中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る甲州道中四十四次(第7回);第1日目(2);酒折宮と甲斐善光寺

2013年11月30日 07時02分30秒 | 甲州道中四十五宿

                          <酒折宮にて>

  歩いて巡る甲州道中四十四次(第7回);第1日目(2);酒折宮と甲斐善光寺
             (五十三次洛遊会)
       2013年11月16日(土)~18日(月)

<ルート地図>



<壮大な山梨学院大学>

■バス停山梨学院大学

 11時45分,私たちはバス停「山梨学院大学」に到着する.この辺りは,どちらを向いても山梨学院大学の巨大な建物が沢山建っている.実に壮大な大学である.
 正直なところ,私には山梨学院大学と言えば,新年の箱根駅伝の常連校だということぐらいしか知らない.実際にこの大学の建物を見て,大学の規模の大きさに仰天した.

<バス停山梨学院大学>

山梨学院大学正門
 バス停近くに山梨学院大学の正門がある.正門近くにピカピカの大きな校舎が建っている.今日は休日のためか,人影は見当たらない.
 正門を入って直ぐのところのある大きなアーチが目に着く.
 “ピカピカな大学だな…”
と感心しながら正門前を通過する.
 その後も,次から次へと山梨学院大学関連の建物が眼に入る.山梨では有力な大学なんだろうなと想像しながら,先へ進む.

<山梨学院大学正門>

<北山野道に入る>

■酒折駅近くのコンビニで一休み
 11時52分,酒折駅前の道路と交差する.この交差点を右折して,ほんの100メートルも歩くと酒折駅である,駅に立ち寄って休憩でも取ろうかという意見もあったが,まあ,もう少し歩き続けようということになる.
 11時57分,幸いなことにコンビニに到着する.ここで昼食用の弁当を購入するために一休みする.
 
<酒折駅の案内標識>                              <コンビニに立ち寄る>

酒折宮道標
 コンビニでの休憩を終えて,12時03分,再び歩き出す.そろそろどこかの社寺の境内を借りて食事のしなければならないが,昼食前に甲斐善光寺まで頑張ろうということになる.
 コンビニから少し先,郵便局の少し手前の三叉路に酒折宮の道標がある.ここを右折すると,すぐ先に中央本線の踏切が見えている.
 山梨学院大学の附属高校の生徒らしい集団が歩いている.生徒達の服装がきちんとしているので好感が持てる.なんとなく学校の躾が行き届いているような印象を受ける.
 踏切の向こうに酒折宮の建物が見えている.

 
<酒折宮道標>                                    <踏切の向こうに酒折宮が見える>

■魅力的な北山野道
 酒折宮の手前に北山野道の案内板がある.
 下の写真は北山野道の案内板を撮したものだが,ピントが甘くて読みにくいが,なかなか野趣豊かで楽しそうな散策路である.
 “次回の甲州街道の旅のときに.開催日の1日前にこの野道を歩いてみようかな…”
なんて密かに考えている.

<北山野道の案内板>

<酒折宮>

■酒折宮に到着
 12時07分,酒折宮に到着する.ここで参拝を兼ねて一休み.
 資料3には「
『古事記』・『日本書紀』(以下「記紀」)には,ヤマトタケルの東征伝承が記されている.ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り,帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り,信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている.一方,『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り,帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し,武蔵から上野碓日坂を経て信濃,尾張に至ったとしている.帰路,甲斐路(現 山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている.行在中に尊が塩海足尼を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け,「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため,塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝える.」という説明がある.
 なお同資料によると,この神社の社格は村社である.


<酒折宮>

連歌発祥の地
 境内の一角に巨大な石の連歌の碑がある.酒折宮は連歌発祥の地のようである.
 資料4には「古代,ヤマトタケルノミコトが東征の帰途に甲斐之国・酒折宮に立ち寄り,火焚きの翁と
「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」(「古事記」「日本書紀」)
と問答を交わしました.これが連歌の始まりとされています.古代から時空を超えて,5・7・7の片歌問答が「酒折連歌」として現代に蘇ります.」という説明がある.

<連歌の碑>

本居宣長碑
 境内にある本居宣長碑を見学する.浅学の私には,この碑に何が書いてあるのか全く分からない.
 資料3には「本居宣長は,甲斐在住の門弟である伊萩原元克に依頼され『酒折宮寿詞(よごと)』を撰文し,それから48年後の1839年(天保10年)になり平田篤胤の書によって『酒折宮寿詞』は『酒折祠碑』と並んで建立され,2つの碑文は現在も酒折宮境内に残っている.」という説明がある

<本居宣長碑>

<甲斐善光寺>

■壮大な社殿
 12時11分,酒折宮を出発する.往路を甲州街道まで戻って,再び西へ向けて歩き出す.
 12時20分,三叉路にある信号善光寺入口に到着する.ここで右折して甲斐善光寺の参道に入る.
 12時30分,甲斐善光寺に到着する.
 資料5には,「当山は,開基武田信玄公が,川中島の合戦の折,信濃善光寺の焼失を恐れ,永禄元年(1558),御本尊善光寺如来をはじめ,諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります.ここ板垣の郷は,善光寺建立の大檀那本田善光公を葬送した地と伝えられ,信濃より大本願上人以下,一山ことごとくお迎えいたしました.その後,武田氏滅亡により,御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが,慶長三年(1598)信濃に帰座なさいました.甲府では新たに,前立仏を御本尊と定め,本坊三院十五庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭を勤め,徳川家の位牌所にもなっておりました.」という説明がある.
 ところが資料6には「戦国時代に入ると,善光寺平では武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を巡り,川中島の合戦を繰り広げました.弘治元年(1555年),武田信玄は御本尊様や多くの什宝,寺僧に至るまで,善光寺を組織ごと甲府に移しました.その武田家が織田・徳川連合軍に敗れると,御本尊様は織田家,徳川家の祀るところとなり,最後は豊臣秀吉が京都・方広寺の御本尊としてお奉りいたしました.そして,秀吉の死の直前,如来様がその枕元に立たれ,信濃の地に戻りたい旨をお告げになり,それによって慶長三年(1598年),四十数年ぶりに善光寺にお帰りになられました」と淡々とした記述になっている.
 
<甲斐善光寺>

■境内の一角で昼食
 私たちは,13時15分まで,ここで自由行動,その間に,寺院の見学と昼食を済ませることにする.建物の中に入って見学する方,池の畔で鯉を眺めながら日向ぼっこをする人などひとそれぞれである.
 一同,池の畔のベンチに座り込んで昼食を摂る.秋の日射しが心地よい.
 人の気配を察してか,池の鯉が酔ってくる.

<池の鯉>

お咳婆さんの石
 昼食後,まだ少々時間があるので,境内を散策する.仏像など見て回るが,ちょっと気になったのが,下の写真の「お咳ばあさんの石」である.
 傍らにある説明文によると.この石を拝むと咳が止まるとのことである.

<お咳婆さんの石>

<一旦,ワシントンホルヘ>

枡形を通過
 昼食を終えて,13時16分に甲斐善光寺を出発する.
 往路を引き返して,13時26分,再び甲州街道に突き当たる.そして甲州街道を西へ向けて歩き始める.
 JR見延線善光寺駅近くのガードを潜ってから,鍵の手に曲がる枡形を通過する.
 
<西に向けて歩き続ける>                        <JR身延線のガードを潜る>

■印傳屋
 13時42分頃,JR身延線の金手(かねんて)駅近くでクランク状に曲がる道を通過する.
 地図を見ると近くに尊躰寺という寺があるようだが,参拝・見学は省略する.クランク状の曲がり道を通過して,再び西へ向かう.辺りの様子が賑やかになり始める.
 12時50分,印傳屋に到着する.資料1によると,ここは天正10年(1582年)創業の伝統的鹿革工芸の老舗のようである.ただ,現在の店舗は近代的なビルになっている.
 私たちは印傳屋前の四つ角を右折し,一旦中山道を離れて,武田信玄の墓,武田神社など武田氏ゆかりの社寺史跡を訪ねる予定である.
 ただ,リーダーの意向で,この近くに今夜宿泊する予定の甲府ワシントンホテルがあるので,ホテルに荷物を預けて身軽になってから歩こうということになる.

甲府ワシントンホテル着
 NTT近くの交差点を左折する.
 13時53分,甲府ワシントンホテルに到着する.
 ホテルフロントに荷物を置かせて貰い.トイレ休憩を取る.
 「なるべく早く要事を済ませて下さい…」
とリーダーが指示をする.
 休憩後,甲府市推奨の「山裾の古の道・武田氏縁の史跡散策」コースを一回りする予定である.

<甲府ワシントンホテル>

[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E6%8A%98%E5%AE%AE
資料4;http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kokubun/kokubun/renga.html
資料5;http://www.kai-zenkoji.or.jp/2/
資料5;http://www.zenkoji.jp/
                                         (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
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「甲州道中」の索引
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