今月に入って、悪化の一途をたどっているイタリア語力をなんとか維持するため、毎日少しでも原文を読んで訳して記事にしようと思っていたのだが、昨日今日と出かけてしまって、ゆっくりイタリア語に向かう時間がなかったので、今日は最近読んだ本のご紹介。
最近読んでる本って、美術関係の専門書とかここのところ興味が有ったのはユダヤ人虐殺にかんする本とかで純粋な小説ってなかったんですよね。
まぁ、これも純粋とは言い難いけど…
写真:Amazon
「ボッティチェリの裏庭」梶村啓二
最近一番好きな作家は原田マハさんですが、彼女の作品でもアート小説しか読みません。
いつも行く本屋の店員さんにも覚えられてしまって、なぜか新刊情報を教えてくれます。(笑)
大抵1枚の絵だったり、画家にスポットがあたったアート小説という分野の小説を読むと、よくこの1枚からこんなストーリーが出来るもんだ、と感心します。
いやいや、作家はプロなんだから当然ですが。
この本はタイトルからも分かるように、ボッティチェリ絡みの作品ですが、大筋は3本。いや、1枚の絵画と3つの時代から構成されていると言った方がいいかな?
この本の根幹を握るのは表紙に使われている「Primavera(春)」ではなく(作中には登場するけど)、「Venere(ヴィーナス)」
ボッティチェリの「ヴィーナス」と真っ先にこちらが頭に浮かぶでしょう。
写真:Wikipedia
これは言わずと知れたウフィツィ美術館所蔵のボッティチェリ作「La nascità di Venere (ヴィーナス誕生)」
本の中にはこの作品の誕生についてもフィクションで描かれているが、重要なのはこの作品ではない。
このヴィーナスには3人の姉妹がいる。
Venus pudica、恥じらいのヴィーナスという長い髪で恥部を隠したポーズは同じだが、姉妹たちはみんな大理石の台の上に立ち、一人漆黒に包まれている。
まるで彫刻のように見える彼女らは、若干の違いはあるものの、頭を左に傾げ、右足に重心を置いているので、若干左に傾いている。それがまるで見ている人の方に倒れてくるように見える。
最初の姉妹はイタリアのTorino(トリノ)の王宮にお住まい。
Galleria Sabauda(サバウダ絵画館)所属。
透明の服(?)を身に着けている。
トリノのヴィーナスは、Gualinoコレクションから来たもので、トリノでの一番古い記録は1844年イギリス人から購入したこと。
この作品は、そのイギリス人の家が火事に有った時、焼失したと思われていたが、遺産の中から発見され、Piemonte(ピエモンテ州)Biella(ビエッラ)出身の偉大なコレクターRiccardo Gaulinoが購入した。
1930年このヴィーナスはボッティチェリと彼の弟子の共作としてGalleria Sabaudaの所蔵となった。
2番目の姉妹はドイツ、ベルリン在住。
Gemäldegalerie(ベルリン絵画館)にお住まい。
実はベルリンに行った時、絵画館でこの作品を見た記憶が全然ないんだよねぇ…
この作品も本に登場する。
彼女は他の人に比べてぽっちゃりしている。
この人は、何も身に着けていない。
こうして比べてみるとよく分かる。
これは2016年“Venere incontra Venere – Due opere di Botticelli a confronto(ヴィーナスと出会うヴィーナスーボッティチェリ2作品の比較)”というトリノで行われた特別展での様子。
う~ん、トリノには何度も行ってるけど、Galleria Sabaudaは行ったことがないし、結構いい作品があること、今知った。
参考・写真:https://www.quotidianopiemontese.it/2016/07/19/due-veneri-di-botticelli-in-mostra-a-torino/
ちなみに参考した記事にはトリノのヴィーナスは日本にも行くと書いてあったけど、来ましたか?
2016年東京都美術館の「ボッティチェリ展」のリストには見当たらないんですけど…
そして最後は
スイスのプライベートコレクション
これは他の3人とちょっと違う。
3人は片手で胸を隠しているけど、これは両手を下ろし、ベールを握っている。
そのベールの中央には花。
どの作品もボッティチェリの手が入っていることは確かだが、工房や弟子の手が入っていて、その比率の差などは有るだろう。
これだけのバリエーションが存在することがこの本にインスピレーションを与えたのか?
時代は1500年代、1940年代、2000年代が交差する。
一枚の絵画を巡る様々な人たちの人生。
一枚の絵が様々の人の人生を狂わせる。
フィクションで有ることは分かっていても、数奇な運命を巡り、今私たちの時代に生き残った名画を後世に伝えることは、現代の私たちの役目なのだろう。
一般的な小説としては、個人的にラストがちょっと不完全燃焼だったけど、久々に頭をあまり使わずさらっと読める本だった。(図書館にも期限内に返却できた。ごめんなさい)
そして結局今日もイタリア語記事を読むことになった。
写真・参考:https://www.viaggiatricecuriosa.it/2018/03/17/la-venere-del-botticelli-e-le-sue-tre-sorelle/
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コメントありがとうございます。
私もベルギーのムール貝とビールは同感です。
本当に早く現地で楽しめる日が来て欲しいです。
Makiさん
コメントありがとうございます。
チューリンゲンには行ったことがないので、是非ソーセージを食べに行きたいです。
カレッジのメディチ別荘巡りは楽しいですよね。
あ~、早く世界が落ち着きますように。
ドイツ=ソーセージですね。
ミュンヘンに来た当初はソーセージをよく食べていましたが、今は日本のシャウエッセンの味が懐かしく感じます。
私はバッハが好きでドイツ旅行はチューリンゲン方面ばかり旅していたので屋台で焼いていたチューリンゲンソーセージを初めて食べたことが懐かしいです。
レーゲンスブルグのソーセージもおいしかったかな?
ビールはアウグスティーナ系で飲むことが多いです。
なぜか私の周りにはアウグスティーナ派が多く、ホフブロイハウスには未訪問です。
アルテピナコテークはボッテチェリのピエタを鑑賞するために日曜日(1ユーロ)に訪問します。図録で見たものに比べ、修復後の絵画は着衣の青、ピンクの色彩が濃厚で、こちらもめまいを起こしそうになるほど引き込まれます。
ボッテチェリの記事がアップされていて本当に嬉しいです。ジュリアーノの騎馬試合、カレッジの別荘群・・ここでボッテチェリが・・と思いいつつお庭を歩いたことを懐かしく思い出しています。
(2010年10月にボッテチェリの展示もありました)
これからも楽しみにしています。
海外旅行の思い出は、美術品そのものよりも食べたり飲んだりした方かも。その日一日の美術作品を見る予定が、美術館・教会のchiusoも絵のrestauroもなく、海外貸し出しもなく、予定通り見ることができて満足した気分で夕方になって飲む酒と食事。この瞬間のために海外旅行をしているのかとも思います。ドイツではフランクフルトから夜行列車で降りたケルンの駅のソーセージスタンド、ベルリンやドレスデンでは昼はカリーブルスト。ベルギーでは地ビールやバケツに入ったムール貝の白ワイン蒸し。各地の修道院が作る地ビールは色も様々、アルコール度数も高くてすぐに酔えるし、値段も手頃で、私は世界一のビールだと思っています。もちろんイタリアではスパッカナポリでのピッツァとか、夏なら各地でジェラートも。早くこれらと再会できることを祈っています。
追加コメントありがとうございます。
今年は「春の戴冠」制覇しようと思います。
ビールとソーセージのコメントで、非常に親近感がわきました。
「何かの本で読んだ受け売り」と書いた、ランドウッチの日記の歴史的意義については、高階秀爾著「ルネサンス夜話」1979年発行(再販の文庫版あり)に一章を使って述べられています。
「春の戴冠」について、奥様の辻佐保子が書いた本があります。「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」2008年発行(再販の文庫版あり)。これは辻邦生没後に出た辻邦生全集の解説用に書かれたものであり、著者のすぐ近くにいた人しか知りえない裏話や(中世ロマネスク)美術史の専門家として、春の戴冠執筆にどう貢献していたかなどが分る本として、上記10/22のコメントで書いた新潮社「波」1977年5月号の辻―高階対談「激しく美しく滅びた歴史」と同じくらい興味深い内容であると思っています。
ミュンヘンへは30年以上前にアルテ・ピナコテークを見るために行きましたが、ホテルに荷物を置いてから真っ先に向かったのはホーフブロイハウスです。ミュンヘンで最大の目的だったボッティチェリ作ピエタの印象などはもうほとんど記憶にありませんが、ホーフブロイハウスの中の雰囲気やビールとソーセージのことは今でもよく覚えています。
コメントありがとうございます。
ミュンヘン在住なんですね、良いですねぇ。
ミュンヘンには一度行きましたが、一番記憶に残っているのはビールと白いソーセージです。(笑)飛行機がドイツ乗り換えの時は必ずビールを飲みます!!
本当に早く元のように自由に行き来できるようになるといいですよね。
ちなみに「春の戴冠」は現在中断しています。
フィレンツェに留学されていたこともあるんですね。
私も10年フィレンツェに居ましたが、今となってはもっと色々見ておくべきだったと後悔しています。
全然乱文などではないですよ。お気軽にコメント頂ければ嬉しいです。
以前、投稿いたしましたMakiです。
私にとって
ボッティチェリの泉(のように好奇心が湧き出ます)最近、ワクワクしてブログを読んでいます。
かなり昔に「春の戴冠」は京都イタリア文化会館の図書館で借りて読みました。今はあまり記憶にないですが見開きの昔のフィレンツェの地図と同じものがフィレンツェのホームステイ先に飾ってあり、家主が昔はForenza(今、手元にないので間違っていたらすみません)と言ったのよ…など、懐かしく思い出しました。
ランドウッチの日記も合わせて読んでみたいです。
(早く日本に一時帰国したい)
裸のヴィーナス私も日本で鑑賞しました。
個人コレクションははじめて拝見しました。
添えられた花が一瞬、ヴィーナスの誕生とシンクロして…個人コレクションですが、対面したい作品です。
ベルリンの裸のヴィーナスは9月にジャックマールアンドレ美術館に巡回予定のようですね
ボッティチェリ好きから少し離れていましたが、機会に残りの人生?行ける所には行って鑑賞してみようと考えました。
(私がドイツに住んで、このブログにたどり着いたのも不思議です。乱文で…素人のコメントで申し訳ございません)
非常に詳細なコメントありがとうございます。私もこの日記を読んでみようと思います。またそれに関する色々な資料の存在も非常に興味が有ります。
私もダン・ブラウンのシリーズを読むと、あの道を通ったな、とかあそこのドアから入ったな、とかよく考えているので、気持ちがよく分かります。
本当にありがとうございます。
ランドウッチの日記は当時の一般市民(薬種商)がフィレンツェとその周辺で起こったことや感想を淡々と書いているだけですが、返ってそれがこの日記の価値を高めていると思います。ヴァザーリの列伝のように、立場(メディチ家への恩)や信念(ミケランジェロ崇拝)による意図的な記述、偏見や内容を面白くするための嘘(ヴァザーリが作った話ではないにしても)といったこともない。例えばヴォルテッラやヴェローナで化け物の赤ん坊が生まれたとか、どこかのマリア様が奇跡を起こしたといった記事がよく出てきますが、これはそのことは事実かどうか分からないが、そういう噂や書き物がフィレンツェまで来たのは事実であり、噂があったこと、書き物を読んだことをそのまま記載しています。レオナルドやマキャベリのような特別な人間ではない、普通の市民がそれを冷静に書いているところに、ルネサンス時代のフィレンツェのすごいところがあると思います(何かの本で読んだ受け売りです)。
また、当時の人の肉声を読み、時代の雰囲気を感じられるということが、この日記に引かれる要因ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの手記とかミケランジェロの手紙とか、そういうものはいくつも日本語訳されている中で、この日記が特に好きなのは、長期間の出来事を長編小説のように読めるということです(一度は全文を読んでいます)。私はルネサンス・バロック美術と並行して、日本の平安・鎌倉時代の美術、特に運慶、快慶など日本彫刻史にも興味がありますが、最近吾妻鏡の現代語訳が出版され、これもランドウッチの日記と同様に重宝しています。これらを読んで気がついたのは、当時の人々は日本でもイタリアでも、現代の我々が想像する以上に、奇跡とか現代では迷信とされることに非常に左右されているということです。吾妻鏡では鎌倉幕府の建物の場所を鶴岡八幡宮の近くで3度変更していますが、この頃の記事は場所選びで陰陽師が占うとか吉凶の方角選び(方違い)といったことばかりです。ヴォルテッラで化け物の赤ん坊が生まれた話もそうですが、当時の人の精神生活、精神構造を知り、美術作品が作られた意味の理解に役立てるという意味でも、このような日記、記録類が断片的ではなく、全体を通して現代の日本語で簡単に読めるのは、素人愛好家にとってはとてもよい時代になったと感じます。「春の戴冠」はルネサンス美術好きの人に対して、特にお勧めしたいというほどではありませんが、ランドウッチの日記はお勧めしたい本です。ただ、発行部数も少ない特殊な本なので、よほど大きな図書館か大学図書館等でないと置いていないようです。
なお、ランドウッチの日記で、現存するよく知られた美術作品が出てくるのは、ミケランジェロのダヴィデ像移動・設置とサンタ・マリア・ノヴェッラのギルランダイオ作フレスコ画ぐらいです(残念ながらボッティチェリもレオナルドも登場しません)。ダヴィデ像設置については、ボッティチェリやレオナルドも参加した1504年の設置場所検討委員会の詳細について、石鍋真澄氏が成城大学美学美術史論集19号2011年に書いています。これとランドウッチの日記を合わせて読むと、(単なる優れた美術作品というだけではなく)ダヴィデ像が当時の政治状況の中でどのように捉えられていたのかがよく理解できます。
ありがとうございます。
私は基本的にイタリアがベースなので、日本の研究者については、一般書を多く出版している方やメディアに多く出ている方しか知りません。色々ご教示頂き、非常に勉強になります。
また私でお力に慣れれば幸いです。こちらこそよろしくお願いいたします。
今は幸い時間が有りますし、本はタイミングを逃すとなかなか読めないし、すぐ忘れてしまうので、かなり大作ですが、挑戦してみます。
春の戴冠はものすごく長い(と私は感じました)し、途中の桜草談義(あの桜草、この桜草という議論が延々と続く)には辟易した記憶がありますが、後半の途中のロレンツォ豪華王の死の頃からサヴォナローラ処刑へかけては一気に話が展開して行き、最後の部分のシニョリア広場の処刑場所で地面に跪いて接吻している黒衣の女性の中に主人公フェデリゴの娘を発見して…というくだりは今でも鮮明に覚えているシーンです。(あまり書くとネタバレになるので止めます。でも、あえて一言書くと、ランドウッチの日記では「地面に跪いている」とだけ書かれているのが、春の戴冠では「地面に跪いて接吻」となっています。このへんは作者辻邦生が、ボッティチェリの友人の娘がいかにサヴォナローラに心酔していたかを表現するために創作した部分ですが、これがとても良いインパクトとなって… ここでやめておきます。)サヴォナローラ処刑については高階秀爾の中公新書「フィレンツェ」(1966年)及び中公文庫「ルネサンスの光と闇」(1987年、初出1971年)とエンツォ・グアラッツィ「サヴォナローラ」秋本典子訳 中央公論社(1987年)を合わせて読むとよく分ります(エンツォ・グアラッツィのサヴォナローラの伝記は処刑台の階段を登るところで終わり)。ルカ・ランドウッチの日記の1498年5月23日と26日の記事も当然必読です。私は初めてフィレンツェへ行ってシニョリア広場へ立った時に、真っ先にサヴォナローラ処刑の記念碑の所へ行き、1498.5.23…MEMORIAの文字を見た時には、ボッティチェリも大勢の群衆の中にいて、どのような気持ちでこの処刑の光景を眺めていただろうかと思ったことを思い出します(その後に念願だったウフィツィ美術館に入りました)。なお、春の戴冠を読まれた後で、この小説が書かれた背景や書評などを詳しく知りたいと思われるなら、前コメントで書いた新潮社広報誌「波」1977年5月号の辻・高階対談 及び 作家の世界「辻邦生」番町書房(1978年)が役に立ちます。
辻佐保子の著書については一般向けの本である「天使の舞いおりるところ」(岩波1990年)ぐらいしか読んでいません(あとは前コメントで書いた平凡社ファブリ画集のウッチェロぐらい)。他の著書はほとんどロマネスク美術に関する専門の研究書だと思います(夫君の辻邦生のことを書いた本もあるようですが)。なお、私も一時ロマネスク美術に興味を持ち、吉川逸治「サン・サヴァン教会堂のロマネスク壁画」(新潮社1982年)とか世界美術大全集8ロマネスク(小学館1996年)、とんぼの本やふくろうの本のロマネスク関連などを買いましたが、ほとんど読まずに積んであるだけです。時間があってもなかなか読む気になれません。
ファブリ画集ですが、平凡社で出しているものはそれを買いますが、ポライウォーロ、ペルジーノ、サセッタなど日本で出ていないものはイタリアに行った時に買っています。平凡社版は日本の美術史家が本文の解説を書いていますが、これがイタリア版とどう違うかを確認するのはちょっと難しいと思います。私が日伊両方を持っているジョットの場合だと、伊語版のprima,secondaの2冊を平凡社版では1冊にしていて(カラー図版も有名作品を主にして半分の数)、本文は最初の1ページを吉川逸治が書いていますが、文章の最後に「ジョヴァンニ・プレヴィターリによる」として伊語版の著者GIOVANNI PREVITALIの名前を上げているので、この文章は翻訳のようです。その次の本文数ページ分の解説は平凡社版では伊語版の半分ぐらいの量しかないので、これは伊語版を要約して日本語にしているのかと思います(挿図が伊語版の挿図から数点を抜粋して掲載)。しかし、辻佐保子のウッチェロではこの本文解説部分の最後の文章は明らかに辻氏の感想と思われる文章が書かれています(アシュモレアンの夜の鹿狩の絵に巡り会えた感想)。結局平凡社版の本文の執筆者が日伊どちらなのかはよく分かりません。図版毎の小さな解説をまとめた1ページは翻訳です。
私は単なる趣味ですが、日本語で読めるルネサンス文献(主にボッティチェリを中心にした15世紀後半のフィレンツェ派)を長年にわたり確認・収集してきました。また、専門は理系出身ですが、ここ数年の間、国内の大学院の聴講生としてイタリア美術史(カラヴァッジョ、ベルニーニを中心としたローマバロック、そしてウィットコウアやベレンソン、ロンギ、ボーデ、ケネス・クラークなどルネサンス研究者に関する基礎知識や美術史研究での基本姿勢―例えば現代の常識で考えないこととか、一時流行したイコノロジー研究は万能ではなく、本質をつかめないと分かってきたこと―など)を勉強してきました。イタリア語文献については私が弱い部分の一つなので、お互いに補い合っていければいいと思っています。先日教えていただいたZeriのサイトとかボッティチーニの論文や以前教えていただいたペルジーノやポライウォーロの資料などにはとても感謝しております。今後ともこのような資料についてご教示いただけたら幸いです。
情報を色々ありがとうございます。
私は日本で美術史を勉強したわけではないので、日本の専門書とか専門家とかはほとんど分からないので非常に助かります。
ところで1つ質問ですが、平凡社ファブリ画集は作品以外に解説などが載っているのでしょうか?
イタリアのものは数冊持っていますが、それには作品しか出ていなので…
「春の戴冠」早速図書館で予約しました。今は時間があるので、読んでみようと思います。また私はロマネスクの方が興味があるので、辻佐保子さんの本も予約しました。
辻邦生の奥さんが中世ロマネスク美術史専門の辻佐保子であり、辻邦生は執筆にあたって美術史関係の多くのアドバイスを受けていたと思われます(辻佐保子は平凡社ファブリ画集のウッチェロの執筆もしていて、ルネサンス美術にも造詣が深い)。そして、金原由紀子はお茶の水女子大で辻佐保子の弟子であり、上記著書のあとがきでは「春の戴冠をきっかけとして美術史を専攻することに決めた」とのこと。
その「春の戴冠」、私はボッティチェリに特別の興味を持ち始めた少し後に単行本化されたので、長編小説など普段は読まないのですが、これだけは買って読みました。そして、それから10数年後にこの小説の元ネタの一部になったルカ・ランドウッチの日記の日本語訳(近藤出版社1988年)も出たので、少し高価でしたがこれも買いました。サヴォナローラの処刑やミケランジェロのダヴィデ像の据え付けの様子などがとても興味深く、また、春の戴冠と読み比べることで、小説家はストーリーとしてどこを膨らませるのかなども分かりました。
春の戴冠はかなりの長編小説なので、もう一度読み直そうという気はしませんが、美術史の専門家が高く評価しているように、内容は信頼できるものだと思います。(ミステリーではないので、面白いと感じられるかは保障しませんが。)
集英社の世界美術全集、私はボッティチェリだけは超ワイド版の方を買いましたが、その他の画家はヴァンタンの愛蔵普及版で済ませています。小学館の世界美術大全集のような美術史の区分毎ではない、個人毎の全集なのでその分詳細であり、同じ1975年頃に出たRizzoli集英社版の個人毎の全集の作品カタログ部分と合わせて使うことで今でも重宝しています。
コメントありがとうございます。
継続は力なり!今の世の中、色々手段はあるのになんだかんだで何もしていない今日この頃です。
コメントありがとうございます。
御名答です。
小説ではボッティチェッリのビーナスのモデルという設定の少女がボッティチェッリの死後、色々な作品やサボナローラやロレンツォ・ディ・メディチのこともなどを回想するという感じです。
大きな美術館の場合、こちらがわざわざ見に行った作品が展示されていないということは良く有りますよね。今まではまた行けばいいやと思っていましたが、まさかこんなことになるとは…
でも今は調べる時間が山ほどあるので、次の課題を探しています。
今日はお天気も良かったので、早速図書館に世界美術全集を見に行きました。
>むろさん
そういえば、ベルリン美術館の特別展のとき、観ましたね。そんなに良いものではなかったと記憶しています。なんかクローナハのヴェヌスと似たようなコンセプトなので時代もそのへんっぽいと感じました。
また、ベルリンに行った前年の2015年にベルリン絵画館で開催されたボッティチェリルネサンス展の図録を見ると、このベルリン版ヴィーナスが表紙になっていて、ベルリンの美術館関係者にとっても、この絵はボッティチェリを象徴する作品だという気がします。なお、この展覧会は現代のボッティチェリをモチーフにした様々な作品もテーマの一つとしていて、私はあまりこういう展示は好きではないのですが、これも営業的には時代の流れなのかと思っています(例えば日本でも2016年の西美クラーナハ展に出ていた中国なんとか村の100枚近い正義の寓意像競作や森村泰昌が絵の主役に扮装したユディトの絵とか)。このベルリンの図録を見ると、ウフィッツイのヴィーナスの誕生をハローキティのキャラクターで描いた日本人作家の絵なども収録されています。
ベルリン絵画館でヴィーナスが出ていたか覚えていないとのことですが、私が行った時もボッティチェリの絵画数点のうち、ジュリアーノの肖像だけ出ていませんでした(9/28の貴ブログ「Botticelli(ボッティチェリ)売却―NY」の5枚目の絵―ワシントンNG―の別ヴァージョンの一つ)。大きな美術館では一人の画家の作品が何枚もある場合は、特に真筆でなく工房作の何枚かは展示していないことも多いと思います。ロンドンNGなどボッティチェリ工房作で見ていない作品は何枚もあります。私もこのジュリアーノ1枚を見るためにまたベルリンに行くかというと、例えば同一テーマの別ヴァージョンがあるベルガモ行きが優先ということになりそうです。
ヴィーナスの絵に戻り、3枚目のスイスのプライベートコレクションは、これだけまだ見たことがありません。個人蔵なのでこれを見るのは多分一生無理かと思っています。
なお、ついでながら、その小説の「1500年代」というのは「ボッティチェリ晩年の1500年代になってから、1480年代~90年代初めに描かれたヴィーナスの絵のことを回想する」というお話でしょうか(それなら問題ないのですが)。
私はその小説を読んでいないのでよく分かりませんが、ヴィーナス単独で描かれた絵3枚については、サヴォナローラの影響力が強くなった1490年代初め以降に描かれたということはありえないでしょう。工房作であってもこのようなテーマの需要は1480年代末まで(遅くとも1490年代のごく初め頃まで)しかなかったと思います。(まあフィクションなので、歴史的事実と違うといって目くじらを立てるのもなんですが。)