幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯は、銀製で高さ107cm、重さ29kgあります。
前回の東京大空襲がらみのお話です。
空襲のあった当時、旧両国国技館(現在の回向院の隣)は軍部に接収され、相撲協会のドア一つ挟んだ向こうは風船爆弾工場になっていた。
その国技館に3月10日未明、焼夷弾が降り注ぎ国技館は火の海に。
協会にもその火が迫り、協会では特設防護団が組織されており、団長の幕下郷錦(さとにしき)が国技館炎上の知らせを聞き駆けつけた。
大事な賜杯は金庫の中、鍵は開かない。バケツリレーで何百杯も水をかけ、なんとか事務所は火から守られた。
もちろん金庫の中の賜杯も桐の箱ごと無事だった。後から駆けつけた藤島理事長(元横綱常ノ花)は涙を流し「ありがとう、ありがとう」と手を握りしめたという。
郷錦の奮迅の活躍で、燦然と輝くあの賜杯を現在も見る事が出来るんだなぁ、と感激した話であったが、この郷錦はなんと秋田の出身であった事を後に知り、県人として誇りに思った。
もちろん協会にはこの事項の記録はなく、郷錦本人はこの話を自慢めいて話した事はなかったという。これこそ力士の鑑。
郷錦広次 本名 原田広次 大正5年9月2日生まれ 秋田県南秋田郡五城目町出身 出羽海部屋 最高位十両14枚目。
写真は大正15年春場所初日に土俵上で披露された天皇賜杯。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます