SHOUT! リキリキリッキー絶叫部屋!

リッキー・りさ・ニシザーのお部屋。
うた歌いで、ライダーで、庭師エッグです。

『この世は冗談だ』

ぼん

2007年08月14日 01時15分50秒 | リキ日記
はい、お盆です。

田舎にいると、お盆は凄く「お盆」なので忙しい。
しかし都会で「お盆」を感じる事は殆どない。
休みの一種のようです。
(それすらないあたしんとこ…)

最近よく「七代先」とか言うじゃなーい。
お盆はそれを感じる時だね。
そのサイズをね、感じなきゃね。

あたくしんちはお墓が1人にひとつだから、
見たまんまで解り易い。
七代前まではさすがにないけれど、
それでもけっこうさかのぼる。

遠いご先祖のは墓石の痛みも激しいが、
お婆ちゃんのはまだピカピカだ。
(それでももう三十年前になるけれど)

覚えているです、お婆ちゃんがお墓へ入った時の事。
私は小学校へ入ったばかりの四月、ピカピカの制服を着て
お葬式に出た。

当時の私が死についてどのような認識だったのか、
ちょっと解らないけれど、
棺桶の中に姿の見えているお婆ちゃんは
「もう死んでいる」という事は解っていたと思います。

式が終わる、お婆ちゃんの入った棺桶が蓋をされる、
それを皆で担いで、行列で細い山道をお墓まで登った。
籠みたいなのを冠ってる人とかいた。

やっとこさお墓に着くと、おっきい穴があった。
横におっきい土の山が出来ている。
穴をそっとのぞき込むと、とっても深い。

その穴におばあちゃんの入った棺桶が入れられた。
「!!!!!!」
びっくりしていると、誰かがシャベルで横の土をすくい、
棺桶にかけ始めた。

土と小石が棺桶を叩く音がする。
(この乾いた音をいまだに鮮明に記憶している)
「!!!!!!」
びっくりしている間にどんどん棺桶は土に隠れてゆき、
あっという間に見えなくなった。

あららー…。 
今、何かの拍子に生き返ったらどうするんだろう…
とか思った記憶です。

土葬だったのだね。
今は違うらしいんですが。
コレはでも私にはとても貴重な体験だす。

盆の話題が、葬式にそれてしまった…
でもそれからその思い出の現場に(つまり墓)
春と夏、必ず毎年行くのです。

あたしんちは別に信仰心に厚いわけでは無い。
けれども変わり者の偏屈親父が
「正月、お彼岸、お盆」には妙にこだわりを持っており、
その親父が作ったもの凄くめんどくさいルールに、
沢山つき合わねばならなかった。

本気で憂鬱でしょうがなかったんですが、
今は感謝しています。
身体に感覚が入っている。
御陰さまで、何かがごく自然に流れている。
それを体感出来るのは幸せだなと思う。

「環境」というのは、つまるところ「身体」だと思う。
ちょっとマトリックス的概念になるのかもしれないですけど、
でもそうだと思う。

盆はいいなあ。
と、この歳になって思います。
お墓がないなら、大きい木を見に行くとかでもいいや。
なんでもいいから宇宙を身体で感じる事をしよう。

都会の人のあの独特の、根っこの無いよな不安定な感じは、
盆が無いからじゃないのかしら。
て、思ったりします。

ボンボンバカボンバカボンボン♪
素晴らしきかな。

つか、あたしも歳とったのかね、
でもありがたさって歳くわんと解らんのよね。

特にあたしって幼稚で阿呆なもんでね。
えっへっへ。




あ、はい。
どうもすいませんご先祖さま。
頑張りますです。