
<12年前のボールペン画:タイの日系企業>
セピア色の画集(5)
2009年1月10日(土)
■朝から良い天気だ
昨日(1月9日)は,朝から曇時々小雨の寒い1日であった.所が今日は雨も上がって,天気が回復している.
生来,放浪癖のある私は,天気が回復してくると,家に居ても,何をして良いのか,所在が無くて困ってしまう.こんなときは,平素乱雑になっている資料類の整理をするに限る.そして,たまたま目に入ったのが,1996年にタイで描いたイタズラ書きのようなスケッチを見付ける.
このスケッチを描いたのは,今から12年前のことである.10年一昔とはいうが.それほど昔のことではない.でも,まあ“セピア色”の時代の絵ということにしておこう.
■12年前のボールペン画
12年前といえば,私はまだまだ現役.私は研究仲間と一緒に,日本の海外進出企業の実態調査をしていた.この絵を描いたときは,丁度,タイで調査をしていた.私はこのスケッチを見ながら,あの頃は,まだ,現役で生き生きしていたなと,懐かしく当時のことを思い出す.
この絵に描かれている企業は,タイ進出では先駆的な企業である.この企業の名前は,だれでも知っていると思う.丁度この時訪れた工場は,むせかえるような木々の緑に囲まれた素晴らしいところにあったなあ・・・・と,色々なことを思い出す.タイでの思い出も,何時かは,このブログで整理しておきたいなと思っている.
さて,今回はたまたま見付けた薄汚い習作2枚を記録しておこう.
薄汚い絵2枚
■昭和30年代の浅間山山麓
古い資料をひっくり返していると,誠に下手くそで薄汚い絵が2枚出てきた.
何の目的で,こんな真っ黒な絵を描いたのか,今になっては分からないが,多分,若かった私は,いろいろなことを試してみたかったのだろう.この絵はかなり大きなMO紙に乱雑に描かれている.使っている絵の具は黒だけである.なぜ,黒だけなのかは思い出せない.2枚とも,すっかり塗りたくってしまい,もうこれ以上塗ったら,闇夜のカラス状態になってしまう.
<浅間山外輪山:牙(ギッパ)山> <車坂峠から八ヶ岳・富士山を望む>
■学生時代
この絵を描いた頃の私には懐かしい思い出がある.
当時,私は仙台にある大学の学生であった.春になると新学期が始まるので,春の遅い信州の小諸から信越本線に乗って碓氷峠を越え,東北本線か常磐線の普通列車に乗り換えて,仙台の下宿まで戻る.
晴れていれば,小諸から軽井沢までの車窓から,ずっと浅間山が見えている.私は,浅間山に見送られながら,もう暫くは浅間山にもお別れだなと寂しい気分になる.
やがて,夏休みになる.今度は逆の道順で,碓氷峠を越えて,軽井沢に到着する.そして車窓から浅間山が見え出すと,もう生まれ故郷の信州である.私は浅間山の姿に,小躍りするほど嬉しくなってしまう.私達,佐久に住む人間にとって,浅間山は,心の大きな拠り所になる大切な神様である,
あの頃は,まだ,両親は健在であった.
私が絵を描き始めると,私につられるようにして,母も絵を描き始めた.母は仕事の合間に,絶えず絵を描いていたので,瞬く間に,絵の腕も上達した・・・
この2枚の絵を眺めながら,そんな昔のことを,懐かしく思い出す.
夏休みになると,天気さえ良ければ,浅間山麓を彷徨いながら,絵を描いていることが多かった.ときには突然の夕立で,折角描いた絵がどろどろになってしまうことも度々あったが,それでも,広い佐久平を彷徨いながら絵を描くのは,とても楽しかった.
<絵の説明図>
※これらの絵は説明文によると昭和34年8月に描かれたもののようである.
この頃は,小諸市内から浅間山までの全行程を徒歩で登っていたようである.
■素晴らしい夕暮れ:追憶
この下手な絵を見ていると,過ぎ去った昔の日々が,ついこの間のことのように思い出される.
夕方になると,八ヶ岳連峰に日が沈む.沈むときに,稜線が黄金色にキラキラと輝く.あの頃の空気は,全くの無色透明.風が吹かなければ,空気が存在していることが分からないくらい綺麗だった.夜になると,真っ暗な空に,針穴から非狩りが漏れてくるような星が無数に見えた.もちろん大空を横切る天の川も,とても良く見えていた.
■昔からメモを良く取っていたようだ
この説明文(1)によると,昭和34年8月25日に,浅間山の火口原付近にある「天狗の露地」まで登って,スケッチをして帰ってきたようである.遙か昔のことなので,覚えていないが,長野県の県展に応募した絵も,この時に描いていたようである.
この日に描いた絵は落選したが,別の日に描いた絵は,何とか入選した(後日,このブログに掲載).このとき,母の絵も一緒に入選,出展した.
懐かしい思い出である.
<説明文(1)>
■やっぱり,昔から高所は苦手
この時は,どうやら,空がえらく綺麗だったようである.あの頃の私は,標高2000メートル程度の所で,軽度の高度障害があったらしい.今でも高度の高い所は苦手だが,それでも,今は標高4000~5000メートル程度の山へ登っているので,少しは高度に強くなっているのかもしれない.
それにしても,なんとまあ,下手くそな絵だろう.この絵を描いた当の本人が,そんなことを言っては,洒落にもならないが,本当に下手くそだ.でも,黒の水彩絵の具だけで,絵を描いてみようという心意気だけは,認めることにしよう.
<説明文(2)>
※このとき,上空には秋の気配が感じられていたようである.
黒っぽい紫色を含んだ藍色の空とは凄いなと思う.
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やっぱり鎌倉を一回りしよう
■鎌倉駅へ
年寄りの悪い癖は,直ぐに“追憶”という罠にはまることである.
昼食後,暖かい陽気に誘われて,文房具の購入を兼ねて,鎌倉駅方面まで,ブラブラ歩きをする.
殆ど手ぶらのまま家を出る.
山ノ内配水場を経由して,源氏山公園に向かう.まるで春のような陽気に,心が弾む.所が,葛原ヶ岡神社に到着すると,湧き出るように往来している観光客が目に入る.ああそうか,今日は土曜日だった.陽気の良い土曜日ならば,人出が沢山あってもおかしくないなと納得する.
源氏山公園を抜けて,山道を辿り,寿福寺に抜ける.そして,人が少ない路地を辿って,御成町の銀座通りに出る.成り行きで,近くにある100円ショップに入る.今日私が買い求めたかったメンディングテープやインデックスの類は,この百円ショップで,全部調達することができた.
文房具の調達が終わったので,このまま家に戻っても良かったが,折角,鎌倉駅まで出たので,ちょっとだけ小町通を覗いてみようと思った.小町通に入って直ぐに,余りの人出に恐れをなしてしまう.狭い通りは最も混雑する駅の跨線橋のように人,人,人である.
■ドミンゴスさんのコーヒー
私は,小町通に入ってしまったことを後悔しながら,人の波に乗って,ソロソロと八幡宮の方に向かう.その途中,「ドミンゴスさんのコーヒー」店の前に到着する.私は人混みを避けたい一心で,反射的にこのコーヒー店に入る.
この混雑する時間帯で,果たして座る席があるかなと,心配したが,5~6名の先客が居るだけで,何とか落ち着けそうである.
早速,席に座る.店のマスターが私の顔を覚えていて,
「フラワーヒルさん・・おめでとうございます」
と私に挨拶をする.
<ドミンゴスさんのコーヒー>
※香しいコーヒーを味わいながら,ノンビリとした時間を過ごす.
コーヒーの下にある地図は,散策のたたき台.
私は,美味しいコーヒーを賞味しながら,今度,東海道五十三次同窓会の方々をご案内する予定のコースを,細部にわたって吟味する.こんな考え事をするときには,コーヒーが何よりである.
マスターが,夫婦と思われる先客と,盛んにコーヒーの蘊蓄を語り合っている.私は考え事をしながら,何となく,このコーヒー談義に聞き入っている.
1杯のコーヒーで,30~40分ほど粘ってから,コーヒー店を出る.
小町通は相変わらずの混雑である.私は人混みを避けるように今小路に抜ける.そのまま,観光客に混じって,銭洗弁天方面に向かう.途中,有名な飲食店「き○○」の前を通過する.お店は繁盛しているらしくて10人ほどの客が行列をつくって,店に入る順番を待っている.
私は,かなりの急ぎ足で銭洗弁天前の急坂を登って,梶原側の下り坂に入る.途端に観光客の姿は全く見えなくなり,とても静かになった.
私は坂を下りながら,次第の元気になってくる自分を発見する.
「・・そうだ,明日は塔ノ岳を往復しようかな・・」
と思い始めている.
それに,近々,鉄の井付近で,最近開店したコーヒー1杯300円也の店も,訪れてみたいなと思っている.
(つづく)
「セピア色の画集」の前回の記事
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