中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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セピア色の画集(1)

2008年12月31日 13時58分28秒 | 趣味三昧:セピア色の画集

                     <タイのラオプラヤ川>

             セピア色の画集(1)
           2008年12月31日(水)


 今日は大晦日.
 平素から,ぐうたらな私だが,新年ぐらいは,自分の部屋を,少しばかり念入りに掃除したいと思い立った.本当ならば,大晦日になる前にシッカリと掃除をするのが当たり前である.でも,「明日やれるんなら今日はやらない」といういい加減な信条の持ち主である私は,結局の所,自分の部屋の掃除を,土壇場の今日までズルズルと引き延ばしてしまった.
 古い資料を整理すると,半ば朽ち果てそうな絵が何枚か出てきた.折角出てきた資料なので,今の内に,少しは整理しておこう・・・と,けなげな気分になり始めた.そこで,今回から数回に分けて,掘り出した絵などを記録することにしたい.
 まず最初の絵は,いつ頃のものかハッキリしないが,多分,10年ほど前のものであろう.これまで.私は,仕事で,数回,タイを訪れたことがある.たまたま休日に,バンコック市内を悠々と流れるラオプラヤ川を,船で遡ったことがある.そのときに,船の中から市街地を見渡しながら,フエルトペンでスケッチしたものである.
 滔々,悠々と流れるラオプラヤ川の流れを見ているうちに,チョコマカとした自分の生き様が,急に馬鹿馬鹿しくなったことを思い出す.


          昭和30年代前半頃の大阪中之島

 その頃,私は寝屋川に下宿して,京都の某大学に通っていた.休みの日には,すり減った万年筆と,画用紙を持って,彼方此方に出掛けて,スケッチを楽しんでいた.特別に絵の修行もしたことがないので,100パーセント我流である.
 でも,真似事のような下手な絵でも,書いているときは,とても楽しかった.
 この絵には,今から50年程前の大阪の雰囲気が残っているような気がする.50年の歳月の間に,紙は黄ばんでしまったが,それでも,このスケッチから,往時の大阪の雰囲気を,私に想起させてくれる.
 今はもう,この絵に描かれているビルは,多分,なくなっているだろう.その代わりに,高層ビルが建ち並んでいるだろうと思う.
 その後,社会人になった私は,数え切れないほど,大阪に出張したが,この絵を書いた場所には,一度も訪れていない.新しい年になったら,機会を見て,一度,訪れてみたいなと思っている.


        昭和30年代前半の寝屋川:真夜中の台所

 50年ほど前,寝屋川に離れを借りていた.十分な広さがあったが古い家だった.4畳半ほどの台所がついていた.そこで,自炊をしていた.台所の半分は土間になっていて,井戸が付いていた.
 排水溝から,ネズミや野良猫が自由に出入りしていた.
 こんな生活の最中に,暇に任せて適当に描いたもの.もう紙がボロボロになっている.この絵の裏を見て驚いた.
 金釘流で,熱心に絵の説明が書いてある.20才代の青い私の痕跡である.多分,この絵は,今は亡き母に,自炊の様子を報告する積もりで描いたのだろう.遙か遠くの都会の片隅で,1人で自炊している私を,母は随分と心配していたに違いない.その母に「元気にやっているよ」と便りしたかったのだろうと思う.

                   <真夜中の台所>



 ・・・・ここには,こんなことが書いてある.もう,ブルーブラックのインクで書いた文字が,50年も経つと,黒色に変色している.青臭い内容で,恥ずかしいが・・・次の通りである.
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 「夜中の台所」
 猫と鼠の天下です.左の黒い所は鼠の穴のつもりです.下部は床板の木目で,左下の変なものは鼠です.魚をうっかり置いておくと決まって猫か鼠にやられます.でも猫と鼠が一度に現れることは先ずない様です.
 こんな感じの変てこな絵でも描いて見ると,仲々思う様にならないことが判りました.
 目茶目茶に描くということは,又,違った意味での技術が要するものの様です.
 尚,左上は棚を表はしています.右上の大きな眼は我輩の眼です.左の魚と皿,それに鼠の穴の辺りが猫の右目から少し明るくなっているのは(棚のヘリと机のヘリとの間),猫が魚と鼠ににらみをきかせている積もりです.なお.机は猫の鼻と頭で交はる二つの直線で表はし
ています.つまり一本は猫の背中かを通って右の方へ行き,後の一本は魚と皿を通って左下に向かっています.右の魚は猫の体の中に書いてあるので,猫の腹におさまった魚と解釈しても良いし,又,机の上の魚が猫のため皿から外に落ちたと解釈しても良い積もりです.兎に角,右上の私達の眼のとどかない所にある訳です.鼠の尾が猫のひげにつながっているのは,この台所に鼠がいることが,猫をして,ここへ来さしめる理由の一つになっているという意味で,又,孔のそばに猫の足あとのあるのは,この鼠に大きな関心を持っていることを表します.中央上の星は,無論,夜を表します.この星は白く残しておくべきでした.机と床が同じ高さにあるのは一寸変ですが,跳ねることの得意な猫には,机と床との間に一向区別がつけられないので,猫にとっては同じことです.したがって,床の木目が机の中にまで入り込んでも,一向に不思議ではありません.右の方に机の一部が黒くなっていますが,これは猫が醤油をこぼしたため止むを得ず黒くしました.
 この絵は真夜中の猫の活動の写実で,一時間をとらえた様な,普通の絵とは少し違い,猫の活動を或る時間の間とらえたもので映画と同じものと考えます.一枚の絵に時間的なもの,つまり四次元的なものを表現するには,どうしても,こうする以外にない様です.なお,この絵は描いている本人は一点に静止し,対照物が或る時間動いた軌跡とも云えます.つまり天動説な見方です.こんど,猫に座標をおいて,これを追う人間を四次元的に表現したら,どんなになるでせうか.又,猫と人間を同時に動かし,ある絶対点(この点がどこにあるか判りません)から,これを絵にしたら,さぞ,面白いことでせう.是非描いて見度いものです.
 一度,こんな絵を描いたらいかがです.
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 50年後に,自分の書いた文章を見ると・・・ああ,恥ずかしい!
 旧仮名遣いが混じっていたり,表現が何となく古風だし,「我輩」などと気取った用語を使ったりで,とても青臭くて・・・・
 この頃,母は「シャクナゲ」や「田園風景」の水彩画を熱心に描いていた.
 私の青臭い解説と絵を見て,母はどんな感想を持ったのだろうか.今となっては聞くすべもない.
 それにしても,私は昔から理屈っぽかったなと今更ながら,感心している.
 自分の青春の証として,このブログに収めておく.
                           (つづく)
 
「セピア色の画集」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3e72b1b30dc865b75713f909b2cec2ec



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