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従順は祝福をもたらす

2022-02-17 05:07:36 | 日記
従順は祝福をもたらす
トーマス・S・モンソン大管長
神の戒めに従順になることによって,真理を知り,人が抱く最大の疑問への答えを得ることができます。
愛する兄弟姉妹の皆さん,皆さんと今朝一緒にいられることに感謝しています。皆さんにお話をするに当たり,皆さんの信仰と祈りを切に求めるものです。

すべての世代にわたって,人間はこの地上での生活,また現世における自分たちの立場と目的,また平安と幸福への道について,知識と理解を追い求めてきました。わたしたち一人一人が,それを探しています。

その知識と理解はすべての人に開かれています。それらは永遠の真理の中に含まれています。教義と聖約第1章39節にこうあります。「見よ,見よ,主は神であり,御霊は証する。そして,その証は真実であり,真理はとこしえにいつまでも変わらない。」

ある詩人は,このように書いています。
天は滅び,地は裂くとも
真理は悪を切り抜け
永遠に変わらずあらん
「その真理はどこにあって,どのように認識できますか」と問う人もいます。1833年5月,オハイオ州カートランドで預言者ジョセフ・スミスが受けた啓示の中で,主はこう宣言しておられます。

「真理とは,現在あるとおりの,過去にあったとおりの,また未来にあるとおりの物事についての知識である。……
真理の御霊は神から出ている。……
人はだれも神の戒めを守らないかぎり,完全な真理を受けることはない。
神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。」

何とすばらしい約束でしょう!「神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる」のです。

福音のすべてが回復されているこの時代に,完全な真理を探すために地図にない海や標識のない道路を旅する必要は,皆さんにもわたしにもないのです。愛に満ちた天の御父が道を計画してくださいました。そして,常に変わることのない道案内を備えてくださいました。それは従順です。神の戒めに従順になることによって,真理を知り,人が抱く最大の疑問への答えを得ることができます。

わたしたちは人生を通じて従順を学びます。幼いころから,わたしたちを保護する責任を持つ人たちからルールや決まりを教えられ,それによって安全が確保されます。そのようなルールに完全に従えば,人生はより簡潔なものとなります。しかしながら,わたしたちの多くは経験を通して,従順こそ賢明であることを学びます。

子供のころ,毎年の夏,7月上旬から9月上旬にかけて,ユタ州プロボ渓谷のビビアンパークにある山小屋で家族とともに過ごしました。

休暇中の親友の一人にダニー・ラーセンがいました。彼の家族もビビアンパークに山小屋を持っていました。そこは男の子にとってパラダイスであり,彼とわたしは,川で釣りをしたり,石やそのほかの宝物を集めたり,ハイキングをしたり,高い所に登ったりして,毎日,毎時間,毎秒を楽しみました。

ある朝,ダニーとわたしは,その夜に渓谷にいるほかの友達と一緒にキャンプファイヤーをしたいと思いました。近くの野原の一部を全員が集まれるように準備する必要がありました。6月から生えていた草が枯れて,とげだらけになっており,わたしたちの目的には適していなかったのです。わたしたちはその背の高い枯れ草を引き抜いて,そこに大きな円形の場所を設けようとしました。わたしたちは一生懸命草を抜きました。しかしその枯れ草は頑固で,少しずつしか抜くことができませんでした。この仕事を終えるには1日かかるだろうということが分かりました。わたしたちの意欲も徐々に失われていきました。

そのとき,8歳のわたしの頭にすばらしい解決策が浮かびました。わたしはダニーに言いました。「この草を燃やせばいいんだ。草を燃やして大きな丸い形を作ればいい!」彼はすぐに賛成しました。わたしは山小屋へマッチを取りに行きました。

誤解のないように言っておきますが,当時8歳だったダニーとわたしは,大人の監視のないところでマッチを使うことを禁じられていました。わたしたちは二人とも火の危険について何度も警告されていました。しかし,わたしは,家族がマッチをどこに置いているか知っていましたし,その雑草をどうしても処分したかったのです。わたしは夢中で山小屋へ走って行き,マッチを数本取り出して,だれも見ていないことを確認しました。そして,マッチをポケットに入れました。

ダニーのところに走って戻りました。問題を解決してくれるものをポケットに入れていたので,とてもわくわくしていました。今でも覚えていますが,火をつければ,わたしたちが必要としている部分だけが燃えて,その後は魔法のように消えてくれるものと信じていました。

わたしはマッチを石にこすって火をつけ,乾き切った6月の草に火をつけました。まるでガソリンがかかっているかのようにすぐに火は燃え移りました。最初,ダニーとわたしはその雑草が燃えていくのをわくわくしながら見守りました。しかし,ほどなくして,この火は勝手には消えてくれないということに気づきました。火を止められないことが分かったとき,わたしたちはパニックになりました。火は雑草をたどって山の斜面に向かい始めました。松の木や,そこにあるすべてのものが危険にさらされたのです。

結局,助けを求めに走る以外に選択肢はありませんでした。すぐに,ビビアンパークにいたすべての男性と女性が大きな麻袋を持って走って来て,その火をたたいて消そうとしてくれました。数時間後にやっと鎮火ました。古い松の木々が救われ,火にのみ込まれていたであろう家々も救われました。

その日,ダニーとわたしは,難しいけれども重要な教訓を得ました。特に重要な教訓は,従順であることです。

ルールや法律は,わたしたちの身の安全を確保してくれます。同様に主は,わたしたちがこの危険な地上での生活をくぐり抜け,霊的に安全に天の御父のみもとへ戻れるようにするために,導きや戒めを与えてくださいました。

何世紀も前に,動物を犠牲にささげることが伝統になっていた民に向かい,サムエルは大胆にこう宣言しました。「従うことは犠牲にまさり,聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」

またこの神権時代にも,主は預言者ジョセフ・スミスに次のことを明らかにされました。「主は心と進んで行う精神とを求める。そして,進んで行う従順な者は,この終わりの時にシオンの地の良いものを食べるであろう。」

昔も今も,預言者たちは従順が救いに不可欠であることを知っていました。ニーファイはこう宣言しました。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。」ほかの人の信仰や従順が揺らいだときでさえ,ニーファイは常に主が求められることを行いました。それによって,数知れない世代が祝福を得ているのです。

アブラハムとイサクの従順の模範も,霊に感動を与えます。アブラハムにとって,愛するイサクをモリヤの地に連れて行き,燔祭としてささげるようにという神の戒めに従順に従うことは,何と難しかったことでしょう。定められた場所に向かっていたときのアブラハムの重い心を想像できるでしょうか。イサクを縛り,祭壇に乗せ,殺すために刃物を取り出したとき,悲しみが体と心の両方に襲いかかったことでしょう。アブラハムは主に対する確固とした信仰と信頼をもって,その戒めに従いました。彼は次の宣言を聞いたとき,その言葉をどれほど喜んで受け入れたでしょう。「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子,あなたのひとり子をさえ,わたしのために惜しまないので,あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った。」

アブラハムは試練を受け,試されました。そしてその忠実さと従順さのゆえに,主は彼にすばらしい約束を下さいました。「地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである。」

従順を示すために,これほど劇的で心を引き裂くような経験は求められませんが,わたしたちにも従順が求められます。

ジョセフ・F・スミス大管長は1873年10月にこう宣言しました。「天の第一の律法は従順である。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう言いました。「末日聖徒の喜びは,末日聖徒の平安は,末日聖徒の進歩は,末日聖徒の繁栄は,そして,この民の永遠の救いと昇栄は,神の勧告に従順に歩むことにかかっているのです。」

従順は預言者の特質の一つです。すべての時代を通じて,預言者は従順を通して強さと知識を得てきました。この強さと知識の源をわたしたちも受けられることを理解しなければなりません。それは,神の戒めに従うことにより,今の時代のわたしたちもすぐに受けられるものなのです。

わたしは長年にわたり,多くの忠実で従順な人々に会ってきました。わたしは彼らによって祝福され,霊感を受けました。その中の二人について,皆さんに分かち合いたいと思います。

ウォルター・クラウスは教会の熱心な会員であり,家族とともに第二次世界大戦後の東ドイツに住んでいました。当時その国には自由が限られていたためにクラウス兄弟は苦しみました。それでもクラウス兄弟は主を愛し,主に仕える人でした。クラウス兄弟は与えられたすべての割り当てを,忠実に,きめ細かく成し遂げました。

もう一人の男性はハンガリーの出身のヨハン・デンドーファーです。彼は1911年,17歳のときにドイツでバプテスマを受け,その後間もなくしてハンガリーに戻りました。第二次世界大戦後,故郷のデブレッセンという町で,まるで囚人のような扱いを受けました。当時,ハンガリー国民も自由が奪われていたのです。

ウォルター・クラウス兄弟はデンドーファー兄弟を知りませんでしたが,彼のホームティーチャーになって定期的に訪問するように割り当てられました。クラウス兄弟はホームティーチングの同僚に電話をして,こう言いました。「わたしたちはヨハン・デンドーファー兄弟を訪問するように割り当てられました。今週わたしと一緒に彼を訪問して福音のメッセージを分かち合うことはできますか。」そしてこう付け加えました。「デンドーファー兄弟はハンガリーに住んでいます。」

同僚は驚いて,こう聞きました。

「いつ出発するのですか。」

「明日です」とクラウス兄弟は答えました。

「いつ戻って来ますか。」同僚が聞きました。

クラウス兄弟は答えました。「1週間ほどです。もし帰ることができれば」と。

二人のホームティーチングの同僚がデンドーファー兄弟を訪問するために出発しました。ドイツ北東部から電車やバスを乗り継ぎ,ハンガリーのデブレッセンに移動しましたが,かなりの長旅でした。デンドーファー兄弟には戦前からホームティーチャーがいませんでした。彼はこの主の僕たちを見たときに,彼らが来てくれたことへの感謝で圧倒されました。彼はホームティーチャーとすぐには握手をしませんでした。寝室に戻って,小さな棚から箱を出し,長年ためてきた什分の一を取り出しました。彼は什分の一をホームティーチャーに渡してからこう言いました。「やっと,主に対して什分の一の義務を果たすことができました。これで,主の僕と握手するのにふさわしくなれました。」後に,クラウス兄弟はわたしに言いました。「長年教会と連絡が取れなかった彼が,わずかな収入の中から常に10パーセントを取り分けておいたことに,言葉にできないほどの感動を覚えました。彼は実際にいつ納められるか分からないまま,忠実にそのお金をためていたのです。」

ウォルター・クラウス兄弟は9年前に94歳で亡くなりました。彼は生涯を通じて忠実に,従順に仕えました。彼はわたしに,そして彼を知っていたすべての人に,すばらしい霊感を与えてくれました。彼はどんな割り当てを受けても,決して疑わず,つぶやかず,言い訳せずに,実行しました。

兄弟姉妹の皆さん,この人生の大きなテストは,従順であることです。主はこう言われました。「わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。

救い主はこう宣言されました。「わたしから祝福を受けたいと思う者は皆,その祝福のために定められた律法とその条件に従わなければならない。その律法とその条件は,創世の前から定められたものである。」

わたしたちの救い主以上に従順の模範はおられません。パウロはこう述べています。

「彼は御子であられたにもかかわらず,さまざまの苦しみによって従順を学び,

そして,全き者とされたので,彼に従順であるすべての人に対して,永遠の救の源と〔なられた。〕」

救い主は完全な人生を送ることにより,御自分の聖なる使命を果たすことにより,神への愛を示されました。主は高ぶることも,尊大になることも,不忠実になることもありませんでした。常に謙遜で,誠実で,従順であられました。

イエスは悪魔に試みられたときも,40日40夜の断食の後に肉体的に疲れて空腹になられたときも,悪魔から最も強い誘惑を受けられたときも,御自分が正しいと知っておられることから離れることなく,完全な従順の模範を示されました。

ゲツセマネの苦しみに直面したときも,「汗が血のしたたりのように地に落ち〔る〕」ほどの苦しみに耐えながら,主は御子としての従順さを示し,こうおっしゃいました。「父よ,みこころならば,どうぞ,この杯をわたしから取りのけてください。しかし,わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。」

初期の使徒たちと同じ指示を,救い主はわたしや皆さんに与えておられます。「わたしに従ってきなさい。」わたしたちは従順になる決意ができているでしょうか。 

わたしたちが求める知識,切に願う答え,また,複雑で常に変化するこの世の試練に立ち向かうために必要な強さも,進んで主の戒めを守ることによって得ることができます。もう一度主の言葉を引用します。「神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。」

わたしたちが,従順によって得られる豊かな報いをもって祝福を得られますように,へりくだりお祈りします。わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストの御名により,アーメン。

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このお話は2013年4月の末日聖徒イエス・キリスト教会 総大会からご紹介しました。

十分の1について

以下の記述があります。

「 38 かみかれを,まずしい人々ひとびとのために什分じゅうぶんいちるようにさだめておられた。
39 そこでアブラムは,ぶんっていたすべてのもの,すなわちかみ必要ひつようえてさずけてくださったすべてのしょゆうとみ什分じゅうぶんいちかれおさめた。 」
(ジョセフ・スミス訳創世記14:25-40より 抜粋)

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本日もお読みいただいてありがとうございます。

赤字青字は付加しています。

良い1日をお祈りします。

愛―福音の真髄

2022-02-13 22:35:55 | 日記
愛―福音の真髄
トーマス・S・モンソン大管長

この現世の旅を共にしている同胞を愛さないならば,本当に神を愛することはできません。


愛する兄弟姉妹の皆さん,救い主は人々の中で教え導いておられたとき,律法学者から次のような質問をお受けになりました。「先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。」

マタイの記録によれば,イエスはこうお答えになりました。

『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』

これがいちばん大切な,第一のいましめである。

第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』」1

マルコはこの話を,救い主の次の御言葉で結んでいます。「これより大事ないましめは,ほかにない。」2

この現世の旅を共にしている同胞を愛さないならば,本当に神を愛することはできません。同様に,わたしたち全員の御父であられる神を愛さないならば,完全に同胞を愛することはできません。使徒ヨハネは次のように言っています。「神を愛する者は,兄弟をも愛すべきである。この戒めを,わたしたちは神から授かっている。」3わたしたちは皆,天の御父の霊の子供であり,したがって兄弟姉妹です。この真理を心に留めておくと,神の全ての子供たちを愛するのが容易になります。

実際,愛はまさに福音の真髄であって,イエス・キリストはわたしたちの模範であられます。主の生涯は愛の遺産です。主は病める者を癒やし,虐げられた者を抱き上げ,罪人を救われました。最後には,怒った群衆が主の命を取りました。それでもなお,ゴルゴタの丘から次の御言葉が聞こえてきます。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」4この御言葉には現世における究極の哀れみと愛が表れています。

愛の表れである特質はたくさんあります。優しさ,忍耐,無私の心,思いやり,赦し。あらゆる人との交わりの中で,わたしたちはこれらの特質やその他の特質によって,心に抱いている愛をはっきりと示すことができます。

通常,わたしたちの愛は互いに日々交わる中で示されます。何よりも大切なのは,誰かの必要に気づいて応じる能力でしょう。次の短い詩の中で表現されている気持ちを,わたしはいつも大切にしてきました。

人の必要に気づかずに,
枕を涙でぬらした夜は
数知れない。
だが,ほんの少し人に尽くしすぎたからといって
悔やんだことは
一度もない。5

最近,愛にあふれた優しさの一例である感動的な話について知りました。その結末は予期せぬものでした。1933年,世界大恐慌のために就職先を見つけるのが困難だった時期のことで,合衆国東部での話です。アーリーン・ビーセカーは,高校を卒業したばかりでした。長く続いた職探しの後,ついに縫製工場で衣服を縫う仕事を得ました。工場で働く人たちは,毎日自分が縫ってきちんと仕上げた数だけ支払いを受けました。たくさん仕上げればそれだけ賃金が増えるのです。

工場で働き始めて間もないある日,アーリーンはある手順のところで行き詰まり,困惑といらだちを覚えました。ミシンの前に座り,縫い物を完成させるために,失敗した箇所をほどこうと試みました。助けてくれる人は誰もいないように思われました。他の縫製員は皆,できる限り多くの衣服を仕上げようと急いでいたからです。アーリーンは自分の無力さを感じ,絶望的になりました。そして静かに泣きだしました。

アーリーンの真向かいに座っていたのがバーニス・ロックでした。バーニスは年上で,縫製員としても先輩でした。アーリーンが困り果てているのに気づき,バーニスは自分の作業をやめてアーリーンの傍らに行き,優しく方法を教え,手伝ってあげました。そしてアーリーンが自信を得て,無事に仕上げられるまでついていてあげたのです。その後,バーニスは自分のミシンに戻りました。ただ,手伝っていなければ仕上げることができていたであろう,たくさんの衣服を仕上げる機会を逃してしまいました。

この一つの愛にあふれた優しさの行いによって,バーニスとアーリーンは生涯の友となりました。やがてそれぞれ結婚し,子供ができました。1950年代のあるとき,教会員だったバーニスはアーリーンとその家族にモルモン書を1冊贈りました。そして1960年,アーリーンと彼女の夫と子供たちはバプテスマを受けて教会員になりました。後に,神の聖なる神殿で結び固められました。

きっかけはバーニスの思いやりでした。相手のことはよく知りませんでしたが,困り果てて助けを必要としていた人を,自分のことは後回しにして助けに行きました。こうして思いやりを示した結果として,今では生者も死者も含めて無数の人たちが福音の救いの儀式を享受しているのです。

日々の生活の中で,わたしたちには周りの人に愛と優しさを示す機会があります。スペンサー・W・キンボール大管長は次のように述べています。「駐車場,オフィス,エレベーターなど,様々な所で会う人は皆,神がわたしたちに愛し仕えるようにと望んでおられる人々であることを忘れないでください。もし周囲にいる人たちを自分の兄弟姉妹として見ることができないとしたら,人類は皆兄弟であるなどと言っても,何の益にもなりません。」6

愛を示す機会は思いがけないときに訪れることがよくあります。そのような機会の例が,1981年10月の新聞記事で紹介されました。その中で述べられていた愛と思いやりに深く胸を打たれたので,わたしは記事を切り抜いて30年以上ファイルに保存してきました。

記事によれば,乗客150人を乗せてアラスカ州アンカレジからワシントン州シアトルへ向かっていたアラスカ航空の直行便が,重傷を負った子供を運ぶために迂回してアラスカの辺境の町に向かいました。2歳の男の子が,自宅近くで遊んでいたときに転び,ガラスの破片で腕の動脈を切ってしまったのです。町はアンカレジの南方450マイル(725キロ)にあり,もちろん飛行経路からは外れていました。しかし,現場で治療に当たった医師たちが必死に協力を要請した結果,男の子が病院で治療を受けられるように,この飛行機が迂回して男の子を乗せ,シアトルへ連れて行くことになりました。

その辺境の町の近くに飛行機が着陸したとき,医師たちはパイロットに,男の子は出血がひどく,シアトルまで飛んでいては命が持たないことを告げました。そこで,病院がある最寄りの都市アラスカ州ジュノーまで,さらに飛行経路から外れて200マイル(320キロ)飛ぶことになりました。

男の子をジュノーに運んだ後,飛行機は予定より数時間遅れてシアトルに向かいました。乗客のほとんどが約束や乗り継ぎの飛行機に間に合いそうにありませんでしたが,不平を言う人は誰もいませんでした。それどころか,時が刻々と過ぎていく中で,彼らは寄付金を集め,男の子とその家族のために相当な額を集めました。

飛行機がシアトルに着陸しようというとき,乗客は大きな歓声を上げました。男の子は助かるとの無線連絡を受けたと,パイロットがアナウンスをしたのです。7

わたしは次の聖句の言葉を思い浮かべました。「この慈愛はキリストの純粋な愛であって,……終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は,幸いである。‎」8

兄弟姉妹の皆さん,愛を示す最も重要な機会の幾つかは,わたしたち自身の家庭の中で訪れます。愛は家族生活のまさしく中心にあるべきものですが,そうなっていないことがしばしばあります。あまりに多くのいらだちや言い争い,けんか,そして涙が見られることがあります。ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように嘆いています。「自分の〔最も〕愛する〔人たち〕に,荒々しい言葉を頻繁にぶつけるのはなぜでしょうか。……ナイフのように人を深く傷つける言葉をときどき口にするのはなぜでしょうか。」9これらの問いに対する答えは人によって異なるかもしれませんが,肝心なことは,理由は重要ではないという点です。もし互いに愛し合いなさいという戒めを守ろうとするのであれば,互いに優しさと敬意をもって接しなければなりません。

もちろん,厳しい態度を執る必要があるときもあるでしょう。しかし,教義と聖約に記されている勧告を覚えておきましょう。すなわち,人を責める必要があるときには,その後,一層の愛を示すということです。10

わたしたちが周りの人の考えや気持ち,状況にいつも心を配り,敏感であろうと努めるようにと願っています。人の名誉を傷つけたり,人をけなしたりしないようにしましょう。その代わりに,思いやり深くあって,人を元気づけましょう。不用意な言葉や行いによって他の人の自信を打ち砕くことのないように気をつけなければなりません。

赦しは愛と切り離して考えることができません。家族の中で,また友人との間で,心が傷つき,仲たがいすることがあります。この場合もやはり,たとえ最初はどんなに小さな問題であったとしても,それが心をむしばみ,腐敗させ,最終的には破壊してしまうのを放置することなどできませんし,そうすべきではありません。相手を非難しても傷はふさがりません。赦しによってのみ癒やされるのです。

もう亡くなった愛らしいご婦人が,ある日わたしとの会話の中で不意に悲しい話をしてくれました。何年も前に近所の農夫との間で起こった出来事です。かつては仲の良い友人でしたが,その女性とご主人は,時折その人と言い争うことがありました。ある日,その農夫から,自分の土地まで近道をするためにお宅の敷地を通ってもよいかと尋ねられたそうです。ここまで話したところで女性は一瞬沈黙し,声を震わせながらこう言いました。「モンソン兄弟,わたしはそのときもその後も,その人を通してあげずに,彼の敷地まで遠回りさせてしまったのです。わたしは間違っていました。後悔しています。その人はもう亡くなりましたが,『本当にごめんなさい』と言えたらどんなにいいでしょう。優しくするチャンスがもう一度あったなら,と心から思います。」

彼女の話を聞きながら,ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアの深い悲しみの言葉が心に浮かびました。「舌が語り,ペンがつづる悲しい言葉の中で,最も悲しい言葉はこうだ。『しようと思えばできていたのに! 』」11兄弟姉妹の皆さん,互いに愛と優しい心遣いをもって接するとき,わたしたちはそのような後悔を避けることができるでしょう。

愛は目に見える様々な方法で表現されます。ほほえむこと,手を振ること,優しい一言を口にすること,褒めること。次のような方法で,よりさりげなく表現されることもあります。相手がしていることに関心を示すこと,優しく忍耐強く原則を教えること,病気の人を見舞い,家から出られない人を訪問すること。ここに挙げたものや,他にも様々な言葉や行いを通して,愛を伝えることができます。

著名なアメリカの著述家であり講演家であるデール・カーネギーは,人はそれぞれ「孤独な人や落胆している人に心からの称賛の言葉を少しばかりかけることによって」世界の幸福度を高める力を秘めている,と確信していました。彼はこう言っています。「恐らく皆さんは今日かけた優しい言葉を明日には忘れてしまうことでしょう。でも,かけてもらった人はその言葉を一生大切にするかもしれません。」12

わたしたちが今から,まさに今日から,家族であろうと友人であろうと,あるいは単なる知り合いやまったく知らない人であろうと,神の全ての子供たちに愛を示し始めますように。毎朝起きるときに,どのようなことが起ころうとも愛と優しさをもって応じると決意しましょう。

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちに対する神の愛は人の理解を超えるものです。この愛のゆえに,神はその御子を遣わしてくださり,御子はわたしたちが永遠の命を得られるように御自分の命をささげるほどに,わたしたちを愛してくださいました。この比類のない賜物について理解するにつれて,わたしたちの心は永遠の御父と,救い主と,全ての人に対する愛で満たされることでしょう。そうなることを,イエス・キリストの聖なる御名によって切に祈ります,アーメン。

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本日もお読みいただいてありがとうございます。

このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2014年4月の総大会からご紹介しました。

赤字青字は付加しています。

1~12の脚注は、省略しています。

毎朝起きるときに,どのようなことが起ころうとも愛と優しさをもって応じると決意できますように。



ロトの妻は何を誤ったのか。

2022-02-13 13:21:54 | 日記

創世記第19章1:~26


19:1そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、

19:2言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、われわれは広場で夜を過ごします」。

19:3しかしロトがしいて勧めたので、彼らはついに彼の所に寄り、家にはいった。ロトは彼らのためにふるまいを設け、種入れぬパンを焼いて食べさせた。

19:4ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、

19:5ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。

19:6ロトは入口におる彼らの所に出て行き、うしろの戸を閉じて、

19:7言った、「兄弟たちよ、どうか悪い事はしないでください。

19:8わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」。

19:9彼らは言った、「退け」。また言った、「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう」。彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。

Joseph Smith 訳創世19:9-14

9 彼らはロトに,「下っていろ」と言った。彼らは彼に腹を立てていた。

10 そして,彼らは互いに言った。「この男は渡って来たよそ者であるのに,今は裁き人になろうとする。今,我々は彼らよりも,この男をもっとひどい目に遭わせよう。」

11 そして,彼らはその人に言った。「あの男たちと,おまえの娘たちをもらおう。そして,好きなようにさせてもらう。」

12 さて,これがソドムの悪の流儀であった。

13 そこでロトは言った。「御覧ください。わたしにはまだ男を知らない娘が二人います。どうか兄弟たちよ,娘たちを差し出さなくてもよいようにしてください。娘たちに好き勝手なことはしないでください。

14 神の僕がそのようなことをするのを,神は義とはされないからです。ですから,兄弟たちよ,もう一度だけお願いします。この人たちに何もしないで,わたしの家に安らかにいられるようにしてください。わたしの屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」
19:10その時、かのふたりは手を伸べてロトを家の内に引き入れ、戸を閉じた。

Joseph Smith 訳創世19:15

15 すると,彼らはロトに腹を立て,進み寄って戸を破ろうとした。しかし,聖なる人々である神の天使たちは,手を伸べてロトを家の中に引き入れ,戸を閉じた。

19:11そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を捜すのに疲れた。

19:12ふたりはロトに言った、「ほかにあなたの身内の者がここにおりますか。あなたのむこ、むすこ、娘およびこの町におるあなたの身内の者を、皆ここから連れ出しなさい。

19:13われわれがこの所を滅ぼそうとしているからです。人々の叫びが主の前に大きくなり、主はこの所を滅ぼすために、われわれをつかわされたのです」。

19:14そこでロトは出て行って、その娘たちをめとるむこたちに告げて言った、「立ってこの所から出なさい。主がこの町を滅ぼされます」。しかしそれはむこたちには戯むれごとに思えた。

19:15夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。

19:16彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。

19:17彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。

19:18ロトは彼らに言った、「わが主よ、どうか、そうさせないでください。

19:19しもべはすでにあなたの前に恵みを得ました。あなたはわたしの命を救って、大いなるいつくしみを施されました。しかしわたしは山まではのがれる事ができません。災が身に追い迫ってわたしは死ぬでしょう。

19:20あの町をごらんなさい。逃げていくのに近く、また小さい町です。どうかわたしをそこにのがれさせてください。それは小さいではありませんか。そうすればわたしの命は助かるでしょう」。

19:21み使は彼に言った、「わたしはこの事でもあなたの願いをいれて、あなたの言うその町は滅ぼしません。

19:22急いでそこへのがれなさい。あなたがそこに着くまでは、わたしは何事もすることができません」。これによって、その町の名はゾアルと呼ばれた。

19:23ロトがゾアルに着いた時、日は地の上にのぼった。

19:24主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、

19:25これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。

19:26しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
(以上)

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〔 参考 1 〕

〔JS創世19:9-15。創世19:8-10と比較
ロトはソドムの悪に対抗し,天使たちが彼を守る。〕
9 彼らはロトに,「下っていろ」と言った。彼らは彼に腹を立ていた。

10 そして,彼らは互いに言った。「この男は渡って来たよそ者であるのに,今は裁き人になろうとする。今,我々は彼らよりも,この男をもっとひどい目に遭わせよう。」

11 そして,彼らはその人に言った。「あの男たちと,おまえの娘たちをもらおう。そして,好きなようにさせてもらう。」

12 さて,これがソドムの悪の流儀であった。

13 そこでロトは言った。「御覧ください。わたしにはまだ男を知らない娘が二人います。どうか兄弟たちよ,娘たちを差し出さなくてもよいようにしてください。娘たちに好き勝っ手なことはしないでください。

14 神の僕がそのようなことをするのを,神は義とはされないからです。ですから,兄弟たちよ,もう一度だけお願いします。この人たちに何もしないで,わたしの家に安らかにいられるようにしてください。わたしの屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」

15 すると,彼らはロトに腹を立て,進み寄って戸を破ろうとした。しかし,聖なる人々である神の天使たちは,手を伸べてロトを家の中に引き入れ,戸を閉じた。

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〔参考 2 〕




創世19:26
ロトの妻は何を誤ったのか。
ジェフリー・R・ホランド長老は次のように教えています。
「ロトの妻が犯した間違いは,単に振り返ったことではなく,心に帰りたいと願ったことのように思われます。ソドムとゴモラで手に入れていたものを町の境を越える前から恋しく思っていたのでしょう。……彼女には信仰がなかったということです。今ある以上のものを与えてくださる神の力を疑ったのです。……
あらゆる世代の人に,『ロトの妻のことを思い出しなさい』〔ルカ17:32〕とわたしは声を大にして言います。信仰は将来のためにあります。信仰は過去の上に築かれますが,決して過去にとどまることを望みません。信仰とは,神がわたしたち一人一人のために多くの偉大なものを用意しておられ,また,キリストは真に『祝福の大祭司』であられることを信じることです(ヘブル9:11)。」(「最善はこれからだ」『リアホナ』2010年1月号,17-18,21)

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〔参考 3 〕

ルカ17:20~32

17:20神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 17:21また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
17:22それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。 17:23人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。 17:24いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。 17:25しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。 17:26そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。 17:27ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。 17:28ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、 17:29ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。 17:30人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。 17:31その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。 17:32ロトの妻のことを思い出しなさい。 17:33自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。 17:34あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。 17:35ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。〔 17:36ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。 17:37弟子たちは「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。するとイエスは言われた、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。

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本日もお読みいただいてありがとうございます。

赤字青字下線は追加しています。

良い安息日をお祈りします。










サライ のちに サラ と呼ばれる

2022-02-12 05:20:11 | 日記
創世記
29 アブラムとナホルはつまをめとった。アブラムのつまはサライといい、ナホルのつまはミルカといってハランのむすめである。ハランはミルカのちち、またイスカのちちである。
29 And Abram and Nahor took them wives: the name of Abram’s wife was Sarai; and the name of Nahor’s wife, Milcah, the daughter of Haran, the father of Milcah, and the father of Iscah.

30 サライはうまずめで、がなかった。
30 But Sarai was barren; she had no child.

31 テラはそのアブラムと、ハランのであるまごロトと、アブラムのつまであるよめサライとをれて、カナンのこうとカルデヤのウルをたが、ハランにいてそこにんだ。
31 And Terah took Abram his son, and Lot the son of Haran his son’s son, and Sarai his daughter in law, his son Abram’s wife; and they went forth with them from Ur of the Chaldees, to go into the land of Canaan; and they came unto Haran, and dwelt there.
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※この部分が、日本国語聖書では、翻訳されていません。
Sarai his daughter in law,
ちなみに
中国語聖書では、
創 世 記, 11:31 - 他 拉 帶 著 他 兒 子 亞 伯 蘭 、 和 他 孫 子 哈 蘭 的 兒 子 羅 得 、 並 他 兒 婦 亞 伯 蘭 的 妻 子 撒 萊 、 出 了 迦 勒 底 的 吾 珥 、 要 往 迦 南 地 去 、 他 們 走 到 哈 蘭 就 住 在 那 裡 。
こちらも、翻訳されていないようです。
中国語は、良く分かりませんが。
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〔参照になる聖句〕

創世記第20章

20:1アブラハムはそこからネゲブの地に移って、カデシとシュルの間に住んだ。彼がゲラルにとどまっていた時、 20:2アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人をつかわしてサラを召し入れた。 20:3ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた、「あなたは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である」。 20:4アビメレクはまだ彼女に近づいていなかったので言った、「主よ、あなたは正しい民でも殺されるのですか。 20:5彼はわたしに、これはわたしの妹ですと言ったではありませんか。また彼女も自分で、彼はわたしの兄ですと言いました。わたしは心も清く、手もいさぎよく、このことをしました」。 20:6神はまた夢で彼に言われた、「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを許さなかったのです。 20:7いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。

20:8そこでアビメレクは朝早く起き、しもべたちをことごとく召し集めて、これらの事をみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。 20:9そしてアビメレクはアブラハムを召して言った、「あなたはわれわれに何をするのですか。あなたに対してわたしがどんな罪を犯したために、あなたはわたしとわたしの国とに、大きな罪を負わせるのですか。あなたはしてはならぬことをわたしにしたのです」。 20:10アビメレクはまたアブラハムに言った、「あなたはなんと思って、この事をしたのですか」。 20:11アブラハムは言った、「この所には神を恐れるということが、まったくないので、わたしの妻のゆえに人々がわたしを殺すと思ったからです。 20:12また彼女はほんとうにわたしの妹なのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。そして、わたしの妻になったのです。 20:13神がわたしに父の家を離れて、行き巡らせた時、わたしは彼女に、あなたはわたしたちの行くさきざきでわたしを兄であると言ってください。これはあなたがわたしに施す恵みであると言いました」。 20:14そこでアビメレクは羊、牛および男女の奴隷を取ってアブラハムに与え、その妻サラを彼に返した。 20:15そしてアビメレクは言った、「わたしの地はあなたの前にあります。あなたの好きな所に住みなさい」。 20:16またサラに言った、「わたしはあなたの兄に銀千シケルを与えました。これはあなたの身に起ったすべての事について、あなたに償いをするものです。こうしてすべての人にあなたは正しいと認められます」。 20:17そこでアブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻および、はしためたちをいやされたので、彼らは子を産むようになった。 20:18これは主がさきにアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの家のすべての者の胎を、かたく閉ざされたからである。

11:26テラは七十歳になってアブラム、ナホルおよびハランを生んだ。

11:27テラの系図は次のとおりである。テラはアブラム、ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ。 11:28ハランは父テラにさきだって、その生れた地、カルデヤのウルで死んだ。 11:29アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライといい、ナホルの妻の名はミルカといってハランの娘である。ハランはミルカの父、またイスカの父である。 11:30サライはうまずめで、子がなかった。

11:31テラはその子アブラムと、ハランの子である孫ロトと、子アブラムの妻である嫁サライとを連れて、カナンの地へ行こうとカルデヤのウルを出たが、ハランに着いてそこに住んだ。 11:32テラの年は二百五歳であった。テラはハランで死んだ。

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サラは、彼女はほんとうにわたしの妹なのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。

と言うことが分かりました。


本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

〔追加 聖句〕

創世記17章

15 かみはまたアブラハムにわれた、「あなたのつまサライは、もはやをサライといわず、サラいなさい。
15 ¶ And God said unto Abraham, As for Sarai thy wife, thou shalt not call her name Sarai, but Sarah shall her name be.

16 わたしは彼女かのじょ祝福しゅくふくし、また彼女かのじょによって、あなたにひとりのおとこさづけよう。わたしは彼女かのじょ祝福しゅくふくし、彼女かのじょ国々くにぐにたみははとしよう。彼女かのじょから、もろもろのたみおうたちがるであろう」。
16 And I will bless her, and give thee a son also of her: yea, I will bless her, and she shall be a mother of nations; kings of people shall be of her.






十分の一の律法

2022-02-11 22:57:15 | 日記
〔創世記14:18-19〕

14:18その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。

14:19彼はアブラムを祝福して言った、
「願わくは天地の主なるいと高き神が、
アブラムを祝福されるように。
14:20願わくはあなたの敵をあなたの手に渡された
いと高き神があがめられるように」。
アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。

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〔ジョセフ・スミス訳創世記9:25-39 〕

25 メルキゼデクはこえげて,アブラムをしゅくふくした。
26 さて,メルキゼデクはしんこうひとであり,おこなった。どものころ,かれかみおそれ,ライオンのくちふうじ,もうしずめた。
27 こうしてかれかみからみとめられ,かみがエノクとわされた聖約せいやくくらいしたがだいさい聖任せいにんされた。
28 それは,かみくらいしたがうものであり,そのくらいひとによらず,ひとによらずにあたえられたもので,ちちははもなく,はじめもとしわりもない。それはかみからたものであった。
29 それは,かみしんこえしにより,かみしんこころしたがって,人々ひとびとに,すなわちかみしんじるすべてのひとあたえられた。
30 かみしんがエノクとかれそんかたちかっておられたからである。このくらいしにしたがって聖任せいにんされたひとみなしんこうにより,山々やまやまくずし,うみけ,みずがらせ,そのながれをえるちからつであろう。
31 また,もろもろのくに軍勢ぐんせいをものともせず,け,あらゆるなわき,かみまえち,かみこころ命令めいれいのとおりにすべてのことをおこない,はいけん服従ふくじゅうさせるちからつであろう。これは,創世そうせいまえからおられたかみこころによるのである。
32 このしんこうち,このかみくらいのぼった人々ひとびとは,えられててんげられた。
33 さて,メルキゼデクはこのくらいさいであった。そのため,サレムでへいて,へいきみばれた。
34 そして,このたみおこない,てん,エノクのまちもとめた。それは,末日まつじつまで,すなわちわりまでっておくために,かみがかつてからけてげられたまちである。
35 かみは,てんひとつとなり,かみらがによるかのようにためされるとい,かたちかわれた。
36 このメルキゼデクはこのようにてたので,かれたみによっててんおうえれば,へいおうばれた。
37 そして,かれだいさいであり,かみくらまもひとであったので,こえげて,アブラムをしゅくふくした。
38 かみかれを,まずしい人々ひとびとのために什分じゅうぶんいちるようにさだめておられた
39 そこでアブラムは,ぶんっていたすべてのもの,すなわちかみ必要ひつようえてさずけてくださったすべてのしょゆうとみ什分じゅうぶんいちかれおさめた。
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創世記は、
アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。
とさらっと書いてあります。
ジョセフ・スミス訳創世記では、
38 かみかれを,まずしい人々ひとびとのために什分じゅうぶんいちるようにさだめておられた
39 そこでアブラムは,ぶんっていたすべてのもの,すなわちかみ必要ひつようえてさずけてくださったすべてのしょゆうとみ什分じゅうぶんいちかれおさめた。
什分じゅうぶん一は、貧しい人々のためにと詳しく述べられています。
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お読みいただいてありがとうございます。
〔モルモン書 第1ニーファイ13:40〕
40 てん使はわたしにった。「あなたがほうじんなかたそれらあとほう録〔モルモン書〕ろくは、ひつじじゅう使からはじめの録〔聖書〕ろく真実しんじつであることをりっしょうし、またそのなかからられたかりやすくてとうとぶんあきらかにする。またそれらのろくは、かみひつじ永遠えいえん御父おんちちおんであって、すくぬしであられること、すべてのひとはこのすくぬしのみもとになければならず、そうしなければすくわれないことを、すべてのぞくこくたみ民族みんぞくらせる。
と述べられています。