日本に入って来た最初のグローバリスト、トーマス・グラバーの謎
次に、私がもっとも苦手な「るるぶ族」のいる観光スポットです。
ジェラードを片手にもって、スマホで写真を撮りながら歩いている女子たちが大勢、集まっている場所です。
そう、たいていは、「祈りの鐘」とか、「恋人の丘」とか、そんなスポットのある場所です。
近づくだけで非常に憂鬱になりますが、あることを確かめたかったので、意を決して閉園時間30分前にグラバー園に入りました。
表側から入ると、将来のカウチポテトおばさんたちが、怒濤のようになだれ込んでくるので、大浦天主堂側の出口から入っていきました。
何本かの野外エスカレーターを乗り継いて昇っていくと、グラバー園の頂上に着きます。
そこから、丹念に探しものをしながら下に降りていきます。
グラバー邸。
幕末の武器商人トーマス・グラバーの邸宅です。
長崎港を見下ろす丘の上にあります。ここからは、異国情緒漂う長崎の街並みを一望できます。
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行ってみて分かったのは、意外にも、グラバー邸そのものに関心を持っている観光客は少なく、ほとんどが展望テラスで写真を撮ったり、ガーデニングの小径をのんびり歩くカップルばかり。高齢者は、ほとんどいません。
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グラバー邸周辺は閑散。
さて、探し物の探索。それは、例のグラバー邸の門柱です。
みつからない・・・閉園時間が差し迫っている。だめなら、明日の朝、また来ようか。
そう考えていると、私の後ろで「フリーメーソン。フリーメーソン」という声が聞こえました。
おそらく、台湾から来た家族連れの観光客で、「フリーメーソン」と言っていたのは、その家族の高校生ぐらいの娘さんでした。
振り返ると、そこにありました。
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門柱の周辺だけが、雑草が生えたままになっていて、手入れがされていません。
グラバー園の管理者は意図的に隠したいのだろうか、とも思ってしまうような打って変わっての荒れ具合です。
急いでいた私が見つけられなかったはずです。
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これは、画像を加工してあるのでフリーメーソンのマークが分かりますが、現況は、チラッとみただけでは判別できないほど朽ち果てている状態です。
この門柱のフリーメーソンのマークを根拠として、後に、「トーマス・グラバーはフリーメーソンで、坂本龍馬を倒幕に導いた」とする陰謀論に繋がっていったのです。
フリーメーソンの下っ端、高須クリニックの高須克弥は、「龍馬はフリーメーソンだった」と断定していますが、と学会の皆神龍太郎は、「この石柱は昭和に入ってからクラバー園に寄贈されたものである」と言っています。
だから、「グラバーは、フリーメーソンではない」と短絡的に結論付けています。
どっちも、トンデモです。二人とも自分が言っていることの矛盾に気が付いていません。
少なくとも、グラバー園の管理者が、フリーメーソンと関わりを持つに至った、ということ。
そして、トーマス・グラバーが門柱の寄贈を受けるに足る「関係」を持っていた、ということ。
これは明らかなことです。
それでも、フリーメーソンではない、というためには、この門柱を寄贈した人間なりグループがフリーメーソンではなく、トーマス・グラバーの評判を貶めるために、世界最大の厄介な悪魔崇拝のカルト宗教「フリーメーソン」のマークを刻み込んだ門柱を造らせて寄贈した理由について議論しなければならないのです。
つまり、龍馬が、グラバーがフリーメーソンであるかないかは関係ないのです。分かるでしょうか?
彼らは、実際に、倒幕という開国にこぎつけたのですから。
要するに、グローバリズムは江戸時代から日本に侵食していたということです。
日本で最初の貿易商社「亀山社中」は龍馬が創設したことになっています。
資本力のない龍馬に南蛮渡来の中古の武器を輸出したのは誰でしょう?
その高額な代金を龍馬が自腹で支払ったとでも?
第一、こうした一切合切を、誰が仕切って、龍馬をお膳立てしたのでしょう。
その後、龍馬は幕末に暗殺されました。(近江屋事件)
そして、江戸幕府を倒した後、最後の幕末の志士、土方歳三も函館の五稜郭で狙撃を受けて戦死したのです。
証拠はすべて消されました。
ちなみに五稜郭は、ペンタグラム(五芒星)を象って設計されています。
五稜郭は、日本のペンタゴンになることなく記念館になっています。
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