イエス・キリストの福音をご紹介します。

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生けるキリストの生ける証人

2022-02-11 22:34:34 | 日記
生けるキリストの生ける証人
ジェラルド・コセー ビショップ
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モルモン書の中心となるメッセージは,人類の救いと昇栄におけるイエス・キリストの重要な役割について,真の知識を回復することです。
2017年のある晴れた春の日,フランス・パリ神殿のオープンハウスが順調に行われていました。そのとき,一人のツアーガイドのもとへ,悲しみに顔を曇らせた男性が近づいてきました。彼は神殿の隣りに住んでいると言い,神殿の建設に反対していたことを認めました。ある日,アパートの窓から外を眺めていると,大型クレーン車が,空からイエスの像をおろしていき,神殿の敷地に静かに置く様子を目にしました。その男性は,この経験が教会に対する彼の気持ちを完全に変えてくれたのだと力説しました。わたしたちがイエス・キリストに従っていることに気づき,男性はこれまで損害を与えてしまったかもしれないことに対して赦しを求めたのです。


クリスタス像は,パリ神殿や教会のそのほかの施設にも設置されていて,救い主に対するわたしたちの愛を証しています。オリジナルの大理石像は,デンマークの彫刻家ベルテル・トルバルセンの作品で,最初の示現と同じ1820年に作られました。その像は,当時のほとんどの芸術的表現,すなわち十字架上で苦しむキリストを主体にして描いたものとはまったく対照的でした。トルバルセンの作品は,死に勝利し,腕を広げ,すべての人を御自身のもとに招いておられる生けるキリストを表現しています。全人類を救うために主が耐えられた,筆舌に尽くし難い激しい苦痛を証しているのは,主の手足にある釘の跡と脇腹の傷だけです。


恐らく,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員がこの像を愛する理由の一つは,救い主がアメリカ大陸を訪れられたモルモン書の記述を思い起こさせるからでしょう。


すると見よ,天から一人の男の方が降って来られるのが見えた。この御方は白い衣を着ておられ,降って来て群衆の中に立たれた。……

そこでこの御方は,片手を差し伸べて人々に言われた。

『見よ,わたしはイエス・キリストであ〔る〕……。

……わたしは,父がわたしに下さったあの苦い杯から飲み,世の罪を自分に負うことによって父に栄光をささげた。』」

それから主はすべての男女と子供に,自分のもとに来て,脇腹に手を差し入れ,両手と両足の釘跡に触れることで,主が確かに待ち望んでいたメシヤであるという個人の証を得るように招かれました。

この崇高な場面は,モルモン書のまさに最高潮です。福音の「よきおとずれ」全体が,この救い主の像に込められています。「憐れみの御腕」 を優しく差し伸べ,主のもとに来て主の贖いの祝福を受けるように,一人一人を招いておられるのです。

モルモン書の中心となるメッセージは,人類の救いと昇栄におけるイエス・キリストの重要な役割について,真の知識を回復することです。このテーマは,モルモン書の最初のページから最後の章の最後の言葉にまで反映されています。背教と霊的混乱の数世紀を通して,キリストがゲツセマネとゴルゴダで行われたことのより深い意味は失われるか,改悪されてしまいました。ニーファイ第一書を翻訳していたジョセフ・スミスは,次のすばらしい約束を発見したとき,どんなに胸を躍らせたことでしょうか。「……それら後の方の記録〔モルモン書〕は……初めの記録〔聖書〕が真実であることを立証し,またその中から取り去られた分かりやすくて貴い部分を明らかにする。またそれらの記録は,神の小羊が永遠の御父の御子であって,世の救い主であられること,すべての人はこの救い主のみもとに来なければならず,そうしなければ救われないことを,すべての部族,国語の民,民族に知らせる。

救い主の贖罪についての分かりやすくて貴い真理は,モルモン書全体に鳴り響いています。それらの真理を幾つかリストアップしますので,それがいかに自分の生活を変えてきたか,あるいは変えることができるかよく考えてください。
イエス・キリストの贖罪は,地上にかつて生きた人,現在生きている人,そして今後生まれてくる人全員に無料で与えられる贈り物です。
キリストは,わたしたちの罪の重荷を負うことに加えて,わたしたちの悲しみや弱さ,苦しみ,病,そして人が死すべき世で経験するあらゆる苦痛を御自分に受けられました。主がわたしたちのために経験されなかった苦悩や苦痛,悲しみはありません。
救い主の贖いの犠牲により,わたしたちは,肉体の死を含む,アダムの堕落の否定的な結果を克服できます。キリストのゆえに,この地上に生まれた神の子供たちは皆,義の状態がどうあれ,復活の力によって霊と肉体が再び結合し,「自分の……行いに応じて裁かれる」ために,主の御前に連れ戻されます。
その一方で,救い主の贖罪の完全な祝福を受けるには 「キリストの教義」に従って熱心に生活することが条件とされます。リーハイは夢の中で,命の木に至る「細くて狭い道」 を見ました。その実は,キリストの贖罪の至高の祝福を通して経験する神の愛を表わし,「非常に貴く,……好ましいもので,……神のあらゆる賜物の中で最も大いなるもの」です。この実を味わうには,イエス・キリストを信じる信仰を行使し,悔い改め,「神の言葉に聞き従って」,必要な儀式を受け,生涯を終えるまで神聖な聖約を守らなければなりません。
イエス・キリストは贖罪を通して,わたしたちの罪を洗い流すだけでなく,能力を授ける恵みの力を与えてくださいます。主の弟子たちはその力により,「生まれながらの人を捨て」,「教えに教え」を受けて成長し,聖さを増し加え,いつの日かキリストの面影を持った完全な者となって,再び神とともに住む資格を得て,天の王国のあらゆる祝福を受け継ぐのです。
モルモン書に記されている,慰めとなるもう一つの真理は,主の贖罪が,無限で万人に及ぶにもかかわらず,非常に個人的で私的な賜物であり,わたしたち一人一人に当てはまるということです。イエスがニーファイ人の弟子たち一人一人を招いて御自分の傷跡に触れさせたように,主はあたかも皆さんやわたしが地上で唯一の人であるかのように,わたしたち一人一人のために亡くなられたのです。主は御自分のもとに来て,主の贖罪の驚くべき祝福を受けるよう,個人的に招いておられます。

個々人に当てはまるというキリストの贖罪の性質は,モルモン書の中の卓越した男女の模範について考えるとき,よりいっそう現実のものになります。その中には,エノス,アルマ,ゼーズロム,ラモーナイ王とその妻,ベニヤミン王の民がいます。彼らの改宗談と力強い証は,主の無限の慈しみと憐れみを通して,いかに人の心が変わり,生活が変化するかを示す生きた証言です。

預言者アルマは民に次のような熱烈な質問をしています。「もしあなたがたが心の変化を経験しているのであれば,また,贖いをもたらす愛の歌を歌おうと感じたことがあるのであれば,今でもそのように感じられるか尋ねたい。」この質問は今日でもきわめて重要です。なぜなら,主の弟子としてわたしたちは,日々共にあり,動機づけ,わたしたちを変えてくれる主の贖いの力を必要としているからです。

アルマの質問は次のように言い換えることもできます。あなたの生活で,救い主の贖罪の優しい力を最後に感じたのはいつですか。それは,罪が赦されたという証を心に得られ,「麗しく,また快い喜び」を味わうときです。または,つらい試練が突然軽くなり負いやすくなるとき,あるいは心が和らいで,自分を傷つけた人に赦しを伝えられるようになるときに感じます。もしくは,人を愛し奉仕する力が増したことに毎回気づくときや,聖めのプロセスで,救い主の模範に倣って人柄が変わっていくときにかもしれません。

わたしは証します。これらすべての経験が真実であり,イエス・キリストと主の贖罪を信じる信仰を通して生活が変わり得ることの証拠です。モルモン書は,この高貴な賜物についてのわたしたちの知識を明確にして,広げてくれます。この書物を研究するとき,皆さんは主のもとに来るように招く生けるキリストの声を聞くでしょう。この招きを受け入れ,主の模範に倣って生活するならば,主の贖いの力が皆さんの生活にもたらされると,わたしは約束します。皆さんが「ついには真昼」の輝きのようになる,つまり,主の宣言のように,「〔主〕の顔を見て,〔主〕がいることを知る」ときまで,日々聖霊の力を通して主は皆さんを変えてくださいます。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2020年4月の総大会からご紹介しました。

青字赤字は付加しています。

お読みいただいてありがとうございます。


解放する力

2022-02-10 04:48:47 | 日記
解放する力
L・トム・ペリー長老
十二使徒定員会
 聖文の教えに心を向けることによって,わたしたちは悪の道から救い出していただくことができます。
わたしにはとても良い友人がいて,毎回,総大会の話をする部会で着ける新しいネクタイを送ってくれます。非常にセンスが良いと思いませんか。

その若い友人は困難な問題を抱えていて,そのために限られていることも幾つかありますが,並外れた点もあります。例えば,宣教師としての大胆さはモーサヤの息子たちに劣りません。これは,彼の信念が純粋であるがゆえに途方もなく確固としているからです。スコットには,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員でない人や,モルモン書を読んでいない人,それが真実であるという証を持っていない人がいることなどきっと想像できないのでしょう。

スコットが兄弟を訪ねて行くために初めて独りで飛行機に乗ったときの出来事を紹介しましょう。たまたますぐそばの席に座っていた近所の人が,スコットが隣の席の人と次のような会話をするのを耳にしました。

「こんにちは,スコットと言います。お名前は?」

隣に座っていた人が名前を言いました。

「お仕事は?」

「エンジニアです。」

「いいですね。家はどこですか。」

「ラスベガスです。」

「そこにはわたしたちの神殿があります。そのモルモンの神殿がどこにあるか知っていますか。」

「ええ,きれいな建物ですね。」

「あなたはモルモンですか。」

「いいえ。」

「ぜひなってください。すばらしい宗教です。モルモン書を読んだことがありますか。」

「いいえ。」

「ぜひ読んでください。すばらしい本です。」

わたしはスコットの言葉に心から賛成します。モルモン書はすばらしい本です。モルモン書の序文に引用されている預言者ジョセフ・スミスの言葉に,わたしはいつも共感してきました。「わたしは兄弟たちに言った。『モルモン書』はこの世で最も正確な書物であり,わたしたちの宗教のかなめ石である。そして,人はその教えを守ることにより,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。

今年,わたしたちは日曜学校のクラスでモルモン書を学んでいます。準備して参加するときに,スコットの大胆な模範に倣って,この特別な聖典を愛する思いを教会員ではない人に伝えようという気持ちを抱くことができますように。

ニーファイ第一書第1章の最後の節には,モルモン書の中心となるテーマが述べられています。ニーファイはこう言います。「しかし見よ,主の深い憐れみは,信仰があるために主から選ばれたすべての者のうえに及び,この人たちを強くして自らを解放する力さえ与えることを,わたしニーファイはあなたがたに示そう。」(1ニーファイ1:20)

この末日のために保存された主の深い憐れみであるモルモン書が,キリストの教義を純粋なまま「最も正確」に教えることによって,どのようにしてわたしたちを解放してくれるかについて話したいと思います。

モルモン書に記されている話の多くは,解放に関する話です。リーハイが家族とともに荒れ野へ立ち去ったのは,エルサレムの滅亡から救い出されるためでした。ヤレド人の話は解放についての話であり,ミュレク人の話もそうです。息子アルマは罪から解放されました。ヒラマンの若い兵士たちは戦いで救われました。ニーファイとリーハイは獄から救い出されました。解放というテーマは,モルモン書の至る所に見ることができます。

モルモン書には非常によく似た二つの話が載っていて,ある重要な教えを学ぶことができます。一つ目の話は,モーサヤ書第19章から始まります。ここには,ニーファイの地に住んでいたリムハイ王について書かれています。レーマン人がリムハイの民に戦争を仕掛けました。戦争の結果,レーマン人はリムハイ王がその民を治めることは認めましたが,民はレーマン人の奴隷になりました。その平和は苦悩に満ちたものでした(モーサヤ19-20章参照)。

リムハイの民はレーマン人による虐待に耐え切れず,王を説得してレーマン人と戦いに行きました。しかし,リムハイの民は3度にわたって破れ,民は重荷を負わされました。ついに民はへりくだって,自分たちを解放してくださるよう主に熱烈に叫び求めました(モーサヤ 21:1-14参照)。第21章15節に,主がそれにどうこたえられたかが記されています。「しかし,主は彼らの罪悪のために,彼らの嘆願を聞き届けるのを遅くされた。それでも主は,彼らの嘆願を聞き届け,レーマン人の心を和らげてくださったので,レーマン人はリムハイの民の重荷を軽くするようになった。しかし主は,彼らを奴隷の状態から救い出すのを,ふさわしいとは思われなかった。」

やがてアンモンの小さな一団がゼラヘムラからやって来て,彼らはリムハイの民の指導者の一人であったギデオンとともにある計画を立て,それが成功して,レーマン人による虐待から逃れました。主が彼らの嘆願を聞き届けるのを遅くされたのは,なぜだったのでしょうか。それは彼らの罪悪のためです。

もう一つの話は,多くの点で似ていますが,異なる点もあります。その話はモーサヤ書第24章に記録されています。

アルマとその民がヘラムの地に住んでいたとき,レーマン人の軍隊がその地の境に侵入して来ました。彼らは会って,何とか平和的に解決しました( モーサヤ23:25-29参照)。ところがすぐにレーマン人の指導者が自分たちの意向をアルマの民に押しつけるようになり,民に重荷を負わせました(モーサヤ24:8参照)。13節には次のように書かれています。「そして,苦難の中にいる彼らに主の声が聞こえて,言われた。『あなたがたの頭を上げて喜びなさい。わたしは,あなたがたがわたしと交わした聖約を知っている。わたしは自分の民と聖約を交わし,その民を奴隷の状態から救い出す。』」

アルマの民はレーマン人の手から救い出され,無事に帰ってゼラヘムラの民に加わりました。

アルマの民とリムハイ王の民はどこが異なっていたのでしょうか。明らかに,幾つか異なる点がありました。アルマの民は平和を好む,より義にかなった人々でした。すでにバプテスマを受け,主と聖約を交わしていました。艱難が始まる前から主の前にへりくだっていました。これらすべての点で異なっていたために,主が彼らを奴隷の状態にしていた者たちの手から奇跡的な方法ですぐに救い出されたことは適切で公平なことだったのです。これらの聖句は,主の解放の力について教えています。

イエス・キリストの生涯と使命について予告している預言では,主が解放をもたらしてくださることをわたしたちに約束しています。主の贖罪と復活はすべての人に肉体の死から逃れる道をもたらし,もしわたしたちが悔い改めるならば,霊の死から逃れる道を,永遠の命の祝福とともにもたらしてくれます。贖罪と復活についての約束,すなわち肉体と霊の死からの解放についての約束を,神はモーセに次のように宣言しておられます。「見よ,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。」(モーセ1:39)

聖文の中ではわたしたちのために信条が見事に書き上げられている一方で,世俗主義的な反対勢力が聖なる書物にある古くから確立されている信条に戦いを挑んでいるのを目にします。何世紀にもわたって永遠の価値観と人生における行動の標準を定めるに当たって導きを与えてきた書物に,異議を唱えているのです。それらの反対勢力は,聖書の教えは誤っており,主の教えは時代遅れだと言います。人にはそれぞれ自分自身の標準を設ける自由がなければならないと叫び,聖文や預言者の言葉が教えていることに反して,信じる者たちの権利を変更しようと試みます。

聖書で宣言されている教義に対するもう一つの証として,モルモン書ではわたしたちの主,救い主の使命が宣言されています。その記録があるということは,何という祝福でしょう。世の人々にとって聖書とモルモン書の両方があるということが重要なのはなぜでしょうか。その答えはニーファイ第一書第13章に見つけることができます。ニーファイは次のように記録しています。「天使はわたしに言った。『あなたが異邦人の中で見たそれら後の方の記録〔モルモン書〕は,小羊の十二使徒から出た初めの記録〔聖書〕が真実であることを立証し,またその中から取り去られた分かりやすくて貴い部分を明らかにする。またそれらの記録は,神の小羊が永遠の御父の御子であって,世の救い主であられること,すべての人はこの救い主のみもとに来なければならず,そうしなければ救われないことを,すべての部族,国語の民,民族に知らせる。』」 (40節)

聖書もモルモン書も,一方だけでは十分ではありません。キリストの教義を余すところなく完全に教え,学ぶには,両方が必要なのです。一方を必要とすることで,もう一方の重要性が下がることはありません。聖書とモルモン書はどちらも,わたしたちの救いと昇栄になくてはならないものです。エズラ・タフト・ベンソン大管長が力強く教えているように,「聖書とモルモン書を合わせて使用したならば,偽りの教えを打ち破〔る〕ものにな〔ります〕。」(「キリストに対する新しい証人」『聖徒の道』1985年1月号,8)

最後に二つの話を採り上げて,これら2冊の書物が調和しながら一緒に働きかけている様子を示しましょう。一つは旧約聖書の話で,もう一つはモルモン書の話です。

アブラハムの話は,偶像を礼拝するカルデヤ人から救い出されるところから始まります(創世11:27-31;アブラハム2:1-4参照)。アブラハムと妻のサラは,後に悲しみから解放され,自分たちの子孫によって地のすべての民が祝福を受けるという約束を受けました(創世18:18参照)。

旧約聖書には,アブラハムがおいのロトを連れてエジプトを出て行った話が載っています。地を選ぶ機会を与えられたロトは,ヨルダンの低地を選び,非常に邪悪な町であるソドムの方に向かって天幕を張りました(創世13:1-12参照)。ロトは後に人生で様々な問題に直面しますが,そのほとんどは,最初に天幕の入り口をソドムの方に向けるという決断をしたことに端を発しています。

忠実な者の先祖アブラハムは,異なった人生を経験しました。確かに多くの困難に遭いましたが,祝福された生涯でした。アブラハムの天幕の入り口がどちらに向いていたかわたしたちには分かりませんが,創世記第13章の最後の節に有力な手がかりがあります。次のように記されています。「アブラム〔すなわちアブラハム〕は天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み,その所で主に祭壇を築いた。」(創世13:18)

知っているということではありませんが,個人的には,アブラハムの天幕の入り口は彼が主のために築いた祭壇の方を向いていたのではないかと信じています。なぜこのような結論に至るのでしょうか。それはモルモン書の話にある,ベニヤミン王の最後の説教を聞くために民が集まったときに王が与えた指示について知っているからです。ベニヤミン王は民に,天幕の入り口を神殿の方へ向けるように指示したのです(モーサヤ2:1-6参照)。

聖文の教えに心を向けることによって,わたしたちは悪の道から救い出していただくことができます。救い主は偉大な解放者であられます。わたしたちを死と罪から解放してくださるからです(ローマ11:26;2ニーファイ9:12参照)。

わたしは宣言します。イエスはキリストであられ,わたしたちはモルモン書を読むことによって主に近づくことができます。モルモン書はイエス・キリストについてのもう一つの証です。救い主についての第1の証は旧約聖書と新約聖書で構成される聖書です。

繰り返しますが,わたしの友人スコットの言葉を忘れないようにしましょう。モルモン書は「すばらしい本です。」そしてモルモン書のすばらしさは,この書物が聖書と調和していることによる部分が大きいことを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2012年4月の総大会からご紹介しました。

青字赤字下線は追加しています。

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創世記
13:12アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した13:13ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった。

13:18アブラムは天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた

モーサヤ2:6
かれらは神殿しんでんまわりにてんまくったが、てんまくなかにいながらベニヤミンおうかたことけるように、すべてのものがそのてんまくぐち神殿しんでんほうけていた
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お読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

年間1000人以上の子どもが消えている!

2022-02-07 05:12:39 | 日記
今朝は、こんな聖句を学びました。

高価なる真珠から、アブラハム1:7


7 Therefore they turned their hearts to the sacrifice of the heathen in offering up their children unto these dumb idols, and hearkened not unto my voice, but endeavored to take away my life by the hand of the priest of Elkenah. The priest of Elkenah was also the priest of Pharaoh.

7 そこで、彼らは異教徒の犠牲にその心を向けて、これら口の利きけない偶像に彼らの子供たちをささげ、わたしの声を聴こうとせず、エルケナの祭司の手によってわたしの命を取ろうとした。エルケナの祭司はまた、パロの祭司であった。

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ここで、思い出す記事があります。

https://news.yahoo.co.jp/articles/101a2516f29f90817a9e15e01a2ab89840e9bfe8

年間1000人以上の子どもが消えている!「ミッシングチルドレン」親たちの苦悩



警察庁の統計によると全国の行方不明者は年間8万人超。うち、9歳以下の子どもが1000人強も! なぜ子どもたちは突然消えてしまったのか。残された親たちはどうすればいいのか―。2件の行方不明事件に迫った。 【写真】「早く死ね!」小倉美咲ちゃんの母・とも子さんのSNSに届いた中傷  年間約8万人─。  この数字は日本全国の警察に届けられる行方不明者の数である。警察庁によると、統計が残っている昭和31年以降は年間、8万~11万件を推移していたが、平成18年以降は8万件台が続き、直近の令和2年は約7万7000件と最も少なかった。  それでも1日当たり200件以上の届け出がされている計算だ。大半は届け出た当日~1週間以内に不明者の所在が確認でき、事なきを得るのだが、中には所在確認までに数か月、長いときで2年以上かかるケースもある。  行方不明の原因・動機としては、「疾病関係」が全体の3割を占めて最も多く、このうち7割超が当事者に認知症の疑いがあった。続いて「家庭関係」、「事業・職業関係」、「異性関係」の順で、とりわけ未成年者の女性が対象になると、誘拐・監禁といった事件性を帯びてくる。  1990年に新潟県三条市で女児(当時9)が行方不明になり、中年男性によって9年以上監禁された事件や、2014年に埼玉県朝霞市で少女(当時13)が誘拐され、大学生によって2年間監禁された事件などがそれで、いずれも世間を震撼させた。

「誰かと一緒」の可能性に言及、山梨不明女児の母



ベテスダの池 のキリスト

2022-02-06 14:43:29 | 日記

ベテスダの池 のキリスト

第 一副管 長

卜一マス ・S・ モ ン ソン




わた した ち各 々が答え るべき質問も同 じです。「わ た しはイエス をど うした らよいか 。 主 御 自身が 答え を 下さってい ま す。「わたしに 従い〔なさい〕」。


 世界 で 最 も有 名 な 美 術 館 の 一 つは, イギ リス, ロ ン ドンの トラフ ァル ガー広 場 に隣接 した 国立 美術 館です 。 そ こに は貴重 な作 品 が数 多 く展示 され て い ます 。

 数週 間前 , わた しは妻 の フ ラ ン シスと一緒 にそ の美術 館 を訪 れ ,霊 感 を受けた天 才 画家 の作 品 に 目 を奪 われ ,心を打 たれ ま した 。 あ る部屋 に は,壁 いっぱ いの大 きさの絵 が か け てあ りま した 。そ れ は, 有 名 なバ ル トロ メ ・エ スタバ ン ・ム リー リ ョが1670年 代 に描 いた傑 作 で, 題 名 は 「ベ テ ス ダの池 で 足 な え を癒 さ れ る キ リス ト」 で した。

数世 紀 を経 て も, そ の美 し さや 魅 力 ,人 に与 え る感動 は少 し も薄 れ て い ません。

 わた しはそ の絵 か ら 目をそ らす こ とも, 思 い をそ らす こ ともで きませ ん でした。足 の不 自 由な男 性 が粗 末 な床 に横 たわ り, 両腕 を伸 ば して世 の救 い 主に 訴 え か け て い る様 子 を見 た と きに,あ る こ とを思 い起 こ しま した。 ヨハ ネに よる福 音 書 の言 葉 と思 い が心 に浮 かんで きたの です 。 今朝 は皆 さん と と もにそ の言 葉 を分 か ち合 いた い と思 います 。

 「エ ルサ レムに あ る羊 の 門 のそ ば に,ヘ ブ ル語 で ベ テス ダ と呼 ば れ る池が あった。 そ こに は5つ の廊 が あ った。

 そ の廊 の 中 には ,病 人 ,盲 人 ,足 なえ ,や せ衰 えた 者 な どが ,大 ぜ いか らだ を横 た え て い た。 〔彼 ら は水 の 動 くの を待 って い たの であ る。〕

 それ は, 時 々 ,主 の御 使 が この池 に降 りて きて水 を動 か す こ とが あ るが ,水 が 動 い た時 まっ先 には い る者 は, どん な病気 にか か っ てい て も, いや されたか らで あ る。

 さて ,そ こに38年 の あい だ, 病 気 に悩 ん でい る人 が あ った。

 イエ ス はそ の人 が横 に なっ てい た のを見 , また 長 い 間わず らっ てい た の を知 って , そ の 人 に 『な お りた い の か』と言 われ た。

 この病 人 は イエ ス に答 え た, 「主 よ,水 が動 く時 に, わ た しを池 の中 に入 れて くれ る人が い ませ ん。 わ た しが はいりか け る と, ほか の人 が先 に降 りて行くのです 。』

 イエ ス は 彼 に言 わ れ た , 『起 きて ,あ なた の床 を取 りあげ , そ して歩 きなさい。』する とこの人 は す ぐにい や され床を と りあ げて 歩い て行 っ た。」1

 わた しは長 い時 間, この 聖句 につ いて しみ じみ考 え てか ら,瞑 想 の場 と も言 える そ の部屋 を後 に しま した。 しかし, そ の作 品 はわ た しの 心 に消 す こ との で きな い感動 を与 えた のです 。

 わ た しは救 い主 の言 葉 の威厳 や, 主の優 しさ, ま た主 の行 為 に よ り病 気 の男 に もた らされ た計 り知 れ ない喜 びにつ いて考 え ま した。

  主 イエ ス よ, わが胸

  喜 び に満 つ

  み前 に出づれ ば

  さ らに うれし

  主の 尊 き御名

  い とや さ し く

  何 よ りも 聖し

  救 い 主 よ 2


 イ エス の血 を流 してそ の命 を奪 お うと してい る人 々 に対 して ,総 督 ピラ トが次 の よ うに質 問 したの を覚 えて いるで し ょうか。 「『そ れで はキ リス トといわ れ るイ エ ス は, どう した ら よいか。』彼 らは い っせ い に 『十 字 架 につ け よ』と言 〔い ま した。〕」3そ して主 はは りつけ に され ま した 。


 わ た した ち各 々が 答 え るべ き質 問 も同 じです 。 「わた し はイ エ ス を ど う した らよ い か。」 主 御 自身 が答 え を下 さっ て い ます 。 「わ た しに 従 い , わ た しが行 うの を見 た その こ とを, あ なたがた も行 い な さい。」4

 主 の地 上 で の使 命 は, そ の 降誕 と同様 , 聖 な る預 言 者 に よ って予 見 されてい ま した。何 世 代 もの 間, 旧世界 と新世界 の啓 発 され た 人 々 は全能 の神 に よって霊 感 され た義人の預言が成就するのを待ち望 ん でい ま した。

 や が て ,「夜 ,野 宿 しなが ら羊 の 群れ の番 を してい た」 羊 飼 い た ちに 「主の御 使 が 現 れ」 こ う言 い ま した。 「きよ うダ ビデの 町 に, あ な たが た のた め に救 主 が お生 れ に な った。 このか た こそ 主 な る キ リス トで あ る 。」5  馬屋 で生まれ , か い ば お け に寝 か され た 主 は ,死 す べ き人 と して地 上 で生 活 し,神 の王 国 を築 くた め に天 か ら来 られた の です 。 主 の輝 か しい福 音 は, 世 の人 の考え を新 た に し ま した 。主 は病 人 を祝 福して ,足 や 目や耳 の不 自 由な人 々 を癒し,死 者 を よみが え らせ て くだ さい ました。 ま た, わ た した ちの 受 け る最 も す ば ら しい賜物 であ る贖 い とそれ に付随 す るす べ て の もの を備 え られ ま した。 そ して, わ た した ちが 永 遠 に生 きられ る よ うに, 進 んで命 を さ さげ られたので す。

 時 々 , 次 の よ う に 質 問 さ れ ま す 。「も し イ エ ス が 今 日, あ な た の 前 に 御 姿 を現 され た ら,何 を尋 ね たい ですか。」


 わ た し の 答 え は い つ も こ う で す 。「何 も尋 ねず に,耳 を傾 け ます 。」

 いつ の時 代 に あ って も, イ エス か らの メ ッセ ー ジは 同 じで す。 主 は美 しいガ リラヤ の湖 畔 で, ペ テ ロ に言 わ れ ました 。「わ た しに つい て きな さい 。」6 また , 昔 の ピ リ ポ に 告 げ られ ま した 。「わた し に従 っ て きな さい 」7取税 所 に座 っ て い た レ ビ 人 を 招 か れ ま した 。「わた しに従 って きな さい 。」8そして わた した ち も聞 く耳 を持 つ な らば, 同 じ言 葉 で招 かれ るで し ょう。 「わ た しに従 ってきなさい」 と。

「イ エ ス は ます ます 知 恵 が 加 わ り,背 た け も伸 び, そ して神 と人 か ら愛 され 」 ま した 。わ た した ち は ど うで しょう。主 は 「よい働 き を しなが ら……巡 回 され … … た」 とあ ります 。わ たした ちは どうで し ょうか。

 主 の弟 子 た ち は,主 の模範 に注 目 しま した 。 主 の 目的 は , 「仕 え られ る 」こ とで な く, 「仕 え る」 こ と,11  受 け るこ とで な く, 与 え る こ と, 自分 の 命 を救 うこ とで な く,人 の ため に捨 て る ことで した。次 の ような言 葉が あ ります 。

「自分 の指 針 とな り行 く末 を左 右 す る星 を見 つ け る と した ら,移 り変 わ る空の よ うな環境 の中 で な く, 自 らの心 の奥 底 に, 主 の示 され た模範 の中 に それを求 め なけれ ば な らない。」


 少 しの間 ,神 殿 の美 しの 門で ペ テ ロが経 験 した こ と を振 り返 りま し ょ う。

 ペ テ ロは, 生 まれ なが ら足 の不 自由 な男性 の 窮状 に深 く同情 しま した。 この人 は, 毎 日神 殿 の 門の所 まで抱 え られて 来 て,宮 もうで に来 る人 々に施 し を請 うてい た ので す。 彼 は近 づ い て来 たペ テ ロ と ヨハ ネ に施 しを求 め ま した。毎 日彼 の前 を通 り過 ぎ る人 々 と同 じように見 えた の で し よ う。 わ た しはペ テロ の簡 潔 な指 示 が 好 きで す 。「わ た した ち を見 な さい 。」12その男 は二 人 に注目 しま した。 そ こで ペ テ ロが言 い ま した。

 「『金 銀 はわ た しに は無 い。 しか し,わ た し にあ る もの をあ げ よう。 ナザ レ人 イエ ス ・キ リス トの 名 に よ って歩 きな さい 。』

 こ う言 っ て彼 の右 手 を取 って 起 こ して や る と……

〔彼 は〕 立 ち, 歩 き出 し… …彼 ら と共 に宮 には いっ て行」 きま した。13

 主 に近づ い た人 が すべ て ,神 聖 な指示 に従 った わけ で はあ りませ ん。

 「イエ スが 道 に 出て行 か れ る と, ひと りの 人 が走 り寄 り, み ま えに ひ ざ まず い て 尋 ね た , 『よ き師 よ, 永 遠 の 生命 を受 ける ため に, 何 を した ら よいでし ょうか。』

 イエ ス は言 われ た, ……

『い ま しめ は あな たの 知 っ てい ると お りで あ る。 「殺 す な, 姦 淫 す る な ,盗 む な,偽 証 を立 て る な,欺 き取 る な。父 と母 とを敬 え。」』

 す る と,彼 は言 った ,『先 生 , そ れらの事 は み な,小 さい 時 か ら守 って おります。』

 イエ ス は彼 に 目を とめ ,い つ く しんで 言 わ れ た ,『あ な た に足 りない こ とが 一つ あ る。 帰 って, 持 っ てい る ものをみ な売 り払 って ,貧 しい人 々に施 しな さい。 そ うす れ ば ,天 に宝 を持 つ ようにな ろ う。 そ して ,わた しに従 っ てきな さい 。』

 す る と, 彼 は この 言葉 を聞 いて ,顔を曇 らせ ,悲 しみ なが ら立 ち去 った 。た くさん の資 産 を持 って いた か らで ある。」

 わ た しは以 前 に,ユ タ州 北 部 に住 むラ ンデ ィー ・ス ポ ル デ ィ ング兄弟 か ら感動 的 な手紙 を受 け取 りま した。 その手 紙 に は,家 族 構成 に続 い て,父親 が病 気 にか か り, 次 第 に健 康 と体 力 を失い,足 の不 自由 な中 年の 男性 に なっ てしま った こ とが書 い て あ りま した 。父親 の体 力 は衰 え, つ い に働 く こ と も,

歩 くこ と もで きず ,車 いす に頼 る手 の施 しようの ない状 態 に な りま した。

 ラ ンデ イー は,親 戚 や ワー ドの会 員が い か に農場 の作 業 を手伝 い ,家 族 を助 けて くれ た か を記 して い ます。 父親は も はや話 す こ ともで きず ,母親 が いつ も世話 を して い ます 。しかし,だれ 一人 「なぜ わた した ちに」 とい う言 葉を言 った り書いたりしませ んでした。

 ラ ンデ ィー ・ス ポ ルデ ィ ング兄 弟 の言 葉 を そ の ま ま読むこと にしましょう。「あ る朝 その日の予 定 につ い て考 えなが ら大急ぎで外 に出 よ う と したとき,父が部 屋 の 隅 に座 って聖文を読んでいるの に気づきました。立ち止まって声 をか け よ うと近づくと,父の困 難 な状態が分かりました。父 は右手で頭を何とか支えてわたしを見 、そ して ま た ,『モ ル モ ン書 』 を読 み 始 め ました。 父 は最 も苦 しいときにも、愛の神について,人 を癒す奇跡の神について、そして命 の神、永遠の命の神について学ぶ信仰を持っていたのです。今も変わらず主を信頼しているのです。

 ああ、時をさかのぼって,父をベテ スダの池に連れて行き,救い主に憐 れみを願って,父も床を取り上げて歩けるようになれたらと,どんなに願ったことでしょうか。」

 手紙 の最 後にはこうあります 。 「その 日ベッドに入って,だれよりもすばらしい父と母を下さったことを天父に感謝しました。」

 足の不自由な男性を癒したのは,ベテスダの池の水ではありませんで した 。忘れてはなりません。むしろ,主の御手が触れることにより,祝福がもたらされたのです。美しい 詩篇にこうあります 。

 「主よ, あなたは柔和な者の願いを聞き, その心を強くし,耳を傾け」られます。15

 主は皆さんや家族の祈りを聞き、祝福してくださいます 。 天使のような妻や母親が ,自分を忘れて永遠の伴侶や隣人のために援助の手と思いやりの心をもって、惜しみなく犠牲 を払い , 自分の力と才能を尽くして速やかに人を助けるとき、それは主 が 約 束 され た祝福 の表 れで す。 ベ テ ス ダが 招 き, 主 が聞か れ た の で す 。 「ま こ と に, まこ とに, わ た しはあ なた に言 う。 あ なた がわ た しに望 む こ とが , あ なた に その とお りに な るであ ろ う。

 ハ ロル ド ・B・ リー 長老 は, 次の ような言葉で慰 めを与 えてい ます。 「この世 で……祝福 にあず かれ なかった〔人々〕が,……心の中で,『もし行えたなら、行ったのに』、あるいは 『もし 、持っていれば あげられるのに、持 って い な い か らできない 』 と言 う な ら,主 はあ な たが 行 っ たか の よ うに祝 福 して くだ さる で し ょう。

 来 るべ き世 で は,心 か ら願 いな が らも 自分 の過 失 に よ らず に受 け られ な か った義 の祝福 が 償 われ るで し ょう。」

 ど こにで も,痛 み に苦 しむ 人や ,病気 の 衰弱 に耐 え てい る人 ,不 況 の 嵐 と戦 って い る人が い ます。 わ た した ち はその よう な人 を心 に か け,彼 らの た めに祈 ります 。 そ して援 助 の手 を差 し伸べ ます 。

 わ た しは次 の 詩 に込 め られ た意 味 が好 きです 。題 は 「祈 った とお りに生 きる」 で す。

 一 日の終 わ りに ひ さまず き,      

 祈る、

 「主 よ,す べ て の人 を祝福 し  

 たまえ、

 悲 しむ人 の苦痛 を和 らげ

 病 の 人 を癒 した まえ」 と。

 そ して迎 える新 しい 日,

 不注意にも自分のことだけ行って

 一 日中 を気 楽 に過 ご し,

 人 の涙 に気 づ か ない。

 道 で 出会 った兄 弟 の

 重荷 を助 け る こと もな く,

 隣の家 の病 人 を

 見舞 いに行 こ うとさえしない。

 その 日も終 わ って また祈 る。

 「主 よ,すべ て の 人 を祝福し  

  たまえ」

 しか し, その ときこの耳 に,

 ささや く声 が はっ きりと聞 こ

 えてきた

 「待 ちな さい, わが 息子 よ,

 お まえは今日、だれを祝福したの

 か?

 神 の 至上 の祝 福 はい つ も,

 主に仕 える者の手か らもた らさ

 れる。」

 わた しは顔 を隠 して泣 い た,

 「お赦しくだ さい,怠 惰 な わた  しを、どうかもう一日与えてくだ  さい,

 祈ったとおりに生きられる日を。


 この 詩 の 「顔を隠して泣い た」 という一 節 を読 ん だ と き, わ た し 自身の忘れ られ な いす ば ら しい 経験 が 心 に浮 かん で きた ので ,それをお話ししたいと思います 。

 何 年 も前 , わ た しが監 督 を してい たときの こ とで す。 ワー ドの 会員 の メ アリー ・ワ トソ ンが 州 立病 院 に入 院 したとい う知 らせ を受 け ま した 。早 速 見舞い に行 くと, た くさんベ ッ ドのあ る大部 屋 だ っ たの で, 彼女 を探 す の に苦労しま した。 よ うや く彼 女 を見 つ けてベッ ドに近 づ き, 言 い ま した 。「こ ん にちは ,メ ア リー。」


 彼 女 が 答 えて くれ ま した 。 「こ ん にちは, 監督 さん。」


 わ た しはそ の と き, メア リー ・ワ トソ ンの隣 のベ ッ ドの患 者 が, シー ツの下 に顔 を 隠 したの に気づ きま した。


 わ た しは メ ア リー ・ワ トソ ンに祝福を与 え , 握 手 して , 「さ よ う な ら」 と別 れ を告 げ ま した。 しかし, ど うい うわ け かそ の場 を離 れ る こ とが で きません。 ま るで見 えな い手 が肩 に置 かれ てい るかの よ うです。 そ して, 心 の 中 に次 の よ う な声 が 聞 こえ ま した 。「あ なたが 来 た と き, 隣 のベ ッ ドで顔 を隠 した小柄 な女性 の と ころへ 行 きな さい。」わ た しはそ う しま した。 導 きを受 け たら引 き伸 ば して は な らない こ とを経験か ら学 んでい た か らです。


 わた しは隣のベ ッ ドに近 づき,優 しく肩 をた たい てか ら,顔 を覆 った シーツ を ゆっ く り下 げ てい きま した。 何 とい うこ とで し ょ う。 彼女 も ワー ドの会員 だ った ので す。 彼 女 が入 院 してい るなん て知 りませ ん で した。 名 前 を キ ャス リー ン ・マ ッキ ー とい い ます。 彼 女はわ た しの 目を見 る と,涙 なが らに言い ま した 。 「あ あ, 監 督 さ んが ドアから入 っ て来 た とき, わた しの祈 りに こた えて, 祝福 しに来 てくれたと思 っ たんで す。 こ こにい る の を知 っていてくれ たのが うれして。 で も, ほかの人のところへ行った ので,が っ か りしました。わたしに会 い に来 た ん じゃ なかっ たの だ, と。」

 わ た しは キ ャス リー ン ・マ ッキ ー に言 い ま した 。 「わ た しが知 らなか ったこ とは, 問題 で はあ りませ ん。大切なのは ,天父 が御 存 じだ った こ と, あ なたが神 権 の祝 福 を静 か に祈 り求 め た ことです 。わたしをあなたのところに導いたのは天父なのです。」

 祝福 が与 え られ ,祈 りは こ た え られま した。わた しは彼 女 の額にキス を し,御 霊 の導 き に感 謝 しつつ 病 院 を 出 ま した。 この世 で キ ャス リー ン ・マ ッキ ーに会 った の は, それ が最 後 で した。しか し続 きが あ りま した。

 彼 女 が亡 くな っ た と き, 病 院 の人 が訪 ね て 来 ま した。 「モ ン ソ ン監 督 , キャス リー ン ・マ ッキー が今 晩 亡 くな りま した。彼 女 は万一 の と きに, あ なたに知 らせ る よ う手配 して い ま した。 そ して, 彼 女 の地 下 の アパ ー トの鍵 をあなた に残 しま した。

 キ ャス リー ン ・マ ッキ ー に は身寄りが あ りませ んで した。 わ た しは愛す る妻 と一 緒 に彼 女 の慎ましい アパ ー トへ行きました。 鍵 を開 け て中 に入 り,電気 の ス イ ッチ を入 れ ま した。 清 潔 な二間の アパ ー トで した 。小 さな テー ブ ルの上 に薬 の 瓶 と, そ の下 にキ ャス リ一ン の 手 書 きの メ モ が 置 い て あ りま した。こ う記 さ れてい ま した 。「監 督 さん 什 分 の一 が この封筒 の中にあります。 薬 の瓶 の 中 の コイ ンはわ た しの 断食 献 金 です 。 これ で主 に認 め て い ただけ ま す。」 こ う して 彼 女 へ の領収書が発 行されました 。

 あの夜 のす ば ら しい 気持 ち を忘 れ るこ とはで きませ ん。 神 へ の感 謝 の涙 がわ た しの心 をぬ ら した の です。

 昨年 ,癌 で美 しい娘 を亡 くした 両親か ら,数 週 間前 にバ ース デ ー カー ドを受 け取 りま した。 そ こ には深 遠 なメッセージが記 されていました。

思 い が 尋 ね た「知識 よ り大切 な もの は何?」

心 が 答 え た。「真心から世話して見守ること。」

 この 言葉 は,ベ テス ダでの祝 福 を表してい ます。 これが 神 聖 な真 理 で あ る こ と を イ エ ス ・キ リス トの 御 名 に より証 し ます 。 ア ー メ ン。

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1、 ヨハ ネ5:2-9

2.「 主 イエ スよ ,わが 胸」『賛美 歌』80番

3.マ タイ27:22

4,2ニ ー フ ァイ31:12

5.ル カ2:8,11

6.マ タイ4:19

7, ヨ八ネ1:43

8, ル カ5:27

9.ル カ2:52,

10, 使徒10:38.

11, マ タイ20:28

12, 使 徒3:4

13.使 徒3:6-8

14, マ ル コ10:17-22

15.詩 篇10:17

16, 教 義 と聖約6:8

17, ハ ロル ド :B・ リー ,You Are The Light of The World『 あな たが たは ,世の光 りであ る』p.292, 下線 付加

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会 聖徒の道/1997年1月 号からご紹介しました。

赤字青字は付加しています。

お読みいただいてありがとうございます。

良い安息日をお祈りします。

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思 い が 尋 ね た「知識 よ り大切 な もの は何?」

心 が 答 え た。「真心から世話して見守ること。」

“‘And what is as important as knowledge?’ asked the mind.

“‘Caring and seeing with the heart,’ answered the soul.”


虹は、神の2つの約束の象徴

2022-02-05 04:38:53 | 日記


(「聖句ガイド」より引用)

洪水の後,神は空に虹を架けられました(創世9:12-17参照)。この虹はただ美しい光景であっただけではありません。地は二度と洪水に覆われることがなく,また,主が再び地上に住まわれることになるという,神の約束の象徴でした(ジョセフ・スミス訳創世9:21-25〔『聖句ガイド』内〕参照)

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創世そうせい
9章
1 かみはノアとそのらとを祝福しゅくふくしてかれらにわれた、「めよ、ふえよ、ちよ。
2 のすべてのけものそらのすべてのとりうすべてのもの、うみのすべてのうおおそれおののいて、あなたがたの支配しはいふくし、
3 すべてきてうごくものはあなたがたの食物しょくもつとなるであろう。さきに青草あおくさをあなたがたにあたえたように、わたしはこれらのものをみなあなたがたにあたえる。
4 しかしにくを、そのいのちであるのままで、べてはならない。
5 あなたがたのいのちながすものには、わたしはかなら報復ほうふくするであろう。いかなるけものにも報復ほうふくする。兄弟きょうだいであるひとにも、わたしはひといのちのために、報復ほうふくするであろう。
6 ひとながすものは、ひとながされる、かみ自分じぶんのかたちにひとつくられたゆえに。
7 あなたがたは、めよ、ふえよ、むらがり、うえにふえよ」。
8 かみはノアおよびともにいるらにわれた、
9 「わたしはあなたがたおよびあなたがたののち子孫しそん契約けいやくてる。
10 またあなたがたとともにいるすべてのもの、あなたがたとともにいるとり家畜かちくのすべてのけもの、すなわち、すべて箱舟はこぶねからたものは、のすべてのけものにいたるまで、わたしはそれと契約けいやくてよう。
11 わたしがあなたがたとてるこの契約けいやくにより、すべてにくなるものは、もはや洪水こうずいによってほろぼされることはなく、またほろぼす洪水こうずいは、ふたたおこらないであろう」。
12 さらにかみわれた、「これはわたしと、あなたがたおよびあなたがたとともにいるすべてのものとのあいだ代々よよかぎりなく、わたしがてる契約けいやくのしるしである。
13 すなわち、わたしはくもなかに、にじをく。これがわたしととのあいだ契約けいやくのしるしとなる。
14 わたしがくもうえおこすとき、にじはくもなかあらわれる。
15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、およびすべてにくなるあらゆるものとのあいだてた契約けいやくおもいおこすゆえ、みずはふたたび、すべてにくなるものほろぼす洪水こうずいとはならない。
16 にじがくもなかあらわれるとき、わたしはこれをて、かみ地上ちじょうにあるすべてにくなるあらゆるものとのあいだてた永遠えいえん契約けいやくおもいおこすであろう」。
17 そしてかみはノアにわれた、「これがわたしとにあるすべてにくなるものとのあいだに、わたしがてた契約けいやくのしるしである」。

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ジョセフ・スミス訳創世9:21-25
( JS創世9:21-25。創世9:16-17と比較
神はエノクとノアへの聖約を思い出させるものとして,天に虹を置かれる。終りの時に,長子の教会の総集いが地上の義人と一つになる。)
21 そして,虹が雲の中に現われる。わたしはそれを見て,あなたの先祖エノクと交した永遠の聖約を思い起すであろう。その聖約は,人々がわたしの戒めをすべて守るとき,シオン,すなわち,わたしがわたし自身のもとに取り上げたエノクの町が,再び地上に降るというものである。
22 わたしの永遠の聖約はこれである。すなわち,あなたの子孫が真理を受け入れて仰ぎ見るとき,シオンは見下し,もろもろの天は歓喜に揺れ,地は喜びに震えるであろう。
23 そして,長子の教会の総集いが天から降って来て,地を所有し,終りが来るまでその場所を得るであろう。これが,わたしがあなたの先祖エノクと交した永遠の聖約である。
24 虹が雲の中に現れるであろう。そしてわたしは,将来地上にあるすべての肉なる生き物のために,あなたと聖約を交わそう。それは,すでにわたしとあなたとの間で交わしたものである。」
25 そして神はノアに言われた。「これが,将来地上にあるすべての肉なるもののために,わたしがわたしとあなたとの間で交わした聖約のしるしである。
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本日もお読みいただいてありがとうございます。
空の虹は、
「地は二度と洪水に覆われることがなく,また,主が再び地上に住まわれることになるという,神の約束の象徴でした」。
空の虹は、2つの意味があるのですね。
良い1日をお祈りします。