中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

奥州街道(白河の道);第4回;2日目(5);芦田宿の社寺・遺構;2日目の纏め

2017年07月17日 04時43分20秒 | 奥州街道

                                <芦野の武家屋敷跡>

  奥州街道(白河の道);第4回;2日目(5);芦田宿の社寺・遺構;2日目の纏め
            (クラブツーリズム)
        2017年5月17日(水)~18日(木)
前の記事
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a8045734c6fea26786efdb7840bae710

<ルート地図>



←クリック拡大

<いよいよ芦野宿>

■芦野宿の概要
 資料1によると,「奥州道中は幕府の命により整備され、これによって、従来の東山道、中世以来の関街道と呼ばれた伊王野谷を通る道は、脇街道となった。
 関ヶ原合戦の後、慶長年間のことである。これにより、芦野は城下町として、また新街道の宿駅として、江戸時代の流通経済の発展に伴い交通の要衝(江戸方面からみれば関東北 端の宿駅であり、東北からすれば、関東の入り口に当たる)として発展した。
 芭蕉の奥の細道をはじめとして、多数の文人墨客がこの地を訪れている。明治になるとこの道は、「陸羽街道」となり、新国道の開通まで国道の機能を果たしていた。」(括弧内コピペ).
 また,旅行社が配付した資料によると,芦野宿には本陣1軒,脇本陣1軒.旅籠26軒あったという.芦野宿は旗本芦野氏3千石の陣屋跡で,現在はその跡が歴史探訪館になっているようである.

■菖蒲橋を渡って芦野へ
 11時17分に菖蒲橋を渡る.
 11時19分,県道72大田原芦野線の標識の前を通過する.ここからが那須町芦野である.私たちは今回の旅の終点に間もなく到着する.
 上空は分厚い雲に覆われている.旅が終わるまで何とか天気が持てば良いが…どうも雲行きが怪しい.

<那須町芦野に入る>

<河原町の地蔵尊と芦野氏陣屋裏門>

■芦野氏旧墳墓の案内標識

 11時20分,「芦野氏旧墳墓0.7km,滝沢山温泉神社0.5km」の案内標識の前を通過する.

<芦野氏旧墳墓の標識>

■河原町地蔵尊

 11時22分,奈良川に架かる下高橋を渡る.
 11時25分,この橋の袂にある河原町地蔵に到着する.立派な建屋の中に片足を折った地蔵尊が鎮座している.
 資料2によると,享保12年(1727年),疫病が宿内に入るのを防ぐために造立されたも地蔵尊である.

<河原町地蔵尊>

■芦野氏陣屋裏門
 11時34分,芦野氏陣屋裏門に到着する.
 資料2によると,この裏門はもともと御殿山にあった芦野氏陣屋を大塩家が買い受けて,現在地に移築したものである.門の造りは,正面に向かって右側が中間部屋,左側が厩になっていた.ここは町指定文化財である.


<芦野氏陣屋裏門>

■最勝院と三光寺を通過
 そろそろ時間が押してきたのか,いくつかの寺院の前を素通りする.
 11時35分,最勝院の前を通過する.曹洞宗の寺である.本堂は入口から大分離れた所にあるので,デジカメを思い切り望遠にして写真を撮る.
 資料2によると,この寺は米沢山景勝院金剛峰寺と号する.江戸初期の建中寺に変わるまで芦野家の菩提寺だったようである.芦野氏の旧墳墓は,今もこの寺が管理しているとのこと.境内には芦野家家臣の大塩家(陣屋を購入した大塩家かな?)の墓地や戊辰戦争でなくなった阿州藩士の官修墳墓がある.
 続いて,11時37分,三光寺の前を通過する.あわてて,三光寺本堂の写真を撮るが.三光寺には午後もう一度立ち寄るとのことで一安心する.




<景勝院遠望>

<油屋で昼食>

■油屋に到着
 11時43分,油屋に到着する.ここで昼食を摂るとのことである.
 街道に面して,油屋の土産店がある.土産店の端に「奥州街道芦野宿鮮魚仕出しあばらや魚店」と白抜きの字で染めた幟旗が吊り下げてある.この幟旗のある路地を少し入ったところに,油屋の玄関がある.
 私がお店に入ったのは,一番最後.空いている席に座る.
 
<油屋の幟旗>                  <油屋の玄関>

■豪華な昼食
 ややあって,なかなか豪華な昼食が提供される.メニューは下の写真の通りである.
 ”個人手旅をしていたら,ケチンボなオレは,絶対こんな贅沢な昼食は食べないな…”
と思いながら美味しく頂戴する.
 ”自分一人の旅立ったら,ワンコインの天丼か牛丼で済ませるだろうな…”
とケチなことを連想する.
 12時30分,昼食を終える.


<油屋の昼食>

■油屋の売店
 昼食後,油屋の売店をちょっとだけ覗いてみる.特に買いたいものもないので,店内を一廻りしてすぐに店の外へ出る.
 何人かの方は,ここで買い物をしているようである.

<油屋の売店>

<本陣跡と番所跡>

■本陣跡(ストーンプラザ)
 12時32分,油屋から直ぐ近くにある本陣跡を見る.
 資料2によると,この建物は芦野石と呼ばれる地元産の石で造られている.重厚で立管な建物である.今はストーンプラザという美術館になっている.那須歴史博物館と同じ設計者,隈研吾が設計したという.
 中にはコーヒーとケーキで一休みできるところがあるらしい.
 ”もし,独り旅だったら,オレは,多分,ここに入っていただろうな…”
と想像する.この辺りの自由さがないのがツアー会社主催の旅の難点である.
 
<本陣跡に建つ美術館>

■番所跡(芦野郵便局)

 12時32分,芦野郵便局へ.資料2によると,ここは番所跡である.芦野町の道路原票が郵便局前に立っている(下の写真の中央下の石柱).
 郵便局と油屋の間にある道を山の方へ向かう(冒頭の写真).なお,(余計なことだが…,)郵便局前にある案内板は,後で当ブログの記事を執筆するのにずいぶんと役立った.
 山に向かう道は,車が通る道としては,少し道幅が狭いが,閑静で素晴らしい散策路である.

<芦野郵便局脇の道に入る>

<武家屋敷の遺構>

■武家屋敷(平久江家)のシダレザクラ
 12時34分,進行方向左手に残っている武家屋敷跡のシダレザクラを見上げる.
 案内板の記事によると,このシダレザクラの樹齢は推定400年,幹周り25メートル,樹高18メートルの巨木である.
 ”桜が満開のときに来たらさぞかし立派だろうな…”
と想像する.

<武家屋敷の巨大な桜の木>

■平久江家門と構え
 巨大なサクラに次いで,平久江家門と構えを見学する.ここは江戸時代の武家屋敷の遺構が残る貴重なものだという.資料2の記事に夜と,ここは芦野氏陣屋の大手口に位置している.
 なお,この門の形式は上級武士にだけ許可された形式のようである.



<平久江家の門>

<揚願寺とアスナロウ>

■揚願寺に到着
 12時37分,揚願寺に到着する.ここは天台宗の寺.東盧山地蔵院揚願寺.
 石段の上に赤い屋根の本堂が見えている.石段脇に「揚願寺のあすなろ」の案内板が立っている.
 私たちは,まずはこのあすなろを見物するために,石段脇の細い道を登る.

<揚願寺に到着> 

■揚願寺のあすなろ
 不動明王から坂道を登った少し先にアスナロウの巨木がある.ご神木である.資料2によると,このアスナロウは樹齢約800年,樹高21.6メートル,目通り周囲4.5メートルである(町指定).
 私は全員が見物し終わるのを待って,一番最後にユックリと拝観する.


<揚願寺のアスナロウ>

<那須歴史探訪館>

■芦野氏陣屋裏門が入口
 12時47分,那須歴史探訪館に到着する.
 立派な門は芦野氏陣屋裏門である.入館料100円は旅行代金に含まれているようである.資料2によると,ここは芦野城三の丸に位置している.
 この古風な門に向かって左手にガラス張りの建屋がある.外からガラスを通して展示物が見えるので,入口がそちらの方にあるような錯覚に陥る.

<那須歴史探訪館に到着>

■探訪館の内部を一廻り
 資料2の記事によると,この探訪館は平成12年(2000年)10月に,「道」をテーマにして開館した.館の内部で那須町の歴史を展示,紹介している.
 私たちはビデオを見たり,75回転の古い蓄音機で,レコードを拝聴したりしながらひとときを過ごす.

<館内の様子>

<芦野氏陣屋跡>

■芦野氏陣屋跡平面略図


※現地の案内板から引用


■築城記念のコウヤマキ
 13時23分,那須歴史探訪館の見学を終えて,坂道を登る.
 13時34分,芦野氏陣屋跡に到着する.
 資料2によると,二の丸東に郭が3箇所ある.その2番目の郭に樹齢400~500年のコウヤマキがある.この木は樹高24メートル,目通り周囲約5メートルあるという.芦野資興の築城記念樹だという(県指定).

<コウヤマキ>

■山頂からの眺望
 本丸跡からの眺望を楽しむ.
 土地勘のない私には,一体どの辺りを眺めているのか判然としないが,とにかく眺めが良いところである.

<山頂からの眺望>

■完歩表彰式
 一番見晴の良いところで,今回で奥州街道を完歩された2人の方の完歩表彰式が行われる.
 講師から完歩認定証とバッジが授与されたようである.
 完歩授与式終了後,裏手にあるモミの大木を見物する.

<完歩表彰式>

■三光寺
 13時48分,芦野氏陣屋跡の見物を終えて,山道を下る.
 13時58分,三光寺に到着する.三光寺は別名聖天様という.歓喜天が祀られている.
 資料2によれば,境内のハイマツ「松翁」は町百選に選ばれた銘木とのこと.また,松平定信書の掛軸が有名だとのこと.

<三光寺>

<専用バスとJRを乗り継いで帰宅>

■専用バスで上野へ
 14時27分,三光寺の参拝を終えて町営駐車場に向かう.
 14時35分,町営駐車場で専用バスに乗車する.昨日と席順が変わって,前から5番目の進行方向左手の窓側の席である.
 14時45分発車.
 専用バスは順調に走って,16時28分,羽生SAに到着する.ここでトイレ休憩.今日は土曜日の午後,SAは大混雑である.
 16時47分,羽生SAを発車する.
 土曜日にしては,それほど激しい渋滞もなく,18時10分,上野駅前に到着する.ここで解散.

■上野東京ラインで帰宅
 上野駅から上野東京ライン小田原行電車に乗車する.
 大船から路線バスを利用して.19時30分頃,無事帰宅する.
 こうして,奥州街道4回目の旅も無事終わった.

<2日目のラップタイム>

 7:57  ホテル前発(専用バス)
 8:13  昭明橋着
 ------------------------------------------
 8:17  昭明端歩き出し
 8:25  本陣跡
 8:30  浄泉寺(8:44まで)
 8;45  枡形
 8:57  高久一里塚
 9:24  寺子一里塚(9:25まで)
 9:30  会三寺(9:50まで)
 9:56  寺子地蔵大菩薩(9:59まで)
10:07  弁慶の足跡
10:32  那須町に入る
10:55  夫婦石神社
11:25  河原町地蔵
11:32  芦野氏陣屋裏門(11:34まで)
11:37  最乗院
11:43  油屋(12:30まで昼食)
12:32  本陣跡
12:37  武家屋敷
12:48  那須歴史探訪館(13:32まで)
13:34  芦野氏陣屋跡(本丸跡)
13:58  三光寺(14:27まで)
14:35  町営駐車場
 --------------------------------------------------
14:45  町営駐車場発(専用バス)
16:28  羽生SA(16:47まで)
18:10  畦野駅前着(解散)

[ウォーキング記録]

■水平歩行距離                      9.0km

■累積登攀高度                      221m

■累積下降高度          188m   

■所要時間(休憩時間込み)
 昭明橋歩き出し          8:17
 町営駐車場着                      14:35
 (所要時間)                   6時間18分(6.30h)
 水平歩行速度

                                  
[参考資料]
資料1;http://www.shokokai.or.jp/09/nasu/guide/p2.htm
資料2;「奥州街道芦野宿早わかりMAP」那須歴史探訪館
                               (第4回終わり)
                               (第5回に続く)
つづき(第5回)の記事
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/babccda2493ebca7235386bc7d8bad14

「奥州街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f1b2dce2470adc0fd0bd872352e0d7
「奥州街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4c195cfa3f795ede28aa0764b57a5db3

お断り;
 これらの記事は,私の趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
 また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへアクセスされないようにお願い致します



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。