<切っ掛けになった絵:メールドグラス氷河>
閑話休題:自分の絵をプロに評価して貰う
(鎌倉美術家協会研究会)
2010年11月20日(土)
<研究会の案内状>
■貧相で惨めな私の絵
去る6月,私は無謀にも,鎌倉美術家協会主催第46回鎌倉美術展の公募(一般)に応募した(記事の上に掲載の絵).
下手くそな水彩画1枚を受付に持参した.その結果,図らずも入選することができたが,会場を訪れて驚いた.とにかく凄い絵ばかりである.私は自分の絵に下手くそさに,どうしようもないコンプレックスと情けなさを感じた.
昔,昔,それこそ50年も前に,一寸だけ絵を描いていたことがあるが,それ以来,全く絵筆を持つことはなかった.それが大学時代同じ研究室に居られたIさんの強いお薦めもあって,やっと,今年から水彩画を描き始めたばかりである.
だから,私の絵が下手な代物であることは,自分でも百も承知している.それにもかかわらず,展覧会で,素晴らしい絵の横に並んでいる自分の貧相な絵を見ると,気分がどうしようもないほど滅入ってしまう.
「もっと,マシな絵を描きたいな・・」
これが私の偽りのない心境である.
■鎌倉美術家協会からの案内
そんなある日,鎌倉美術協会から1通のハガキを頂戴した.このハガキは,同協会審査員による研究会が開催されるので,評価を受けたい絵があったら,1人2枚まで会場に持参するようにとのお誘いであった.
もう十分に高年齢の私は,今更,絵が上手になりたいとも思わない.でも,もう少しだけ上手な絵を描いてみたいなと,常日頃思っていた.そこで,勇気を振り絞って,申し込むことにした.
研究会は以下の要領で開催された.
主 催:鎌倉美術家協会
開 催 日:2010年11月20日(金)
開催時間:10:00~16:00
開催場所:鎌倉芸術館3階
■鎌倉芸術館の会場
開催当日,私は50年前に,今は亡き母に作って貰った20号の桐製の画板(半分に折れる)と,最近描いたばかりの水彩画2枚を丸めて小脇に抱え,会場を訪れた.10時を少し過ぎた頃,会場に到着する.そして恐る恐る受付を済ませる.
私が会場に入ったときには,もう講評会が始まっている.会場は2カ所のブースに分かれている.それぞれのブースには3人の画家が評者として座っている.受付順に,ブース正面に絵を展示して,画家の公表を受ける.
受付順に講評が進む.私の順番はブースBの25番.まだ,開場してまもない早い時間に申し込んだのに,私の順番は後ろから2番目である.いきなり,会場の皆さんの熱心さにほだされる.
それぞれのブースには30人ほどの応募者が座っている.皆,熱心に講評を聞いている.私は会場の熱気に,早々と上気してしまう.
「すごいところに紛れ込んでしまったな・・」
これが率直な第一印象である.
講評が順番に進む.ついつい私も引き込まれる.
順番に俎上に登る絵だが,私には絵の上手い下手は良く分からない.ただ,圧倒されるほど凄い作品があるかと思うと,どうやら私とどっこいどっこいの程度の絵も散見されるようである.
時間が瞬く間に過ぎていく.10数名の講評が済んだところで,午前中の講評は終わりになる.
午後は13時から開催すると会場係が言う.私は,鎌倉芸術館隣のイトーヨーカ堂1階の食堂ブースを訪れる.土曜日の昼時とあって,食堂ブースは大変混み合っていて,座るところがない.仕方なく,ブース隣のドトールへ入り込む.そして,ホットドッグとコーヒーだけの簡単な昼食を済ませる.
食事後,鎌倉三越の跡地にできた古本屋を覗いて,時間を過ごす.
<いよいよ自分の絵が俎上に>
■自分の番だ
12時50分,会場に戻る.
まだ時間前だというのに,もう熱心な講評が始まっている.
やがて,私の番になる.私は2枚の絵を恐る恐る3人の画家の前で広げる.その絵が,次の2枚である.何れも20号の大きさである.
「私は素人の登山愛好者です.今,主として氷河と高山をテーマに,水彩画を描いています.今日は現地で描いたラフスケッチをもとに,水彩画に仕上げたもの2枚を持参しました.どうぞ宜しくお願いします・・」
と挨拶して,3人の評者の前に立つ.
■ロータルザッテルの氷壁
まず,1枚目.
これは,つい数年前,山旅スクール5期の方々と訪れたスイスのユングフラウ山に登ったとき,小さなノートに書いたスケッチから書き起こしたものである.
この絵を眺めると,あのときの感動を,つい昨日のことのように思い出す.
絵を展示した途端に,評者の画家やフロアから,「オオ,・・」という小さな響めきがある.どうやら私のように高い山へ登った経験をお持ちの方が居られないようである.氷河の山という突飛なテーマが奇異だったのか,それとも新鮮だったのか?
女性の評者から,
「空の色,そんな色なの?」
という質問が出る.すると,私が答える前に,男性の評者が,
「私も行ったことがないんですが,高い山に登った人の話だと,紫がかった濃い藍色のようですよ・・」
と言う.
「うん・・なかなか面白い絵だね・・」
と,やっと一寸ばかり褒め言葉を頂戴する.
「何人かの登山者が見えているけれども,手前の3人はもう少し大きく描いた方が良いでしょう.それに手前の氷壁はもう少し暗く塗り込んだ方が良いでしょう・・」
私は,評者の指摘は尤もだなと納得する.
要は,描きたいもの,つまりテーマが何かをしっかりと表現することが大切で,ただ見えたとおりに描いていたのでは写真と同じになってしまうということだろうと解釈する.
■ペルーのワスカラン山
続いて2枚目.
この絵は3年前にペルーのピスコ山(標高5,775m)に登ったときに,登山口へ向かう途中で見たワスカラン山の雄姿である.ピスコ山登山でガイドしていただいた現地ガイドのクラウディオさん,それに日本人登山家の三井さんが,その後,この山で遭難された.私にとっては畏怖と鎮魂の山でもある.
1人の評者が,いきなり,
「この絵はちっとも面白くないね・・・平凡すぎる」
と吐き捨てるように言う.
「左側の雲は要らないよ・・・手でその雲を隠してご覧.山の高さが引き立つでしょう・・」
私は指示されるとおりに,左手で雲を隠して見る.
「なるほど・・!」
評者の指摘通りである.ここでも,目に見えるからと言って,そのまま描いてしまったら,本来表現したいポイントが,返ってぼやけてしまうんだ.目から鱗のような指摘である.
つづいて,
「それにしても,雲の書き方が下手くそだな・・・雲はもっと白いはずだぞ.山の雪よりもっと白いよ」
と他の評者が暴言に近いことを言う.私は,
「下手だから教えを乞いに来ているんではないか・・何でそれなのにわざわざ『下手だな』なんて人格を傷つけるような言い方をするんだ.上手に描けるんなら,テメエなんかに頭を下げないよ,無礼者!」
と,あやうく口に出して罵倒しそうになるのを,グッと心の中に飲み込む.
「あんたは,確かに絵は上手いでしょうよ・・でも,人格的には,ただの独りよがりの世間知らず.だだっ子なんだよ・・」
と言ってやりたくて仕方がない.でも我慢,ぐっと堪えて心の中に収める.
それはともかく,あの恐るべき山,ワスカランの輝くような純白の氷河よりも,雲の方が白いとは俄には信じ難いが,今となっては確かめようがない.
<研究会を顧みて>
■雑談
研究会が終わる.
熱気に包まれた会場では,研究会終了後も,評者の先生を囲んで雑談が続く.油絵の描き方がテーマになっている.
「・・キャンバスの上で絵の具を混ぜたらダメだよ・・絵の具を混ぜるのはパレットの上だけ.キャンパスには,絵の具を叩き付けるようにしなければダメ・・・大体,絵の具家が儲かるような絵でないと迫力が出ないよ・・」
なるほど!
何時までも雑談が続くが,私は頃合いを見て.会場を後にする.
帰宅途中,ファストフード店に立ち寄って,200円也のコーヒーを飲みながら,研究会の感想を纏める.やっぱり,臆せずに研究会に出席して良かったなというのが,私の率直な感想である.
■正鵠を得た評者の指摘
とはいえ,評者の皆さんから受けた批評はすべて正鵠を得たものと納得する.早速,帰宅したら,評者の先生方のご指摘を参考にして,絵の加筆を始めたいなと思う.
私は,今回の研究会に出席して,重要なことを教えて貰ったような気がする.それは,自分の心象を正直に描写しなさいと言うことである.目に見えている事象をそのまま描写したのでは,本当に自分の心象を描いた絵にならない.感動したことを納得するまで誇張,変形して,心象ピッタリなものにしなければならないということである.
そのためには,みえているものでも敢えて描かない.見えていないものでも,心で見えるものは敢えて描くことが大切なのだと悟る.
■共通の場
今回のワスカラン山の絵が“平凡すぎる”と指摘されたのは尤もなことだと納得している.しかし,どうじに絵を描く人と,見る人との間に.共通のフィールドがないと,感動を円滑に伝達鶴ことは不可能に近いということも分かった.
高山に行ったことのない人に,高山の青空の色や,天使の衣のように輝く純白の雪の色を想像しなさいと言っても無理かもしれない.せいぜい北アルプスや八ヶ岳で見られる青空や,雪の色でしか判断できないであろう.これは場合によっては,過去の常識が災いして,新しい美しさが理解できなくなる落とし穴になっているかも知れない.
絵も一種のコミュニケーション手段としての側面がある.となると見せるもの見るものとの間に,共通のプロトコルがないと,真意を伝達することはできないことになる.こんなことを考えさせられる1日であった.
■ここ当分の課題
今回の研究会に参加して,私の“絵を描きたい指数”は,更に高まった.
ここ当分は,氷河・雪・高山をテーマにして,10枚ほどの絵を描き続けたいと思っている.
私の絵にとって,山は単なる遠景ではすまされない.山麓から見上げる富士山は実に綺麗である.でも,この綺麗な富士山の中には,煮えたぎるマグマが潜んでいる.厳冬期の富士山には簡単には登山者を寄せ付けない厳しい雪と岩稜がある.
富士山と同じように,どの山にも,その山固有の素顔がある.そんな山の素顔をキャンバスに叩き付けるようにして描いてみたい・・それが,登山を趣味とする私の願いでもある.それにしては,私の絵の技術はまだまだ脆弱,貧弱.思うように表現できなくて,実にイライラする.
・・ま,それはともかく.来年の展覧会に向けて,これから意欲的に絵を描きたいなと思っている.
この所の私は,登山,街道歩き,ブログ記事作成,水彩画と結構多忙である.暇が暇を呼んで忙しくなるという奇妙な状態が続いている.
でも,まあ,こんな追いかけられているような今が,とても楽しいのだ.
(おわり)
「閑話休題」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/74b91ec8532f17420f64e6aca3680c8e
「閑話休題」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b6763949be2de8623aaa79386107a368
最新の画像[もっと見る]
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前