イエス・キリストの福音をご紹介します。

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すずめが地に落ちるのをご存じの御方は、そのような奉仕に気づいておられます。

2023-01-23 23:23:21 | 日記
思いやり(3)
第一副管長
トーマス・モンソン

残酷な仕打ちを受けている十字架上から救い主が母親にかけられたや優しい別れの言葉は特別にわたしたちの心を打ちます。
イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、『婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です。

それからこの弟子に言われた、『ごらんなさい。これはあなたの母です。』そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

葬儀で飾られた花がしぼんだ後、友人たちの元気づける言葉は思い出となり、ささげられた祈りと語られた言葉は記憶のかなたに消えてゆくことを忘れてはなりません。悲しみに暮れていた人たちは自分が一人取り残されたことに気づきます。子どもたちの笑い声や起伏の激しい10代の子どもたち、そして世を去った伴侶の優しく愛のこもった関心はもう帰って来ないのです。時計の時を刻む音がやたらと大きくなり、時間がゆっくりと進み、家の四方を囲む壁が牢獄となります。

愛と思いやりにあふれる関心から、飢えている者に食物を与え、裸でいる者に着せ、家のない者に住まいを与える人々をわたしは称賛します。すずめが地に落ちるのをご存じの御方は、そのような奉仕に気づいておられます。

主の思いやりと神の計画によって、聖なる神殿は人知ではとうていはかり知ることのできない平安を御父の子らにもたらします。

今日、ゴードン・B・ヒンクレー大管長の指導の下で建設された、また建築中の新しい神殿の数の多さには目を見張るものがあります。地上にいる御父の思いやりにわたしたちはただただ感謝するばかりです。

自分の命、福音、模範、そして恵みあふれる贖いをわたしたちに差し出してくださった救い主イエス・キリストに感謝します。

再び、オクラホマ・シティに思いを戻します。現在、あらゆる美しさを備えた主の神殿があの街に建てられていることは、単なる偶然ではなく、地上における喜びと次の世における永遠の喜びへの道を示す、天から送られたかがり火であるとわたしは考えています。詩編の言葉を忘れないようにしましょう。

 夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝とともに喜びが来る。

詩篇30:5weeping may endure for a night, but joy cometh in the morning.

主はまさにそのとおりの意味で、 
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と・・共に〔いる〕であろう。」

とわたしたちに語りかけておられるのです。

主がたたいておられる音に耳を傾けようではありませんか。

心の扉を開いて、まことの思いやりを生きた模範として示された主が入って来られるようにしようではありませんか。

イエス・キリストの御名により心から祈ります。アーメン。

(完了)


このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2001年4月の総大会からご紹介しました。

マタイ1:29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。

29 Are not two sparrows sold for a farthing? and one of them shall not fall on the ground without your Father.

思いやり(2)

2023-01-19 05:02:05 | 日記
時の中間の時代に、イエスは聖地のほこりっぽい道を歩いていたとき、しばしばたとえを使って話されました。

このように話されました。「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。

するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。

同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。

ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
近寄ってきてその傷にオリーブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

翌日、デナリ2つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、私が支払います。』と言った。

ここで救い主はわたしたちにこう尋ねておられます。

「この3人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思うか。」

わたしたちは当然、「その人に慈悲深い行いをした人です。」と答えます。

すると、イエスはこのように言われることでしょう。

「あなたも行って同じようにしなさい。」

深い思いやりを込めた関心について、イエスは多くの模範を示しておられます。

べテスタの池での体の不自由な人、姦淫を犯して連れて来られた女、ヤコブの井戸の女、ヤイロの娘、マリヤとマルタの兄弟ラザロ、
それぞれがエリコへの道での負傷者を表しています。彼らは助けを必要としていました。

ベテスダの池において、イエスは体の不自由な人に向かって言われました。
「起きてあなたの床を取り上げ、そして歩きなさい。」

罪を犯した女には勧告が与えられました。
「お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。」

水をくみに来た女には、永遠の命に至る水がわき出る泉を与えられました。

ヤイロの死んだ娘には「タリタ、クミ。少女よ、さあ、起きなさい。」と命じられました。

墓に葬られたラザロには「出てきなさい」と呼びかけられました。

救い主は常に無限の思いやりを示されました。

イエスはこのアメリカ大陸で人々に御姿を現し、このように言われました。

「あなた方の中に病気の者がいるか。彼らをここに連れて来なさい。足の不自由な者、らい病にかかっている者、体のまひしている者、耳の聞こえない者、あるいはどんなことでも苦しんでいる者がいるか。彼らをここに連れて来なさい。癒してあげよう。わたしはあなたがたのことを哀れに思い、わたしの心は哀れみに満たされている。
・・・・・・
するとイエスは、御自分のところに連れて来られた者をことごとく癒された。」

次のような意味の深い質問をする人が い るこ とで しょう』

「こ れ らの出 来 事は世 の贖い主 に関 す るもので す 。 そのような心 に深 く刻 まれ る経験 は,わ た しのエ リコへの道 で,わ た し自身に も実際に起 こり得 るので しょうか。」

わた しは主 の言 葉 に合 わせ て 申 し上げ ます。「き て ごらんな さい。」10

いつ助 けの手 を差 し伸べ る特 権 がわたした ちに与 え られるか を知 るすべ はあ りませ ん。

エ リコへ の道 を旅 す るわた したち は,い つ だ れ を助 け る必 要 が あ るのか,ま たわた したちに助 けを求め ている疲れ た旅人 が どの人 なのか を,あ らか じめ知 らされてい るわけで はあ りませ ん。

以前 に教 会 本 部 に 寄 せ られ た1通 の手 紙 に,心 か らの感 謝 が 表 され て い ました。 差 出 人 の住 所 も氏 名 も記 され てい ませ んで した。 けれ ども消 印か らオレゴ ン州 ポー トランドで投 函 された ことが分 か りました。

「大 管 長 会事務 局御 中

わた しはさまよって いた時 代 に,ソ ルトレー ク・シ ティーで クリスチャンらしい心 のこもったもてなしを受けました。

カリフォルニ アまでバ スで旅 を していた ときに,ソ ルトレーク・シ テ ィー のターミナルで降 り立 ちました。 常用 してい た薬 が 切 れ たため,過 度 の 睡 眠不 足 か ら体 調 が 思 わ し くな く,震 えて いま した。

ボ ス トンで何 もか もうまくいか なか ったた め,急 に旅 立 ち,薬 の ことを完 全 に忘れ ていたので した。

わた しはテ ンプルス クウェアホテ ルのレス トランで 憔 悸 して座 って い ました。

す ると一 組の 男女 がわた しのテ ーブルに向 か って 来 るのが 目に入 りました。 『大丈 夫です か,お 若 い方』と女 性 が尋 ね ました。 わた しは立 ち上 が ると,激 する気持 ちを抑 え切 れず に泣 き出 しました。 そして事 の次 第 を話 し,そ の ときに窮地 に立 た されて い ることを打 ち明 け ました。二 人はわた しの支離 滅 裂 な話 に じっと耳を傾 け,話 が 終 わ ると 自分 たち に任 せるように と言 って くれ ました 。二 人は レス トランの 支配 人 と話 してか ら,わ た しに5日間何でも好きな ものを食べていいと言ってくれ ま した。それか らホテルのフロン トへ 連 れ て行 って,5日 分 の部 屋を予約 して くれ ました。 それか ら,わ たしを車 に乗 せ て医者 の ところへ 行 き,必要 な薬 を手 配 して くれ ました。 それは ほんとうに,わ た しが気 を確 かに持 ち,慰め を得 るための命綱 で した。

快 復 に向 かい,体 力 をつ けて いる間,わた しは タバ ナ クルの オル ガ ンリサ イタルを聴 きに行 くのを 日課 としてい ました。繊 細 な音 か ら力 強 い 大音 響 まで,オ ルガ ンが 奏 で る天 上 の 音色 はわ た しの知って いる音 色 の中 で も最 も崇 高 な もの です 。 わた しは タバ ナクルのオル ガ ンと合唱団 のアルバ ムとテー プを手 に入 れ ました。 それ は気 落 ち した ときにいつ も心 を和 ませ,支 える もの とな りました。

ホ テル滞 在 の最 後 の 日にな りました 。わた しは旅 を続 け ることに しました。鍵を返 そ うとした ところ,あ の夫 婦か らのメ ッセー ジが フロ ントに置か れ てい ました。 『あなたの 人生 とい う旅路 で だれ か悩 み を持 つ人 に出 会 った ら,心 か らの思 いや りを示 して ください。 それ をわたした ちへ のお返 しとして ください。』わたしはそ れ を励 み にして生 きて きました。い え,そ れ以 上 に,助 け を必 要 としてい る人を積 極 的 に探 し求め ることを決 意した ので した。

"Repay us by showing gentle kindness to some other troubled soul along your road."

教 会 に感 謝 してい ます 。 この ようなことが 聖典 の中 で言 われ てい る『終 わ りの時 』なのか どうか知 りませ んが,わ た しが確 かに知 って いることは,あ なたがたの教 会 の二 人 の 会 員 はわ た しが 助 け を必 要 とした ときに聖 徒 であ った とい うことで す。 この経 験 をお知 らせ した いと思って この手 紙 を書き ました。」

何 とす ば らしい思い や りの模 範 で しょうか。

最 高の思 いや りが 隅 々まで行 き渡 っている個 人経 営 の看 護 施設 が あ りました。

経 営 者はエ ドナ・ヒ ュー レットといい ました。 余 生 を彼 女 の世 話 を受 けて過 ご したい と入 所 の順 番 を待 ってい る人 たちがいるほどで した。 彼女 は天使 のような人だ ったか らで す 。 エ ドナは患 者全 員 の髪 を洗 い,整 えて あげ る人 で した 。年老い た人の体 を洗 い,輝 くばか りに清 潔な衣服 を着せ てい ました。

わた しは,か つて管 理 して いたワー ドの 未 亡 人 を訪 れ る間 に,次 第 にエ ドナの施 設 を訪 問す るようにな りました。彼女 は陽気 な笑みで わた しを迎える と,居間 に案 内 して くれ ました。そこに は大 勢の 入所 者 が腰 か けて い ました。 いつ も最初 に話 し相 手 にな らなければ ならないの は,最 年 長 の ジニ ー・バ ー トで した。

彼 女 は102歳 で亡 くな りました。 彼女 はわ た しが生 まれ た ときか らわた しと家 族を知 っていました。

あ るとき,ジ ニ ーは ひどい スコッ トラン ドな まりで こ う尋 ね ま した。「ト ミー,最 近エ ジンバ ラへ 行 ったかい。」

わ た しは答 えました。「え え,少 し前に行 きました よ。」

「それ はよかった」と 彼 女は答 えました。

ジニーは静 かに夢 を見 てい るように老いた 目を閉 じてい ました。 それか ら真顔になって言い ました。「わたしは葬 式の 費用 を現 金で前 払 い してあ るんだ よ。あなた はわ た しの葬 式 で,テ ニ ソンの 『浅 瀬を越 えて』を暗唱 することになってい るからね。今,そ れを聞かせ て くれ るか い。」

Crossing the Bar’ by Tennyson

全 員 の 目が わた しに 向け られた ように感 じました。 事実 そ の とお りで した。 わた しは大 きく息 を吸 ってか ら始め ました。


日 が沈 ん で,宵 の星 が 現れ ると,
一つの叫 び声 がわた しを呼ぶ。
わた しが 海 に乗 り出 す とき,
浅 瀬 はうめき声 を上げな い。」ll

Sunset and evening star,
And one clear call for me!
And may there be no moaning of the bar,
When I put out to sea.

ジ ニ ーの ほ ほ えみ は 愛 が 込 め られ,天 国 を思 わせ るもので した。 それ か らこう言 うのです 。「ト ミー,と て もよか ったわ。で も,葬 式 までに もう少 し練 習 しとくんだね。」わた しはそ うしました。

わ た した ちが 地 上 の使 命 を果 た している 間の いず れ か の 時 期 に,足 もとがふ らつ き,ほ ほえみ が弱 々 しくな り,病の苦 痛 を覚 え る時が 来 ます 。

言 い換 えれ ば,夏 の盛 りが あせ,秋 が 近 づ き,冬 の 寒 さが や って来 て,死 と呼 ぶ経 験を迎え るのです 。 これ はあ らゆる人が経験 す るものです。 足 もとが おぼつ かな くなる老 い たときにそれ は来 ます。 その召喚状 は人 生 の半 ばに 達 してい な い人 に お届 け られ ることもあれ ば,幼 子 の笑 い声を沈黙 させ ることもあ ります 。

息 子や娘,兄 弟,姉 妹,父 親,あ るいは大 切 な友 人 に別 れ を告 げて悲 嘆 に暮れ る光 景は世 界 中で毎 日起 きてい ます。
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(次回に続きます。)

このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会機関誌リアホナ/2001年7月 号からご紹介しました。


思いやり(1)

2023-01-18 05:17:47 | 日記
思いやり
第 一副管 長
トーマス・S・モ ン ソン
「いつ助けの手を差し伸べる特権がわたしたちに与えられ るかを知るすべはありません。」

オクラホマ 州のオクラホマ・シ ティー は非 常 に 興 味 深 い 所 です。 つい先 ごろ地 区大 会 を管理す るため,リ チ ャー ド・G・ス コッ ト長老,レ ックス・D・ビ ネ ガー 長 老,ラ リー・W・ギ ボ ンズ 長老 とともに同 市へ 行って きました。教 会 員 と教 会 に関心 を持つ 人々があふれ るばか りに会場 を埋 め尽くしてい ました。

天 国 をしの ばせ るような聖歌 隊 の歌 声,霊 感 あふれ る話,大会 の 会 場 に満 ちてい たす ば らしい 雰 囲気 は出席 した人 々の心 に長 く思い 出 として残 ることで しょう。

わ た しは,以 前 に何 度 か この 地 を訪れて感 じた こと,ロ ジャーズ とハ マースタインの作 詞 作 曲 によるミュージ カルで発表 され た州の歌「オ クラホマ」の 美 しい調べ,こ の地 に住 む人 々か ら受 け たすば らしい歓 待 を思 い出 していました。

しか し,こ の地域 に満 ちる思 いや りの精神 は極 限の状 態 で試 され ました。1995年4月19日,テ ロリス トが仕掛 けた爆 弾により,オ クラホマ・シ ティーの市 街 地 にあったアル フレッド・P・ミ ューラ連邦 政府 ビルが破 壊 されたのです 。168人 の命が 奪 われ,け が をした人は数 え切 れ ないほ どい ました。

オクラホマ・シ テ ィーで の地 区 大 会が終 わると,わ た しはか つて ミュー ラビルデ ィングが そび え立 っていた敷地 に築 かれ た,美 しく象徴 的 な記念 公 園 を訪 れました。そ こで起 きた苦 痛 と苦 難 を強調す るかの ように,そ の 日は雨 が 降 り,物憂 い一 日で した。 記 念 公 園 には周 囲 の風 景 を映 し出す400フ ィー ト(約120メ ートル)の 池 が築 か れて いま した。 池の 片側 には,殺 された 一 人一 人 の慰 霊 碑 として168の 空 のグラス とみ かげ石 製 のいす が 置 か れ てい ま した 。 そ れ らは確 認で きるか ぎり,亡 くなった人 たちが倒 れていた場 所 に置か れてい ます。

池 の反 対 側 に は地 面 が やや 盛 り上 がった地 点に成 熟 した大 きなア メリカニ レの木 が 立 って い ました。 爆 破 の 際 に付近 で唯 一 生 き残 った木 で した。 この ため「生 き残 った木」と い う,愛 を込 め た,似 つ かわ しい名前 が 付 け られ てい ます。

恐 怖 の爆 破 を生 き延 び た人 々を見事 にたたえている木 です 。

わた しを案 内 して くれ た 人 は,記 念公 園 の ゲー トの 上 に刻 まれ た文 章 に注意 を向 けるように言 い ました。

わた した ちは 今,こ こ で殺 され た入 々,
  生き残 った人々,
未 来 を変 えられ てしまった残 された人々
  を想 い起 こすた めに訪 れ でいる。
ここを去 る ときに,あ らゆる人が 暴力 の
  与 える衝 撃 を知るように。
この 記念 公厨 が 慰 め と強 さ,平和,
  希望,安 らぎを与えるよ うに。

彼 は 目に涙 を浮 かべ,か す れた 声 で言い ました 。「こ の地 域社 会 と,宗 派 を超 えたす べ ての 教 会,す べ て の住 民 は一緒 に行動 を起 こしました。 わた したちは悲 しみを乗 り越 えて,強 くなりました。わた したちは精神 にお いて一 つ とな りました。」

わた した ちは,こ こで行 われ たことを最 も的確 に表 す 言 葉 は「思 いや り」で あるという考 えに至 りました。

わた しは ミュー ジカル「キ ャメロット」に思 い をはせ ました。 より良い世 界,理想 的 な人 と人 とのつなが りを夢 見 ていたアーサ ー王 は,円 卓 会 議 の 目的 を心 に描 い てこの ように言 い ました。「暴 力 が強 さで もなければ,思 いや りが弱 さでもない。

この 言 葉 を感 動 的 に描 写 す る出 来事が 旧約 聖 書 に見 られ ます 。 ヨセ フは父ヤコブか ら特 別 に愛 され てい たため,兄 たちは反感 と嫉 妬 を覚 えてい ました。 そして ヨセ フを殺 す企 みが 仕 組 まれ ました。 その企 み が 実 行 され,ヨ セフは深い穴 に投 げ込 まれ て命 をつ な ぐ食物も水 も与 えられ ませ ん で した。 そこを通りか か った隊 商 を見 た 兄 たち は,飢 え死 にさせ るよりも売 って しまった方が よい と考えました。 ヨセフは引 き上 げ られ,銀20シ ケ ルで 商 人 に売 られ ま した。 ヨセフ は最終 的にエ ジプ トのポテパ ルの家に引 き取 られ ました。 ヨセ フはそ こで繁栄 しました 。「主 が ヨセ フと共 にお られた」か らで した。

豊作 の 年が 続 い た後 に,飢饉 の年 がや って 来 ま した 。 この 飢饉 が 続 い た年の さなか に,ヨ セ フの兄 たちは穀物 を買うた めにエ ジプ トへや って来 ました。 彼らは好 意 的な エ ジプ ト人,実 は 自分 たちの 弟 か ら多 くの 穀 物 を与 え られ ました。 ヨセ フは以 前 に冷 淡 で 無 慈 悲 な仕打 ち をした兄た ちに対 して仕 返 しをす るこ ともで きました。 しか し彼 は兄 たちを親切 にまた寛大 に扱 い,こ のような言葉と行 いによって彼 らの好 意 と支 持 を勝 ち取 ったので した。

し か しわた しをここに売 ったの を嘆くことも,悔 む こともい りませ ん。 神 は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしを使わされたのです。・・・・・
 神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救いをもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。

ヨセフは思いやりという徳をすばらしい方法によって示したのでした。

(このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2001年4月の総大会からご紹介しました。
続きは、明日。)



あな た を愛 す る あな たの嫁, 七人 の むす こに も まさる彼女

2023-01-15 15:35:43 | 日記
改宗を通して
得られる自信

中央扶助協会会長会第二副会長
アイリーン ・H・クライド


助協会と若い女性の皆さん,そして初等協会の子供たちの指導者である皆さんが一堂に会す る、この大きな集会に出席でき,とてもうれしく思います 。今晩,恵まれて,ヒン クレー副管長 ,モンソン副管長 ,ハンタ
ー長老 をはじめ、多くの神権 指 導者 の方々 が,私 た ち と共 に集 って くだ さ ってい ます。

私 た ち は, 「す ば ら しい」 時代 に生きて い る と思 い ます。 「す ば ら しいと呼 べ るの は,私 た ち一人 一人 が個 人として, 自信 に満 ち た,正 しい, そ して何 よ りも幸福 な人生 を送 るた めに必要 な知識 を与 え られ てい るか らです。

い つの 時代 の男女 もそ うで あ った よ うに, 確 か に私 た ち は複 雑 で, うつ ろいやす く, また と きには腐敗 した社 会 に生 活 してい ます。

しか し,回復 され た福 音 の おか げで, 心 の平安 や成長 を脅かす よ うな不 安定 な状 況 にあ って も,生 きて い くた めの, さ らには勝利 を得るため の知識 を,私 た ち一人 一人 が 学び, 身 につ けてい くこ とが で き ます 。

は るか昔 , モー セ は山上 で主 と言 葉を交 わ しま した。

主 はモーセに,現在私たちが住んでいる世界をお見せになりました。それはたぐいまれな示現でした。私はこのような記録をほかに見たことがありません。

モ ー セ この世 の極(はて) と,創 らる るすべ て の 人 の子 ら と嘗(かつ) て創 られ しすべ て の人 の子 ら とを見 て, これ らの こ とをいた く驚 き怪 し め り。」(モ ー セ1:8)

こ の地 上 にか つ て存在 し, また これ か ら存在 す るで あ ろうすべ て の人 や 物 を 目にす る とい うの は どの ような もの か,想 像 で きるで し ょうか 。畏 敬 の念 に満 たされた モー セ は,この よ うに言 い ま した。

さて これ を以 て わ れ知 る,人 は物 の数 に もあ らざる を。 この事 を嘗(かつ) てわ れ考 えた る こと もなか りき。」(モ ーセ1:10)

そ の後 ,主 は モ ー セ に, 最も重要 な真 理 をお教 えに な りました。

主 は この よ うに言 わ れ たの で す。 「れ わが 業 に してわ が栄 光, す なわ ち人に不死 不滅 と永遠 の生 命 とを もた らすな り。」(モ ー セ1:39)

私 は これ に,「す べ て の男 女 に」 と付 け加 え た い と思 い ます 。

私 た ち は, 広大 な宇宙 に比べて 自分 は取 るに足 りない存 在 だ と感じる もので す。その私たちのために、宇宙や地 球 が創 造 され た とい うの です 。

これ は, モー セ だ けで な く私 たち に とって も, ま さに驚嘆 す べ き事実 で す。

大 切 な の は, 私 た ちが心 を開 いて,モ ー セが 目 に した よ うに, 小 さい存 在で あ りなが ら大 いな る価値を持 つ という,一 見相 反 した もの の よう に思 える事 柄 を理解 し よ うとす る こ とです 。

典 は, 私 た ちが特 別 で, 永遠 の存 在 であ る こ とに気 づ かせ て くれ ます。 私 たち は この世 に生 を受 けるず っ と以 前 からひ と りの人 として存 在 して い ました。

そ の時 に も選 択 の 自由が あ り,危 険 困難 が待 ち受 けて い る と知 りなが ら地 球 に来 る こ とを選 び ました。 私 たちはその 時, イ エス ・キ リス トの計画 に従 うこ とを選 ぶ だ け の確 か な確 信 を持って いた ので す。

私 たちが 正 しい生 活を送 れ るよ うに, また互 い に愛 し助 け合 い, 悪 を断 ち切 っ て善 を求 め る よ うに,主 が道 を示 して くだ さる こ とも知って い ま した。

その後 ,私 た ち は この地 上 にや って来 ま した。そ して, モ ーセが 見 た あの大 いな るパ ノ ラマ の中 の一部 , す なわ ち真砂 の よ うな多 くの人 々 のひ と りとな った のです。

今 で は, 一人 一人 が かつ て は理 解 して い た 自分 の価 値 , そ してか つ て抱 い てい た 目的意識 や 天 の家族 との一 体感 を見 いだ そ う と必死 になって い ます 。 この地 上 で再 び一 か ら学び直 して福音 の知 識 を得 る と き,私 たち は前世 にお いて 自分 の選 び に よって偉大 な指 導 者 で あ られ るキ リス トに従った のだ とい う, か けが えの ない真 理 を知 る こ とが で き ます 。

主 は ご自分 の使命 を果 た して くだ さい ました。 私 たち も主 と契 約 を交 わ し, 主 にパー トナー とな って いた だ くために, 自分 の責任 を果 たす のです 。

これ につ い て, モルモ ン経 の 中でベ ンジ ャ ミン王が 次 のよ うに記 してい ます。
お前 た ち の結 ん だ誓 約 の た め に お前 たち はキ リス トの子 と呼 ばれ, キ リス トの息 子 や娘 と呼 ばれ る。 それ は今日(こんにち)キ リス トが お前 たち の精神 を新 に生み た も うた か らで あ る。 お前 たち はキリス トの御名 を信 ず るか ら自分 の心 が改 ま った と言 う。従 って, お前 た ち は
キ リス トに よ り生 れて そ の息子 や娘 となっ た。
お前 た ち はキ リス トと言 う頭 の下 にあっ て 自由 を得た。 この ほか に は どこに もお前 たち を 自由 にす る こ との で きる頭 はな く,救 い を与 え る名 前 はない。
それで あ るか ら,私 は生 涯 の終 りまで従順 で な くて はな らな い誓約 を神 と結ん だお前 たちが喜 んで キ リス トの御 名
を引 き受 け るよ うに望 む。」(モ ーサ ヤ5:7-8)

天 父 や救 い主 に とって私 た ち一 人 一人 が大切 な存 在 で あ る とい うこ とをお話 しす るのは,皆 さん が この福音 の知識 に よって, 正 しい選 び をす るた めの自分 の力 に自信 を築 き, 霊 的 に成 長 して い ける よ う,切 に願 って い るか らです。

中 に は強 い命 令 口調 で 「これ を しな さい, あれ を しな さい」 と言 っ て ほしい と思 う人 もい るで し ょ う。 また,何 をす る に も,前 もっ て ど うす べ きかはっ き り とした神 様 か らの答 えを望 む人 もい るか もしれ ませ ん。

最 近, ブ リガ ム ・ヤ ング大学 で の フ ァイヤ サ イ ドの説教 でダ リン ・H・ オ ー クス長 老 はこの よ う に話 され ま した。

個 人 的 な決断 は,私たちが現世で経験するように意図され た、成長 の源 の ひ とつで す。
すべ て の決 断 を主 にゆ だね, あ らゆ る選 び につい て啓示 を求 め る人 は, 祈 っ
て も導 きが得 られな い こ とに, やが て気 づ くで し ょう。例 を挙 げ るな ら, さ
さいな こ とにつ いて の選 びで あ る場 合や , どれ を選 んで もよい場 合 な どです 。
私 た ち は, 創 り主 か ら与 え られた判 断力 を用 い, 心 の 中 によ く思 い計 る必 要が あ ります。 それ か ら導 きを祈 り求 め,導 きを受 けた な ら, それ に従 って行 動し ます 。
しか し, も しも導 きを受 けなか っ たな らば, 自分 の最 良 の判 断 に従 うのです 。」(「己 の 力 は破 滅 を もた らす こ と
もあ る」 ブ リガム ・ヤ ング大学 ス テーキ部 にお け るフ ァイ ヤサ イ ド,1992年6月7日 ,pp.3-4)

私たちがイエス・キ リス トの福 音 に 改 宗すると、謙遜になるとともに勇 敢にもなります。 改宗 に よって, 決断 するた めの大 きな力 を得 るか らで す。

良 な人 々が この世 で実 際 に直 面 す る状況 を示 す良 い例 が, 旧約 聖書 の中 のルツ記 に記 され て い ます 。

〔英 文 で〕 わず か5ぺ 一 ジ とい う大変 短 い もので すが, 読 む たび に新 しい発 見 が あ ります。

最近 は,改 宗, 勇気 , そ して決 断 の物語 として とらえ るよ うに な りま した。

時代 や文 化 は異 な って い ますが ,私 たち に も当て はま る こ とが書 かれ て い るの です。

ナオ ミは,夫 エ リメ レ ク とふ た りの息子 と共 に,敵 国 であ るモ ア ブの地 に移 りま した。彼 らの祖 国イ ス ラエル にい ききんが起 こったか らで す。 しばらくして息子 た ち は,オルパ とルツというモ アブ人 の妻をめとりました。

それか ら10年 の間 に,夫 と息 子 たち はこの世 を去 りま した。ユダ か ら ききんが去 った こ とを耳 にしたナオミは,祖
国に帰りたいと思いました。

彼 女 はふた りの嫁 に, それ ぞれ の母 の家 に帰 るよ うに勧 め ます 。

ナオ ミはふ た りをと呼 び, 口づ けを し ます 。 ナオ ミを愛す るふ た りは涙 を流 しま し た。

(こ れは実 に注 目すべ きこ とで す。 これ ま気 づ きませ んで したが, この明確 で有名 な記録 が役 立 て られれ ば,世 の中 によ くあ る嫁 しゅ う とめ につ いて の笑 えな い冗談 も影 を潜 め るので はな いで しょ うか)

し か し, 結 局 オ ル パ は モ ア ブに残 るこ とに しま した。

そ してナ オ ミは もう一度 ル ツ に 「ごらん な さい。あなた の相嫁 は 自分の民と自分の神 々 のも とへ帰 って行 きま した。 あな た も相嫁 の あ とにつ い て帰 りな さ い」 と言いました。(ル ツ1:15)

こ こで ル ツ は, 自分 の決 意 を,威 厳に満 ち,美 しい響 きを持 つヘ ブ ライの言 葉 で語 り, そ の改宗 が堅 固 な ものであ る こ とを示 しま し た。

あ な た を捨て, あ なた を離 れ て帰 る ことをわ た しに勧 め ないで くだ さい。 わた しはあなたの行 か れ る所 へ行 き, また あな たの宿 られ る所 に宿 ります 。 あな たの民 は
わ た しの民 , あ なた の神 はわ た しの神で す。」(ル ツ1:16)

現実 的 で賢 明 なナオ ミは, ル ツの固い決 心 を知 り, 「そ の上 言 う こ とをやめ」 ま した。(ル ツ1:18参 照)

こ れ はル ツ に話 す こ とをや めた とい うの で はな く, イ ス ラエル で経験 す るで あ ろ う困難 につ いて ル ツにわ か らせ よ う とするの をや めた とい う ことです。 モ アブ人 で あ るル ツが, よそ者 扱 い をするかたくなな人々や,飢え,多くの危険に遭遇するのは目に見えていました。 しかし彼は改宗していました。 決心していたのです。 彼女 はナオミと一致協力 して,や って来 る問題 に立 ち向か うだけで な く,与 え られ るチ ャンス も前向 きに受 け止 めて い った のです 。
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(She and Naomi became a great team, facing together not only the problems before them, but the opportunities that would come also. )
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やが てル ツは ボアズ と結婚 し,ふ たりに子供 が 生 まれ ました。rそ の とき,女 たち は ナ オ ミに言 った, 『主 は ほむべ きか な, … … あな た を愛 す る あな たの嫁, 七人 の むす こに も まさる彼女〔その子〕 を産 ん だの です から。』
そ こで ナオ ミはそ の子 を とり,・・・養 い育 てた。近 所 の女 た ち は 『ナオ ミに男 の子 が生 れ た』 と言 って ,彼 に名をつ け, そ の名 をオベ デ と呼 ん だ。彼はダ ビデの父 で あ るエ ッサ イの父 となった。」(ノレツ4:14-17)

この よ うな予言 こそ,私 たち に とって大 変重 要 なの です 。

女性 が リー ダーシ ップ を取 る こ とを よし と しな い社会
にあ って, この ふ た りの女性 , ナオ ミとル ツが もた ら した結果 を、聖典の筆者は注意深 く強調してい ます

オベデはダ ビデ の父であるエッサイの父となった のです が, マ タイによ る福音 書 第1章 に詳 細 に記 され て い る ように、このダ ビデ の系統 か らキ リス トと呼 ばれるイエ スが 生 まれ たの です。

短 い ル ツ記 が, この よ うな大 い な る出来 事 を予言 してい るな どと考 えた こ とが あ るでしょ うか。

ル ツ は,愛する人の死 ,新しい土地での孤独感 ,糧を得るた めに必死 に働くことなど,私 た ち の時代 にもあるような困難 に,自信を持って立ち向かいました。彼 女 の数々の小さな努 力が,後の偉大な出来事に結びついたのです 。

私はこのルツの行ないを通して, 私 たち一人 一人 に とって の 日々 の生 活 の価値 とと もに,神 に従 う選 び をす る こ との大切 さ を学 び ました。

今 晩私 が皆 さん にお話 しした ことは,私 の個 人 的 な証 です。 私 は自分 が ,選択 の 自由 につい ていくらか理解して いることと,天父と天父が与 えてくださる導きを信頼している ことに感謝しています。 救い主 の贖いに感謝しています 。主 は,そのためにどのような目に遭うかを完全に理解しておられ ました。

信仰 と愛 が もた らす 祝福 に感 謝 して います。 これ に よっ て私 の胸 は喜 び に満た さ れ, 私 た ち は確 か に 「す ば ら し」時代 に生 きて い ると感 じる こ とがで きるので す。
イ エス ・キ リス トの み名 に よ り申 しあ げます。 ア ー メ ン。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会総大会1992年9月26日(士)女 性 の大 会から、
ご紹介しました。
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学んだ事は、
7人の息子に勝る嫁がいたということ

姑は、嫁を自分自身の娘として受け入れたこと

姑と嫁がteamチームを組んで協力し合って一緒に、困難に立ち向かっいったこと

この姑と嫁が、イエス・キリストの先祖になったこと

夫と息子を失った、全てを失った姑に男の子が生まれた事実

女性の働きの素晴らしい潜在的な可能性

女性の偉大な可能性が発揮されたら、偉大なことが起こることを、男性は、知るべきです。
女性も、自らの偉大な可能性を理解出来ますように。