 必 要 で した。 そして次 に堕 落贖罪 が 行 わ れ るこ とが必 要 で した。 これ らが 計 画 の 基 本 を成す3つ の要素 です。楽 園の栄 光 を持 つ惑
星 の創 造 が 神 に よって 行 われ ました。アダムの堕 落 によって世界 に死す べ き状態 と死 が 入って来 ました。イエ ス・キ リス トの蹟 罪 を通 して 不 死 不 滅 と,永 遠
の 命 を得 る可 能性 が与 え られ ました。

創 造 と堕落 と購罪 は創造 の業が実行 されるはるか以前 か ら計 画 されて いました。

ロンドンの大 英博 物館 を訪 れた ときに,わ た しは非 常 に珍 しい本 を読 む機 会 があ りました。それ は聖 文 ではあ りませ ん。
古代 エ ジプ トの写 本 を英 語 に翻 訳 したもので した。 そ の書 物 か ら,御 父 と御子 の会話 の部 分 を引 用 した いと思 います 。前世 における主,す なわ ちエホバ は,御 父
につ いてこのように述 べ てお られ ます 。

「神 は天使 の手 か ら土 を受 け取 り,わたしたちの形 に,わ た したちにかた どってアダ ムを造 り,40日40夜,息 を吹 き入 れ ることなく彼 をその ままに しておかれた 。 そ して神 は毎 日彼 のこ とで た め
息 をつ き,言 われた。 わた しが これ 〔この人 〕に息 を吹 き入 れた ら,こ の人 は多くの苦 しみ を受 けるに違 いない。そこでわた しは父 に言 った。 『彼 に息 を吹 き入れて くだ さい。 わた しが彼 の ために弁護者 とな ります。』す ると,父 はわた しに言われ た。わ た しが彼 に息 を吹 き入 れ た
ら,わ たしの愛 す る子 よ,あ なたは世 に降 って 行 か なけれ ばな らない。 そ して,彼 を贖い,彼 を最 初 の状 態 に立 ち返 らせ る前 に,彼 に代 わって多 くの苦 しみを受 け なけれ ばな らない。そ こで,わ た し
は父 に言 った。 『彼 に息 を吹 き入れ て くだ さい。わた しは彼 の弁護 者 とな ります 。そ して,世 に降 って行 って,あ なたか ら命 じられることを果 た します。』

この 文章 は聖文 で はあ りませ んが,御父が御 子 に対 して深 く思 いや りあふ れる愛 情 を持 ってお られ,ま た御 子 がわた したちに愛 情 を持 ってお られることを教 えてい る聖 文 を再 確 認 してお り,ま た イエスが進 んでわた したちの救 い主,贖い主となられ たことを証 言 しています 。

主 なる神 は「人 の不 死不 滅 と永 遠の 命をもた らす こと,こ れが わた しの業 で あり,わ た しの栄 光 であ る」と 宣 言 され ました。主 は御 父 の指示 の下で 地球 を創 造 し,そ の後 に御 父 の御 心 を行 うため
に死 すべ き世 に来て,瞭 罪 に関す るあらゆ る預 言 を成 就 され ました。主の 贖罪 は,主 が 定 め られ た 条件 に従 うな らば,あ らゆる人 をその 人の背 きに対 して科 せ られる罰 か ら贖うもので した。

(以下は、省略します。)

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会
(リアホナ/2000年7月 号102頁)
から、ご紹介しました。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

独身であるのは,わたしのせいでしょうか。それとも神が意図されたのでしょうか。

2022-01-17 01:41:42 | 日記
デジタル版のみ
独身であるのは,わたしのせいでしょうか。それとも神が意図されたのでしょうか。
ブリタニー・ビーティー
教会機関誌
どちらの答えにも希望を見いだす助けとなった4つの原則。わたしは2つの異なる質問が,わたしの人生においてより重要だと気づきました。



  思っていたよりも長い期間独身であると,「何か自分がしたこと(またはしなかったこと)が理由で,自分は独身なのだろうか。それともこれは神が意図されたことなのだろうか」と自問するようになります。興味深いことに,この質問のいずれかの部分に「はい」と答えると,最初は希望と悲しみの両方がもたらされる可能性があります。しかし,長年にわたる自分の独身生活を振り返ったときに,たくさんの原則の中でも,とりわけ4つの原則が,この質問のどちらの答えにも希望をもたらしてくれました。そしてわたしは,実際もっと良い2つの質問があることを発見しました。それらの質問はわたしの心配を,喜びと,目的と,進歩に置き換えてくれました(以下の原則3と4を参照)。
 原則1:神は「万事を益となるようにしてくださる。」
自分がなぜ独身なのか考えるとき,「もっと社交的になった方が良いのだろうか」とか「あの人をデートに誘ってみたらどうなるだろう」というような多くの考えが脳裏をよぎります。可能性のある理由がどんなものであれ,わたしたちが独身なのは自分が何かをした,またはしていないからだろうかと疑問に思うときは,教義と聖約90:24に書かれている次の真理から力を見いだすことができます。「熱心に探し,常に祈り,そして信じていなさい。あなたがたがまっすぐに歩み,互いに交わした聖約を思い起こすならば,万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう。

過去に何かを異なった方法で行っていたら結婚できたであろう状況でも,聖約を守り,聖文研究,祈り,弟子として生活することを通して,信仰をもってキリストに近づくなら,すべてが「[わたしたちの]益となるようにともに働く」ことを知って,強さを見いだすことができます。キリストに従おうとするとき,天の御父はわたしたちが過去から学べるよう助け,それらを使ってわたしたちの未来を祝福してくださいます。永遠の結婚の約束は,義にかなった生活を送る人々にとって失われたものとはなりません。
原則2:神はわたしたちの生活の細部におられます。
大管長会第二顧問のヘンリー・B・アイリング管長が,2007年10月の総大会で「記憶にとどめ,覚えておきなさい」という題の説教をしたとき,それがわたしの人生に多大な影響を与えるとは理解していませんでした。しかし,わたしの家族の中で日々主の御手を認識し,記録するという招きに応じて行動することにしました。それからの年月,100パーセント継続できているわけではありませんでしたが,主がわたしの人生を,何千もの方法を通して導いてくださったことについて書き留めてきました。その多くは見た目にも小さな方法を通してです。この簡単な日々の実践は,一日中何度も感じる天の御父の愛と導きから,わたしに深い喜びをもたらしました(そしてすべての努力に共通するように,上達するには練習が必要なのです)。〔訳注:「実践」も「練習」も英語では「practice」という同じ単語が使われている〕

その経験と知識はまた,自分が独身であるのはわたしがこの働きを今することを御父が望んでおられるからなのだろうかと疑問に感じたときに,強さと望みを見いだす助けとなりました。御父がわたしの生活の細部におられることを頻繁に書き留めることにより,わたしは神が永遠につながる最も重要な決断の一つにおいてわたしを導いてくださるという,完全な平安を感じます。義にかなった,聖約を守る伴侶をわたしが見つけられるよう助けることを,御父が見過ごされることはないのです。わたしがふさわしく生活し,求め,聖霊の促しに従って行動するために自分のやるべきことを行うときに,主がわたしを導いてくださるという自信を持つことができます。天の御父とイエス・キリストがわたしの人生を導いてくださると信頼しているので,平安と喜びを感じます。

結婚したいと心から望んでいますが,それよりも強く,御父がわたしのために用意された計画に従いたいと望んでいます。わたしは御父を信頼しています。なぜなら,御父がわたしの人生の細部にまでおられることを知っているからです。ですから,結婚に集中しすぎるよりも,人生のどの道を主は今わたしに進んでほしいと思われているか,そしてほかのどのような方法で家族と地域に奉仕できるかについて,わたしは啓示を求めました。
原則3:天の御父はわたしがなすべき業を用意しておられる。
 神はモーセにこう言われました。「わたしはあなたに一つの業を用意している。」(モーセ 1:6)ジョセフ・スミスはモロナイから「神がわたしのなすべき業を備えておられること」(ジョセフ・スミス―歴史1:33)を学びました。わたしたちもそれぞれ,なすべき業があります。神がわたしたち一人一人を必要としておられる業という点から独身であることに目を向けるとき,わたしたちの考え方はどれほど力強いものとなることでしょう。わたしのための神の業の達成において,独身であることを「不足している」と見るよりもむしろ,末日における神の業に様々な側面から貢献できる機会だと見るようにしたときに,わたしはある重要な目的を発見しました。

ネルソン大管長はこう教えました。「皆さんは,善と悪,つまり真理と誤りの間の長い戦いの,このまさに最高潮の時期に,神が御自身の大隊の一員となるよう選ばれた子供たちです。もし次の世で幕が取り去られて,この時のために自分たちを取っておくよう,実際は皆さんが天の御父に嘆願していたと知ったとしても,わたしは驚かないでしょう。皆さんが前世において主を心から愛し,この世の激動の終末の場面で,主の御名と福音を擁護すると約束したと知っても,わたしは驚かないでしょう。一つ確かなことがあります。皆さんはイスラエルの家の者であり,神の選民を集めるためにここに送られたのです。

この観点は,わたしに「天の御父はわたしが今独身であることを意図しておられるのだろうか」という質問を「天の御父は,今わたしが独身として何を行うべきだとお考えだろうか」という質問に切り替えるよう促してくれました。幾つかの言葉が加わることで,大きな違いが生まれます。その観点があるので,わたしは日々,独身であろうとなかろうと,御父がわたしを必要とされる場所で御業を行うためにふさわしく,また備えられた状態になれるよう,助けを祈り求めます。自分の使命をどのように知ることができるでしょうか。

十二使徒定員会会長代理のM・ラッセル・バラード会長は次のように教えています。

 「[救い主は]神の息子および娘として,主の業に携わるために霊的に備えるよう,皆さんを招いておられます。これには満ち満ちる気力,明確な思考,最善の努力,そして最大限の信仰が求められます。

皆さんが祈り,聖文を調べ,熱心に主の業に自分自身をささげるときに,主は日ごとに皆さんの使命を明らかにしてくださいます。主の御心に喜んで従うときに,皆さんは主から与えられた自分の務めをますます理解するようになることでしょう。大いなることを成し遂げるのは,小さな奉仕の行いと献身であることを,覚えていてください。主はこのように言われました。『それゆえ,善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。そして,小さなことから大いなることが生じるのである。』(教義と聖約64:33)

今年を,今月を,そして今日この日を,皆さんの人生の新しいスタート地点としましょう。」
原則4:神は御自身の子供たちに幸福の計画を用意しておられる。
自分が今どんな努めを果たすよう神が意図しておられるのか尋ねることに加え,数年前,わたしは効率的かつ力強いもう一つの質問を問うようになりました。それは「神の救いと幸福の計画に従うわたしの姿勢はどうだろうか」というものです。
  永遠の結婚は,天の御父が御自身の子供たちに用意された幸福の計画に不可欠な部分であると同時に,これだけがこの計画を成すものではありません。ですからその機会が訪れるまで(今もこの機会を目指して積極的に努力しています),わたしは,神がわたしのために用意された計画のそのほかの部分に焦点を当て続けることができるのです。それは自分の管理下にあって大きな喜びをもたらすものです。ほかの様々な事柄の中でもとりわけ,わたしは次の事柄を行うことができます。
 神殿の聖約を交わし,その聖約を守る。
神殿での結び固めにふさわしく生活し,備える。
幕の両側でのイスラエルの集合を助けることで,救いと昇栄の業に参加する。
  家族とほかの人々にミニスタリングをする。
自分自身の子供がいなかったとしても,母親の務めを果たし,養い育てるための方法を探す。
自分の召しにおいて忠実に奉仕する。
天の御父とイエス・キリストにより近くなれるような日常の経験を創り出す。
主の声を聞く方法を学ぶ。
  天の御父とイエス・キリストへの愛と感謝を表現する。
そして毎日祈りの気持ちをもって,「神の救いと幸福の計画に従うわたしの姿勢はどうだろうか」という質問を思い返すことができます。その質問がいつも,啓示を受け進歩する機会を与えてくれるのです。
信仰をもって前に進む
天の御父がわたしの未来のために何を用意しておられるかは分かりませんが,日々,御父がわたしに望んでおられる業の次のステップを見いだせるよう求めています。御父がわたしと,そして皆さんのことを愛しておられると知っているので,今日と未来が美しく喜びに満ちたものとなることを知っています。「教えに教え」(教義と聖約98:12)を,また「恵みに恵み」(教義と聖約93:13)を受けることで成長できるようにしてくださったことを,わたしは御父に感謝します。なぜなら,すべてを一度に目にしたら,未来は圧倒されるようなものとなるかもしれないからです。わたしは次の美しい教義からほんとうに多くの強さを得てきました。「わが思いは,あなたがたの思いとは異なり,わが道は,あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように,わが道は,あなたがたの道よりも高く,わが思いは,あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8-9)

 自分が40代になってもまだ独身でいるかどうかははっきりとは分かりませんが,天の御父がその理由を御存じで,「万事が[わたし]の益となるようにともに働く」ようにしてくださるという知識により,大きな慰めと希望,そして幸せを見いだします。へりくだって御父の導きを求めるとき,御父がわたしの人生の細部にいてくださり,主御自身が今わたしが行うよう意図しておられる業を達成できるよう助けてくださるという,信仰を保ち続けることができます。それを知ることで,わたしは「力の限りすべてのことを喜んで行[い],そして……この上ない確信をもって待ち受けて,神の救いを目にし,また神の腕が現されるのを見る」(教義と聖約123:17)ことは喜びであり特権だと思います。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年1月号リアホナから、ご紹介しました。

青字赤字は追加しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

神さまの恵みを感じる1日をお祈りします。

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24 熱心ねっしんさがし、つねいのり、そしてしんじていなさい。あなたがたがまっすぐにあゆみ、たがいにわしたせいやくおもこすならば、ばんがあなたがたのえきとなるようにともにはたらくであろう。
24 Search diligently, pray always, and be believing, and all things shall work together for your good, if ye walk uprightly and remember the covenant wherewith ye have covenanted one with another.
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24勤奮尋求,一直祈禱,要相信,這樣,如果你們正直地行走,記得你們彼此所立的聖約,所有的事物將共同效力,叫你們得益處。
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24勤奋寻求,一直祈祷,要相信,这样,如果你们正直地行走,记得你们彼此所立的圣约,所有的事物将共同效力,叫你们得益处。
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Hanging Lite から引用しました。


Weblio中国語辞典から引用しました。




わたしを尊ぶ者を、わたしは尊〔ぶ〕

2022-01-16 09:45:00 | 日記
わたしを尊ぶ者を、わたしは尊〔ぶ〕」
ジェームズ・E・ファウスト
次の4つの神聖な原則財を尊んで生活してください。神を敬う。家族の関係を尊重し、大切にする。聖なる神権の儀式と聖約を敬い、徒う。自分を神の息子として大切にする。
愛する兄弟の皆さん、わたしたちは神権という兄弟愛によって結ばれている世界的なー大組織に属しています。わたしはへりくだり、祈りの気持ちで皆さんの前に立っています。皆さんにお話しすることは神聖であるとともに、圧倒されるような責任です。それをご理解いただきたいと思います。わたしたち一人一人が「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊〔ぶ〕」と言われた主の約束を実現できるように願っています。

過去の時代に主の僕しもべたちが成し遂げてきたことをわたしは十分に理解していますが、神権を持つ若い男性の皆さん、そして、皆さんと同年代の若い女性の方々が様々な意味において世界の歴史上最も大いなる約束を受けた世代であるとわたしは信じています。わたしがこの結論に至ったのは幾つかの理由があります。ファウスト姉妹とともに孫たちの祝福師の祝福を読んで気づいたことは、彼らがほとんど例外なくわたしやファウスト姉妹よりも多くの約束を受けていることでした。

皆さんが持つ大きな可能性を実現するためには、次の4つの神聖な原則を尊んで生活する必要があります。

1.神を敬う。
2.家族の関係を尊重し、大切にする。
3.聖なる神権の儀式と聖約を敬い、従う。
4.自分を神の息子として大切にする。

今晩わたしはこれら4つの偉大な原則についてお話ししたいと思います。

第1の原則は神を敬うことです。わたしたちは教会の歴史を通じて類を見ないほど物質的な祝福を豊かに受けてきました。わたしはそのことについて主に感謝しています。これらのものはわたしたちが善を行い、地上における業を前進させるために与えられました。けれどもわたしたちの多くは繁栄によって、「見ることも、聞くことも、物を知ることもできない金、銀、青銅、鉄、木、石の神々」とダニエルが呼んだものに心を奪われているのではないかと危惧きぐしています。もちろんこれらは偶像です。

神聖なものに対して尊敬を表すためには、神を愛して敬うことがほかの何よりも大切です。世界の歴史を通じて、人々はほとんどの時期に偶像礼拝に深くかかわり、偽りの神を拝むか、この世のものを豊かに持つことに心を奪われていました。

救い主が復活された後、ペテロと何人かの弟子たちはテベリヤの海へ行きました。ペテロは漁に行くと言いました。ほかの弟子たちもペテロと一緒に行くことを同意しました。彼らは自分たちが人聞をとる漁師であることを忘れてしまったかのようでした。一晩中漁をしましたが、何の獲物もありませんでした。夜が明けたころ、イエスが海辺に立っていて、舟の右の方に網を下ろすように言われました。すると網にいっぱいの魚がとれました。イエスは捕らえた魚を持って来るように弟子たちに言われました。ペテロと弟子たちは153匹の魚を引き上げました。彼らが岸に戻って来ると、炭火がおこしてあって、その上に魚が載せられていました。救い主はその魚とパンを食べるように勧められました。彼らが食べ終わると、イエスはシモン・ペテロに言われました。「あなたは〔これらを〕愛する以上に、わたしを愛するか。」ペテロは熱心な漁師でした。ペテロは魚をとって生計を立てていました。救い主はその仕事からペテロを召して、人間をとる漁師にされたのでした。

わたしたちは魚や銀行預金、自動車、きれいな衣服、株や債権、定期預金、そのほかの何よりも主を愛するように求められています。それは絶対的なものです。古代イスラエルに与えられた最初の戒めは「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」 でした。律法学者が最も大切な戒めについて尋ねたとき、救い主は目らこの戒めをさらに拡大して、言われました。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。

公の席やテレビを通して人々が「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」という戒めをいとも簡単に破っているのを見るにつけ、わたしは心が痛むのを覚えています。わたしたちは教義と聖約107章で、「〔神〕の名をあまり頻繁に繰り返すのを避けるために」 聖なる神権は偉大な大祭司メルキゼデクの名にちなんで名付けられたと教えられています。聖なるものを敬い、尊重することはすべて、第1の戒めである「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」 に由来しています。

救い主の御名みなにおいて行動する神権の権能を受けているわたしたちは、ほかの何よりも父なる神とイエス・キリストと聖霊を敬う必要があります。

第2は家族の関係を尊重し、大切にすることです。これは母親の神聖な愛を敬うことから始めなければなりません。すべての母親はわたしたちに命を与える出産という過程において、死の陰の谷を歩んでいます。わたしの母は亡くなってからすでに長い歳月が過ぎています。わたしの生活に及ぼしてくれた母の愛にあふれる影響力を懐かしんでいます。母の勧告やしつけが懐かしく思い出されます。しかし、最も懐かしく思い出すのは母の無条件の愛です。母に会いたいと思う気持ちが非常に高まることがあります。ほとんどの人は、エーブラハム・リンカーンが語ったように「今ある自分の姿あるいは将来に望む自分の姿はすべて、天使のようなわたしの母のおかげです」と言うことでしょう。わたしの母は料理や縫い物、仕立て直しに明け暮れていました。家にあるわずかなお金を少しでも役立てて、自分よりも息子たちに機会を与えようとして、母は自分のために一切お金を使いませんでした。しかしそれよりももっと大切なことは、自分の揺るぎない信仰を息子たちの心に深く植え付けようと望んでくれたことでした。

兄弟の皆さん、わたしたちは気高い父親の姿を通して天の御父の持っておられるすばらしい特質をかいま見ることができます。父親にはたくさんの役割があります。神権を尊んで大いなるものとし、義の模範とならなければなりません。妻とともに家族全員の安定と力の基となり、また家族を守り、生活の糧を与え、そして家族の擁護者とならなければなりません。子どもたちに対する父親の愛は、母親に愛と関心を示して誠実に接する父親の模範によって表されなければなりません。父親は断固とした模範によって、子どもたちに徳を吹き込んでゆくべきなのです。

リグランド・リチャーズ長老が大学に入るために家を離れるとき、彼の父ジョージ・F・リチャーズは、リグランドと兄弟のジョージ・F・ジュニアに向かってこう言いました。「二人ともわたしの模範に従ってくれるだろうと信頼しているよ。」それを聞いた二人は、父に対する愛と誇りで胸がいっぱいになりました。後にリグランドはこのように述べています。「その言葉によってわたしたちの背骨に筋金が入りました。わたしたちは父を落胆させるようなことを決してできませんでした。」

父親は気づいていながら妻や子どもを落胆させてはなりません。1989年にアメリカで起きた大地震は、4分間で3万人の命を奪いました。一人の父親が死に物狂いで息子を捜していました。ようやく息子の通う学校に着きましたが、そこはがれきの山でした。けれども、その父親は息子に約束していました。「どんなことが起きても、必ずおまえのそばへ行くからね。」彼は息子の教室があった辺りを思い浮かべると、急いで走って行って、がれきを一つ一つ取り除き始めました。

ほかの人たちもその場へやって来ました。最初は消防隊の隊長が、次に警官が、爆発と火事の危険性があることを警告し、捜索を救急隊に任せるよう強く求めました。しかし彼は頑として掘り続けました。やがて夜が来て、朝になり、彼は38時間掘り続けました。そして息子の声を聞いたような気がしました。「ア一マンド」と彼は叫びました。すると、彼は聞いたのです。「お父さん。ぼくだよ。お父さん。みんなに怖がらないように言ったんだ。もしお父さんが生きていたら、きっと助けに来てくれるって。ぼくが助かれば、みんなも助かるって。……クラスの33人のうち、ここに取り残されたのは14人だよ。……校舎が倒れたとき、三角の空間ができたので、ぼくたちは助かったんだ。」

「さあ、出ておいで。」

「お父さん、ほかの子を先に出して。ぼくはお父さんがいるから大丈夫。お父さんは、どんなことがあっても来てくれるもの。」

   大切にすべき家族の関係には亡くなった親族も含まれます。兄弟姉妹の問で、さらに範囲を広げた親族の間で、愛と奉仕と助ける精神が満ちあふれていなければなりません。

第3は、聖なる神権の儀式と聖約を敬い、従うことです。いにしえの時代に神権の儀式に参加する入々は祭司の衣を身に着けました。現在わたしたちは祭司の衣を身に着けませんが、聖餐せいさんを執行し、パスをし、病人に油注ぎの儀式を行うときに適切な服装を身に着けることによって敬虔けいけんの念を表します。

祭司エリは主の宮の中に罪悪を入り込ませたために召しを解かれました。主は「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊〔ぶ〕」 と言われました。わたしたちに託されている偉大な神権の力と権能は、行使する権能を持ち、行使するにふさわしいことを証明している人々によって行使されなければなりません。わたしたちの行動はこのような場合にのみ、約束の聖なる御霊みたまによって結び固められ、主によって認められるのです。

 わたしたちはバプテスマの聖約、聖餐の聖約、神殿の聖約を守り、安息日を聖なる日とすることによって主を敬います。主はこのように言われました。「彼らの中で、その心が正直で、打ち砕かれていて、かつその霊が悔いていることを知っており、また犠牲を払って、すなわちキなるわたしが命じるあらゆる犠牲を払って自分の聖約を進んで守ろうとするすべての者は、わたしに受け入れられる。」

第4は、自分を神の息子として大切にすることです。宣教師として奉仕したことのある人たちは、教えを受けた人々が自分たちは神の息子娘であると知ったときに起きる奇跡を見てきました。昔、イギリスで伝道した一人の長老が伝道を終えるときに次のように言いました。「わたしの伝道は失敗だったと思います。ここで一生懸命伝道しましたが、バプテスマを施したのは薄汚れたアイルランドの少年一人だけでした。バプテスマを受けたのはその少年だけです。」

 この長老は生まれ故郷のモンタナに戻り、それから長い年月がたちました。一人の訪問者が彼の家を訪れ、こう尋ねました。「あなたは1873年にイギリスで伝道された長老ですか。」

 「はい。」

すると、その訪問者はこう言いました。「では、バプテスマを施したのは薄汚れたアイルランドの少年一人だけだったので、伝道が失敗だったと思うとおっしゃったことを覚えておいでですか。」

彼は覚えていると言いました。

訪問者は手を差し出して、言いました。「あなたと握手したいのです。わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会十二使徒定員会のチャールズ・A・カリスといいます。あなたが伝道中にバプテスマを施された、薄汚れたアイルランドの少年がわたしです。」

そのアイルランドの少年は神の息子として自分の持っている可能性に気づきました。カリス長老は彼の大家族に不滅の伝統を残しました。伝道部長を務めた25年間、また使徒として働いた13年の問に、カリス長老は文字どおり何千もの入々の生活に祝福をもたらしました。わたしは若いころにこの偉大な使徒に会う特権に浴しています。もしわたしたちが自分の中に神性の種があることを常に意識するならば、この世のチャレンシや問題を克服する助けになります。ブリガム・ヤングはこのように語りました。「知的な人々の顔を見ていると、わたしが仕えている神の姿形を見ているように思われます。神性を幾分かでも受け継いでいない人は一人もいません。わたしたちは神の形をした体を与えられていますが、この休が持つ世俗性は、わたしたちか御父から受け継いでいる神性の前に縮み上がってしまいます。」 わたしたちは自分に神性な受け継ぎがあることを十分に理解するならば、たとえ若くても年老いていてもさらに成長し、一人一人の中にある神性を尊んで大いなるものとすることがてきます。

主から尊重され、神性と憐あわれみと永遠の祝福を受けるには、繰り返し申しますが、これら4つの偉大な原則に従わなければなりません。

1.神を敬う。

2.家族の関係を尊重し、大切にする。

3.聖なる神権の儀式と聖約を敬い、従う。

4.自分を神の息子として大切にする。
義にかなった神権者によって構成されるこの偉人な軍勢の一員である兄弟たち一人一人を主が祝福されるようにお祈りします。個人として考えるとわたしたちの貢献はさほどでないように思えますが、それらか一つになったときに神権の力は今日こんにち、善に向かわせる地上で最も大きな力になるとわたしは信じています。これらはすべて、地上の管理大祭司であるゴートン・B・ヒンクレー大管長か持っている神権の鍵かぎの下で行使することかできます。わたしたちが主の霊感を受けた大管長の指導に従順であり、彼の模範に従うことができるよう祈っています。ヒンクレー大管長の驚嘆すべき管琿が末永く続けられるよう祈っています。

兄弟の皆さん、わたしは少年時代にも成人してからも、実に68年間にわたって霊的で温かく、慰めを与えてくれる、聖なる神権の外套がいとうをまとう特権に浴してきました。これかわたしと家族にとってどれほど偉大で、驚くべき支えとなってきたかを言葉で説明することはできません。わたしは期待された働きを行えなかったことが何度もあります。しかし、弱い働きながらもわたしはこの至上の祝福にふさわしくなれるように願っています。わたしに命の息が続くかぎり、神権の鍵と権能を伴って回復された福音のすばらしさと栄光について証あかしし続けたいと願っています。わたしたちか「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊〔ぶ〕」と言われた主の約束にふさわしい者となるよう、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2001年4月号機関誌から、ご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

お読みいただいてありがとうございます。

モルモン書がある!

2022-01-16 06:48:57 | 日記
末日聖徒の声
モルモン書がある!
ネイサン・コードナー(アメリカ合衆国,マサチューセッツ州)
モルモン書を手に持ったとき,わたしは自分の重荷が救い主の温かい愛の中で取り去られた気分がしました。



写真/ジェイコブ・A・ブラウン

  ある真冬の土曜日,妻とわたしは寒いけれどもよく晴れた一日を利用して,近所のことを詳しく知ることにしました。わたしたちはその少し前に,教育と仕事の機会を求めて,以前の家から数千キロ離れたアメリカ合衆国の東海岸に引っ越して来ていました。

  わたしたちは二人とも訪れたことのない,近隣の大学まで歩くことにしました。やがて,大学の中央図書館を見つけました。わたしたちは読書が好きでしたし,大学院生である妻は,自分の研究に関してどのような資料があるかを知りたがりました。妻は宗教史を研究していたので,わたしたちは宗教分野の書架を見て回りました。二人で幾つかの興味深いタイトルに目を通しているとき,見覚えのある青いカバーの小さな本がわたしの目を引きました。

  「モルモン書がある!」わたしは興奮しながらささやきました。

   わたしは書棚からその本を取りました。それは古い版の本で,わたしはそれがどれほど前からあったのだろうと思いました。わたしの注意を強く引いたのは,表紙の内側に貼られた小さな書き付けでした。

  そこに書かれていたのは,アメリカ合衆国アイダホ州ブラックフットに住む夫婦による簡潔な証でした。その証の中で,夫婦はモルモン書とは何か,そしてなぜ重要なのかを説明していました。夫婦はモルモン書について簡潔ながらも力強い証を分かち合っていました。そして,それが真実かどうかを知るために祈るよう読者に勧めていました。

   二人の言葉は簡素でしたが,そのメッセージはわたしの心にじかに響きました。この夫婦は,わたしたちと同じ信仰を持たない人々に証を読んでもらうつもりだったのかもしれません。この本をだれか知人に渡したのかもしれません。この本が一体何人の手に渡ったのか,そしてどれだけの距離を移動して大学図書館にたどり着いたのかは,だれにも分かりません。

  
  この本を手に持ったとき,心が御霊に満たされました。しばらくの間,わたしは自分の重荷が救い主の温かい愛の中で取り去られた気分がしました。

  その図書館での一日は,モルモン書を読むことで受けている祝福と,モルモン書についての証を分かち合うことの大切さを,今もわたしに思い出させてくれます。わたしたちの証は「石地」に落ちるかもしれませんし,「良い地」に落ちるかもしれません(マタイ13:3-9参照)。しかし大切なのは,わたしたちが証を分かち合うことなのです。神はそれらの証がふさわしい時に,ふさわしい場所で,ふさわしい人たちに届くようにしてくださいます。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年1月号リアホナから、ご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い安息日をお祈りします。

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わたしたちの証は「石地」に落ちるかもしれませんし,「良い地」に落ちるかもしれません(マタイ13:3-9参照)。しかし大切なのは,わたしたちが証を分かち合うことなのです。

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Our testimonies may fall “upon stony places” or “into good ground” (see Matthew 13:3–9), but it is important that we share them.

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我們的見證可能落在「石頭地」或「好土」上(見馬太福音13:3-9),但分享見證是很重要的。

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我们的见证可能落在「石头地」或「好土」上(见马太福音13:3-9),但分享见证是很重要的。

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(追記) 石頭を探していたら、こんな記事がありました。









こちらから引用させていただきました。


床の上のクッション

2022-01-14 22:57:16 | 日記
末日聖徒の声
床の上のクッション
コリーナ・ボリバール(チリ,サンティアゴ)
 母の家事を手伝うのはかまわないのですが,なぜいつも床の上にクッションがあるのでしょう。


何年もの間,わたしは母の家を訪ねて家事を手伝ってきました。母は80歳で,末日聖徒イエス・キリスト教会の忠実な会員です。

  父が亡くなってから,母は一人暮らしを続けてきました。母の最大の楽しみは,3人の子供たちそれぞれの家を訪ねて,子供や孫と一緒に過ごしたり,心を温める料理を作ったりすることです。

母の家に行き,掃除と部屋の片付けをしていると,いつも床の上に古いクッションがあるのを見つけました。わたしは母のだらしなさに不満を漏らしながら,何度となくそれを拾い上げ,肘掛け椅子の上に置くのでした。

次の機会に母の家を再び訪れ,手伝いをすると,やはり床の上にクッションがあります。わたしはクッションについて母に何も言いませんでしたが,ある朝,それがいつも床にある理由がついに分かりました。

母はひざまずいて祈るために,下に敷く柔らかいものを必要としていたのです。母は年老いていましたが,揺るぎない信仰に突き動かされ,毎日ひざまずいて祈っていました。母は自分の子供や孫たちのために祈っていました。友人たちのために祈っていました。最も助けを必要としている人たちのために祈っていました。そして,自分が常に愛してきた人たちや,自分が老齢にあってもまだ惜しみなく思いやっている人たちのために祈っていました。

今,わたしはもう床の上にクッションがあっても不満を漏らしません。時々,自分もその柔らかいクッションにひざまずいて,母の信仰と模範について天の御父に感謝の祈りをささげることさえあります。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年1月号リアホナからご紹介しました。

青字赤字は追加しています。

段落も変更しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

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母は年老いていましたが,揺るぎない信仰に突き動かされ,毎日ひざまずいて祈っていました。

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She was an old woman, but her unshakable faith led her to her knees in prayer every day.

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她年事已高,但是她堅定不移的信心引領她每天跪下祈禱,

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她年事已高,但是她坚定不移的信心引领她每天跪下祈祷,


Hanping Liteから引用しました。