『妹と私と・・・』
しあわせな家庭に
生まれてきた
妹と私・・・
いつか
思春期を迎え
生きていることに
悩む日々も・・・・・
でも
結婚して
子供も生まれ
しあわせな
家庭を・・・・・・
やがて
いつか
この世を去る
ときが来るのですが
自分で 去るときを
決められるとしたら
おだやかで
ありますように
先日、片付けをしていて、小学校のときの妹の通知票を手にしました。
三年生のときの先生の所見より。
四月以来、給食係ということで、大変よくその責任が果たせられていました。やや発言の回数が少ない方でありますが、声は比較的良く出来るようになって来きていますので、もう一押しと思われます。
清潔への関心や机中の整理の態度などは大変よろしいと思われます。全般的に おとなしい方でありますので、だまって仕事をやってしまい勝ちですから、つとめてしゃべらせるようにしていきたいと思っています。勉強帳は大変よくやっております。
いろいろな活動において、自分ひとりの場合は問題ありませんが、協同して仕事をするような時は、はっきり自分を主張できないことがままありました。自己表現が是非必要かとおもわれます。
早いもので、妹がいなくなり10年が過ぎました。
妹はかけがえのない存在でした。幼かった頃、妹と庭の花たちから鮮やかな色水を作っていたことなど・・・・、想い出せば、傍らに妹がいたのです。私自身の鬱屈とした青春時代は、人に話せるようなものではなかったのですが、妹はそんな私をどのように思っていたのかな。その後、遅ればせながら結婚をし、幸せな家庭をもつことが出来た私ですが・・・・。
母が要介護状態になってから、月に一度は、顔を見せてくれた妹です。暫く会わなくても、妹には気楽に話をし、妹が帰った後に、傍らの妻に、「いつも、仲がいいね」と言われました。
私が交通事故に遭ったその日、妹は駆けつけてくれて、明日からの車の手配を助けてくれました。なにしろ、車は破損してしまい、代わりの車を用意しなくてはならなくなったのですが、妹が車屋までの送り迎えをしてくれたことは、とても助かりました。
振り返ると、ちょっとおしゃれな優しい妹の姿が浮んできます・・・・。そんな妹のポートレートですが、いつも私の机の上に・・・・。
『妹よ・・・』
壊れた古時計を
なんとかならないかと
こねくっているうちに
柱時計のおもかげは
あとかたも無く
幼い日の記憶は
その ボーンという
響きのなかに
固くなった
ぜんまいは
ありし日の記憶を
年輪のように
しまい込んでいます
傍らの
ポートレート
の妹よ
いつも
私の心の中にいる
懐かしく 甦る
愛しい妹です
下の絵は、妹と赤ちゃんの姿を描いたスケッチです。その頃の自分は、七年ほどの東京での一人暮らしから田舎に戻ってきたばかりで、まだ、スッキリとした日々ではなかったのですが、実家に時々顔をだしてくれた妹の姿に元気をもらっていた私でした。