授業の中で、知識を注入し、ブラッシュアップしなくてはならない場面と、じっくり考える力を培う場面というものが、バランスよくブレンドされている。これはうまい授業の一つの要素だと考えます。
まず、知識注入の場面ですが、例えば小学生であれば、九九や公式、常用漢字、身近な生物の名前、国や都道府県・主な産業など、必要と思われる知識はどんどん暗記させるべきだと考えています。こうした単純な暗記を楽しんでやってしまうのは、やはり小学生段階だと思います。また、そうして覚えていく楽しさを知ること、知れば世界の見方がかわってくることなどを実感できるからです。そして知識をつかって読み解いていく本などもどんどん読ませるべきでしょう。知的好奇心を育てるのは大きくこの時期だと思っています。中学高校の場面でも暗記の面白さを体験させることはできると思います。個人やグループで英単語暗記などを競わせるといったやり方もできるでしょう。短時間で多くの単語を覚えるといった芸当は、やはり中学・高校レベルになると思います。そして知識をためすのに、仲間どうしでのディスカッションなどが有効かと思います。ディスカッションを通じて、自分の知識のどこが足りないのかと言ったことを実感し、それを満たしていきたいという思いが強くなっていくはずです。
さて、次にじっくり考える力をつける場面です。ここでは、正解かどうかをあまり問わない問いかけをすることが重要といえましょう。生徒にとって「正解が大事なのではなく、いろいろな問題解決法があり、試行錯誤したり、問題解決をしようとしたプロセスをいろいろ経験することが大事である」ことを気づかせたいと思います。例えば、ある数学の公式を教えたいとして、いきなり天下り的に公式を覚えさせるといったアプローチばかりでなく(こうしたアプローチが必要な場合もあります)ではなく、じっくりとその公式が誕生した背景、導けるならばグループで考えさせるといったもの。
理科の実験では、予め手順が決まった実験を、手順通りにやるという方法ではなく、ある現象や事実を説明するための検証としての実験をどのようにしたらできるかを生徒に企画立案させるような実験ということになります。この場合、教師にはこういう生徒を指導するだけの幅広く深い知識・理解が欠かせなくなってきます。
日本でじっくり考えさせる子供を育てられないのは、こうした授業デザインがきちんと行われていない。元をたどれば、教員養成課程において、こうした授業デザインができるようになる訓練がきちんとされていないということにあるように思います。
当webサイトでは、こうした問題にも触れ、授業方法論なども提案していけたらと思っています。
まず、知識注入の場面ですが、例えば小学生であれば、九九や公式、常用漢字、身近な生物の名前、国や都道府県・主な産業など、必要と思われる知識はどんどん暗記させるべきだと考えています。こうした単純な暗記を楽しんでやってしまうのは、やはり小学生段階だと思います。また、そうして覚えていく楽しさを知ること、知れば世界の見方がかわってくることなどを実感できるからです。そして知識をつかって読み解いていく本などもどんどん読ませるべきでしょう。知的好奇心を育てるのは大きくこの時期だと思っています。中学高校の場面でも暗記の面白さを体験させることはできると思います。個人やグループで英単語暗記などを競わせるといったやり方もできるでしょう。短時間で多くの単語を覚えるといった芸当は、やはり中学・高校レベルになると思います。そして知識をためすのに、仲間どうしでのディスカッションなどが有効かと思います。ディスカッションを通じて、自分の知識のどこが足りないのかと言ったことを実感し、それを満たしていきたいという思いが強くなっていくはずです。
さて、次にじっくり考える力をつける場面です。ここでは、正解かどうかをあまり問わない問いかけをすることが重要といえましょう。生徒にとって「正解が大事なのではなく、いろいろな問題解決法があり、試行錯誤したり、問題解決をしようとしたプロセスをいろいろ経験することが大事である」ことを気づかせたいと思います。例えば、ある数学の公式を教えたいとして、いきなり天下り的に公式を覚えさせるといったアプローチばかりでなく(こうしたアプローチが必要な場合もあります)ではなく、じっくりとその公式が誕生した背景、導けるならばグループで考えさせるといったもの。
理科の実験では、予め手順が決まった実験を、手順通りにやるという方法ではなく、ある現象や事実を説明するための検証としての実験をどのようにしたらできるかを生徒に企画立案させるような実験ということになります。この場合、教師にはこういう生徒を指導するだけの幅広く深い知識・理解が欠かせなくなってきます。
日本でじっくり考えさせる子供を育てられないのは、こうした授業デザインがきちんと行われていない。元をたどれば、教員養成課程において、こうした授業デザインができるようになる訓練がきちんとされていないということにあるように思います。
当webサイトでは、こうした問題にも触れ、授業方法論なども提案していけたらと思っています。