先日の記事で、秋アキさんからのご質問で話題に上った「蛇の目」。
土俵上の円形の俵(勝負俵と徳俵)の外側に25センチ程に敷かれた砂の部分です。
力士の踏み越しや、踏み切りの確認をするためにあるのは先に述べた通りですが、今と昔では「仕様」が違います。
現在の蛇の目は、
私も今回まじまじと見ました(笑)。意外と厚く敷かれていますね。
この砂を毎回、呼び上げを行った呼び出しさんが箒で掃き整えていきます。
そして昔の蛇の目は?というと、
わかりますか?(笑)。
このように、勝負土俵(内側の俵)と蛇の目の俵(外側の俵)の間に敷かれていました(写真は昭和2年横綱宮城山の土俵入り)。
これがかつての「二重土俵」です。この土俵は昭和6年1月場所まで使われていました。
ちなみのこの頃の土俵(内側の勝負俵)の直径は13尺(3.94m)。
この次の場所から一重土俵の15尺(4.55m)と現在の大きさになりました。
ちょっと本題をそれましたが、蛇の目の役割がわかる一番の有名な写真がこれです。
昭和44年月3場所2日目、大鵬ー戸田戦。大鵬の連勝45で止まった「世紀の大誤審」の一番です。
大鵬が土俵を割る前に、戸田の右足が一寸早く蛇の目を掃いているのがわかります。
行司はこれを見て大鵬に軍配を上げましたが、軍配差し違いで戸田の勝ち。
この時はなぜか蛇の目の砂が参考にされませんでしたが、NHKのビデオやこの写真によって「誤審」が証明されました。
この一番からビデオ判定を参考にすることになりました。
色々と脱線しましたが、裏方の呼び出しさんの箒さばきもじっくり観察してみてください、結構面白いものですよ(笑)
ググってみたら、なんと1952年には、無くなっていたのですね。
もっと、近年まであったと勝手に思い込んでいましたが、
もう58年前ですね。じゃぁ知らない人のほうが多いですね。
でも「土俵規則」には「室外の土俵では四本柱を使用することもある」と書かれているそうで、まだ「四本柱」という言葉は生きているようです。
いくら古い(失礼)豊雪さんでも、上から2枚目の写真で四本柱の前に勝負審判が座っているのは知らないですよね。
やはり文献で覚えた知識より、実体験の方が重みがあります(^_^;)