中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(28)

2008年04月25日 10時47分52秒 | 街道:東海道五十三次

                <由比宿の模型>

         東海道五十三次宿場巡り全15回第9回(28)
             (小田急トラベル)
       2008年2月9日(土)~11日(月・祝)(その6)


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第9回第2日目 2月10日(土)(4)  晴れたり曇ったり



<蒲原宿>

■蒲原一里塚跡

 14時21分,私達は日本橋から36番目の蒲原一里塚跡に到着する。赤い鳥居の脇に石柱が建っている。そこに「一里塚」という文字が刻み込まれている。その傍らに「東海道一里塚跡」と書いた案内板が建っている。

 一里塚の直ぐ近くに,北条新三郎の墓と書いた木杭と案内板がある。どうやら,道路から少し奥まった所に墓があるようである。何時ものことながら,私達は寄り道をしないで,そのまま通過してしまう。これに対して,私には若干の不満が残る。
 履いている靴の調子が悪くて,親指の付け根辺りが痛くなり始める。
 
             <蒲原宿東木戸>                                 <東木戸常夜灯>

■東木戸跡・常夜灯
 14時22分,蒲原宿東木戸跡を通過する。近くに東木戸常夜灯案内板がある。例によって,ユックリと説明文を読んでいる暇はないが,江戸時代の宿場の入口には,見付や木戸と呼ばれる施設があったようである。ここの常夜灯は,いくつかの石を積み重ねて作られていて,一見,五輪塔のような形をしている。
 常夜灯の側には,町指定文化財「渡辺家土蔵(三階文庫)」の案内板が立っている。渡辺家は,江戸時代に庄屋を努めた旧家のようである。

                       <高札場跡>


                  <蒲原宿の中央で休憩>

■蒲原宿中心部で休憩
 14時31分,蒲原夜之雪記念碑の前を通過する。旅行社の資料によると,安藤広重の「東海道五十三次」の中の「役者」という作品の一つである。これは,傑作だという。ただ,蒲原は気候温暖なために,滅多に雪は降らないのに,なぜ雪景色にしたかについては,諸説があるという。
 
                 <広重「蒲原夜之雪」の説明文>

 私達は,ここで暫くの間,休憩を取る。
 近くには,蒲原脇本陣跡と本陣跡がある。

                    <西本陣跡の説明文>

 道路を挟んで,記念碑の反対側に蒲原宿脇本陣跡が,さらにその先100メートルほど進んだ所に蒲原宿本陣跡がある。側に掲げられている説明文によると,ここは平岡本陣と呼ばれている。現在ある黒塀の建物は,大正時代に建てられたようである。
 道路を挟んで蒲原本陣跡と反対側に旅籠「和泉屋」が建っている。格子戸が美しい二階建ての家である。

                     <和泉屋の説明文>


                      <和泉屋>


                    <美しい格子戸の家>

■志田家住宅主屋
 14時54分,休憩を終えた私達は,記念碑前から再び歩き出す。
 14時57分,高札所跡説明文の前を通過する。勿論,説明文を読んでいる暇はない。続いて,国登録文化財「志田家住宅主屋」,美しい格子戸の家の前を通過する。さらに,15時02分,西木戸跡を通過する。
 蒲原宿を通過すると,単調な道を西へ,西へと歩き続ける。

                 <国登録文化財「志田家住宅主屋」>

 
        <国登録文化財「志田家住宅主屋」>                                <蒲原宿の案内碑>

■JR蒲原駅へ
 15時26分,JR蒲原駅に到着する。ここで2分ほど,短い休憩を取った後,すぐに出発する。西へ向かう単調な道が続く。
 
       <蒲原宿西木戸>                     <JR蒲原駅>

<由比宿>

■由比一里塚

 高速道路のガードを潜り,三叉路を左に曲がる。そして,15時44分,日本橋から37番目(説明版には39番目と書いてある)の由比一里塚跡に到着する。一里塚の説明文が建っている。
 旅行社の資料によると,由比宿は,本陣1箇所,脇本陣1箇所,旅籠32軒,宿内戸数160戸,宿内人口713人の規模だったようである。

                        <由比一里塚>

■由比本陣公園
 さらに西へ歩き続ける。そして,15時46分,私達は由比本陣公園に到着する。ここで休憩を取る。公園の中に,東海道広重美術館が併設されている。ここは由比本陣跡である。現在,正門,石垣,木塀,物見櫓,馬の水飲みなどが復元されている。
 公園の中をそぞろ歩きをする。入口から見て,中央広場の右手の建物に入ってみる。建物の中には,売店や展示場が設置されている。屋の壁沿いに「由比宿街並模型」が展示されている。この模型を見ていると,往時の様子が手に取るように分かる。
 私は身体を捩るようにして,この模型を写真に収める。
 
       <由比本陣公園>                   <由比本陣公園で休憩>

■由井正雪生家
 道路を挟んで,公園の反対側に,染め物屋「正雪紺屋」があった。建物の軒先に紺色暖簾が下がっている。暖簾には白い字で小説紺屋と染め抜かれている。ここは,由井正雪の生家である。
 長いアスファルト道を歩いている内に,靴が合わないために,足の裏がますます痛くなってくる。

                     <正雪紺屋の案内板>

 
         <正雪紺屋>                    <由比宿の模型>

<由比駅から清水へ戻る>

■由比駅から清水駅へ
 16時22分,「エイ,エイ,オー・・」の掛け声とともに,再び西へ向けて歩き出す。単調な道が続く。そして,16時45分にJR由比駅に到着する。小さな駅である。
 私達は由比16時59発の東海道本線の電車に乗車,18時08分にJR清水駅に到着する。17時15分,駅近くのアーケード街に面したシーグランデ清水ホテルに到着する。長い部屋にユーティリティ,シングルベッド,テレビ,クロークなどが,こぢんまりと収まっている。
 
  <宿場で見掛けた弥次喜多>               <長閑なJR由比駅>

■シーグランデ清水ホテルに宿泊
 私はリュックを部屋に置いて,直ぐにアーケード街に引き返す。駅の方に少し歩いた所で,靴屋に飛び込む。店先に1足500円の安い靴が沢山置いてある。明日一日履ければ良いなと思いながら,1足を購入する。これで,合わない靴から開放される。 靴を購入した後,直ぐに自室に戻る。

           <シーグランデ清水ホテルの夕食:これに味噌汁が付く>

 18時からホテルの食堂で夕食を摂る。黒塗りの田型の入れ物にお刺身,エビの天ぷら,煮物などが綺麗に盛りつけられている。18時30分頃,夕食を終える。
 すぐに自室に戻る。
 風呂に入ってから,20時30分頃,就寝。
 こうして,2日目もなんとか終わった。
                              (つづく)
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