<おんまち町屋館からの眺望>
早春の信濃路;旅情の小諸路;第1日目(2);動物園と北国街道
(亡姉一周忌)
2017年2月5日(日)~6日(月)
第1日目;2017年2月5日(日) 晴後雪
まえの記事
↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0e61699114d6086aa92ce57d4020702c
<ルート地図>
■懐古園(再掲)
←クリック拡大(観光案内から引用)
■小諸散策地図
←クリック拡大
<白鶴橋を渡って動物園へ>
■白鶴橋
富士見台の風景を堪能してから,白鶴橋を渡って動物園へ向かう.
橋の入口には「小諸市動物園」と標記した大きなアーケードが立っている.この吊り橋は私が幼少の頃既にあったので,作られてから一体何年経っているんだろうか,随分と寿命が長い橋である.
橋を渡りながら,私は幼少の頃のことを頻りに思い出す.
<吊り橋を渡ると小諸市動物園である>
■吊り橋が架かる谷間
吊り橋の中央から,橋の下の谷間を見下ろす.谷底に道路の痕跡が見えるが,今は通行止めになっている.
昔は,この谷間の路を通って千曲川まで降りることができた…というよりはこの谷筋を通るのが千曲川への一番の近道だった.
千曲川へよく遊びに行った.遊び疲れてこの谷間を登って帰宅する.夏,この谷間を登っていると,セミの鳴き声が断崖に木霊していたのを思い出す.まるで時が止まっているように見える谷間から,幼少の頃の思い出が沸々と湧き上がってくる.
<白鶴橋から谷間を覗く>
■動物園を一廻り
白鶴橋を渡って動物園に入る.小さな動物園である.でも,私が知る限りでは,作久地方では唯一の動物園である.
ユックリ時間を摂って廻ることもできないので,ザッと眺めるだけ.
観光案内のチラシによると,この動物園は大正15年(1926年)に創立された長野県最古の動物園だという.
園内にはエミュー,ライオン,ペンギン,サルなどかなり多くの種類の動物が飼育されている.
折しも今日は日曜日である.まだ早い時間なのに,数組の団体が動物園を訪れている.大きな声で話をしている.どうやら東南アジア大国からの訪問客のようである.
園内にはボランティアガイドと思われる男性が数名立っている.
<動物園の様子>
<小諸義塾と惜別の歌歌碑>
■小諸義塾記念館
動物園の外へ出る.
料金所から外へ出る.向かって右側の坂道を登って,小諸義塾記念館を訪れる.今回は時間がないので記念館内部の見学は省略する.
小諸義塾の塾長は木村熊二.さきほど散策した懐古園の石垣に彼のレリーフがはめ込まれていた.島崎藤村,丸山晩霞などが教鞭を執っていた.
<小諸義塾記念館>
■惜別の歌歌碑
小諸義塾記念館の脇に立つ惜別の歌歌碑を訪れる.島崎藤村の「惜別の歌」が刻まれている.
”遠き別れに耐えかねて
この香楼に登るかな…”
この詩を読んでいる内に,胸の内から熱いものが込み上げてくる.
私は,この詩を繰り返し読んでいる内に,昨年の今頃,旅立った実姉のことを思い出してしまう.
<島崎藤村の「惜別の歌」>
<大手門と北国街道>
■大手門
三の門からトンネルを潜って,再び駅の北側に渡る.
今回久々に故郷に戻ったんだから,時間が許す限り,あちらこちらを見て回ろうと思う.そこで私は頭の中で,何処をどんなルートで廻ろうかと,セカセカ気分でシミュレーションする.
”そうだ! まずは大手門へ行ってみよう…”
私は停車場ガーデンを横切って,道幅が狭くて登り坂の路地を少し登って,三差路を左折して更に狭い路地に入る.そして,路地の残雪を踏んで,大手門に到着する.
立派な門である.
実は,ここが自分の故郷である筈なのに,長い間,この門の存在を知らないでいた.どうやらどこかから移築したとのことだが,詳しい経緯はまだ調べていない.
<大手門>
■北国街道の面影
大手門を潜って,近くの路を西へ向かう.ほんの数分で本町に突き当たる.ここから南の方を見ると少し離れた所に脇本陣跡と本人跡の建物が現存している.この辺りにはかつての宿場町だった頃の雰囲気がまだ残っている.
時間があれば,脇本陣跡,本陣跡,養蓮寺辺りを一廻りしたいところだが,残念ながら一廻りするだけの時間はない.
<宿場町の面影が残る街並み>
■ほんまち遊子公園
本町と国道の交差点を横切って,ほんまち遊子公園がある.ちょっとした広さの芝生にベンチが置いてある.
公園の向こうに広々とした浅間山麓が広がっている.特に休憩を取るほど疲れているわけでもないので,ここは通過する.
<ほんまち遊子公園>
■ほんまち町屋館
ほんまち遊子公園のすぐ隣にほんまち町屋館がある.時間があればユックリ立ち寄って見たいところだが,立ち寄らずに裏手の広場に廻って見る.
もし晴れていれば,この広場から浅間山連山が屏風のように連なっている遊惰院景色が見えるはずだが,今日は山に雲が掛かっていて,山は全く見えない(冒頭の写真).
<ほんまち町屋館>
<藤村縁の場所>
■古風で立派な建物
本町の登り坂をを光岳寺方面に向けて少し登る.すると赤くて古風な郵便ポストと往時を偲ばせる白壁の建屋が音に入る.蕎麦屋七良右エ門の素晴らしい建物である.思わず何枚かの写真を撮る.
この立派な家の前を右に回って路地に入る.
<蕎麦屋七良右エ門の建物>
■藤村井戸
十字路の一角に藤村井戸が保存されている.でも,どうやら壊れているようである.
井戸の前を道なりに進むと駐車場がある.駐車場入口に,島崎藤村旧栖地の説明文や石塔が設置されている.
<藤村井戸> <藤村旧栖地>
■やっぱり私は信州人だった
1時間余りの間に,懐古園から北国街道の一部,藤村縁の地をぐるぐる廻った私は,市内に住む親族の家に向かう.この家は私が幼少期を過ごした家でもある.
予定通りの時間に,親族の家に到着する.数ヶ月ぶりに会う親族に会った途端に,私は心身ともに地元民に変わってしまうのを自覚する.話す言葉も自然と信州弁になる.頭の中の意識もおのずから信州中心になってしまう.
”やっぱり生まれ故郷って,すごいな”
を実感する.
11時45分頃,親族と揃って法事が行われる某寺に向かう.
(つづく)
つづきの記事
↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c2d2b4e0d54b71ee26cded2aaee96a77
「関東・伊豆箱根・上信越」の山旅の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0324aa69033e216971bc5f97efa0c158
「関東・伊豆箱根・上信越」の山旅の次回の記事
(なし)
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