やっぱりオレはずっと第三者として子どもとかかわっていたいな。
親になると"オレにしか見えない目"が見えなくなるように思う。
前々から何度も書いてきたことだが、親ではない第三者にしか見えない子どもの姿がある。
第三者だから見える、理解できる。そんなことがたくさんある。ただ単に第三者ではダメ。子どもとかかわる第三者でなければいけない。そんな奴にしか見えないことがあるんだよな。
親になると、どうしても我が子に期待をし、親の思いを子どもに押しつけてしまうことがある。親は必死だから、それに気付かずに通り過ぎてしまうことがある。だから第三者の存在が必要になる。
子どもを叱ったり、子どもをしつけたりするのが第三者の役割で親はそれをフォローする役割であるべきなのかな?と思う。
オレは病気をしてから、常に死の覚悟をして生きている。すぐにとかではない。でもいつどうなるか分からない。明日は分からないと思って生きている。
だから生きているうちに自分の思いや考えをどんどん伝えていかなきゃな(笑)