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Agencyとはただ選択する自由だけではなく,自分が世界を作り出すこと,無限に秘められた力を発揮することです。

2023-01-15 10:54:14 | 日記
リアホナ2014年2月号
 福音のキーワード─【Agency】選択の自由─行動を選ぶ自由

デレック・リン・ウェスマン

Agency(名詞)という英語は,ラテン語のagere(動詞)に由来します。agereはまさに「行う」という意味です。agencyの名詞としての意味は,「力を発揮するその様子」または,「行動している状態」ということなんです。

モーセ書7章32節,ここは神様がエノクに話しているところです。「わたしは彼らを創造した日に,彼らに知識を与えた。またエデンの園で人に選択の自由を与えた。」英語は「gave I unto man his agency」,もちろん「選択の自由を与えた」というのは正確な表現ですけれど,agencyの語源を考えてこれに当てはめると,「またエデンの園で人に行動する能力,力を発揮する能力を与えた」,そういう意味です。


Agencyを持つもの,という意味でagentという言葉があります。スパイ映画でよくエージェントって言いますね。

辞書の定義を並べると,「代理人,代理業者,取次人,仲介者,政府の職員,警官,護衛官,スパイ,工作員,諜報員」。

化学的な意味も面白いんです,「変化をもたらす主体,手段,媒介,作用因子。ある結果を引き起こす化学物質や病原体」。

肝心な点は,語源的にagentやagencyの裏にはとにかく,行動するもの,(作用されるのではなく)作用するもの,という意味が入っていることです。

「選択の自由」は,日本語表現的にはあまり行動のイメージを伴いません。どちらも選んでいいよ,みたいな感じになるでしょう。だからもし「選択の自由」と聖文の中に出てきたときには,それを「自分の行動を選ぶ自由」と置き換えたらいろいろな発見や洞察が得られるかもしれません。

独立と自由と責任

エージェンシーはチョイス(Choice)より深いですね。単純にチョコレートを選ぶかクッキーを選ぶかは,ある意味,子供でもできます。

でもagencyはそうじゃなくて,意味の深層に,自分の行動と振る舞いに対して責任が伴う,自分以外に責任を持つ人がいない,という自己責任のニュアンスが含まれています。


もう一ついい聖句があります。教義と聖約93章30−31節。

「30すべての真理は,神がそれを置かれた領域において独立し,それ自体で作用する。すべての英知も同様である。そうでなければ,存在というものはない。

31見よ,ここに人の選択の自由があり,(Behold, here is the agency of man,)またここに人の罪の宣告がある。

なぜならば,初めからあったものが分かりやすく示されているのに,彼らがその光を受け入れないからである。」

30節に,すべての英知(intelligence=人間)も同様である,とありますね。

ですから神様がわたしたちをどんな境遇に置かれたとしても,人はそこで独立して自分で作用(act for itself)できますよ,作用されるのではなくて。ここに行動を選ぶ自由(agency)がある,と言われているんです。

わたしたちには,特に教会員としていろいろな光が与えられています。


それに従うかどうか,行動するかどうか選択する自由(agency)はある。けれど,行動を選んだ結果には責任を伴うし,不幸なことも起こり得ます。「すべての人がわたしの与えた道徳的な選択の自由(moral agency)に応じて……自分自身の罪に対する責任を負う」(教義と聖約101:78)。

周りが皆しているから大丈夫だとか,それは言い訳にならないんです。

だからエージェンシーというのは独立(independent)という概念にも結びついている気がします。


人生は自由回答の試験


プロ野球ではよくフリーエージェントという言葉を聞きます。それはまさに自由に移籍できる選手のことですよね。自分にとっていいと思ったときに別のチームに移ってそこでプレーする。チームには作用(拘束)されず,自分で選んだ行き先のチームに作用(貢献)する。そしてもっとお金がもらえる。

─それは教会の教義と無縁ではないのです。わたしたちはこの地上で,神の戒めに従い,人にはキリストのように接する中で,自分たちの可能性を追求することは大いに許されています。自分で決めて自分にとってベストだと思うことをどんどんしていいんです。

わたしたちは神様の性質を受け継ぐ神の子供として,神様から与えられた力を発揮できる。どんな方法でするかは,何と,わたしたちに任されている。そう考えると人間ってすごいなと思うわけです。

わたしたちは独りでもすごいことを成し遂げることができます。重い責任も伴いますけど,これはすごくうれしい話じゃないですか。神様の賜物がいかに大きいか,垣間見る気がしますね。


例えば,試験で幾つかの選択肢から選びますよね。それは誰かに与えられた,すごく限られた選択の自由です。

これを人生に当てはめると,Agencyとはただ選択する自由だけではなく,自分が世界を作り出すこと,無限に秘められた力を発揮することです。選択肢問題ではなく,わたしたちは自由回答問題で生きています。自由回答の方がよほど難しいでしょう。だから人によっては選択肢を好む気持ちがあると思います,楽だし。

でも,受け身になってはだめです。Agencyというのは決して受け身じゃないんですよ。自由回答形式だと,一生懸命考えて,行動することによって,もしかしたら史上最強のすばらしい答えを出せるかもしれないんですよ。(談)◆

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こちらの記事は、末日聖徒イエス・キリスト教会機関誌
「リアホナ2014年2月号 福音のキーワード─【Agency】選択の自由─行動を選ぶ自由」からご紹介しました。

日本人は、周りの空気を見ることにたけていますが、神様の教えは、
自分の考えで良いことを、たくさんの良いことを実行しなさいということです。特に、学問、学校の成績などで、人の本来の能力の開花を妨げる、本来の才能を委縮させることのないことが望まれます。大学共通テストなど、日本の学校制度の点数選抜の嫌いな理由です。

本日もお読みいただいて、ありがとうございます。
良い一日になりますように。







貴重な受け継ぎ

2023-01-01 21:37:17 | 日記
貴重な受け継ぎ

十二使徒定員会会員

ジエームズ ・E・ファウス ト

心に傷 を負ったり関心を 失ったり、何らかの理由で教会に背を向けたりしている兄弟姉妹の皆さん、私たちは皆さん一人一人に、もう一度主の群れに立ち返るようお勧めします。

大会 も終 わ りに近 づ き ま した。私 は貴 重 な受 け継 ぎにつ いて話し た い と思 い ま す。世 界 中 の 様 々 な国々 で,信 仰 深 い聖徒 たち の手 に よ り,教 会 の土 台が 築 かれ て き ました。 第1世 代 の会 員 た ちは ま さに開拓 者 です。彼 らは皆 ,強 い信 仰 を持 ち,献 身 的 な努力 を して い ます。 私 は き ょう, す べて の開拓 者 の子 孫が誇 り とす る貴 重 な受 け継 ぎにつ いて話 したい と思 い ますが, 特 に, ソル トレー ク盆地 や ユ タ州をは じめ とす るア メ リカ西部 に移 住 した開拓者 たち につ い て触 れ るつ も りです 。

今年 の7月24日 の 開拓 者 記念 日に,私 た ち は, ワイオ ミン グ州 の リバ ー トンス テー キ部 の記 念行 事 に参加 し ま した。 ロバ ー ト ・ロ リマー ス テー キ部 長を は じめ とす るステ ー キ部 長 会 の指導の下 に, 青少 年 とその指 導者 た ちで,1856年 の手車 隊 の行程 の一 部 をた どった のです 。朝 早 く4輪 駆動 の車 で出発して 最初 にイ ンデペ ンデ ンス ロ ックに行 き, そ こ か ら モ ル モ ン 道(訳 注1847年 に開拓 者 が 開い た道。1859年 まで使 用 され た)に 入 りま した。 そこか ら数 キロ の所 に, デ ビルゲ ー トと呼 ばれ る峡 谷が あ ります。 マー チ ン コー ブの聖 地 に着 い た時, 私 た ちは沈 んだ気 持 ち にな りま した 。 なぜ な ら, その場 所 はマー チ ン手 車 隊が ,飢 えや寒さ と戦 い なが らソル トレー クシテ ィーか らの救援 隊 を待 っ た場 所 だ か らです。ここで, マー チ ン手車 隊 の うち56人 ほどが飢 え と寒 さのた め死 に ま した。

ス イー トウ ォー ター川 の横 断点 を見た時 は,胸 を打 たれ る思 いが しま した。そ こで は,3人 の 勇 敢 な若 者 が ,約500人 か ら成 る手 車隊 員 の ほ とん どを,氷 の よ うに冷 たい川 の対 岸 に運 び ま した。 そ の後, 長 時間 冷水 の 中 に浸 り無理 を重 ねた こ とが原 因 で,3人 は亡 くな りま した 。 この勇 敢 な行為 の報 告 を受 けた ブ リガ ム ・ヤ ング大 管長 は,子供 の よ うに泣 きじゃ くり,後 日, こう宣 言 し ま した。 「こ の行 為 だ けで も,C・ ア レ ン ・ハ ン チ ン トン, ジ ョージ ・W・ グ ラ ン ト, デ ビ ッ ド ・P・ キンボ ール は神 の 日の光 栄 の王 国で, 永遠 の救 い を世 々限 りな く受 け るで あ ろ
う。」(ソ ロ モ ン ・F・ キ ン ボ ー ル『1856年 の遅 れ て きた移住 者 た ち』 「インプル ーブ メ ン ト ・エ ラ」1914年2月号 ,p288)

それ か ら もう少 し先へ 進 む と, ウイリー手車 隊 が救援 され た場所 に着 き ました。私 たち は聖地 に立 って い るよ うな気持 ちに な りま した。手 車隊 の 開拓者 ,21人 が こ こで飢 え と寒 さのた め命を落 としたか らで す。 私 た ちは,標 高約2,200メ ー トル の ロ ッキ ー リ ッジ とい う峠 を越 えて旅 を続 け ました。 この峠 はモ ルモ ン道 の中 で最 も高 い地 点 です。 ロ ッ キー リ ッ ジ に至 る登 り坂 は3.2キロに及 び, 高度差 は210メ ー トル以上 に及 ぶ険しい もので す。この峠 はどの開拓者にとっても難所で したが ,特 に ウイ リー手車 隊 には苦闘を強いられる場所にな りました。1856年 の秋にこの峠 に差しかかったウイリー手車隊は,大吹雪に見舞われたからで す。 大半の開拓者たちの履物はすり減り,荒い岩肌のせいで足 の皮膚が破れ ,雪を真っ赤な血 に染めながら前進したのです。

ロッキーリッジに来た時 ,私た ちは2本のくぎと昔風のボタン を見つけました。それは開拓者 たちが険しい岩の上を越える時 に,ゆるんで落ちた物なのでし ょう。 私はこの歴史的な場所に立って, 厳粛な思いにかられました。私の先祖も何人かは,手車隊にこそ加わってはいませんでしたが, この峠を越えたので す。西部への偉大な移住の旅に出た私の先祖の全員が,このロ ッキーリッジを越えたわけではありません。ふたりは,それ以前のウインタークォーターズで亡くなっています。

この峠を越えながら,私は自分 がどれだけ犠牲を払っているか考えました。これほど大勢の人 が 、これほど大きな犠牲を払った出来事を、今までに見たことがありません。このみ業を発展 させるため, 今までにどんなこ とをなすべきだったのか,これ から先どう生きるべきなのか, 私は考えました。

それから数キロ先の地点 ,ラジウムスプリングスで, 実際に手車を引いて手車隊のたどった道 のりをもう一度たどろうとする, リバートンステーキ部の185人の青少年とその指導者た ちに追いつきました。 そこで,136年 前 に苦難 を越 え て この道 をた どった人 々 の信仰 や英雄 的 行為 につい て,互 い に証を述 べ ま した。

私 た ち はそ こか ら さらに ロ ック ク リー ク盆地 へ行 きま した。 ロ ックク リーク盆地 は ウイ リー隊 が宿 営 した場 所 です。寒 さ, 疲 労,飢 え に よって絶命 した13人 が , ここの共 同墓地 に埋 葬 されてい ます 。夜 間 に亡 くなっ たふ た りも,近 くに埋 葬 され て い ます 。 ロ ック ク リー ク盆 地 に埋 葬 され た人 々 の うちふ たりは, まだ子 供 で した。 デ ンマ ー クから移 住 して きた9歳 にな る女 の子 のボー デ ィル ・モー テ ィ ンセ ン と, ス コ ットラ ン ド出身 の11歳 の ジ ェー ムズ ・カー ク ウ ッ ドです 。
ボー デ ィル は ロ ッキー リッジ を越 える時, 明 らか に, ほか の幼 い子供 たちの世 話 役 を言 い付 か ってい ました。宿営 地 に着 く と, 彼 女 は薪 を集 め に行 かされ たの で し ょう。発 見 され た時 は,た き物 に使 う よ もぎを抱 えた まま, 手押 し車 の車 輪 に もたれ て凍 死 してい ました。
ジ ェー ムズ ・カー ク ウ ッ ドの話 も紹介 し まし ょう。 ジ ェーム ズ はス コ ッ トラ ン ドの グ ラス ゴー か ら来 ま した。父親 はな く,母親 と3人 の兄 弟 と一緒 に西 へ 向か っ たの です。 兄弟3人 の うちのひ と り トーマ ス は19歳 で したが ,足が不 自 由で手 押 し車 に乗 らな けれ ばなりませ んで し た。 母親 と長 男 の ロバ ートが手 押 し車 を引 き, ジ ェーム ズ には4つ に な る弟 ジ ョセ フの面倒 を見 る責任 が 与 え られ ま した。彼 らが ロ ッキーリ ッジ に差 しか か る と, 身 を切 る よ うな冷 た い吹 雪 に遭 い ま した。 手車 隊全員が24キ ロの道 の りを進 む の に, なんと27時 間 もかか り ました。幼 いジ ョセフが 疲 れ きっ て歩 けな くな る と, ジ ェー ムズ が背 負 って歩 く以 外 に方 法 は ありません。 手車 隊 か ら次 第 に引 き離 され なが ら も, ジ ェーム ズ は遅 い歩 みで宿営 地 に進 ん で行 きま した。や っ とのこ とで宿 営 地 の火 に あた った とき, ジェー ムズ は 「責 任 を忠 実 に果 た して きたの に,疲 れ が ひ ど く長 い間寒 気 に さらされ て い たせ いで, そ こで倒 れ , その ま ま息 を 引 き取 っ た」 の で した。(ロ バ ー ト ・ロ リマ ー あ て の ド ン ・H・ ス ミス に よる個 人書 簡 ,1990年2月20日 の ドン ・キス レッ トに よる話 の中で の引 用)

1856年10月 の大 会 で, ブ リガ ム ・ヤング大 管 長 の呼 びか け に こた えて救援聖徒 の道/1993年1月 号94頁隊が 派遣 され ま したが,彼らにも英 雄的な話が残 って い ます。 ヤ ング大 管 長は40人 の青 年, 馬 や ロバ に引か せ た60台 か ら65台 の幌 馬車 ,10ト ン以 上 の小麦粉 を集 め て救 援 隊 を組 織 し, 「今 荒野 で遭 難 して い る人 々 を連 れ て来 るた
め に」(リ ロ イ ・R・ ヘ イ フ ェ ン他 共著 「シオ ンに 向か う手 車 隊」p.121)2,3日 の うち に出発 させ ま した。救援 隊は速 やか に悩 め る旅人 た ち の救 済 に向か っ たの です。

助 け られ た開拓 者 た ちが ソル トレーク盆 地 に近 づ くと, ブ リガ ム ・ヤ ング大 管長 は このタバ ナ クル で集 会 を招集し,疲 弊 した開拓 者 た ち を家庭 に迎 えて くつ ろがせ ,食 物 と衣服 を与 え る よう, この盆 地 の聖 徒 た ち に指 示 したのです 。 ヤ ング大管 長 は こう言 い ました。
「足首 まで 凍 傷 を負 った 者, ひ ざ まで凍 傷 に 冒 され た者 , 手 が凍傷 にかか った者 もい るで あ ろ う。 ……彼 らを自分の子供 だ と思 って, 同 じ気持 ちで受 け入 れ て い た だ きた い。」(ヘ イ フ ェ ン「シオ ン に向か う手車 隊 」p .139)

救 援隊 が ウ イ リー手車 隊 を連 れ て ソル トレー ク に入 って来 た時 の様 子 を,ウイ リー隊 長 は次 の よ うに記録 し ました。 「ソル トレー ク に着 くや い な や,.い ろい ろな ワー ド部 の監 督 が行 くあ てのない人 々 全員 を, 暖 か い宿舎 へ連 れて行 って くれ た。手 足 に ひ どい凍傷 を負 っ てい る者 もいたが , そ の苦 痛 を取り除 くた め にで き るす べ て の努 力 が払わ れ た。 ……何 百人 もの 出迎 えが 馬車の周 りを囲み なが ら市 内 に入 っ た。 こう して手車 隊 の兄 弟姉 妹 た ち は この 山間 の故 郷 へ温 か く迎 え られ た。」(ジ ェー ム ズ ・E・ ウ イ リ ー 「歴 史 記 録」1856年11月9日 ,p.15)

こ うした苦 難 の結果 , 開拓者 たち は神 に対 す る揺 る ぎない信仰 を築 きま した。 エ リザベ ス ・ホロ ッ クス ・ジ ャ クソン ・キ ングス フ ォー ドは次 の ように語 りま した。 「しか し天 使 は私 の 苦 しみ を天 の記 録 に書 き留 め,福 音 の ため に払 っ た犠 牲 を聖 めて利 益 に変 えて くだ さ る と信 じ て い ます。」(「エ リザ ベス ・ホ ロ ックス ・ジ ャク ソ ン ・キ ングス フ ォ ー ドの生 涯 を巡 る思 い 出」p.7)

But I believe the Recording Angel has inscribed in the archives above, and that my sufferings for the Gospel’s sake will be sanctified unto me for my good.”〕

荒野 を渡 った人 々 は信仰 の模 範 を残した ばか りで な く,神 へ の愛, 人類 への愛 とい う偉大 な受 け継 ぎを残 して くれ ま した。 それ は, ま じめ さ, 独立 心 ,勤 勉, 高徳 , 同胞愛 とい う受 け継 ぎでもあ ります。 また,主 の戒 めに対 す る従順 , 民 を導 くため に神 に よっ て召 され た指 導者 へ の忠誠 心 ,完 全 に悪 を断ち切 る伝 統 ともい えます。 不道 徳 , 同性 愛, か け事, 利 己心 ,不 正直 ,不 親切 , アル コー ルや麻 薬 の 中毒 とい っ たもの は, イエ ス ・キ リス トの福 音 とは無 縁 なの です。

さて, ここユ タ州 で はか け事 の是 非を決 め る選 挙 を数週 間後 に控 えて い ます 。 か け事 に関す る教会 の立場 は不 変で す。 しか し, これ に関す る議 論 が 白熱 す る につれ, 私 た ちは教会 員 に寛 容と理解 の精 神 を持 つ よ うに勧 告 い た します。人 に は皆 自由意 志が与 え られ てい ます が, そ の 自由意 志 を愚 か に行 使すれ ば,代 償 を払 う こ とにな ります 。

J・ ルー ベ ン ・ク ラー クJr.副 管 長 はこ う語 りま した。 「私 た ち に は従 うか否 か を選 ぶ権 利 が あ る。 しか し従 わ なけれ ば, 罰 を免 れ る こ とはで きない。」
(「教 会福 祉計 画 の基盤 監督 集 会 での説 教」1944年10月6日 ,p.3)

私 はなぜ この ような勇敢 な開拓 者 たちが ,信仰 のた め にあ の ような苦 痛 や苦 難 を経験 しな けれ ば な らなか った のか, 不思 議 に思 い ます。彼 らの深 い苦悩 を救 うた め に, なぜ もっ と穏 や か な天 候 が用 意 され なか っ たので し ょう。

彼 らは苦 しみ を通 して よ り高 い 目的 のた めに聖別 され た と私 は考 えて い ます。
彼 らの心 の奥 底 に燃 えて い た救 い主 への愛 は, そ の子供 たち に受 け継 が れ,孫 た ち に も浸 透 して い き ました。 彼 らを動 か した もの は心 の奥底 か らの真 の改 宗 の精神 だ ったの です 。 ゴー ドン ・B・ ヒン クレー 副管 長 が 言 われ た よ う
聖徒の道/1993年1月 号95頁
に 「末 日聖徒 一人 一人 の心 に このみ業が真実 で あ る とい う強 い証 が 生 まれ るな ら, 各 自は教会 にあ って 自 らの責 務を悟 るで し ょう。」(「地 区代 表 セ ミナー」1984年4月6日)

開拓 者 た ち は こう した歴 史 的 な出来事 の一 端 を担 う と同時 に, 自分 の人 生に対 す る指針 も得 て い ま した。 つ ま り,人 生 の意義 と目的 を見 い だ して いたのです。 マ ー チ ン手 車隊 とウイ リー手 車隊 はその苦 難 に満 ち た旅路 の途 中, 背教 して 西部 か ら東 部 に戻 ろ う とす る人 々 に出会 い ま した。 背教 者 た ちは手車 隊 の人 々 に, 東部 に戻 る よ う勧 め ました。 実 際, そ の勧 め を受 け入 れ た人も幾人 か は い ま した。 しか し大 部分 の開拓 者 は旅 を続 け, この世 で偉 大 な業績 を達 成 し,来 世 で の永遠 の生 命 に向か って行 った ので す。 マ ーチ ン手車 隊のひ と り, フラ ン シス ・ウ ェブス ターは次 の よ うに述 べ てい ます。 「私 た ちは皆 ,神 が 生 きて お られ る とい う完 全な知 識 を得 ま した。 苦難 の さなか にあって神 を知 る ように なっ たか らです 。」
(デ ビ ッ ド ・0・ マ ッケ イ 『開 拓 者 の女 性 』 「扶 助 協 会 誌」1948年1月 号 ,p.8)開 拓 者 た ち が残 して くれ た信 仰とい う この貴 重 な受 け継 ぎに霊感 されて, 私 た ち全員 が, 人 の子 らに不 死不滅 と永遠 の生命 を もた らす救 い主 のみ業 に もっ と献 身 で きる よう,私 は願 って い ます。

この 高貴 な開 拓者 の子 孫 で あ る皆 さん は,信 仰 と勇 気 とい う貴 重 な受 け継ぎを得 て い ます 。皆 さん の中 に, イエス ・キ リス トの福 音 を受 け入 れ て教会に来 て い ない人 々 がい るな ら, なぜ皆さんの先 祖 が あれ ほ ど強 い信 仰 を持 ち得 たの か, なぜ 教会 員 として の資 格 を守 るた め にあれ ほ どの犠 牲 を払 っ たのか, 考 え てい ただ きた い と思 い ます。

心 に傷 を負 っ た り関 心 を失 っ た り,何らかの理 由で教 会 に背 を向 け た りしてい る兄弟 姉妹 の皆 さん, 私 た ちは皆 さん一 人一 人 に, も う一度 主 の群 れ に立ち返 るよ うお勧 め します。世 界 中の信仰 深 い教 会員 たちが ,欠 点 や弱点 を持 ち なが らも, 謙遜 にな って神 の聖 なるみ業 を推 し進 めて い るので す。今 日の世 に はび こ るや み の力 を防 ぐ戦 いの 中で ,私 た ち は皆 さんの助 けを必 要 としてい ます。 このみ業 に加 わ る な ら,皆さん全員 が心 の飢 え を癒 す ことがで きます。神 につ ける清 く神 聖 な事柄 を求め る ときに得 られ る個 人 的 な慰 め を得る こ とがで きます。聖 な る宮 居 で祝福を受 け, 誓約 を交 わ す こ とが で きます。

この堕落 した世 に あって さえ,人 生 に大 いな る 目的 と意 義 を見 い だ し, 周 囲の影 響 に左右 されず 自分 で行 動 す る人格 的な強 さを培 うこ とが で き るので す。(II二 一 ファイ2:26参 照)

数 年前 ,大 管長 会 はす べて の お休 み会員 に教会 に戻 る よ う呼 びか けま した。
「教 会 の中 に は活発 で な い人 や ,他の人 に対 して批判 的 な 目を向 け, あ ら捜 しをす る人 , また重 大 な罪 に よ って会員 資格 の制 限や 破門 等 の処分 を受 けて い る人 もい ます 。

私 た ち はその よ うなすべ て の人 々 に向 か って 手 を差 し伸 べ, 『主 な るわ れ ゆる
は, そ の赦 さん と欲 す る者 を赦 す。 され ど汝 らに はすべ て の人 を赦 す こ とを求 め らる』(教 義 と聖約64110)と い う主 の精 神 を もって赦 しを与 えたい と思い ます。

私 た ちは教会 員 に対 して, 自分 に罪を犯 した人 々 を赦 す よ うに勧告 し ます。
また教 会 に活発 で な くな り,他 の人 々に対 して批 判 的 にな って い る人 々 に は,
『立 ち返 りな さい。 そ して主 が 備 え られた テー ブル につ き,聖 徒 の交 わ りと
い う甘 く, 心 を満 た して くれ る木 の実を再 び味わ い な さい』と呼びかけるものです 。

私 たち は,戻 りたい と望 み なが らも,きま り悪 さを感 じてそ うで きないで いる人々 が多 くい る と確 信 してい ます。しか し, その よ うな人 々 に申 しあ げたい と思 い ます。私 たち は両手 を広 げて皆 さんを歓迎 し, 喜 んで お助 け した いと願 ってい る のです。」(大 管 長会 か らの手 紙,1985年12月23日 付)

このす ば らしい大会 を終 え るに当 たり, 教会 幹部 を代 表 して,今 一度 心 から, またへ り くだ って その呼 びか けを繰 り返 した い と思 い ます 。私 た ち は皆さん に向か って手 を広 げて い ます 。 イエ ス ・』キ リス トのみ名 に よ り申 しあ げます。 アーメン。
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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会1992年10月の総大会からご紹介しました。

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天には、the Recording Angel
がおられるようです。

(ウィキペディアより)
記録天使(きろくてんし、英語:Recording angel)とは、ユダヤ教キリスト教イスラム教において、すべての人間の善行や悪行等の行為、祈りを記録するとされる神の使者のこと。


マラキ書の3章16節に、「そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。神の御前には、主を畏れ、その御名を思う者のために記録の書が書き記された。」と関連する記述がある。

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本日もお読みいただいてありがとうございます。

新年あけましておめでとうございます。

私たちの、先祖の苦闘を学び、現在を最善を尽くしたいと思います。