<しなの鉄道車窓から浅間山を望む>
初秋の信州小諸旅(1);浅間山を仰ぎ見ながら小諸へ
(独り旅)
2019年9月26日(木) 晴れ
<北陸新幹線で軽井沢へ>
■塔ノ岳行きより遅い出発だ
所用があって,私の生まれ故郷,信州小諸を日帰りで訪れることになった.例年ならば年比数回は帰郷しているが,今年は親族の療養などがあったり,自分自身が撒いた種でやたらに忙しかったりで,約半年ぶりの帰郷である.
用事は小諸市郊外で11時から.ならば少し早めに小諸へ行って懐古園,北国街道,島崎藤村の旧跡などを見て回ろうと思う.北陸新幹線が走るようになってから,小諸も大分近くなったのが有難い.大船駅から東京駅で新幹線に乗り換えて軽井沢からしなの鉄道を利用して小諸までの賞味の所要時間はわずか2時間半程度である.インターネットで時刻表を検索すると,大船発5時半頃の東海道本線上り電車に乗車すれば8時頃小諸に到着できるようである.
”なんだ・・・何時も塔ノ岳に出掛けるときよりも,大分遅い時間に家を出れば良いんだな!”
まずは北陸新幹線はくたか551号金沢行自由席を利用して,東京駅から軽井沢駅に向かう.なお,私は良い歳をしているのに,年会費なるものが嫌いなので,若い人と同じように普通のお値段の切符を購入している.損するなと分かっているのに・・・
<大船から軽井沢までの乗車券と自由席特急券>
■新幹線でついつい居眠り
今はシーズンオフの時期らしく,新幹線はガラガラに空いている.
久々の新幹線である.
”では,車窓の風景をユックリと楽しもう・・・”
ということで,進行方向右手の窓際の席に座る.
車内販売が来たらホットコーヒーでも貰って,ゆっくり賞味しようかなと思いながら,車両の行かしたから聞こえてくるリズミカルな音を聞いている内に,たまらなく眠くなる.ちょっとウトウトしたり目が覚めたりの半分麻酔が掛かったような気分が続く.
車内放送で,”ハッ”と目が覚める.
間もなく高崎に到着するとのこと.高崎の次は軽井沢に停車する.
”いけねえ・・・もうウトウトなんかしていられないぞ”
車内販売は私が居眠りをしている間に,通り過ぎてしまったようである.
<北陸新幹線「はくたか」号の車内>
<「しなの鉄道」の車窓を楽しむ>
■懐かしい車両
軽井沢で「しなの鉄道」の小諸行電車に乗り換える.
丁度ラッシュアワーのようである.車内は結構混雑している.座れないほどではないが・・・
私はボックス席の進行方向とは反対向きの窓際の席に座る.
三つドアーで,窓を上下に動かして開閉できる古いタイプの車両である.なんだか懐かしい雰囲気である.窓の下には灰皿を撤去した後にねじ釘が4本填め込んである.確か何十年か前に横須賀線でお目に掛かったことのあるような感じの車両である.2両編成.随分短い編成である.
電車が走り出す.床下からゴロゴロという音が反響する.同時に細かな振動が伝わってくる.
”やっぱり新しい車両と比較すると乗り心地は今ひとつだな・・・”
と率直に思う.
<しなの鉄道軽井沢駅>
■軽井沢の秀峯離山
軽井沢を発車してすぐに離山が見えてくる.
私はオンボロデジカメを構えて,離山のベストショットを撮りたいなと思うが,シャッターを押してから実際にシャッターが作動するまでにコンマ何秒かのタイムラグがあって,なかなかうまく撮れない.
”撮ったぞ・・・”
と思って画像を確かめると真ん中に電信柱が写っている.そんなことを繰り返してやっと取れたのがこの写真である.やっと取れたなと思った離山の写真も半分はすでに手前の小山の後ろになっている.
この離山には,山仲間と何回か登ったことがある.天気が良いと山頂からの眺望がとても素晴らしい.とくに目の前に聳える浅間山の勇姿には圧倒される.
”この山に一緒に登った皆さんもお互いに随分と年を取ってしまったな・・・”
そんなことを回想しながら,離山の山裾を通過する.
<軽井沢の秀峯離山>
■雄大な浅間連山
中軽井沢辺りから先は浅間山を眺めながらの旅である.
高原の美しい風景の先に浅間山が聳えているが,浅間山の写真を撮ろうと思うと,これがまたとても難しい.
車窓から浅間山が見えた瞬間にシャッターを押してみるが撮れるのは手前の林や集落ばかりで,なかなか浅間山の良い写真が撮れない.
列車が御代田付近を走る頃になって,漸く広々とした山裾に向こうに聳える浅間山の全景が撮れるようになる.何枚も,何枚も,実に沢山撮った写真の中から,何とか浅間山が見える写真を2枚披露することにしよう(冒頭の写真を含む).
<しなの鉄道車窓から浅間山を望む>
■小諸駅に到着
8時06分,予定通りの時間に小諸駅に到着する.
小諸駅は懐かしい.太平洋戦争末期から終戦後にかけて,私は小諸駅から上田駅まで6年間通学していた.終戦の年,私は旧制中学校1年生.
東京大空襲の後,沢山の被災者がボロボロの客車や貨車に乗って逃れてきた.そして終戦.大混雑の汽車に乗るのは大変だった.炭水車の上や機関車の先頭にしがみついたりして通っていた.終戦後,学制が変わって,旧制中学が何時の間にか新制高校に変わった,そして,上田の蚕糸専門学校が信州大学繊維学部になった.自分の履歴書を書いてもこの辺りの変化はなかなか正確には書けない.
駅舎を見回す.今の駅舎も終戦直後建て枯れられたものと基本的には大きな変化はない.
<小諸駅に到着>
■待合室の野菜果物無人販売
改札口から待合室へ.
待合室の半分が野菜果物の無人販売の場所になっている.美味しそうなリンゴが4~5個で350円,安い.ついつい買いたくなるが,荷物を持ちながらの移動は重いので諦める.
駅舎の外に出てみる.
目の前に小綺麗な街並みが広がっている.
終戦前後の混乱期には,この広場に駐車している木炭バスで準備作業をしている情景がありありと眼に浮かぶ.当時のバスは車体の後ろに大きな円筒状のガス発生器が付いていた.この中に木炭を入れ,ガス発生器の下に火口があって,ここで火を付けて木炭ガスを発生させる.このガスが動力源になっていた.でも木炭車は馬力がなくて,ちょっとした登り坂が登れなくて良くエンコしていた.
小諸駅の広場の一角に立ちながら往時のことを何となく回想する.
<小諸駅待合室の無人スタンド>
(つづく)
つづきの記事
↓
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2f06a2a47673568a815a11cd4bae9312
「関東・伊豆箱根・上信越」の前回の記事
https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2d816c6b08b278d983b45b74bded75b2
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