☆ナギの日記☆

家族5人。
両親と私と娘と、おっさんの日常を綴ります。

ばばちゃん☆

2018-07-28 13:44:04 | その他女性日記
私の母方の実家にひいおばあちゃんと、ひいおじいちゃんと祖母の3人が暮らしていました。(もう、亡くなりましたが)
祖父は、寡黙なかただったようです。今で言うマスオさんだったそうです。
早くに事故で亡くなったようで遺影でしか見た事がありません。
ひいおばあちゃんは実は後妻さんで一族と血の繋がりがありません。
祖母は豆腐や油揚げ、納豆を作って生計をたてていました。ちょっとしたお惣菜や卵なども売っていました。
ひいおじいちゃんは、豚肉を売っていました。それをひいおばあちゃんが(これからばばちゃんと呼びます)手伝っていました。
ひいおじいちゃんには沢山の連れ子がいました。妻に先立たれどのようなご縁かわかりませんが
宮城県の出身のひいおじいちゃんの所に(北海道です)秋田県の豪農の(と、いう風に聞いています。)娘さんが嫁いできました。
まだ20代後半のばばちゃんにいきなり5人の子供ができました。一番なついたのは祖母だったようです。
それで一緒に暮らす事になったそうです。
祖母が結婚して6人の子供ができたのですが祖母はお店のきりもりに忙しく母親業はほとんどばばちゃんがしていたようです。食事やお洒落なんかもばばちゃんが教えてくれたようです。
商売が軌道に乗って人を雇っていた頃もあるようです。忙しく働く祖母に代わりばばちゃんが
実の孫のように母や兄弟たちを可愛がっていたようです。
秋田美人のばばちゃんは本当に優しい人でした。でも、自分と血を分けた子供はいませんでした。
だから本当に母たち兄弟を大事に育ててくれたようです。
その孫たちも(私の叔父、叔母になります)結婚して子供ができました。
ひ孫です。ばばちゃんは本当に私達を愛してくれました。

母の兄弟たちの伴侶にも、例えばお嫁さんには「よく、お嫁さんにきてくれたね。ありがとう。ありがとう。」と言って手を握ったりしていました。孫たちにはお嫁さんや、旦那さんを大事にするんだよ、仲良くするんだよと、
よく言い聞かせていたものです。そしてもし自分が死んでしまったらみんなに忘れられてしまうんじゃないかと心配して「ばばちゃんが死んだらお線香の1本もあげてくれな~。」と何度もみんなに言っていました。
みんなの事を愛してくれていました。幸せを願ってくれていました。
だから、ばばちゃんが亡くなった時はみんなが本当に号泣していました。
秋田県から親族のかたがきて、「これで切れてしまいますが今後とも親戚のようにつきあっていってください」とおっしゃってたようです。ばばちゃんは苦しむことなく老衰で逝ってしまいました。

辛い時、孤独を感じる時、ばばちゃんが可愛がってくれた事を思い出します。
愛すると愛されるんだな~と、思わせる人でした。
ひ孫の事もとても可愛がってくれました。
ばばちゃんが書いてくれた長いお手紙を大事にとっておいたのですが母に私の思い出の品をほとんど断捨離されてしまいました。(苦笑)
でも、記憶の中にずっと残っています。
ばばちゃん、ありがとうって最近、よく思い出すのです。
お墓にお線香をあげに行きたいな~。ばばちゃんに会いたいな~…。ってこの頃よく思うんです。
知人の一人もいない北海道でよく頑張ったね。アラフィフになってばばちゃんの一生を考えるようになったよ。改めて、ありがとう。