散策: 目黒川の桜と中目黒周辺
2018年3月28日、今日は夫婦で桜(人?)見物です。
話題の場所ですので混雑を覚悟で桜見物に出かけました。
2日前に歩いたばかりなので、ちょっと心配でしたが、
せっかく中目黒に行くなら周辺の散策もしたく、歩行距離が
短いので出かけることにしました。
行程
10:20 中目黒駅(東急東横線、東京メトロ日比谷線)
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目黒川
満開です。 きれいですねーー。
人も満員です。
別所橋から
桜橋から
宿山橋から
朝日橋から
緑橋から
天神橋から
千歳橋から
10:55 柳橋から
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11:00 菅刈公園(すげかり)
江戸時代には「荒城の月」で知られる豊後の岡藩の屋敷があり、
滝や池のある回遊式の大名庭園として、江戸の名所として紹介されていた。
その後、明治7年に西郷従道(じゅうどう)がこの土地を購入し、
洋館や和館を建造した。庭園についても、池・滝・大芝生地など大改修が行われ、
「東都一の名園」と言われた。その後、旧国鉄の職員宿舎になっていたが、
平成9年に庭園調査を行い、在りし日の名園の姿を一部復原した公園として整備された。
園内地図
芝生広場 和館 復原庭園
11:12 出る
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11:15 西郷山公園
公園名の由来は、この土地が旧西郷邸(西郷隆盛の弟で明治期の政治家・軍人
であった西郷従道の敷地)の北東部分にあたり、付近の人々が「西郷山」という
通称で親しんでいたところから決まったとのこと。公園内にはゆるやかな坂道の
園路や展望台が設けられている。
西郷山公園ガイドマップ
あいにく富士山は見えません。
桜島の溶岩?
11:40 ソフトクリーム休憩をしてから出発です。
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11:45 エジプトアラブ共和国大使館
日本語の通じないエジプトの外交官?に身振りで中に入って
写真をとりたい旨伝え、写真をゲット。
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11:50 デンマーク大使館
何もありません。
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11:52 猿楽塚(さるがくづか)
昔、源頼朝がここで猿楽を催し、それが名前の由来との説もあるが、
6−7世紀の死者を埋葬した円墳で、昔から猿楽塚と呼んできた。
猿楽塚の上にある神社は、大正時代に朝倉家が塚の一つを取り壊したところ、
当主と、作業をしていた親方が奇病にかかった為、埋め戻したら病が治った
ので残された塚の上に猿楽神社を建てたとか。
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11:57 旧朝倉家住宅 観覧料:一般100円 60歳以上無料。休館日:月曜日
旧朝倉家住宅は、東京府議会議長や渋谷区議会議長を務めた朝倉虎治郎によって、
大正8年(1919)に建てられた。主屋、土蔵が重要文化財となっている。
また、一体となる庭園は、崖線[がいせん]という地形を取り入れた回遊式庭園となっている。
12:23 出る。(外国人の観光客など、たくさんの人が訪れていました。)
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12:23 お地蔵さま
台座に「右大山道、南無阿弥陀仏、左祐天寺道」と刻んである。
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12:25 目黒元富士跡
「キングスホーム代官山」の入口右手に目黒元富士跡の説明板がある。
マンションの敷地内にはかつて富士塚があった。1819年に別所坂上に
新しく富士塚が築かれるとそれを「新富士」といい、こちらの富士塚を
「元富士」と呼ぶようになった。
両富士塚は歌川広重の「名所江戸百景」に「目黒元不二」「目黒新富士」
として描かれている。
元富士は明治以降に取り壊され、石祠や講の碑は大橋2-16-21の氷川神社へ移された。
「目黒元不二」 「目黒新富士」
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12:25 目切坂
この坂のある位置は、切り通しを設けねばならなかったが、この坂は、
斜めに切り通しをしたので、ちょうどひき臼の目切に似ていたという。
また、明治10年ごろまで、この坂上で伊藤與右ヱ門という者が、
石臼の目を切る仕事をしていたということで、「目切坂」と呼ばれたそうだ。
ほかにもいくつか説はある。
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12:40 中目黒駅(東急東横線、東京メトロ日比谷線)
ますます混んできました。駅は大混雑です。
駅前で昼食を食べ、今回の散策は終了です。続けての散策でしたが無事完歩。
疲れはピークです。
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