<龍光寺本堂>
奥州街道(白河の道);第2回;2日目(3);喜連川宿
(クラブツーリズム)
2017年4月22日(土)~23日(日)
2日目;2017年4月23日(日) (つづき)
前の記事
↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/85090dee6691e70b7c5f998cca37385c
<ルート地図>
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<荒川を渡る>
■路傍の石地蔵
碧梧桐歌碑を見た後,もとの奥州街道に戻る.
11時24分,路傍の赤い涎掛けをした石地蔵の前を通過する.地蔵の後ろには広々とした水田が広がる.
石地蔵の前には花が供えられている.多分,この地蔵をご近所の方が大切にお守りしているんだろうと想像する.この地蔵を観ていると何となくほのぼのとした感じになる.
<路楼の石地蔵>
■勝喜神の石塔2基
11時27分,民家の隣の空き地に立つ大小の石塔2基の前を通過する
”この石碑,何だろう…?”
と思って,近付いて見る.
どちらの石塔にも「勝喜神」という刻字がある.
”勝喜神ってどんな神様なんだろう.”
帰宅後,インターネットで調べたが,どうも良く分からない.
<勝喜神石塔2基>
■堤防道
11時29分,荒川(喜連川)堤防に登る.右岸を川下に向かって歩き続ける.開放感のある楽しい散策である.
先頭を歩く人と後ろを歩く人の間が大分バラけ始めるが,まあ,いいか.私は相変わらず一番後ろをノソノソと歩いている.
<荒川の堤防道>
■荒川を渡る
11時32分,荒川に架かる連城側道橋を渡る.
この橋を渡ると,いよいよ喜連川宿である.
<連城橋;脇に側道橋がある>
<喜連川宿に到着>
■喜連川宿の概要
資料2によると.「喜連川宿は、江戸時代,喜連川城の城下に奥州街道(奥州道中)氏家宿の次の宿駅として整備された宿場町で、下野国塩谷郡にあった。天保14年(1843年)の『奥州道中宿村大概帳』によれば、喜連川宿は家数290軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒、人口1,198人であった。氏家宿本陣は上野家、脇本陣は永井家が担っていた。
氏家宿から北に向かうと一里塚を通り弥吾郎坂を下る。弥五郎坂はかつて早乙女坂ないし五月女坂と呼ばれていたが、戦国時代にこの坂で宇都宮氏当主宇都宮尚綱が那須氏家臣の鮎瀬弥五郎の矢を受けて戦死、のち鮎瀬弥五郎が尚綱を供養して五輪塔を建立したことから、弥五郎坂と呼ばれるようになったという。この五輪塔は今弥五郎殿と呼ばれ、弥五郎坂の頂上部に建っている。弥五郎坂を下ると道祖神、羽黒社を過ぎ、下妻道(しもつまのみち)との追分を左折すると喜連川宿に入る。宿内には龍光寺、薬師堂、喜連川神社、専念寺などの寺社が建ち、また宿内道側に一里塚があった。宿の北端の奥州道中筋は鉤状となっており、これが宿の内外を分けていた。」(以上コピペ)
■いよいよ喜連川宿へ
連城橋を渡ると,市街地になる.喜連川宿である.
道尼なりに進んで.11時38分,龍光寺入口に到着する.右折して龍光寺参道に入る.
<喜連川宿に入る>
<龍光寺>
■龍光寺の概要
11時42分,龍光寺に到着する.
資料1(p.20)によると,「喜連川足利氏初代,2代の父,賴積の法名「龍光院」が寺の名前になった.境内には4代昭氏が鎌倉の長受院にある足利尊氏の像を模刻した像や築堤を廻らせた中に60基ほどの石塔が並ぶ喜連川足利家歴代藩主の墓所などの市指定も多数ある」とのこと.山号は志雲山.臨済宗.
資料2によると,「龍光寺は、臨済宗円覚寺派の寺院。山号は慈雲山。本尊は釈迦如来.創建代は不詳だが、足利尊氏の開基により創建されたと伝えられる。当初は寺号を東勝寺と号し、尊氏とその弟直義が全国に設置した安国寺利生塔のうち下野国における安国寺に指定されたという。
戦国時代、喜連川城に入った足利賴氏は、豊臣秀吉の軍勢によって焼失したこの寺を再興し、父頼純の法号から龍光院と改めた。以後喜連川氏の帰依を得て江戸時代にはその菩提寺となっていた。第2次世界大戦後の昭和28年(1953年)寺号が現在の龍光寺と改められた。」(以上コピペ)
<龍光寺>
■荘厳な本堂
まずは本堂を詣でる.
傍らに咲く花と青空が本堂を引き立てている.大きな寺である.
本堂内には十一面観音菩薩が祀られている.本堂脇の案内板に,この観音の由来などの説明が書いてある(下の写真).
<本堂および十一面観音菩薩の説明文>
<喜連川足利氏代々藩主の墓>
■入口の格子戸
本堂裏手の一角に喜連川足利氏歴代藩士の墓所がある.墓所入口の格子戸を開けて中に入る.
中は長方形の広い墓地になっている.
<格子戸を開けて墓地に入る>
■整然と並ぶ墓石
長方形の墓所に,沢山の墓石が列になって並んでいる.
墓所の一隅に,それぞれの墓石が誰のものかを示す対応図が立っているが,喜連川足利市について何の予備知識もない私には,ほとんど理解不能なのが口惜しい.
”やっぱり,旅に出る前に少しは予習しておくべきだったな…”
と反省する.
<藩主の墓が整然と並ぶ>
■足利家歴代の墓所説明文
墓所に設置されている説明文をデジカメで写したのが下の写真.
この写真の記事によると,墓地の広さは薬400平方メートル,石塔54基,石灯籠などがあるという.
<喜連川足利氏歴代藩士の墓>
<旧喜連川警察署(街の駅本陣)へ>
■喜連川郵便局
11時54分,龍光寺の参拝見学を終える.
11時58分,喜連川郵便局の前を通過する.
<喜連川郵便局>
■街の駅「本陣」に到着
11時58分,街の駅「本陣」カフェレストラン倉ヶ崎に到着する.
ここは旧喜連川警察署である.
建物の壁に案内板が取り付けられている(下の写真).この案内板の記事によると,ここが喜連川宿の本陣跡である.明治になってから本陣跡に警察署,郵便局,銀行が開設されたという.
資料1(p.22)によれば,「この建物は明治15年(1882年)以降に建てられたもので.当時の警察署である」とのこと.現在建物の1階は「カフェレストラン蔵ヶ崎」になっている.
<街の駅「本陣」の案内板>
<素敵な建物のカフェレストラン蔵ヶ崎>
■素敵な建物
カフェレストラン蔵ヶ先で昼食を摂る予定である.
旧警察署は木造で白ペンキで塗装されている.オシャレな庸佑建物である.
1階がフェレストラン蔵ヶ先として使用されている.玄関入り口に「カフェレストラン蔵ヶ崎」と書いてある案内板が立っている.
何かにつけてのろまな私は,モタモタしていて結局一番最後に店内に入る.もう空いている席は1箇所だけ.知らないオバサン連の中にポツンと放り込まれる.
”怖いな…バツが悪いな”
がこのときの第一印象である.
<建物の外観>
<カフェレストラン蔵ヶ崎の入口>
■見事な梁にステンドグラス
改めて店内をキョロキョロと見廻す.
先ず驚くのが高い天井である.梁が縦横に通っている.さらに高い所の破風にステンドグラスの窓がある.白壁も美しい.
とにかく何もかもシックである.
<見事なステンドグラスの窓と梁>
■署長室と留置所
規約室の奥は署長室である.今は配膳室やキッチンとして使われているようである.その奥に留置所がある.
それぞれの部屋の入口に「署長室」,「留置所」と書いた札が貼ってある.なかなか面白い嗜好である.
<署長室> <留置所>
<洒落た昼食>
■昼食は定食
昼食のメニューは旅行社が予め決めておいたもの.ハンバーグ定食である.オシャレに盛りつけられている.
勿論,味も満足.得にライスが美味しい.私は美味しい昼食を味わいながら,心のどこかで,
”こんな贅沢をしていて良いのかな…”
と誰に向けてという訳ではないが,何となく後ろめたい気分が沸いてくる.これも戦中戦後の貧しい時代を体験した私たち世代固有の感情かもしれない.
<美味しい昼食>
■仕上げはホットコーヒー
食事の仕上げに,私はホットコーヒーを所望する.
コーヒーを賞味しながら,午前中にメモした内容をチェックする.
私のノートを覗き込んだ隣の席の人が,
「…何時もスケッチするんですか.お上手ですね…」
と私に話しかける.何時ものパターンである.私は直ちに,
「これはスケッチではありません…ただの象形文字です…」
と反論する.
正直なところ,ノートに書いた”画もどき”の殆ど全ては5~10秒で殴り書きしたもの.こんなものを見て私のスケッチの腕前だと思われるのが迷惑千万なのである.
「スケッチするには少なくとも10分ぐらいの時間がないと無理です…これはスケッチではありません!!」
私は強く,強く,抗弁する.それでも,相手は,
「でも,画でしょう…!」
と引き下がらない.実に嫌な気分である.
こんな嫌な気分を味わいながらも,私はノートにゴシャゴシャと書き込むのを止めない.
<仕上げはコーヒー>
[参考資料]
資料1;さくら市教育委員会(編),2012,『歴史あそびBOOK2さくら市の歴史街道お出かけハンドブック』さくら市
資料2;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%85%89%E5%AF%BA_(%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E5%B8%82)
(つづく)
(つづきの記事)
↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/805775461b69c3c42d0f20d48195c234
「奥州街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f1b2dce2470adc0fd0bd872352e0d7
「奥州街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4c195cfa3f795ede28aa0764b57a5db3
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