1年中 気にかけていられないだろうから
せめて8月だけでも戦争を振り返って
…と
塚本晋也監督が
ツイートされてたと思うのですが
(うろ覚え。。。)
この2週間程
戦前戦後のドキュメンタリーを
見てます。
映像による身体の損傷場面が
ほんとうに苦手なので
(そんな人は少なくないだろう)
データや証言を再構成して
なんか ひどかったよねーでない
俯瞰した目線で
作られていそうな物を選びながらです。
(じゃないと私には むつかしい)
自分の無知を
なんとかしたいのもあるし
当時を振り返らないと
現在を理解出来ないとも思うし
中学生の息子に伝承したかったら
私が知ろうとするとこから
初めないとなーとかなんとか…
言いたいことは
沢山ありますが
沖縄戦と
保証されてこなかった
戦災孤児の方の証言や
現在の暮らしと心境の取材など
ドキュメンタリーを
いくつかみたあとだと
例えば
現在スポーツの試合を
対戦や、〇〇戦と
何の疑問もなく呼んでいる事や
運動会は どうして赤と白に分けて
競い
勝ち負けを決める習わしのまま
無批判に続いているのかな…など
今 当たり前の事や
呼称に対して
沢山疑問が湧いてきました。
軍国の名残りにみえるのは
考え過ぎなのか、それとも。
今回観たドキュメンタリーで
資料の多くは
アメリカで残された記録や調査
あとは人々の証言や日記などで
日本政府 自ら
調査や資料を残したり
検証や記録する態度の薄さ、
優先順位の低さに
怒りと恐怖がわく。
反省や教訓よりも
勇ましい記録や記憶以外は
なるべく無いことにしたい、
そう見えてしまう。
ただそのDNA…
水に流したい。
責任はとらずに 腹の探り合いでにごす。
興奮にのまれる。
が
自分の中や
今の日本の大人の中に
受け継がれている事に
私自身 異論はなくて
この違和感や
日本の大人の特性への
警戒感、それをアンテナとして
"ルールや慣例だから"と
分かったつもりにならない…
それが大事だろうという
確信に近い気持ちがしています。
ついでに言えば
門外漢なのに
"断定的に見立てを語る人"に対して
用心しすぎるに
こした事ないって
やっぱり思うのでした。
謝謝