2
24歳でこの世を去った道造の詩は、まさしく青春の詩であるのだろう。夭折というと、私はひとりの従兄弟を思い出します。そのひとりのいとこも24歳くらいの生涯だったのです。私が中学生だったか、東京へ就職して間もなく、帰らない人となってしまったそのいとこの告別式に、東京で一緒に働いていた彼女が来てくれた。という記憶が微かに浮かびます。それと、いつだったか、いとこの手にあった一冊の詩集を・・・・。
そう、『萱草に寄す』の「またある夜に」ですが、まさしく、叶うことのない思いであり、今思えば、青春の詩の象徴のように受け取れます・・・・。
「またある夜に」
私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに
私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈のやうに
その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)
私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう
の文句が、青春の言葉の意味もわからないひとりぽっちな頃、へんに気になったことが思い出されもします。
その後、社会人となり、生活に追われ、気づけば人生半ば、そのときに知った、道造手製詩集『さふらん』の各詩篇には、新鮮な驚きでした。今年は2022年(令和4年)。1932年(昭和7 年)一高文芸部の編集委員に選ばれ、四行詩集『さふらん』を制作。とあるので、およそ90年も前に書かれた詩篇です。
手製詩集『さふらん』より。
「ガラス窓の向こうで」
ガラス窓の向こうで
朝が
小鳥とダンスしてます
お天気のよい青い空
「脳髄のモーターのなかに」
脳髄のモーターのなかに
鳴きしきる小鳥たちよ
君らの羽音はしづかに
今朝僕はひとりで歯を磨く
「コップに一ぱいの海がある」
コップに一ぱいの海がある
娘さんたちが 泳いでいる
潮風だの 雲だの 扇子
驚くことは止まることである
「忘れていた」
忘れていた
いろいろな単語
ホウレン草だのポンポンだの
思い出すと楽しくなる
「庭に干瓢が乾してある」
庭に干瓢が乾してある
白い蝶が越えて来る
そのかげたちが土にもつれる
うつとりと明るい陽ざしに
「高い籬に沿って」
高い籬に沿って
夢を運んで行く
白い蝶よ
少女のやうに
「胸にいる」
胸にいる
擽ったい僕のこほろぎよ
冬が来たのに まだ
おまへは翅を震はす
「長いまつげのかげ」
長いまつげのかげ
をんなは泣いていた
影法師のやうな
汽笛は とほく
「昔の夢と思い出を」
昔の夢と思い出を
頭のなかの
青いランプが照らしている
ひとりぽっちの夜更け
「ゆくての道」
ゆくての道
ぱらぱらとなり
月 しののめに
青いばかり
「月夜のかげは大きい」
月夜のかげは大きい
僕のとがった肩の辺に
まつばぼたんが
くらく咲いている
「小さな穴のめぐりを」
小さな穴のめぐりを
蟻は 今日の営み
籬を越えて 雀が
揚羽蝶がやつて来る
・そういえば、従兄弟の死の原因が何かはわからない自分です。道造は、病状が急変し永眠。従兄弟も何か病気だったのかと思うのですが・・・・。短い生涯、従兄弟は一途に生きたのでは・・・・。
ときどき、ニュースになる自死ですが、この世に生まれてきた命、最後まで全う出来たら幸せです。まだまだ先が長い自分、一日一日、一歩一歩です・・・・。
続きは次回に・・・・。