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散策:谷中七福神めぐり(その1)

2015-04-26 14:47:24 | 日記

散策:谷中七福神めぐり(その1)

  2015年4月22日、今日は歩く距離が長いので途中Give Upもありを覚悟して、谷中七福神巡りに挑戦しました。快晴の天気予報は、はずれ、曇り空がほとんどでしたが、気温的にはウォーキングに適していました。そしてGive Upすることなく終着点の上野駅に辿り着きました。非常に疲れたけど、下町情緒あふれる町並みを散策でき、七福神のご利益もきっとあると確信しています。

   恵比寿:正直な心と笑顔、愛嬌を授けてくれる神様
   大黒天:富や出世、繁栄をもたらしてくれる神様
   弁財天:愛嬌、福寿、芸能にご利益を授けてくれる神様
   毘沙門天:ご利益は威光。信者に10種の福を授けると言われる神様
   布袋尊:子育て、子宝の神様
   福禄寿:人望を授けてくれる神様
   寿老人:延命長寿の神様

   赤字:谷中七福神
   青字:荒川区・台東区の観光課のおすすめ散策スポット
   緑字:観光スポット

   寺院・神社の詳細説明については次のURLで参照してください。
     猫の足あと( http://www.tesshow.jp/index.html )

   参考:距離と所要時間
   

以下が行程です。

行程

地図1
   

10:25 田端駅北口(JR山手線)

北口を出て左方向に都道458号線を進む。

行く手右側にある「保険堂薬局」の手前の侵入禁止の道を右折。

10:30 東覚寺(谷中七福神の福禄寿)
  東覚寺(真言宗豊山派)は、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に
  当地へ移転したと伝えられます。江戸時代、徳川歴代将軍の祈願所として栄えた。(本尊:不動明王像)
  ○石造金剛力士立像(通称「赤紙仁王」)
    石造金剛力士立像は、寛永18(1641)年、宗海という僧侶が願主となって江戸市中に流行していた疫病を
    鎮めるために造立されたと伝えられます。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、
    病気が回復すると信じられ、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれている。
                 
    東覚寺         石造金剛力士立像   赤紙が張られ何も見えません

10:40 田端八幡神社(祭神:品陀和気命)
  八幡神社は、伝承によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請
  (分霊を他の神社に移すこと)して創建されたものとされています。
              
   記念保存されている石橋   田端八幡神社
                
   稲荷社          富士浅間社       三峰社

「保険堂薬局」の信号まで戻り、都道458号線を渡って直進し、与楽寺に向かう。
与楽寺坂
     

10:55 与楽寺(本尊:地蔵菩薩像)
  与楽寺(真言宗豊山派)は、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まり。
  ○地蔵菩薩像
    現在は秘仏になっている。(秘仏というのは、信仰上の理由から、通常は厨子の中に納めて一般に公開しない
    仏像、菩薩像をいう。)この地蔵菩薩像は、弘法大師作といわれ、次のような伝承があります。
     ある夜、盗賊が与楽寺に押し入ろうとしましたが、どこからともなく、多数の僧侶が出て来て盗賊を追い返し
     てしまいました。翌朝、本尊の地蔵菩薩の足に、泥のついているのが発見され、地蔵菩薩が僧侶となって盗賊
     を追い出したのだと信じられるようになりました。これより本尊の地蔵菩薩は、賊除地蔵と称されるようにな
     りました。
  ○巡拝塔
    巡拝塔は左側面に「右は六阿弥陀3番道、左は六阿弥陀4番道」との銘があり、この付近の分岐点にあったと
    推定されていますが、現在、門前は整地中で移動されているようで発見できませんでした。
    (六阿弥陀3番目:無量寺。六阿弥陀4番目:与楽寺)
  ○阿弥陀如来像
    阿弥陀如来像は、境内阿弥陀堂に安置されています。阿弥陀如来は女人成仏の本尊として広く信仰を集め、
    「与楽寺」は江戸六阿弥陀参詣の第四番札所ともなっています。
  ○四面石仏
    四面石仏は南北朝時代のもので、密教によって東西南北に配当された如来を、石塔の四面に彫ったものだ
    そうですが、盗難防止とかで建物内に移動されたらしく、発見できませんでした。
          
     与楽寺         空海像

与楽寺に沿って左折。道灌坂に向かう。

11:13 道灌坂を上り向陵稲荷神社に向かう。
   

向陵稲荷坂
   

11:20 向稜稲荷神社(祭神:宇迦之御魂神)
   

開成中学の横をとおり、道灌山通り(457号線)に出て左折。20mほど先の左側の脇道に入る。

11:25 突き当りの左側が「ひぐらし坂」。右側の横断歩道橋を渡る。
    

地図2
     

西日暮里公園
  この辺りの台地は眺めが良いことから、江戸時代から人々の憩いの場所として親しまれているそうだ。
    

公園の中を直進。公園を出て、そのまま直進。

11:35 諏方神社
  祭神:建御名方命
  諏方神社は、元久2年(1202)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したといいます。江戸期には
  日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地としても有名だったといいます。
  「諏訪」とせず、「諏方」と使っているのは古来の表記で、本社で所有する元禄時代の軸に、「諏方大明神」と
  記されている。よって、「諏方神社」の社名を続けている。
          
    諏方神社           御嶽山
    
   映画「俳優 亀山たかじ」の撮影中でした。出演の安田顕。スタッフの多さにびっくり。見物人より多かったかも。
   完成したら見る機会はあるかなーー?

11:40 浄光寺
   浄光寺(真言宗豊山派)の創建年代は不詳ですが、当寺は諏方神社の別当寺であったことから、諏方神社の
   創建年代と同時期の元久2年(1202)前後の創建と推定できます。別当寺とは、神社の境内に建てられた寺院
   で、神仏習合思想の現れである。
   ○「雪見寺」
     眺望のすぐれた諏訪台の上にあって、展望がすばらしく、特に冬の雪景色が美しく眺められることから、
     「雪見寺」と呼ばれている。
        
   ○「将軍腰かけの石」
     元文2年(一七三七)八代将軍童宗が鷹狩りに立ち寄り、それ以後禦膳所となった。
       
   ○地蔵菩薩像、地蔵菩薩立像
     境内左手には元禄4年(1691)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像
     (江戸六地蔵の一つ)があります。
               
      地蔵菩薩像          地蔵菩薩立像

11:45 浄光寺前の「富士見坂」に入る。
  最近まで地上から富士山が見える坂だったそうだ。「関東の富士見百景」
       

突き当りの「六阿弥陀道」を左折。
法光寺(法華宗陣門流)
   

11:50 南禅寺(臨済宗妙心寺派)
       
    南禅寺          正門横の六阿弥陀道の道標

引き返して「六阿弥陀道」を進む。

12:00 修性院(谷中七福神の布袋尊)
   修性院(日蓮宗)は、境内に仮山を造り多数の花樹を植えた景勝地として「花見寺」とも称され、歌川広重の
   名所江戸百景に描かれている。また谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる布袋尊が祀られて、
   寺の塀には四季をモチーフにした布袋尊が描かれている。
      
      
             

さらに進み

12:05 青雲寺(谷中七福神の恵比寿神)
   青雲寺(臨済宗妙心寺派)の地は、江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、庶民に親しまれて、四季折々
   の花を楽しむ人々で賑わった。そのため青雲寺は修性院・妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)などとともに、
   花見寺ともいわれていた。また谷中七福神一つの恵比寿神が祀られている。
          
   青雲寺         「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴の筆塚碑
   
   日暮里船繋松の碑

「六阿弥陀道」を引き返し、「島田商店」の手前の道に右折し、「よみせ通り」まで直進。
     
   かわいい猫発見

よみせ通り」を左折。
   由来:大正末、住人も多くなり、色々とお店が調い朝市が立ち、生活必需品が全て揃った便利な活気溢れる
    買い物通りとなり、特に午後からは両側500mにわたり、露店が軒を並べて客を呼び、夕暮れ頃から大道芸人
    の口上が面白く人垣をつくり、下町風情たっぷりの楽しい、商いが競い合う通りとなりました。
    賑やかさは夜の更ける迄続き、憩いの買物通りと評判になり、誰云うとなく露店(夜店)の並んだこの通りは
    「夜店通り」と呼ばれるようになった。
     
12:15 延命地蔵尊
   地蔵菩薩は、長野県南佐久の古刹黄蘗宗玉井山法城院に、今から370年前(寛永年間)より伝わる地元でも
   評判のお地蔵さまでしたが、地元出身の篤信家の方がお寺にお願いして、昭和8年(1933年)当地にお移し
   して安置お祀りした名高い延命地蔵尊菩薩です。
          

12:20 よみせ通りを進み、「谷中ぎんざ通り」に入る。
       
   ○七福猫
     東京芸術大学の院生3人が製作した木彫りの七匹の猫。(七匹探すと幸せが・・・)
                          
   天ぷら「初音家」の屋根(スミちゃん)   越後谷酒店の屋根(スミちゃん)
   
   武蔵屋豆腐店の店頭(阿にゃん&吽にゃん)
               
   茶問屋「金吉園」の店の中(クロ)   金吉園の店の中(タマ)
            
   満満堂の店頭(いす猫)
   ○おいてある場所は、変化するらしいが、すべて発見。たっぷりとひやかしながらブラブラしました。

「夕やけだんだん」に入る前の道(六阿弥陀道)を右に曲がり、右手に本授寺がある。

12:50 本授寺(顕本法華宗)
       

戻って「夕やけだんだん」に入る。
   夕焼けが美しい階段ということと、下町情緒が感じられる名前として、作家の「森まゆみ」が命名した。
              

12:55 延命院(日蓮宗)
     

12:56 経王寺
   経王寺(日蓮宗)の本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られている。
          

13:00→13:35 食事休憩

13:40 本行寺
   本行寺(日蓮宗)は、景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。小林一茶はしばしば当寺を
   訪れ、「青い田の、露をさかなや、ひとり酒」などの句を詠んでいるとのこと。
                

御殿坂を下って、下御隠殿橋へ
   坂の名の由来:御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠所)がこの先にあったからと言われているが根拠はない。
     

13:50 「下御隠殿橋」(トレインミュージアム)
   「しもごいんでんばし」の中ほどにトレインミュージアムと呼ばれるバルコニーがあり、新幹線、特急列車、
   山手線、京成線の列車を見ることができる。
              

散策::谷中七福神めぐり(その2)に続く。

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